誤解された「留守番禁止」条例 子どもを守る理念が行政を動かし、社会を変えるはずが… 撤回を惜しむ声から考える
【前編】昨年10月、埼玉県議会に自民党県議団が子どもだけの留守番や外出を「置き去り」として禁止する条例改正案を提出した際、「生活が回らない」などと多くの保護者らが反対し、瞬く間に大きな社会のうねりとなりました。
子育て当事者が呼びかけた署名は10万筆を超え、本会議可決直前に撤回されるという異例の事態に。記者も、当初の報道で子どもだけでの留守番禁止や公園遊び禁止といった禁止事項を見て、「これでは多くの親が虐待したことにされてしまう」と危機感を覚えた一人です。
一方で、少数ではありますが、あの条例案は「子どもを守るためのものだったのに」と撤回を惜しむ声もありました。この一連の報道では伝えきれなかった賛成の声を専門家へのインタビューとともに紹介します。
少数派の問題提起 制度とサポートは
これは、連日の報道に対し、条例改正案に賛成の立場から「東京すくすく」に唯一寄せられたコメントです。中学生の母親からでした。
他にもインスタグラムには、少数派ではありますが、さまざまな声が上がっていました。
こんな捉え方もあるんだと、ふと我に返りました。
「仕事があるから」「上の子の幼稚園のお迎えにすぐそこまで出るだけなのに、寝ている下の子を起こすのはかわいそう」とそれぞれ家庭にやむを得ない事情があって「子どもが1人」の状況が発生していると思います。ですが、保護者にとって子どもの安全は第一。大人がもう1人いてくれれば…と思いながらも慌ただしい毎日を乗り越えているのではないでしょうか。
例えば、「安心安全な学童保育に入れるのが当たり前な社会」「どの自治体に住んでもベビーシッター利用は無料」など、どんなサポートがあると現状を変えられそうか、条例改正案を機に理想の子育て社会について一緒に考えてみませんか。
日本に根強い「親が見ていなかったからだ」の意識 欧米はどう違う? 専門家に聞く
条例案に賛成の立場から発信する専門家に話を聞きました。小児科医として1985年、プールの排水口に吸い込まれた中学2年の女子生徒をみとった経験から子どもの予期せぬ事故予防に取り組み、事故予防策を呼びかけるNPO法人Safe Kids Japan理事長でもある山中龍宏さんです。
やっと社会の認識が変わる、と思った
ーご自身のコラムでも、条例案の内容に「やっと日本がそういう時代になった」という感想を書かれていました。どんな背景があるのでしょうか。
1990年代に、若い夫婦がロサンゼルスで子どもを車に残して買い物をしていたら逮捕されたという報道があったんです。その時は驚いたんですが、今では日本でも車中に子どもを残したまま親が長時間パチンコをしていて亡くなったという事故が起きています。
子どもを1人にしておくのはやめようという社会意識があれば、こんなことは起こらないはずです。1990年代はまだ日本に浸透していなかった考え方ですが、1人にしたことで子どもが亡くなった事例をみると、(条例案で)やっと社会の認識が変わり始めるのか、と受け取りました。
条例は「行政を動かす」ためのツール
ー条例案は撤回されましたが、どう受け止めましたか。
条例案の出し方を間違えて、誤解されたと思います。
諸外国の子どもを守るシステムを見るとかなり厳しく制限している。それは、社会で育てようという意識が根付き、そうしたシステムもあるからです。
一方、日本では子どもを1人にしたために火災で亡くなったり、川で亡くなったりと、子どもが命を落としています。それは「親が見ていなかったから」の一言で済ませられがちですが、親だけで子どもを見守るのは限界がある。
学童や預かり保育など、預かってもらえる場所を整備するために、条例が通れば行政が動かざるを得ない。条例案はそのツールとして有効だったと思います。
私は、「子どもを1人にしないために社会を変えていこう」「子育てインフラを整備していこう」と提出された条例改正案だと受け止めました。大げさに言うと、本来は育児支援のための条例案だったと思うのです。
そもそも預かってもらえる場所がない
