「算数の掛け算の順序」を取り上げた記事に反響 「納得できない理由で×にされ、ショック」の声も より広い議論を
掛け算はひとまとまりを捉える単元
小2算数の掛け算の順序について取り上げた「掛け算の順序問題に決着はつくのか?『車が6台。1台に5人乗ると…』6×5か5×6か 文科省に聞いてみた」という記事を、先月公開しました。「文章題の式でA×BをB×Aと書くと×にされるのはおかしいのでは」という議論は長年続いており、先生たちがテストの採点に戸惑っていることや、文部科学省の見解を紹介しました。
現場の先生に取材する中で聞かれたのは「掛け算はひとまとまりを捉える単元。ひとまとまりさえ捉えられていれば、順序はどちらでもいい」「算数を専門としない先生が業者テストの教師用正答の通りに一律に判定するケースもあるのでは」との声。「テストの○×よりも子どもと授業でどういう話をしているかが大事」という指摘もありました。
算数嫌いなど思いも寄らない影響も…
一方、記事を読んだ東京都江戸川区の辻野まなカロリナさん(15)からは「小学校高学年の時、得意だった算数のテストで高得点を期待したが、掛け算の順序が違うとの理由で×をつけられた。100点満点中30点の点数がつき、かなりのショックを受けた」との声が寄せられました。「別の先生に×をつけられたことはなく、何度話しても○になることはなかった」と。辻野さんは「納得できない理由で×にされると、子どもが算数を嫌いになってしまうなど思いも寄らない影響が出るかもしれない。自分にとってわかりやすい解き方を見つけること、それが認められることこそが本当の学びの『力』になると思う」と訴えます。
「どちらも○にするべきだ」との立場の河合塾講師の迫田昂輝(さこだこうき)さんは「SNS上や教師間だけの議論になっていると感じる。より広い議論が行われるべきだ」と話します。子どもたちが算数を面白いと感じ、能力を伸ばしていけるよう、当事者以外も巻き込み、考えるきっかけになればと思います。
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい
単純におかしいかどうかの判断は難しい。絵など張り出す場合、みんなも読めるようにひらがなで書きましょう、ならおかしくない。鉛筆も、問題にひらがなで書いてある場合はひらがなで書きましょうと言っているならひらがなでえんぴつとかくのがよい。授業の説明を聞かないで学校批判や教師批判は楽しいだろうが、百害あって一利なし
掛け順強制派の主張によれば、「1個あたりの量×個数」と書くべきだそうです。しかし社会に出れば、「個数×1個あたりの量」で書くことが多くあります。例えば商品の発注書や株式の注文画面では、個数の次に値段を入力します。なぜなら、商品は何個買うのか、株式は何個持っているかが重要だからです。
1株を61万円で売りたい場合は「(1)株×(610000)円」と入力します。掛け順に意味があると思いこむと、誤って「(610000)個×(1)円」と入力することになってしまいます。
重要なのは、掛け順ではなく単位です。
好き嫌いは教え方によって全て決まるものでもない。皆適性がある。それを自覚させることが教育の最大の目標だ。論証に強いに越したことはないが、論証に強い人は弱い人を助ければよいだけだ。論証に強くても騙される人は騙される。理屈だけで人間や社会は動いていないことは知っておこう。
中学校の先生で「a×b は×を省いて ab と書く」なんて教えている人いないでしょうね。その説明間違ってます。
a+b と (a+b) の違いも分かっていますか。
これが自分で分かる生徒は数学好きになります。数学が好きになると論理や論証にも強くなります。論理や論証に強くなると政治家や巷の偉いさんのご高説に騙されなくなります。よって日本の国をより良くすることができます。
小学生のときから算数を嫌いな子にしてはいけません。
小学校の先生で、「四則演算の混じった計算は、なぜ掛け算割り算が先、足し算引き算が後なのか」を説明できる人はいらっしゃいますか。
行列のように左から掛けるか右から掛けるかで計算結果が変わってしまうものもあるというのに、日本語的な字面にばかり着目して「3個のまとまりが4個だから3×4と書くべきだ、4×3は間違いだ」と主張することが、如何に稚拙で異常な主張であるかを、順序強制派は自覚すべき。
整数はアーベル群なのだから、3×4と4×3は完全に意味が同じであり、どちらの式も許容されるべき。
>ここでは先にひとつ分を書くように指定しているんだから
何を「ひとつ分」と見るかは視点によって異なります。袋に3つずつ入ったきゅうり。ひとつ分というのが1袋のことなんて問題文には書かれていません。
例えば4人で一斉に袋から1本ずつきゅうりを出して数え上げていくような状況では、「ひとつ分」は4本になります。これは決しておかしな状況ではありません。GPUなどのモダンな電子計算機では当たり前に行われている計算方法です。
どのような視点に立っても計算結果が変わらないのが数学や科学であり、子どもにはその事実こそ伝えるべきでしょう。
ここでは先にひとつ分を書くように指定しているんだから、解答者は先に書いたのがひとつ分の意味として書いたなんてわかる。その指定が気に入らないからといって勝手に無視していいわけない。それなら問題の与えられた条件は無視していいことになる。
[人/台]×[台]=[人]は小学生低学年には難しいので、[台]をもろに無名数化して「倍数計算」に持ち込んでいる。その段階で「6が先か5が先か」のくだらない論争になる。
掛け算割り算が「倍数計算」でごまかせる間はそれでもよいが、「単位変換」まで進んでくると落ちこぼれが激増する。
算数なんて「何となく分かっていく」「突然ひらめく」ものなので、先生が教えられることは多くはないし、学校に多くを期待するのもむなしい。三角食べと同じで百害一利の範疇でしょう。
掛け算順序問題を単位の間違いと一緒くたにしている人もいる。
答案が5[人] × 6[台] = 30[人]となっているところで
6[人] × 5[台] = 30[人]と計算していたら当然指摘すべきだが
6[台] × 5[人] = 30[人]なら何も問題ない。
一部の順序強制派は、順序を生徒の理解度を測る指標にしているようだが、数式のみから6や5といった被演算子(オペランド)の意味を汲み取ることなど不可能。
数式に単位を書くべきではないと主張する人もいるが、順序にこだわるくらいなら単位を書かせたほうがよっぽど教育には良いだろう。
教育学部界隈がおかしいと思うんだよね。その道の専門家に対抗してるのか知らんけど、例えば「f’」と書いて「エフ・プライム」と言うべきところ、何故か「エフ・ダッシュ」と言ったりするし。エフ・ダッシュだと「F⸺」になっちまうだろ。
掛け算順序強制派は
3+3+3+3を4×3と書いてはいけない理由を論理的に説明してくれよ
3×4でも4×3でも良いだろ
そもそも小学校の教員の文系出身が多いのが問題なのでは?
順序よく書かせたいのであれば、四角の右下に『個』などの単位を書いておけば回答が バツになるのも納得できるのだが
この「しき」という言葉。小学校からきらいだった。虫唾がはしるくらい。
「考え方」を「しき」に反映させるとかさせないとか、くだらないと思ったから。自分なりの答え方を文章に表す方法ばかり考えていたので、先生にはずいぶん嫌われた。
簡単なところで入試の数Ⅰ・数Ⅱでも物理でも何でもいいから、答案を「しき」「答え」のフォーマットで仕上げてごらんよ。できるものならね。
掛け算に順序を求めるのなら、中学の数学での記号交じりの表記の順を改めなければおかしくなる。
んで、このへんは国際的に共通の部分だけど、よそでこんな馬鹿げた論争をしている国はあるのか?
