4階級制覇の元プロボクサー 田中恒成さん 人生の全てを僕にかけてくれた父 一から学んでジムの専属トレーナーに

家族との思い出などについて話す元プロボクサーの田中恒成さん=名古屋市中区で(中森麻未撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
まっしぐらな父は空手も師範に
父(58)は大阪出身で、僕が物心ついた時は、可児市(岐阜県)でうどん店を営んでいました。当時は“浪速のジョー”こと辰吉丈一郎さんWBC世界バンタム級王者)全盛の時代。好きなボクシングを自分の子どもにやらせたかったのでしょう。3歳から空手を習っていましたが、小学5年の時に地元の多治見市(同)にジムができ、父の勧めで通い始めました。
父は空手もボクシングも未経験でしたが、わが子と一緒に習い始め、空手道場では師範になりました。ボクシングも一から学びながら、中学卒業まで練習相手をしてくれました。が、それで終わらないのが父でして。僕は高校3年でプロデビューと同時に名古屋の畑中ジムに所属したのですが、父の方が先に畑中ジムに入って、僕の専属トレーナーになったのです。
20代初めに2階級制覇した際、試合でけがをしたことがありました。父は既にうどん店を閉め、工場勤めをしていましたが、「仕事を辞めて、もっと本気でボクシングに向き合いたい」と言ってきました。父はこれと決めたら、まっしぐらのタイプ。仕事以外の時間は僕に注ぎ、自分の人生の全てを僕にかけている感じでした。息子の頑張りに応えたい、との思いが大きかったのでしょうが、教える側にも楽しさがあったのかもしれません。(プロの世界で)こいつとならどこまで行けるんだろう、みたいな。
リング下から兄の声は聞こえる
2歳違いの兄・亮明(りょうめいさん=東京五輪フライ級の銅メダリスト)とは、空手もボクシングも一緒に始めました。小さい頃は仲が良かったのですが、小学校高学年ごろから互いに口を利かないようになり、中学から高校にかけては、会話なんて一切なかったです。
ただ試合になると、一番応援してくれていたのが兄でした。僕が高1で当時の国体で優勝した時、兄は本当は僕と同じ階級なのに1階級上げて優勝したし、あの井上尚弥さんとは高校時代、いつも決勝で戦っていました。アマでも強いから兄のアドバイスが最も頼りになる。試合中、リング下からの兄の声は、大歓声にかき消されることなく、ちゃんと聞こえるのです。普段口は利かなくても、同じ世界で闘う人間として分かり合える。今も仲良しとはいわないですが、いい感じの関係になってきたかなと思います。
来年1月ごろまでに多治見市内にボクシングジムを開く予定です。自分はオーナーで、父には会長兼トレーナーになってもらいます。ここまで来たら、好きなボクシングに関わり続けてほしいと思って。ボクシング界は選手もトレーナーも、大半は違う仕事をしているのが現状。今後ジムを各地に展開したりして、ボクシング好きがこの世界で働けるよう、新たなビジネスモデルを考えているところです。
田中恒成(たなか・こうせい)
1995年、岐阜県多治見市出身。中京高(同県瑞浪市)在学中の2013年にボクシングプロデビュー。15年に世界ボクシング機構(WBO)ミニマム級世界王座に就き、以後、ライトフライ級、フライ級王座。24年2月のスーパーフライ級王座決定戦で勝利し、史上最速の21戦目で4階級制覇を達成した。失明のリスクを理由に今年6月に現役を引退した。
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世界4階級制覇という偉業は、ご本人の血のにじむような努力の結晶であることは言うまでもありませんが、その背後にはご家族の揺るぎない愛と力強い応援が原動力となって支え続けてきたのですね
家族の絆が織りなす熱いエールが、頂点への道を照らし、勝利の栄光をより輝かしいものにした――そんな感動的なストーリーに、心から胸が熱くなります
恒成さん、これからもずっと応援し続けます