重症児者を守る会会長 安部井聖子さん すぐに障害を受け入れられなかったけれど、次女が私の生き方を導いてくれた

自身の子どもたちのことを話す、全国重症心身障害児(者)を守る会の安部井聖子会長(川上智世撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
娘の笑顔に「かわいい」と感じた
長女と長男は独立し、今は重度の知的障害と肢体不自由が重複した「重症心身障害者」の次女(38)と夫の3人で暮らしています。次女には脳性まひによる四肢体幹機能障害があります。寝たきりで自力で起き上がれず、食事や排せつなど生活の全てに介助が必要です。言葉による意思伝達も難しいですが、会話に合わせて笑顔などを見せてくれます。
生まれた直後から異変がありました。おぎゃあと産声を発せず、ミルクを飲むのも苦手でした。2歳のころに心身障害児総合医療療育センター(東京)で診断を受け、最も重い1級の身体障害者手帳をもらいました。
ただ、私はすぐに障害を受け入れることができませんでした。人生に不安が募り口数も減り、周囲は私が自殺するのではと本当に心配していました。でも、ある日、次女が私と目を合わせてにっこりしたとき、かわいいと感じたのです。長女の話にさえまともに耳を傾けていないことにも気づき、親として立ち上がらなければと前を向きました。
次女は幼いころ、発熱するなど体調を崩しやすく、介助でゆっくり眠れる日はありませんでした。でも、「お母さん」と呼んでほしくてそばで自作の子守歌を歌っていました。通園施設を通じ、自閉症や医療的ケアの必要な子どもたちの保護者と出会い、障害への理解も深めました。
悩みがある人は気軽に頼ってほしい
次女が特別支援学校小学部3年のとき、親らでつくる全国重症心身障害児(者)を守る会の東京都支部の講演に参加し、「最も弱いものをひとりももれなく守る」といった三原則が心に響き、入会しました。「親の憲章」にも「わずかな成長をもよろこび、親自身の心をみがき、健康で豊かな明るい人生をおくりましょう」などとあり、こういう姿勢で生活すれば、次女のように障害の重い子の存在を世の中に認めてもらえるかもしれないという希望が持てたのです。
活動で印象的だったのは約20年前。行政へ働きかけ、医療的ケアが必要な重症児者の入所施設の開設につながりました。会員の活動で長年の願いがかなった意義は大きいです。会としては、入所施設の待機者の多い地域の施設増設や、医師や看護師らの人材確保、医療的ケア体制の充実などを国に要望しています。施設や在宅を問わず、親子が住み慣れた地域で暮らし続けられるようにしてほしいです。
親同士はつながると情報交換でき安心するので、悩みがある人は気軽に頼ってもらいたい。福祉サービスを利用することも大事。次女とは今でも旅行に行くなど生活にめりはりをつけていますが、私の生き方を導いてくれた心強い味方で宝物です。障害の種類や程度に限らず、多くの人が豊かに幸せに生きられる社会になってほしいですね。
あべい・せいこ
1959年、山形県新庄市出身。1995年に全国重症心身障害児(者)を守る会に入会し、東京都支部の会長や全国特別支援教育推進連盟理事などを経て2024年から現職。親の声を行政に届け、重症児者の施策向上に尽力している。厚生労働省の「障害者の地域生活支援も踏まえた障害者支援施設の在り方に係る検討会」構成員なども務める。
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安部井さんは子育ての大変さをサラッと話されていますが、同じ重症児者を育てた私から見ましたら、心の中でどれだけの葛藤があったことかと、拝察されました。重度のお子さんを介護しながら、全国の会長としてのご活躍に頭が下がります。お子さんも大事、お母さんも大事。お体に気をつけての活躍を祈ります。