>接地の話ね。
もしかして2穴コンセントは両方非接地でそれぞれの穴から交互にプラスの交流電圧がきているとか思ってない?
2穴コンセントは電圧側と接地側があって、電圧側からプラスやマイナスの交流電圧がきているよ。
人の数を数えているので、5人乗った車が6台、つまり 5 x 6 のほうが意味的にはわかりやすい。
これ、文字式やベクトルの積算じゃないんですがね
ただのかけ算ではなく、問題文(図)を見て、その計算法を考えるということなので、順序があって良いと思っています。
割り算がって出て来てるけど割り算で逆にするのは別でしょ。
・引き算の先の割り算
・足し算の先の掛け算
・足し算・掛け算は逆でも成り立つ
この3点を曖昧にするからこんな話になる。九九で81種類全部真面目に覚えてたのか?表を眺めていれば1から4の段だけ覚えて6から9の段はひっくり返せば済むと気づくだろ(5の段なんか足していけば済む)
3×4と4×3は同じ。文系でへんな理屈捏ね回す奴が違うって言うだけ。九九も事実上半分だけでいい。天のお告げ(カンニング)でいきなり答え書いてるパターン以外答え合ってりゃ○で良い。
>コンセントの口自体は極性はあり、機械によっては向きによって性能差が出ますし、
接地の話ね。接地極が出てきて初めて向きが意味を持つって書いてあるんだけどね。何かを語る前に、コンセントの仕組みを勉強しようか。
文字式でaの3倍を、一般には3aと書きますが、順序強制派はa3と書くんですか?
順序強制派独自の世界で勝手にやってるなら構わないですけど、そういう独自ルールは外に持ち出さないでください
>行列の計算では交換法則は成立しません。中途半端に教えられると後々困ります。
順序に拘ってる人は行列すらまともに扱ったこと無さそう。ベクトルxを行列Aで写像させたいとき、順序強制派は言葉の並び通りに数を当てはめてy=xAで計算するんですか?
当たり前のこと言うけど3×4と4×3は別物。
かけ算の九九に両方あることを理解した方がいい。
どっちでもいいならそもそも九九覚えるの半分でいいだろ。
>本当にそのように考えているかは分かりませんが、どちらの考え方をしてもいいし
元々は「一つ分の見方」が論点です。交換法則の考えなら「一つ分が4に見えたから4を当てはめた」というのはおかしいですね。わざわざ「交換」しているんですから。
>整数の掛け算の順序にノイズが入る余地はどこにありますか?
掛け算の順序を現実のコンセントの話を例えに出したからノイズなどの話をしたまでです。ちなみに電源のノイズの話じゃないです。コンセントの口自体は極性はあり、機械によっては向きによって性能差が出ますし、ほとんど影響がない機械でも全く同じではないという話をしています。交流電圧波形の話をしたかったようですが、コンセントの向きを気にする人達はそこを気にしているわけではないですよ。
算盤レベルの算術だと数字に具体的意味を乗せるのは必須。しかし、数学で抽象思考を養う場合、具体的なイメージが思考を制限してしまうケースが多々ある。問題は算数と数学の違いによる思考の切り替えを教えられる教員があまりいないこと。これは高校ぐらいから数学が極端に避けられる原因にもなっている。データサイエンティスト養成にもかかわらず重要。数学オリンピックの出場をもっと課外活動に入れたり、とか工夫が必要。
>一セットの見方を変えているという主張に対して本当にそこまで考えているのかを聞いているのであって、交換法則の考え方は関係ないです
本当にそのように考えているかは分かりませんが、どちらの考え方をしてもいいし、4×3でも3×4でも、3と4の積であるという意味合い以上のものはないので、片方を不正解とすることは誤りです。
>ちなみに音響とかはコンセントの向きによって音質が大分変わるそうですよ
>極性なしのものでも電磁波の量が変わるようです
ノイズの話ですか?整数の掛け算の順序にノイズが入る余地はどこにありますか?ここでは振幅100√2Vの理想的な正弦波の電源を考えてほしいです。
掛け算の順序問題、SNSでよく話題になるけど、声を大にして言いたいのは、小学校の算数の学習を点でなく線や面で見てほしいということです。
掛け算の後には割り算を習います。この割り算は÷の前後を入れ替えると式の意味が全く変わってしまう。だから、文で書かれた数値の処理を式で表すには式の順序に意味があるということを学ぶ必要があるんだと思います。
私は中学校で理科の教員をしていますが、小学校で習う算数はむしろ、中学校では理科で大いに使われます。そこで、割り算の立式が出来ない子どもがいつも結構な割合でいます。
割合の計算やオームの法則など、文に出てきた順で立式したり、計算しやすい割り切れそうな順で立式したり、大きい数を割られる数にして立式したり…そんなに学力的に低くない子でもよくあります。
理科で扱う数値は実測値を使うこともあり、必ずしも割り切れないことがあるので、式の順序を本当にきちんと理解していることはとても重要です。
このテストの一点だけみて、学校や先生を批判的に見るのはやめてもらいたいなと思います。
行列の計算では交換法則は成立しません。
中途半端に教えられると後々困ります。
とりあえずはバツでいいと思います。
1つあたりの数を先に書くと決めたことにはなんの意味もそして価値もない。
単位までセットで理解できてることが大切で、数字の羅列をさせたところでその理解を確認することは出来ない。
5人/台✕6台だろうが
6台✕5人/台だろうが
長方形を縦から見るか横から見るかだけの違いでどっちでもいい。
>整数の乗法の公理です。
一セットの見方を変えているという主張に対して本当にそこまで考えているのかを聞いているのであって、交換法則の考え方は関係ないです
ちなみに音響とかはコンセントの向きによって音質が大分変わるそうですよ
極性なしのものでも電磁波の量が変わるようです
意味が全く変わらないというのは厳密には間違いです
>整数の乗法が交換法則が成立するというのは公理じゃなく定理になるのではないでしょうか?
ペアノの公理からa*b=b*a, a*0=0, a*1=aとなる演算子があることを証明して、その時のa*bを積と呼ぶというやり方と、最初からa*b=b*aがあるものとして考えるやり方があると思います。
整数の乗法が交換法則が成立するというのは公理じゃなく定理になるのではないでしょうか?
>あの図をみて「同時に数えたらきゅうりが4本一セットで3セット分だ」の方が先に出てくる人ってそんなにいます?
特定の考え方をする人が多いか少ないかは、問題の正否とは全く関係ありません。この問題はこのように解くべきだ、このような式を立てるべきだと数学の専門家でもない教師が個人の思想で勝手に決めつけ、特定の考え方を排除していることが問題なのです。
A×B=B×A、どちらを先と見做しても、右から掛けても左から掛けても全く同じ結果というのは、整数の乗法の公理です。
掛け算の順序を強制することは、家庭用の2穴コンセントに向きを意識して差し込むようなものです。
AとBが整数であるならば、A×BであろうとB×Aであろうと、意味は全く変わりません。
接地という端子が増えて、初めて向きが意味を持つようになります。
神経質な人は、2穴コンセントでもコードに印字された文字の向きを揃えたりしているかもしれませんが、そういうことは勝手にやっていてください。
あの図をみて「同時に数えたらきゅうりが4本一セットで3セット分だ」の方が先に出てくる人ってそんなにいます?
