タブレット授業の落とし穴 普段も「シェアはタダ」だと錯覚し… 子どもが著作権トラブルを起こす可能性
補償金制度ができて授業利用はスムーズに
新制度は「授業目的公衆送信補償金制度」。
「公衆送信」とは、インターネット経由での著作物のやりとりを指す。2019年度までは事前に著作権者の許諾を得ないと「授業での公衆送信」は一部の例外を除き、できなかった。それが新制度に基づき教育委員会や学校法人などの学校設置者が補償金を支払うことにより、煩わしい許諾手続きを踏む必要なく、授業で可能になった。
逆に言えば、もしこの制度が整備されなかったら、文部科学省が進めるGIGAスクール構想でのタブレット1人1台の学びは円滑に進まなかった。先生がタブレット活用授業で著作物をシェアしたければその都度、著作権者を探し当て、連絡を取ることになる。使用料を請求される場合もある。これではタブレットが敬遠されてしまう。
補償金制度の本格運用が始まった2021年度には、全国から約48億7000万円が管理組織のSARTRAS(サートラス)に集まった。予定では今秋、著作権者らに分配される。
お金の動きが見えず 先生にも実感がない
年間定額制の補償金が支払われれば、学校現場は多様な著作物を授業で何度でも公衆送信できる。ICT教育を広げる上では便利だが、ここに来て課題に浮上したのは、補償金制度やSARTRASの知名度の低さ。特に授業の最前線を担う先生たちに認知されていない点だ。
補償金は先生が生徒の家庭から徴収してSARTRASに振り込むわけではない。知らないうちに支払われる。お金の動きは先生にも生徒たちの目にも見えないので、授業での著作物のシェアが本当は有償なのだという実感がわかない。
本来なら「著作物を利用したいときは著作権者にあらかじめ許諾を得る」というのが著作物を扱う基本的な心構えとして大切なのに、そうした考え方も定着のしようがない。許諾手続き抜きで授業での公衆送信が可能になっているため、先生が「授業だからタダで自由にシェアできる」と錯覚する面もある。
著作権教育に詳しい芳賀高洋・岐阜聖徳学園大DX推進センター長は補償金制度が創設された意義を評価しつつも「著作物を利用する『当事者意識』の希薄化を招き、著作権の原則を忘れさせ、かえって無意識の著作権侵害が横行してしまうのではと危惧される」と指摘する。
「シェアしていいのは授業の中だけ」子どもに伝わってる? 二度と逮捕者を出さないために
学校の先生たちが「授業だからタダ」と考えるのには理由がある。「あらかじめ許諾を得る」という著作権の原則は、学校の授業についてはもともと例外扱い(著作権法35条)。好き放題にいくらでも複製してよいわけではないものの、例えば新聞や雑誌の必要範囲の記事コピーを、クラス全員に配って授業で役立てることなどは、無許諾でも無償でできる。
18年の著作権法改正で変更されたのは、「要許諾」だった授業での公衆送信を、補償金制度の新設で「無許諾・有償」扱いとした点。教育現場への周知が不十分なまま、ICT教育の舞台裏でのお膳立てが整えられた。先生たちの目には紙の著作物のコピーと同様、タブレットでのシェアも「授業だからタダ」のまま、従来と何も変わってないように見えてしまう。
子どもたちの目にはどう映るだろうか。
著作物のシェアが可能なのはあくまで授業の中だけだ。授業の枠組みから1歩外に出た途端、勝手にシェアできなくなる。しかし生徒たちにとっては「学校ではやってよかった」「先生も授業でやっていた」こと。自宅や私生活でのシェアも問題ないと勘違いして、軽い気持ちのままスマホでネット上に著作物をアップするリスクはある。
音楽科教諭として中学での勤務経験がある東京学芸大こども未来研究所の原口直(なお)・教育支援フェロー(研究員)は「35条やSARTRASに守られていることを教員の皆さんが自覚していれば、子どもたちへの声掛けにもその視点が出てくる。でも現状では先生が著作権のことを考えなくていいような感じになってしまっている。子どもにも伝わらない」と心配する。
