芳賀道也参院議員 子育てに思うように関われなかったからこそ、子どもたちのために〈ママパパ議連 本音で話しちゃう!〉

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自身の子育てを振り返る国民民主党の芳賀道也参院議員=東京・永田町の参院議員会館で、佐藤哲紀撮影

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妻から「仕事を優先した」と言われ

 今回のコラムを担当する参院議員の芳賀道也です。長男は30歳を超えてすっかり大人になりましたが、これを機に私の子育てについて振り返ってみたいと思います。前回のコラムを担当された三上絵里参院議員から、このようなご質問を頂きました。

 「私と同じアナウンサーで、子どもと過ごす時間をつくることは難しかったのではないでしょうか。働きながらの子育ては大変だったかと思いますが、男性として『子育ての関わり方』のポイントや子育て中の方へのアドバイスはありますか」

 ご質問にもある通り、私は山形放送のアナウンサーとして朝番組「ズームイン!!朝!」の山形のキャスターなどを務めていました。長男が生まれた当時、この朝番組を担当していたか、担当を代わっていたか記憶が定かではありませんが、とにかく忙しかったことは覚えています。結婚8年目でようやく授かった子どもで、かわいくてかわいくて、子育てもしなくては、と思っていたのですが、なかなか仕事の都合がつかず、難しい場面がいくつもありました。

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亡き母(右)と一緒に、沖縄旅行にて。息子は1歳4カ月(本人提供)

 いよいよ長男が生まれる、という時のことです。出産予定日の1カ月前から入院していた妻から「陣痛が来た」という連絡をもらい、会社を抜け出して病院に駆けつけました。妻の顔を見て「間に合った」と安心していると、たまたま同じ産婦人科の病棟で医師として働いていた同級生が「陣痛が来たばかりならまだまだ大丈夫だよ」と声をかけてくれました。私は「それなら」と思い、「どうしてもインタビューをしなくてはいけないゲストがいるから」と職場に戻ってしまったのです。ラジオ番組の収録だったと記憶していますが、「1時間以内にまた戻れるから! じゃあ!」と言って職場にとんぼ返りしたんですね。そうしたら、結果的にその間に長男が生まれてしまって。安産で何よりだったのですが、まさかそんなに早く生まれるとは思わず…。

 慌てて病院に戻ったら、僕が抱き上げる前にすでにいろんな人が抱っこしていて、複雑な気持ちになったのを覚えています。当時、立ち会い出産はメジャーではありませんでしたが、間に合えば立ち会いもしたいと思っていたくらいでした。妻からはいまだに「いよいよ生まれるという時にあなたは仕事を優先した」と言われます。

罪滅ぼしだ、と張り切っては失敗

 こんな具合で、子育ては妻に任せっきりでした。ゼロではないですが、オムツを替えたこともほとんどありません。当時は休みもあまり取れませんでしたね。今でこそ男女関係なく夫婦協力して子育てしようという時代になりましたが、当時は、特にマスコミ業界は休まないのが美徳のような雰囲気さえありました。忙しいことを自慢し合うような、あしき習慣も。夕方のレギュラー番組を担当していた時は、番組が終わった後も次の日の編集作業が残っていたり、そのまま夜の取材に出かけたりということもあって、一緒に夕飯を食べたこともあまりありませんでした。とにかく不規則でしたね。妻にとって私はとにかく不規則な夫で手がかかる上に、子育てがあって本当に大変だったんだろうなと今になって思います。

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自宅で息子の2歳の誕生会(本人提供)

 「男性育休」という言葉自体がまだまだ珍しい時代でした。山形県の公務員で初めて男性育休を取得した人を取材して、ラジオで紹介したのも長男が生まれた頃でした。男性が育休を取るなんてすごいね、といった内容でしたね。私がもし今子育てをしていたら、きっと育休を取ったと思います。

 さて前置きが長くなりました。子育ての関わり方のポイントや子育て中の方へのアドバイスというご質問でした。まずは二度とない時期なので、やはりとにかく関わることが大事だと思います。ただいるだけでもいい。自戒を込めてですが、妻からやってほしいと言われたことくらいはやればよかったなという思いがあります。後悔しています。何をしたらいいかわからなければ妻に聞けばよい。何でも完璧にやれるわけではないですから。100点満点を目指さなくてもよいと思います。