授業でこのような問題を教える時に1つ分などの説明くらいしていると思いますよ。
1まとまりをどう捉えるかは個人の自由。数を求めるだけなら5×4、4×5、8×2.5、1×20、、どうでも良いと思う。
しかし問題の意図への理解をミスしたことについて放っておくと、今後さらに複雑になっていくであろう問題で本人が行き詰まるかも知れん。
「結果が合っていれば良い」は1人で完結できる場合に限られると思う。多くの人に伝わりやすい解答を出せる力は持っていて損はないと思う。
算数は実数だから概念を捉えるというのは本当に大切。不満が出るのは理解するが数学的な考え方で式がメチャメチャなら、小学校でも掛け算、割り算の基本概念の知らない子が増えると思う。そしてそんな子達が中学の数学に付いていけるとは到底思えない。
「ひとつ分の数」と「いくつ分」に注目している方々がいますが、これは見方によって変わるものなので、問題の出し方として不適切です。
きゅうりの本数を数えるときに、袋ごとに数えるならば、1回で3本増える数え上げを4回行うということで3×4ですが、すべての袋を並行して数えるならば、1回で4本増える数え上げを3回行うということで、4×3です。
1つの見方だけを正解とし、他の側面から物事を捉えることを否定する教育は誤っているでしょう。
どのような見方をしても計算結果は変わらないという事実こそ、子どもたちに教えるべきではないでしょうか。
A×B=B×Aであることは、基本的に、成り立つから、○を求めてるのはわかる。もし先生が高校の単元の事を考慮してるなら、少し優しいのかも。
掛け算の式を逆に書いて、×になったから算数嫌いになる、と言っている人に言いたいです。
そもそも、この問題で、「式には意味が合って、反対に書いたら意味が変わってしまうのだ」と授業で学習していることを、きちんと理解できていない人は、遅かれ早かれ算数に躓き、数学を理解できるとは思いません。
私は、算数は、事象を理解し、順序だてて考える力を養う学問だと考えています。式の重要性を、授業中にしっかり理解できない人は、大人になっても、結果オーライの人なのでしょうね。
順序は大切です。
掛け算とは、「1あたりの基準量✕いくつ分=全体量」です。私もこれを小学2年の頃に「どっちでもいいじゃん」と甘く見ていたせいで、小学5年の小数の割り算で苦労しました。
教科書の例題、1.5Lの重さが1.2kgの油があります。この油1Lの重さは?
→掛け算の順序を理解していれば、すぐに1Lあたり?kg✕同じ油が1.5Lある=1.2kgと立式できます。
つまり小学2年のときに、四つ葉のクローバが2本なら4✕2です。2✕4は雑草の双葉が4本だからラッキーは来ません、と定着させるべきかと。
(;-ω-)ノ待って待って
そりゃ逆になっても同じ意味なのはそうなんだけどこのテスト問題よく読め
ひとつ分の数 いくつ分 って解答欄にちゃんと書いてあるじゃん。それを逆にしたならそりゃ式が逆って言われるわ。
これは数学ではなく算数なのでそれぞれの数値がなにを指しているかははっきりさせる必要がある
3つのものを4倍すると4つのものを3倍するというのは結果が同じというだけで意味が違う
海外では逆だから問題ないという人達で「4×3」を「3かける4」と認識している人はどれだけいるの?
その海外ではそういう意味だよ
どちらも同じです。
まず前提として、文科省の見解は「先生の判断にゆだねる」になっている。
かけ算の順序について指導要領で決めているのは、教科書や学校(地域)、教える先生で教え方・伝え方の差異を少なくさせるため。「こういう風に教えて下さい。」「説明するようにしてください。」と決めているだけ。
上で書いたように「(先生の教え方の)地域差を最小限にするため」であって、かけ算が逆だから(指導要領に書いていることにあわないから)といって、「間違いではないこと」はすでに知られている。ならば現場の先生だけでなく、親や周りの大人がきちんとフォローすれば済むこと。
普段の生活の中で、かけ算の順番を考えて計算している?「このかけ算の順番、逆だよね。」とか聞かれる?(ただし様式が決まっているものを除く)
飲み会の会費を計算するとき、
・人数×一人分の会費
・一人分の会費×人数
どっちでも同じ。これに違和感を感じる人とはおそらく永遠に分かり合えないとあきらめる。
「順番通りにやる」がわかりやすいならそれで良し。「逆になっても正しい」がわかるならそれでやって良し。「なぜかわからない」から学びがあるならそれで良し。
結論
今まで通りに教えれば良し。ただし、「逆にしたら×」を本気で思っている人はありえない。
数学の話を持ち出してる人がいますが、これは数学ではなく算数です。なぜ小学校では数学と言わずに算数というのか、を考えてみた方がいいです。
式にバツがついてて答えに丸がついてるから、そんなに理不尽でもないと思う。
算数の記述問題という意味では順序に意味はある。数学という計算問題であれば、順序に意味はない。
算数の記述問題に数学の考えを適用するのは間違っているし、その逆も同じ。
例えば、記述的に算式を書いていく場合、掛け算だからといって順序を無視して算式を書くと第三者がその算式を見ると混乱することになる。素人が作るプログラミングとかそんな感じ。
入れ替えても答えは同じでも、記入する順番が決まっていたほうが丸付けがしやすいので、問題文で指定したくなる気持ちはとてもよく分かります。
プログラムで採点するときも入れ替わった場合の2パターンをチェックさせるのは面倒ですし。
今後AIに指示を出すことを考えると、どういう形式で答えてほしいかを意識する経験は案外メリットが大きいかもしれません。
授業の内容を確認するテストで
授業も問題文も無視して、結果だけ見るから間違いにしてる。
全て理解出来ていれば100点。
今回は理解出来ていない分が減点されただけ。
数学を理解していない素人が「順序は大事だー!」と言っていますが、そういう人たちに限って行列など順序が本当に大事になる計算をしたこと無さそうですね。
整数の乗法は可換(アーベル群)なので、A×BもB×Aも全くの同じ意味で、AとBは対等です。A×Bは正解なのにB×Aが不正解だという主張は、数学から逸脱した宗教のようなものです。学校で勝手に宗教を布教するのは辞めましょうね。
問題文の左枠に一つ分の数を書くこと。のような明記がされていない。テスト作成者は減点です。
まぁどの数字を書くか指定があるからこれは間違いかな。算数ってことは小学生だから読解力も鍛えてあげなきゃだろうし。
うーん、話しが飛躍しすぎかもしれませんが、算数だからまだしも理不尽な事は世の中には沢山あるしその中で自分が足らなかったなって思えるかどうかも大事だと思う。答えが合ってるだけならたまたまもある
問題用紙にはどちらを先に書くのか指定されているので仕方ないかなと思います。
問題はちゃんと読んで指示通りに。応用はまだ先。社会も同じでしょ。先ずは基礎。
只単に掛け算はどうのって言ってる人と、このテスト用紙見て意見出してる人がいて、前者が後者に食い下がってるだけに見えますね。
そろそろ現実見よう。問題がおかしいとかではなく、それが答えであると、書かれてるのに、無視するから違うと言われる。プログラムでも1と書かれていても、それが日付なのか時間なのか、単なる数字なのか、文字としての1なのかという型が合わなければ、イコール1を条件としても、違うと判定される場合があります。
なもんで、只単に数字を掛け合わせるだけではないという問題の意味を理解する力は大事です。昔から、算数やるには国語が出来ないとムリと。
かけ算の順序は入れ替わっても本来は正解です。
中学に行くと「Xが3つ分」というのを3Xと書くがこれをかけ算に直すと3×Xとなり小学校の指導と矛盾してしまうことになります。
ただ、それでもこの順序にこだわる指導には理由がある。それは公立小学校が「成績が中央値以下の子」を対象にしているからです。
つまり文章題が苦手な子達に対して「文章が読めなくても登場する数字を思考停止で全てかけ算すれば解答が出る」という状態を放置したくないのです。このことと「交換法則を知っている子の自尊心を傷つける」ことを天秤にかけた場合、後者は説明する機会があれば納得してもらえることから前者が優先されます。
いい大人が子供の持ち帰ったテストをネットにアップして炎上の火種にするようなモラル欠如のほうが問題にすべきかと思います。
順番なんて関係ないって人は、漢字の書き取りテストで止め・跳ね、払いができて無くてバツになっても、これくらい読めるだろって文句言うのかな?