2010年には名古屋市の中学生=当時(14)=が人気漫画を動画サイトに無断公開して、京都府警に著作権法違反容疑で逮捕される事件も起きている。原口さんは「子どもの逮捕者を二度と出したくない」との思いから、YouTubeの動画チャンネル「学校著作権ナビ」を開設。短くわかりやすい説明で、著作権についての正しい理解を広げる活動に取り組む。
さまざまな論点でつくられた動画の中には、学習指導要領で知的財産権がどう触れられているか、教員採用試験で著作権がどう問われたかをまとめたものも。原口さんはこう問題提起する。「もしまた事件が起きてしまったら、教育の責任も問われるのではないでしょうか」
授業目的公衆送信補償金制度
年間定額の補償金を学校設置者(教育委員会や学校法人など)が支払うことで、学校の授業で、インターネットを経由した著作物のやりとりを無許諾で何度でもできるようにしたしくみ。2018年の著作権法改正で新設され、2021年度から本格運用を開始。補償金は1人当たりの年額が小学生120円、中学生180円、高校生420円、大学生720円。2021年度は全国から約48億7000万円が集まった。制度名にある「公衆送信」という言葉は不特定多数への情報拡散をイメージさせるが、著作権法は「公衆」を「特定かつ多数の者を含む」と定義しており、学校のクラス全員などの「特定多数の者」も同法上の「公衆」に該当すると考えられている。
SARTRAS(サートラス)
「授業目的公衆送信補償金等管理協会」の略称。補償金の支払先として文化庁が唯一指定した一般社団法人。所在地は東京・永田町。新聞、出版、音楽、映像など6分野の団体で構成される。集まった補償金は、著作権保護事業などに充てる分を除いた額(2021年度は約34億円)を、分野ごとの協議会に委託して著作権者に分配する。制度利用校の一部からサンプル調査として利用報告を集め、これを根拠に今秋をめどに初の分配が行われる見込み。
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知りたい
著作権についてはどこまでが著作物なのかわからないのが問題です。
音楽や映像だけではなく、文章、プログラム、SNSの内容すら、著作物になることがある。また、フォントにも著作権がある。
金銭だけの問題ではなく例えばよく使われるいらすとやの画像も著作権は放棄しておらず、作者が無料で使うことを許しているだけである。
権利者に同意無しで使うことが良くないことであることをまず認識しなければならない。
ランドセル重い問題から教科書の電子化が最近話題になってますが、電子化は安易にシェアやコピーすることが増えてきます。
親ですらわからず平気でLINEなどでスクショを送り合ってます。完全な著作権違反が多数あるでしょう。子供だけではなく親を含めて著作権侵害について勉強させる仕組みが必要です。親にも著作権侵害の講習を受けさせるべきです。
いまある学校の仕組みとかそう言うの含めて保護者にまず教える。授業としても教える。
曖昧にしてきた部分を正していきましょう。
勘違いしている方もいるようだが、学校内で授業、学習の範疇であれば例外的に著作権を無視できることが法律で認められている。
授業で配るプリントなどは法律上問題が無いことも明記しておかないと、勘違いして不必要な批判をする人が現れかねない。
小学校の時から著作権法について授業すれば?
この記事の内容に真っ向から対立する話だが,グリン・S・ランネイ・ジュニア教授の注目すべき研究テーマは著作権保護団体(特に音楽著作権団体)には受け入れがたいものだ.
著作権保護という著作者・発明・発見者へのインセンティブの正当性付与の理論は,そもそも先見主義の類似と感情論しか法源の裏付けがないのだが,多くの地域で慣習的に正当なものとして受け入れられている.