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「妻からやってほしいと言われたことくらいはやればよかった」と子育ての後悔を明かす芳賀道也参院議員

 ただその半面、やりすぎもよくないということも身をもって経験しました。ある番組の改編期に、たまたまそんなに忙しくない番組の担当になったんです。それで、それまでの罪滅ぼしだ、と張り切って、急にカメラや望遠レンズを買ったり幼稚園の行事に繰り出したりして。とにかく子どもの写真をたくさん撮り始めました。すると子どもが明らかに嫌そうなんですね。迷惑がられていたというか…。ちょっと空回りしてしまった感じはありました。旅行に連れて行こうとしたら、台風で目当てのテーマパークが休園だったり帰れなくなったりしたアクシデントもありました。妻から「子どもを連れまわしておもちゃじゃないのよ」と怒られたこともあります。それもいい思い出です。

「見ていてあげればいい」に救われた

 国会議員になってママパパ議連に入ろうと思ったのは、1つは贖罪(しょくざい)です。自分自身は思うように子育てに関わることができなかったので、せめてこれからの子どもたちのためになることに取り組みたい、という思いです。もう1つは、やはり改めて子ども・子育ての政策は大事だと考えているからです。子どもはやはり社会の宝です。山形の大学で、有機ELの世界的な研究者が活動をしてくださっているのですが、挨拶に伺った際に言われたのは、科学研究費などではなく、少子化への懸念でした。「政治はなぜ何もやらないのか」「本気の対応がないのではないか」と厳しくご指摘を頂きました。その後、東京都の合計特殊出生率0.99(2023年)という数字が公表されるわけですが、優れた研究者はやはり社会のことをよく見ていると実感しましたね。

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宮城県・蔵王の御釜(火口湖)にて、息子3歳(本人提供)

 自分自身が、子どもとどんなふうに関わればいいかと悩んでいた時期に、救ってもらったのが、ラジオ番組で人生相談を受けていた幼児教育研究者の大原敬子さんの言葉でした。「ずっと見ていてあげればいいのよ。見ていることは愛することだから」と。大原さんは講演会で、話を聴きに来たお母さんの悩みに対して、「子どもさんがあなたの言うことを聞かなかったら『しめた!』と思って。それは愛情が伝わっている証拠。断っても嫌われないとわかっているから断れるのよ」ともお話しされていました。それがすごくいいなと思ったんですね。いろいろうまくいかないことがあっても、くよくよせずにひたすら近くにいられる時はいよう、と思えたのです。子どもが学校でうまくいかない時期もありましたが、「父ちゃんが一生懸命やってくれるっていうことが伝わればよいかな」と気持ちを切り替えることもできました。

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国会議員として実現したい政策について語る芳賀道也参院議員

 長男はもう大人ですが、とても優しい人になりました。仕事も手伝ってくれています。抜けたところもありますけれども、完璧を求めても仕方がないですから。私自身も完璧な父を演じようとすると疲れるので、もう自然体で、だらしない親父(おやじ)でいいかなと思っています。

 国会議員として実現したい政策はいろいろありますが、中でも強く思うのは、学びたいと思っている人が経済的な理由で学びを諦めなくてもいい社会をつくらなくてはいけない、ということです。そうした訴えが私の耳にも届いていて、山形大学の学生さんからのお手紙を文部科学大臣の前で読み上げたこともありました。ぜひ頑張っていきたいと思っています。

 最後に次回のコラムを担当される参院議員の金子道仁さんへの質問です。お子さんが8人いらっしゃると伺いました。大変なご苦労もあったかと思いますが、どのようにそれぞれのお子さんに向き合っていらっしゃったのでしょうか。

芳賀道也(はが・みちや)

 山形選挙区、1期、無所属。1958年3月、山形市生まれ。日本大学文理学部を卒業後、山形放送に入社。アナウンサーとしてさまざまなテレビ、ラジオ番組を担当。アナウンス責任者・報道制作局アナウンス統括部長などを経て、2019年に退社。同年7月の参議院選挙で初当選を果たした。

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ご当地ノート「やまがた学習帳」を手に、地元について話す芳賀道也参院議員

(構成:政治部・坂田奈央)

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