小学校のテストなんて習熟度を見るためのものなんだから、こういう順番で計算しましょうって教えられた事をその通りに書いてないと、理解できてないって見られても仕方ない。
1袋3本入りのきゅうりが4袋で合計何本か?を3×4と書くのは極東のアジア圏だけ。欧米では4×3と書くのが普通。
整数の掛け算の順序に拘るなんてくだらない話。
息子が今年1年生になって同じような事があるけど、そもそも問題の書き方が大人でも一瞬んっ?てなるものが多い気がします。この問題で言うと最初のキュウリだけひとつ分だとかの説明があるわけだけど、ひとつ分(キュウリ)、いくつ分(ふくろ)だとかの優しい説明あってもいいのではと思います。
せめて低学年のうちは、もう少し基本的な細かいところの配慮をしてあげないと難しいと思います。計算どうこうの前に、まだまだ言葉だって何でも分かるわけじゃないし、理解出来て当たり前感出しすぎだと思います。
この問題をされたお子さんも、ただ問題の書き方の、ちょっとした部分を理解出来なかっただけだったとしたら、しきがぎゃくですの一言だけ書かれても意味わかんないと思います。最初から問題に(キュウリ)(ふくろ)って書かれてただけでこのお子さんは順番通り書けたと思うし、問題じゃなくても採点の時に↑これを赤文字で書いてあったとしたら、「ああ! そっかこれがこっちの事か!」とか理解しやすかったと思うし、次に繋がるんじゃないかなと思います。
これは、文責者に悪意があるのか単なる無邪気なのか、よく分からないけど、どっちにしろ読者を簡単にミスリードさせるような記事をよく平気で書けるな。
問題をよく読んで下さい。「1つ分の数」「いくつ分」「ぜんぶの数」と注意書きが明記してあります。このテストのねらいは、計算結果が正しいのかはもちろんのこと、「乗数」「被乗数」の違いをきちんと理解しているかどうかもチェックしているのです。先生が「しきがぎゃくです」と赤ペンで指摘するのは当然です。
順序を逆にした時に単位も一緒に逆にしないからおかしな事になります。単位も一緒に逆になっていると捉えるべきです。
逆にすると駄目だと言っている人は単に頭が固いだけでは?
『5×6 = 5人乗っている車が6台ある』事と、『6×5 = 6台の車に5人ずつ乗っている』事が、本質的には同じ意味なのだと理解する事が、掛け算の考え方では必要だと思います。
つまり、『入れ替えても成立する』事にこそ意味があるので、これを間違いとすると掛け算の本質的な理解を妨げることになると思います。
6台の車に5人ずつ乗ってるのと、5人乗った車が6台あるのとは同じ事なんだが。
日本の学校のテストは出題者の意図に合わせて解答してあげないといけない、高度な思いやりが必要
どちらでも良いのではないか。こんな事にこだわるから、歴史に残る数学者が少ないのでは?
日本では、5人×6台だが、ドイツでは6台×5人と習った。でも、日本のように反対でも間違いとされることはなかった。
1つ分の数×いくつ分=ぜんぶの数
と書いてあるので、算数の問題だけでなく国語の問題でもある。単純な算数の問題なら順番は関係無くても国語の問題ならやはり不正解。問題をよく読まなかったり日本語が理解出来ない人はこれを正解と言ってしまうんでしょうね。
小学生なら問題文の意図を読む練習という側面もあると思うので、個人的には部分点が妥当かなと思う。
極端な例で言うと、足し算のテストなのに塾で習ったからって掛け算で答えちゃダメなのと同じ。小学校の算数には色々なルールがあって、そのルールも教えてるのだから、それに沿って答えましょうという話。
ちなみにコメントにあった、面積は縦掛ける横、体積は縦掛ける横掛ける高さって教えられます。これを踏まえると、計算式からどんな平面・立方体なのか分かるけど、順番が違えば問題文とは見た目が変わってしまうよね、物としては同じかもしれないけど勝手に条件変えないでねって理屈。
面積のは、普通は、縦×横って習うんだったかな?平行四辺形・長方形:底辺×高さだっけ?三角形:底辺×高さ÷2とか、台形:(上辺+下辺)÷2×高さ、、とか?円:半径×半径×3(.14)、、とか、これ台形のは割るのが後だっけか。
あえて、これをここに書けと書いてない限り、順番はどうでも良いと思うけど、一応は習った通りに書くべきではあるよね。なんでこの式を使うのか説明できるなら別に不問で良いと思う。まぁ、30年経っても呪文のようにスラスラ出てくるのは当時の教えのタマモノなんでしょうな。
このテストでは被乗数と乗数を理解しているのか問われています。見方を変えても乗数と被乗数は変わらないので見方次第で式が逆になるから一緒だというのは誤りですよ。
掛け算は、掛ける数☓掛けられる数=答え
と習った気がします。
(逆だったかも)
この問題の計算で逆なのはよくわかる。ただ、面積や体積で順番が違うと娘のテストに書かれてたのは納得がいかない。
5人×6台とかって書いてる人、甘いよ。
5人/台×6台=30人としてディメンジョンを合わせないとね。
人と台を掛けるなんて・・・単位は?(笑)
小学校の算数の式は「解説してください」っていう問題なんですよね。なかでも、「1あたりの数×いくつ分」は2年生の教科書から、しつこいくらい出てくる算数の基礎中の基礎の部分です。
これが理解できていない子供は5年や6年生で出てくる倍の数などの「線分図」も読み取れない。だって1あたりの理解ができていないんだから線分図の「1あたりの数×いくつ分」自体が基礎になることが分からないわけですよ。
赤いテープが1本あたり6メートルあります。黄色いテープは1本あたり2メートルです。青いテープは赤いテープの3倍です。青いテープは何メートルでしょう。
いずれ3つ以上の数字が出てきたときに違う回答をするのは、だいたいこの「1あたり×いくつ分」を理解せずに来ちゃった子供です。
わたしは小中学までの算数数学は成績1。割り算を何回引けるかで計算する子でした。割り算の存在意義を理解できなかった。
その後、電子工学に関心を持って進学した後は三角関数、連立方程式も解ける成績5に爆上がりした理由が、この記事から再認識できました。つまり学習する目的が明確でなければ、モチベーションが上がらないということです。
学習そのものに目的意識を持てる子であれば、先生も苦労しないのでしょうが、そうでない子も多いので先生の教え方が重要になってきます。
自分はこの場合5×6でないといけないと習った。なぜならこの問題は5人乗りが6台あるという問題だが、6×5にしてしまうと6人乗りが5台になってしまうから。頭の中では順序はどちらでも良いが文章題はダメだと思う。
正しいか間違っているかより、子供が算数嫌いにならない為の方法を優先したほうがいいと思う。
指定があるから☓というけど、そもそもとして指定すること自体がまったくの無意味なんだよね。
図で考えても4つ袋があって、その中に3個あるということで4×3でも国語的にも算数的にもなんら問題がない。
そんな論理的な理由でなく日本だとこれが主流だからというだけで指定し☓。酷い話。
なぜ「しきがぎゃくです」と添削したのかわかってない人達が多くてビックリです。解答欄の上にヒントがあるのでよくみてください。
数学と算数の差は?