私も直ちに無くせとは言わないが,ランネイ教授の研究結果をみるに,やはり単に利権団体の飯代にしかなっていないという感覚が強くなる.
ランネイ教授の主張によると,少なくともアメリカの音楽業界においては著作権保護が,音楽業界の振興という公益に対して何ら貢献をしていない可能性が非常に高い事になる.
業界が高い収益を得ていた時期には人気(好まれる)の楽曲は余り生まれていないのだ.
そもそも保護によってアーティストの活動が活発になる根拠もなければ,良い作品が生まれる保証もない.
そして著作権保護によって文化保護や業界の収益確保にどの程度の定量的貢献があるのかという厳密な調査も存在しない.
文化保護やら振興やらという効果があるのか無いのかわからない非科学的なお題目に拘るよりも,本来の「この世に『世界で初めて』を表現した功績」に対するインセンティブというだけでいい.
厳密な経済性調査によって各国における著作権保護とフェアユースの効果を実際的に検証し,シロクロつけようという胆力は業界団体には無いであろう.
学校の部活だと、大体1つの楽譜を買ってコピーして配布したりするし、宿題のプリントもコピーして配るよね。
あれアウトよね?
あれも取り締まってほしいわ
この記事を読むまでサートラスの存在を知りませんでした。
年間48億も払っていても、ICT教育が進んできた実感はありません。それより現場の先生方の負担が増えていく一方です。学校ホームページを持っていても内容更新されていませんし、手紙は紙で行事参加の可否も申込み用紙にサインして持たせます。今の時代アナログでSDGsにも反してます。
著作権の問題はデジタル社会を生きるためには必要な知識ですから、子供達にも教育する必要があります。
しかしそれだけお金を費やすなら国もしくは県がSEを何十人か雇い、校内のデジタル化を加速するべきではないでしょうか?
新入生準備の情報や出欠席やらネット環境で出来ることをどんどん委託したら良いと思います。デジタル化した分、先生方も子供達に費やせる時間やゆとりが持て離職率がさがるのではないでしょうか。
子育て罰なんて言葉が出てくる昨今、子育てがとてもし難いと日々感じています。
ですが未来ある子供達にもっと投資するべきではないでしょうか。このままでは世界競争のスタートラインに立てないまま衰退してしまうのではないかと危惧しています。
黒亀さんのコメントに賛成。
公共の価値のためなら必要な分野ではどんどん著作権の縮小をしていい。
教科書は紙がないとコピーできないが、デジタルコピーはゼロコストで無制限に増やせるのだから。
そもそも著作者に対して正当な対価を払っていない状況がおかしいのであって、「学校教育の授業に使うという目的で、紙のコピーならタダになる」という慣習的な例外が法として認められていたと考えるのが妥当でしょう。デジタルなら教師側に負担をかけることがなく、どのようなコンテンツを生徒に送信したのか追跡できるため、当然著作者に対して利用料金を払うべきです。学校給食の食材費のようなものだと考えてみてください。料金も子供一人あたり一年で500円程度なら適正といえるのでは。もちろんジャスラックがよく言われるように管理団体から適切に著作権者に分配されない、というケースも今後考えられますので、そうした監視は必要ですが。権利者が子供たち(の親)からコンテンツの利用料を取るのが忍びない、と思うなら各自で断るなり寄付すればいいので。『何でも権利、権利と欲の皮が張りすぎです』という表現は……教育に使われるような著作物を作る人間が全員大金持ちだとでも思っているんでしょうか? 裕福でなく、子供を持つ親も多いはずですよ。
未来を担う子供たちに対して著作権を盾に年間五十億も払わされているのにビックリしました。私が権利を有していても子供たちから取ろうとは思いません。そういう権利者の方はいらっしゃらないのでしょうか?何でも権利、権利と欲の皮が張りすぎです。SARTRASはジャスラックのように既得権化、天下りを許してはなりません。子供たちの教育に関する事からは一円たりとも徴収しない、させないで下さい。