普通の高校生でいたかったのに…認知症の祖母を10年介護 25歳で気づいた「ヤングケアラーって私のこと?」
かつてのヤングケアラーから 今しんどいあなたへ(2)
「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもたちがいる。大人に代わって家事や家族の介護などを日常的に担っており、心身の負担や学習の遅れ、友だちとの関係がうまく築けないなど、さまざまな影響を受けている。元当事者らに、自身の体験を通して今しんどい思いをしている子どもたちや社会へ伝えたいことを聞いた。
大好きだったおばあちゃんが…
大好きだった人が別人に変わっていくようだった。草加市に住む野口由樹さん(33)は、物心つくころには「おばあちゃん子」だった。その祖母が認知症になったのは高校2年生のとき。約10年間続くことになる長い介護の始まりだった。
両親と祖母、弟と妹との6人暮らし。ケアを中心的に担った母だけでは手が足りず、「家族だから協力して当たり前」と手伝うようになった。通院の付き添いや入院中のお見舞い、トイレの介助…。救急車に同乗したことも一度ではない。
父は仕事で留守が多く、小中学生だった弟妹は病状をよく理解できずに祖母との距離が生まれた。一つ屋根の下にいても当てにできなかった。「何で関わってくれないの」。家族関係が悪化し、いら立ちで心がざらついた。
ため込んだ感情が心身の不調に
そんな話を友人や先生には打ち明けられなかった。言っても受け止めてくれないのではないか。「その年齢で…」と特別視もされたくない。一人の「普通」の高校生として扱ってほしかった。
ため込んだ感情は心身の不調となって現れた。自分の部屋にこもるようになり、食事がのどを通らなくなった。過呼吸のような発作も出た。大学は2年でやめた。
将来が見えない中、支えになったのはケアの経験だった。ヘルパーの資格を取り、高齢者施設での仕事を得た。多くの利用者と接するうち心に余裕が生まれ、祖母の愚痴を聞いてもらうこともあった。
自分にはなかった「居場所」を
「ヤングケアラー」という言葉を初めて耳にしたのは25歳のころ。「これって私のこと?」。悩みを抱えた介護者が交流する「ケアラーズカフェ」の存在も知った。自分には縁がなかった居場所を、必要とする誰かのためにつくろう―。そう思い立った。
その2年後、祖母は86歳で逝った。在宅でのケアが難しくなり、入所させていた施設でみとった。自らの役割がなくなったような気がしたが、目標は見失わなかった。
昨年8月、念願だった「ケアカフェ碧空(りく)」を始めた。月に一度、ヤングケアラーがオンラインで相談できる場を開く。参加者はまだ少ない。それでも、活動を知った年配の人に「若いケアラーに関心が向くようになった」と声をかけられたのがうれしかった。
「個々のケースで必要な支援につながっていく場にしたい。自分自身を追い込まず、今の気持ちを話してみてほしい」と野口さん。ケアを受ける人だけではなく、子どもを含む家族全体を丸ごと見守る。そんなまなざしが社会に広がっていくことを願っている。
ヤングケアラーに関する主な問い合わせ先
子どもスマイルネット | 電話 048-822-7007 毎日午前10時半~午後6時(祝日・年末年始を除く) |
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よりそいホットライン | 電話 0120-279-338 毎日24時間 |
親と子どもの悩み事相談@埼玉 | Webサイト LINEで相談できます |
精神疾患をもつ子供の会(こどもぴあ) | Webサイト メール: kodomoftf@gmail.com |
ケアカフェ碧空(りく) | Webサイト メール: carecafe.riku@gmail.com |
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