前者は数字や代入などのありとあらゆる物。算数は算術の延長で日本語の理解。なので、問に計算式までが答え。
この問題文の場合ちゃんと問題文に前提条件が書いてあるので、これは算数の問題だけではなく日本語の問題でもあるわけです。
例えば掛け算の九九で5の段を全て書き出しなさいという問題で、左に段と指定された場合1×5=5、2×5=10の様に解答すると、計算は合っていても当然不正解になりますよね?
親御さんは計算は同じだからと憤慨する前に、お子さんにきちんとそれを説明して算数嫌いにならないようにしてあげましょう。
「車が6台。1台に6人が乗ると…」だとすると6✕5も5✕6も間違い。
正解は6台✕5人=30人もしくは5人✕6台=30人
単位を書かない場合は文章に従って数字を書くべきとの規則はないし、学校では教えない。
ただの計算式を解くのであれば構わないかもしれないがこんな所で躓いてたら数学なんて地獄越せなくなるから屁理屈述べずにちゃんとした式を組み立てて解けば良いと思う、それにそんなん言うたら九九だって5の段以上は要らなくなるって事にもなるし
今回のテストの「しきがぎゃくです」の採点に限って言えば先生が100%正しいですね。なぜなら解答欄の上に吹き出しで「1つ分の数」(左)と「いくつ分」(右)となっています。吹き出しの意味が分かんないなら仕方ないけど、問題はきちんと理解しましょう。
テストの意義は正しい答えを出すこと。過程評価するのは授業中にやることだと思う。正しい答えを導き出したならそれは〇でしょ。
この理論だと最近話題のお土産算とか当然×ですよね?
低学年の時作文に弟の名前を書いたら全部訂正されてたよ。変わった名前かもだけどバツ付ける前に確認してほしかった。
謝られるどころか他のもこれ意味知ってて使ってる?(知らなかったら前後の文あわなくなんないかな)とか感じの悪い質問がその後続き、、なんか子供心にムカついたのでそれからは国語の勉強を余計に頑張れて得意科目になりました。
折れる子もいるだろうけど私みたいに腹が立って見返したくなる子もいると思うから一概には言えないと思う。何年も騒いでるならさっさと確実な定義付け浸透させればいいのにね。
①の式の記入欄に何を書くのか書いてあるんだから、そこに書くべきものが書いてないなら、×貰うでしょう。
計算の答は合ってるが式は違う。式も書きなさいという設問なんだから、マル付けとしては何もおかしな事はない。あえて抜けてるとしたら、②~④も同じように式を書きましょう。とか書いてると補足が効くかな。普通は口頭で先生が言うけどね。言い方には注意がいるけども。
掛け算は、逆に掛けても答えが同じになると教えているのに、それを使うとバツになるのは不自然。意味を理解してるかを問う問題を一題導入し、他の問題では、掛ける順は不問にすべき。
ちなみに英語圏では、6X5は『6times 5』を意味するので、正解になる。これを、全ての教員が理解しているとは思えない。文科省が英語教育に注力したいと言っているにもかかわらず。
かける順序が大事と言ってる人がけっこういるけど、その表記はそもそも国によって異なる程度のものでしかないんだよね
これでは欧米の人は日本でテストを受けたらみんな大事なことを理解できてないということになってしまう
問題の本質は、教師によって判断が分かれることだろう。先生によってマルだったりバツだったりブレると子供も理解ができない。何を問う問題なのか、しっかり教師が説明できれば解答がブレることはないはず。式を書かせてるんだから、何らかの意図はあるのでしょう?知らんけど
問題の意図を汲んで答えることを求める問題なら❌
単に掛け算ができるかどうか?を問うだけの問題ならどっちでも⭕️
皆さんの様々な意見は結局皆正しい(笑)。要はこの議論の問題は、対象となる課題が複数あるのに、どの課題に対して議論すべきかが不明確な事。だからみんなで一生懸命違う話を言い合うハメになる(泣)。
正しく意見しても人によって対象としている課題が違うから、間違いとされる理不尽。これはコメント欄でよく起こる現象。
小学校の教師は、何でも知っているフリをして、本当は何も知らない。60年以上前、小学校教師の、明らかな間違いを授業で指摘したが、子供の勘違いと相手にされなかった。二年生位の時から六年生の時まで、その数数回、教師数人に及ぶ。
その頃子供ながらに悟った。小学校教師は、百歩譲って、大学で学んだ専門を除き、他は素人レベル。それで、何でも知っているフリをする、ただの権力者だ。私は、小学生時代、「この教師は、こう言って授業を進めたいんだな。勝手にやれよ」と、ほとんどの授業を、冷ややかに見ていました。
私が子供たちに言いたいのは、「学校の先生は、絶対じゃないよ」という事。「とりあえず、言う事は聞いておこうか」位のレベルですね。
文章問題はその背景を理解してることが大事だから✕でしょみたいな趣旨のコメントが多いですけど、これ図表問題だからね?
図の切り取り方なんて個々の感性です。
記事の背景を正しく理解してないコメントのほうが✕です。
4個入りの箱が5つあるから、4×5
箱が5つあって1つあたり4個入りだから、5×4
別にどっちでもいいでしょ。どの視点でグループ化させるかの差で、正しい間違ってるって話じゃない。視野が狭い人が多いですね。
算数、数学はやり方は多数あるけど、答えは一つ。今回の出題は生徒が正解で、頭が固い先生の能力を高めてもらいたい。
むしろ、教員試験に採用してもらいたい。それが今後の先生の方針となるのではないでしょうか?
