ラジオDJ・MC イレーネさん 厳格なドイツ人の父が他界した2カ月後、6年生でドイツの小学校へ留学

家族との思い出を話すイレーネさん=中日新聞社で(小沢徹撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
ゴルバチョフのような風貌
ドイツ人の父と日本人の母を持ち、6人(4男2女)きょうだいの末っ子です。父と母は20歳違いだったし、私と長兄とは12歳離れていて、年齢に結構幅のある家族でした。そのせいで、家の中で私が触れた音楽や映画、文学など文化的なものの年代幅が広く、DJの仕事に生きています。
父は1960年代に来日し、同じカトリックの母と名古屋で出会って一緒になりました。私が子どもの頃は南山大で教授や財務理事の仕事をしていました。ゴルバチョフさんみたいな風貌でちょっと威圧感があり、すごく古風な人。信仰やドイツの伝統を重んじ、家じゅうに厳格さが漂っていました。世間とは一線を画し、ガラパゴス化したような家族でしたね。時に自分がマイノリティーと感じるのは、ハーフであることよりカトリックの家庭で育ったことにあると思っています。
地元の小学校に通いましたが、6年生の1年間ドイツに留学しました。あやふやな記憶ですが、多分自分から「行きたい」と言ったんです。留学の2カ月前に父が66歳で他界し、家族会議の末、「パパも行ってほしいと思っているだろう。ここでやめてはいけない」と決行しました。
数カ月ホームステイし、その後は寄宿舎生活でしたが、毎週のように家族から手紙が届きました。どれも励ましの言葉やら近況やらが便せんにびっしり。大学生だった姉の手紙には、村山(富市元首相)さんら時の政治家の風刺画が添えてあったりして、90年代半ばの社会情勢が見えてきます。母の手紙の一文には「あなたは強い子だから、お母さんは何も心配していません-」と。心配ないはずないですが、書きながら自分に言い聞かせていたのでしょう。読み返すと泣けちゃいます。私はどれだけ愛されていたんだろう。厳しかったけれど、すごく愛があった家族だったなあと。私の宝物です。
思春期の頃は「私は何人?」
母は遊びごとには全然お金をくれない人でした。が、英国の大学への進学もそうですが、学ぶことに対しては一貫して支援してくれました。40代半ばで伴侶を亡くし、苦労も多かったはずですが、父の価値観を大切にしながら6人を育て上げ、愚痴も大して聞いたことがありません。78歳になる今でも、父のことを「本当にいい人だった」と言います。かないません。
昨年、夫と小1の息子と家族3人でドイツに父方のいとこを訪ねました。すごく歓迎してくれ、皆が父と母の話をしてくれました。ほとんど会ったことのない人たちなのに、私と考え方や価値観が似ていてびっくりしました。どこの国出身とかではなく、家族単位でのルーツって大事ですね。思春期の頃は「私は何人(なにじん)?」という葛藤もありましたが、今はどちらかを選ぶのではなく、「両方です」というのが自分には心地よいです。
イレーネ・デワルト
1982年、愛知県日進市生まれ。英ロンドン大ロイヤル・ホロウェイ校演劇学部卒業後、仏パリの国際演劇学校を経て帰国。同県幡豆町(現西尾市)の臨時職員時代にスカウトされ、2010~22年にZIP-FMのDJを務める。22年秋からTOKAI RADIOの「bre:eze(ブリーズ)」(月曜~金曜午後3~5時)のレギュラーDJ。日本の郷土芸能にも関心が高い。
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