ー条例案が出された当初の報道では、「子どもだけで留守番」「子どもを残してごみ捨て」などと禁止事項が並び、「子育て生活の実態と乖離(かいり)している」との受け止め方がほとんどでした。
多くの親は、頼る先のない子育てで大変な思いをしているから、そもそも子どもを社会で育てようだなんて思えない。それは当然です。でも、ごみ捨てにも置いていけないのか、という些末(さまつ)な話ではない。
子どもだけで公園とか、おつかいに1人だけで行くのも虐待とか、そういうレベルの話ではなく、おおもとの考え方を理解する必要があると思うのです。
そもそも子どもを預かってもらえる場所がないからこそ、行政を動かすための条例なのに、メディアも言葉尻をとらえて「公園に子どもだけは虐待」といったところにばかり注目したのはよくなかったと思います。
欧米は「人は誰でも間違える」が前提
本来は、車の中で置き去りにして死亡させないという話をしている。通園バスで、2021年に福岡県、2022年には静岡県で2年も連続で置き去りにされた子どもが亡くなった。そしてすぐに安全装置の設置が義務づけられました。あんなに早く法制化するとは思わなかった。でも命を落としてからでは遅いんです。
日本は今でも事故は「親が見ていなかったからだ」という社会意識ですが、欧米では「人は誰でも間違える。間違えても大丈夫な社会にしよう」という意識で制度がつくられます。わが国は、「人は間違ってはならない、親が子どもを24時間見ていなければいけない」という意識が根付いている。そんなのできるはずがないんです。だから社会で支える子育てインフラが必要なんです。
ー条例案を守れるようにするためにも、どんな子育てインフラが足りていないでしょうか。
洗い物をしていて、目を離した隙に子どもがベッドから落ちた、台所でやけどしたという事故は日常にあります。そういう近距離でのことは、ベッドに柵をつけるとか、台所に入れないようにするとか、製品でなんとか防げます。
それ以外のところでは、例えばベビーシッターを利用しやすくしたり、学童保育の整備もそう。登下校なら、学校と学童を送迎するバスがあってもいい。自家用車で送迎という国もあります。交通安全のおじさんおばさんの見守りも一つだし、今ならランドセルにつけるブザーもあります。
自民党埼玉県議団は再挑戦してほしい
ー条例案は撤回で終わってしまったが、今後どんな議論を期待しますか。
日本では安全があって当たり前の感覚があると思います。いつも諸外国に15年くらい遅れて、社会が変わる。安全に対してルーズです。
チャイルドシートの義務化も2000年代ですが、米国では1980年代から。自転車のヘルメット着用もようやく法が動きましたが、努力義務にとどまっています。海外では当たり前です。これもいつか義務化されると思いますが、安全に対する意識がすべて遅れているのです。
毎年、子どもを1人にしたことが原因で事件事故は起きています。子どもの事故は毎年目新しいものではなく、同じような事件事故が繰り返し起きているはず。「親が見ていなかったから」で終わらせるのではなく、自民党埼玉県議団には、過去の事故データと条例案をセットで議会に再挑戦してほしい。
地道に収集して記録してを積み重ねて、ファイルにして、「こんな事故が起こっている、子どもの命を守るために社会が変わらないといけない」というメッセージをもう一度発信してほしい。
「置き去り」ではなく「ノーマーク」
ただ置き去りを禁止するのではなく、戦略を練って子どもを見守ってくれる組織や場所を確保しますよという条件も行政が示すところまでやらないといけないと思います。
また、「置き去り」という言葉は、よくないんじゃないかと思います。わざと、とか悪いことをしているみたいな印象になり、親としては「置き去りなんてしてません、忙しくて仕方なく」と、そういう気持ちになる。
だから代わりに「ノーマーク」を提唱したいです。意識が向いていなかった、そういう時に事故は起こるので、子どものノーマークはやめようという言葉掛けにした方が受け取りやすいのではないでしょうか。
【再考「留守番禁止」条例】後編では、東京新聞の海外駐在員たちに、各国の子どもの安全を巡る事情を聞きました。
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