個人的にはA✕BでもB✕Aでも○にしてほしいと思う。自分が受けてきた試験は筆記ではなく解答選択の試験が多く、その場合答えの数が合っていれば○になるので、A✕BでもB✕Aでも○でいいかなと思う。
ただ、そう思う反面数学(算数)における式の作り方の大元はわかってほしいという気持ちもある。今回の設問は少し曖昧な印象がある。
わけのわからないテストの採点本当にやめていただきたい、指示が違うとかじゃなくて、そういう再現できない人が不正解になるのは、あまりにも可哀想。
「どちらでもよい」がルールなのであって、いずれかの順序に決めつけることこそがルール違反。文系とか理系とかではない。順序が重要なのであれば数式ではなく自然言語で回答させるべきです。
天才は基礎を正しく理解しているから色んな応用ができる。交換法則だってきちんと理解して使っているなら正解にしてもいいとおもうけど、単に掛け算は式の結果は同じだから順序関係ない、というのは柔軟とは言わないでしょ。
そもそもこういうテストは今まで習ったことを理解しているかの確認なんだから今まで与えられた知識だけでやるのが重要と思うよ。
うちも子供が✗をもらって帰って来た時「なぜ?」と思いましたが、そもそもの掛け算の決まりに立ち返る必要があるのです。○×◯とは、何が何個分か?という順番で成り立っているので✗で間違いないです。私も40過ぎて勉強させられました。
英語圏ではかける数を先に書くのが慣習ですね。日本語圏では後。
単なる慣習に過ぎないものを算数の名において区別するのは良くないと思う。
そもそも「〇〇が何個で何袋」みたいな例文は、掛け算を知らない子供に教えるための工夫なわけです(いきなり「3かける4は12」と数字だけで教えてもイメージできないから)。
つまり本当に教えたいのは「掛け算」であって、主従関係なんてのは「例文」にした際に発生した関係性に過ぎません。
「わかりやすくするための工夫」なのに「前後入れ替えたら×」という「わかりにくさ」を加えたら本末転倒だと思います。
算数だからだと思います。
3つの袋に金魚が5匹入っているのもらったよ(3×5)
より、
5匹金魚が入ってる袋3つもらったよ(5×3)
のほうが日常生活では伝わりやすいと感じました。
算数は身の回りの計算を学ぶものだと思っているので、かける数かけられる数の順番は大事です。
定義に基づいて考えるとよいと思います。
2×3 は、2+2+2 のことです。
最初、国語の問題の話しをしているのかと勘違いしてしまった。
算数なら立式が出来て答えが合っていれば正解にしなくてはいけないと思う。特に今記事の様な曖昧な設問の場合は立式が間違いと決めつける論理的根拠が全くないし、場合によってはたし算で解答しても正解とするべき話しではないかな?
本気でこの程度の話を真剣に議論する様な教員がいるのだとしたら能力が低すぎるとしか思わない。
時速×時間だと答えは距離だから
時速が先じゃないかな
時速1km×1h=1km
このような順序問題を有耶無耶にするから、プロセス無視で順序立てできない結果だけ人間(プロセスが正しくないので結果も伴わない)が量産されてしまう。
懐かしいなぁ。子どもの頃はこういう計算問題、大っ嫌いでした。同じように先生に×もらって、「同じ答えなのに何でダメなんだ?一緒ならどっちでもいいじゃん!」と、子供心によく思ったもんです。
でも、大人になって改めてこの×の意味を考えると。答えが一緒ならどっちでもOKで終わらせちゃうと、問題の意味を考えなくてもいいのか?っていう気もしちゃう訳で。
何で×なのか?答えが一緒なら途中の問題の意味は何なのか?こういう過程を考える力、自分も子供の頃にもっとたくさん学べば良かったなぁって、今更ながら思います。
大人になって社会の中で生きてると、答えが一緒ならどちらでもOKって場面より、答えは一緒だけどその答えにしたのは何でなのか?って問われる場面の方が多い気がするから。
そう思うと、この算数問題は奥が深いなぁ。
4個のシュークリームセットが5セットっていう文章問題だから4×5って書いたほうがいいと思う
後、算数と数学は少し違う
議論割れるのが不思議だけど。これは割り算への布石だから、この考え方が出来ないと、支障があると思うけどな。大きい数字からより小さい数字でしか割らないのなら、そういう説明でも解けなくはないけど、そういうわけにはいかないでしょ。だから覚える段階では×で良いと思うよ。
最終的には掛け算の場合は、答の数字が同じになることを覚えておくと楽なだけ。2台のバスから合わせて8人の人が降りてきました。それぞれのバスには同じ人数が乗っていましたが、何人ずつ乗っていましたか?
ここで、2÷8とか書くようなら、問題を理解してないってことよ。もしくは生徒にナメられてる。出てきた数字を順番に並べて計算しただけっていうね。
6×5の中身は6+6+6+6+6で
5×6なら5+5+5+5+5+5なので全くの別物なんですね
この例文の場合答えが30(人)なので
5(人)×6(台)=30(人)が正しいかな
文章問題なので特にバツで問題ないと思う。
ただクラスの半数以上が理解できてないならそれは先生の問題。
ショックを受けた生徒にちゃんと説明できる教師や大人がいないのも問題。
つまり理解が追いついていない生徒を放置して進めていく教育システムに問題があるのでは。
このテストの解答としてはバツだと思う。
なぜなら、テストの所に「一つ分の数」×「それがいくつか」=「全部の数」で書くように指示があるから。
仕事をしていると、何個入りがいくつあるのか?の順で書かないといけない時もあるので、全部の数がわかれば順番はどうでもいいというわけではない。指示があるならその通りに書くべきかな。
問に細かな指定がなければ考え方や答えが合えば○だと思うが、そもそも1つのやり方だけが◯なのは多用性の考え方が出来なくなる。教え方としておかしいと思うし柔軟な発想が出来ない子どもが出来てしまう。残念な教育だ!
理系の人間から言わせると,「交換法則が成り立つから掛け算の順序にこだわらなくてもいいのでは」と言っちゃう人って,コンビニでレジを済ませる前に品物を開封しちゃう人と同じように見える.「後でお金払うんだからいいでしょ」って言っているように聞こえる.
先生の嫌がらせ。または、頭の固い先生。
または、その両方なのでしょう。
先生ガチャがハズレだったと諦めましょう。
親は、それでいい。間違ってない。と言ってあげれば良い。
かけ算を計算ととらえるならば順序はどちらでも良いと思います。文章があって、式に意味がある場合は、順序が重要になると思います。ただ、その場合、どうやって考えてこの式になったのかを説明する(文で説明する、絵を描いてもらう、どう考えたのかを聞くなど)余地を残しておくことが必要なのでは?と思います。
考え方を聞いてみると、間違っていると✕をもらった式が正しい理解の結果であったり、式が合って答えも合って○をもらったけれど、実はまちがって理解しているということもあるだろうなぁ、と思います。
数学的には間違いだと思いますが、小学生の算数なら正解もしくは正解に近い三角で良いのでは?と思いました。
だって算数ですもの。
授業中の教え方によることが大前提として。
立式の重要性を理解しているかを確かめための問題だったのであれば①のキュウリの問題を例題にして、「例題のように式を書きましょう」にすればより良かったのかな?と思います。
「計算としては本来はどっちでもいいけど、このテストでのルールはコレね」であれば、『このテストの目的は「立式がちゃんとできる」かも含まれてますよ』がしっかりと伝わるかと。
私はこの手の記事を見るたび「順番なんて気にさせるのは間違いだ」と考えていましたが、後々のことを考えると立式の重要性が高く、そういった観点からバツとされてもやむを得ないのだと考えが改まりました。
4歳児の親ですが、間違った指導をせずに済みそうです。ありがとうございます。
交換法則でどちらも同じになるからどちらも○でいいのでは。
こういうのをとやかく言うのに限って、口頭で咄嗟に「1000×1000=?」と聞かれてもすぐに答えられない
偏差値が高いのはすぐに100万と答えられるし、何ならもっと柔軟な人は10の6乗と答える
結局頭の回転が早くて仕事が出来るって、そういうところなんだよな
2台のバスに9人乗っている。
9人乗ったバスが2台ある。
2・9個
9・2個
絵をどっちと解釈するか次第。☓とするほうがおかしい。
立式がーというのなら、
1.2時間に50km進む車の時速。
2.50kmを2時間で走る車の時速。
2時間分なんだから、1.だと
1÷2×50 25km/h
50kmを2時間なのだから2.だと
50÷2 25km/h
そんな順番で☓つけるのは、センスがない。解釈次第で順番だって変わる。感覚的に1の方が考えやすければ1の解釈に分解して考えることもできるわけだし。
極論。四角形の面積求めるのに積分使ってもいいわけだし。
逆に論理を展開すれば小学校の算数から微分積分に近い概念を導くこともできるわけで、できるならそうしても良いんじゃないの?とセンター試験の数学を小学校の教科書の内容だけで解くパフォーマンスしてた私は思うよ。
正直順序なんかくだらないと思うし
百歩譲って画像の①は解答欄にかける数とかけられる数の指定があるから×にする正当性はあるけど②以降には指定がないので条件不足の悪問
子供に物を教える前に先生がしっかり勉強してはいかがか
小学校の教育は、生きる力を養うことが目的のはず。思考に枠をはめて逸脱は減点とするような教育は、生きる力を削ぐ教育に他ならない。
国がアクセルを踏めと言いながら、現場が思いっきりブレーキをかけるダブルバインドな教育では、そりゃ子どもは混乱してしまうでしょうね。
算数の話に数学を持ち出してる人がいるのはとても見当違いに思う。一応算数の上に数学があるけど、算数と数学では教育的意義が違う。数学は数式と数値について学ぶ学問であるけど算数は国語力や生活力を身につけるためにその時に使用される数について学ぶ学問。
テストにおいて順序についてはどっちでもいいとは思うけど、算数における順序はしっかり教えないと生活力と国語力が身につかないと思う。
『1あたり×いくつ分』として計算しようねって教えた以上、そこからの逸脱は許されないでしょ。
それって①車1台に5人乗るとして、車を6台分準備すれば30人の移動ができる事と、②車1台に6人乗るとして、車を5台準備すれば30人の移動ができる事が、全くの同義というのはおかしな事でしょ。30人の移動という部分だけにフォーカスすれば同じだけども、手段が全く異なる。
そこにはルールがあってルール通りにやればそれが共通認識になる。ひいてはこれは単位の学びにも繋がるから、掛け算の意味というのはきちんと教えてほしいと思う。答えがあってれば良いって話じゃない。
文章題の立式なんで、考えかたと式が一致している必要がある。ここのねじれを可とすると、文章題や理科の立式のできない子になりやすい。
この子は問題の意味を、理解していると思う。
ただ、最初のひとつ分のが理解できてなかったので、本当に気付きをあげるためには、×の方が今後に役立つ。
入試だったら×か部分点だと思われる。
思考の上に立式があるべき。単位(人/車)をつければどちらでも同じ。単位をつけない場合、前項の単位って、暗黙のルールで決まっているの?
僕は塾で理系科目を教えている者です。
掛け算の3×5と5×3の意味は全く違います。答えは同じでも、理由が違います。説明をきっちりとしてあげることが大切です。
この掛ける順序はマジで意味わからん。
この順序が正しいって言ったもん勝ちやないか。
もしかして順序有り派はy個の物がx袋ある時、全部でz個って時も
yx=zって書くの?
丸にしてあげたいけど…
キュウリの数と袋の数の説明が書かれているから正確性を求めるのであれば✕ですね💦
個人的には三角にしたいけど(笑)
式が逆ですではなくヒント部分に印をつけてあげたほうが納得できるかもしれませんね。
私も小学生の時にこれで☓貰いました。今大学で物理学の勉強をしていますが、☓していただいて良かったなとしみじみ感じています。
小学生が問題でどこまで求められているかわかりませんが、その数字が意味するものを理解した上で計算することが学習の狙いなのだとしたら☓で然るべきですよね。計算ができれば理解をしなくてもいいのだったら○ですけど…私もそういうのは嫌ですね。
この問題ってとても複雑。
式って2つの見方があって、「計算するもの」という見方と、「その式自体がものや数の構造を表している」という見方。「単に計算結果が合えばいい」という基準なら逆に書いても〇だけど、後者の見方ができているかという観点で採点すると、逆に書くと×にするのはうなずける。
ただ、それはなぜ×なのかを児童が理解するために、教員側がしっかりと説明する必要がある。
小学校の児童は式に対して計算という見方はできる児童は多いが、式自体がものや数の構造を表すという見方ができ、それを適宜切り替えることが出来る児童は少ない。ただ、この見方は後の文字式の単元をはじめ、様々なところで大きく影響してくるので、早いうちから少しづつ身につけて欲しいものではある。
教員側も、この観点から採点・指導するのであれば、「逆に書いているから×」ではなく、児童が、式はものや数の構造を表す一面もあるということに気づくことが出来るアプローチをして欲しいと思う。
この採点を見て頭ごなしに学校教育を批判し、ただ悲観することしかできない無能供。①の問題を見てみろ。吹き出しで計算の順序が指定されてるじゃないか。これを見れば今回の問題は絵に書いてある状況を式として記述し、その答えを正確に計算できるかというものであることは明らかだ。
途中式の大切さというのは小学生が解くような簡単な問題では実感しづらい部分ではあると思うが、算数は中学数学、高校数学、大学数学へとレベルアップし、物理や化学など他の学問にも広く関わっていくものであり、そういう場面では途中式や解答のアプローチがめちゃくちゃでも答えだけは何故かあってしまうといったことが往々としてあり、それを是とすることなどあり得ないはずだ。
だから今回の問題のように与えられた状況を正確に把握し、それに沿う形の解答を書くというのは、今後の学びを考えればとても大切なことであり、寧ろ賞賛するべき教育であると私は考えている。
将来恥をかくのは子供の方なんだから、基礎の段階で甘やかさずに間違いを正すべきだと思う。漢字のとめ・はね・はらいと同レベル。
にしても子供の掛け算でしょ?大人が議論する話でもない気がする。
問1はどちらに何の数字を入れるか、指示してあるので、逆だと×でも仕方がない。問2以降は、指示が無いので、逆でも○にすべき。
順番が逆は間違いと教えると中学の乗法の交換法則で混乱をしてしまう。順番よりも、その数字が何の数字(単位)なのかを意識させて教えるべき。
算数の問題文に説明が不足しているので、問題用紙がマイナス点かと思います。
きゅうり3本一纏めにした袋が4袋あります。きゅうりは全部でいくつになるでしょうか。
なら式が逆は未だ何とか嫌ですが納得
かけ算はプログラミングでループ処理の時に、この順序関係が必要になる。3マス進ませたいと考えた場合。
1マス進む×3繰り返し
か
3マス進む×1繰り返し
結果はどちらも3マス進むことになるが、その間に止まってほしいマスがあったり、スキップしてほしいマスがあったりすると、かけ算順序が大切になります。どちらも同じ結果だからと順序を考えずにループ処理を作ると、エラーの原因になります。
一桁✕一桁の計算問題なので、暗算で問題なくできる。
正解にすべきって人達は、極論すれば式の所が空白でも良いと主張していると思う。
文章題とは、計算能力ではなく、計算式の理解度を試す物です。
子供の間に閃きや思考の柔軟さを制限してどうするんだ?
そんな教え方するから頭でっかちなテストでしか才能を発揮できないマニュアル人間しかできないんだよ。
うちの小6の息子は混乱して不登校になりました。
数のかけ算はたまたま交換法則が成り立ちますが、行列など交換法則が成り立たないものもあります。どちらがかける数でどちらがかけられる数というのは本来非常に重要です。
計算能力(算数)をみるならどっちでも正解。
問題の読解力(国語)をみるなら不正解かも。
解釈の仕方は人によって違うからやっぱりどっちでも正解。
算数は、数を求めることに重点を置くべきではなかろうか。
たとえば飴が3つ入った袋が4つと捉えるか、4つ袋があって、それぞれに3つ飴が入っていると捉えるか。どぢらも間違いではない。
文章を読んでどちらの数字を先に書いてかけ算の式を組み立てる必要があるかを理解する必要があるなら、それはもう算数ではなく国語の問題。
3個入りの袋が4つある だろうが
4つの袋に3個づつ入っている だろうが
日本語の表現が前後するだけで意味は同じ
数字の意味に拘るなら其々の単位を書かせれば済む話で、一つ分の数を必ず先に書くなどという講師の趣味を強要される必要は無い
そんな無駄な事に拘っている講師は日本語が不自由な奴なんだと思う
「1×2≠2×1」だなんて、出鱈目を教えるのなら、そんな学校へは、うちの子は行かせない。
上記の式において、「右辺と左辺に確かな違いがある」という意見は、コレが少なくとも算数の問である間は、私には、「右辺と左辺を不等号で結べ」という主張であるとしか、受け止められない。一部の方に断っておくが、スカラーしか、ここには出てきていない。
何よりおかしな点は、「計算は合っている、答えも合っている、けれど立式は誤っている」なんて意見、この手の問題でしか、見たことがないという事。これは本当に、算数なのか?
子供の脳の一部にでもこんな下らない考えを放り込まれるのなら、今後、算数の授業はボイコットしろと教えたい。
出題が日本語だから順番に「意味」が生じると言うなら、それは国語の時間にやれば良いだろう。ついでだから英語の授業では、順番が逆のバージョンも教えてやれ。
これは教師が授業でどう教えたかが全てだな。
馬鹿馬鹿しい、間違った考え方というのは、間違った答えに結びつく考え方のことだろうよ!
まあ、明記してある単位まで無視して適当に数字を並べてたら、そりゃ、駄目だけどさ。
そもそもの話として文科相が「1つ分の数×幾つ分」と書くのが「自然である」としている。「正しい」ではない。
つまり「1つ分の数×幾つ分」と書くのが「正しい」とする根拠は存在していない。あくまで昔からそう教えられて来たからそれが「正しい」と思っているだけで大前提として正しい式という物が存在していない以上はどこまで議論しても結果は出ない。
今回の話の核として問題文で式について言及していないのであれば答えが合っている段階で○。採点者が式も評価に含めたいのであれば式も合っていたら◎とでもすれば良い。(さらに加点するかは個人判断)
ここで三角とか中途半端な対応をするならその根拠を答案用紙に書くべきだろう。
少なくとも計算力を計るなら答えが合っている段階で○を与えるべきで問題文の内容から展開された式も評価に含めたいならその旨を問題文に記載すれば良いだけの話。問題文に記載されていないことを採点に含めるから話がこじれる。
これはまじで小学校の時「は?」って思っていたもの。
正直掛け算って順番が逆でも解は変わらないし、何より歳を重ねていく事に連れて本当にこんなのどうでも良くなる。だって、解があって入れば丸になるのだから。そういう意味で言えば、本当にこういうのって時間の無駄になる。なんならこれでバツにされた子が算数に苦手意識を持てば「もうダメだ」と思って勉強したく無くなる。1回苦手意識を持ってしまうと本当に消すのが大変(経験談)
これは逆でも丸にすることで統一すべき。だけど、根本的な掛け算という意味を理解しといた方がいいのはいいから授業内ではちゃんと言っておくのがいいんだと思う。
この手の先生方は陸上競技の4×100mリレーの表記に抗議しとるんやろか
➀のフキダシにひとつ分の数✕いくつ分ってわざわざ書いてあるのに、逆に書いてしまうってことは分かってないと判断されても仕方ないと思います。
×○を○倍と考えれば、どちらが前か分かるはず。答えさえ合えばいいという考えかたの方が今の教育にあってません。少なくとも小学校の段階では答えより、式のほうが大切。
考え方を学ぶのが算数、やり方違っても正しい答えが出せばいいのは数学。小学校の先生はその子が本当に理解できてるのか、というところを知りたいんだと思います。
①きゅうり、のしきを書くところの□の上を見てください。誘導はしっかりあります。
自分も数学は得意ですが、小学校の時に同じ注意をされた側の人間です。このテストは、掛け算をどう組み立てるかのテストなので順序が逆ではダメなのです。
式の組み立てが正しくできるかを確認するテストですので、あくまでも何個の塊のものがいくつあるかであって、いくつあるものの中に何個入ってるかではありません。
あと、問題の②③④の右脇にも「何を主役に式を立てるか」が書かれているので①同様に誘導はしっかりされていますよね。
あと、このあと割り算(不可逆)を習うのでしっかり組み立てできない子はそこでつまづく事もあるのでしっかり大人がフォローしてあげてくださいマジで、何を主役にするかってのは代入とかでも大切なんで。
算数を道具として考えたら掛け算という道具の能力をわざわざ制限する愚行以外の何物でもない。
個数を求める式なので、個数✕袋が正しい式順だと。
単位のない数式なれば逆でも構わないが、単位の存在しうる文章問題では何を求めているかが大事なので、減点対象になると思います。
結果が良ければ過程はなあなあで良いというのはよろしくない風潮ですね。
この仕組みがどうしても理解できなくて、算数は得意だったのに掛け算だけは死ぬほど嫌いだった。
小学生の頃に交換法則を理解していたらテスト用紙に全問逆にして証明を書いていたと思う。
写真に移ったプリントでは、一番上のキュウリの問題のところに、〈1つ分の数×いくつ分=全部の数〉と式の書式が与えられています。これに従って式を書きましょう、ということですから、1つ分の数は、1袋のなかのキュウリの本数3、いくつ分は、そのような3本のキュウリが入った袋の数4なので、式は3×4=12です。
2つ目のシュークリームの問題では、各箱のシュークリームの個数4が1つ分の数、箱の数5がいくつ分ですので、式は書式に従って、4×5=20です。
書式を与えることで、どれが1つ分の数でどれがいくつ分なのかを判断させています。それが図から読み取れているかどうかを問うている問題なのですから、逆に入れたら、答えは同じでも(かけ算には交換法則が成り立つので、当然、同じになります)、バツです。
もし、式欄に4×3=12と書いたら、書式に合っていない、合っているとすれば、意味が違っている(4本入りの袋が3つという意味になってしまう)、ということでバツになります。
コメント欄にも「AがB個はA×Bと書くべきだ」という勝手な思い込みをしている人がいる。B×Aと書いても何ら問題はない。A×Bと書くかB×Aと書くかは、ただのスタイルに過ぎない。欧米ではB×Aが多く、極東の島国ではA×Bが多いというだけの話
中高になりゃ3×4だの4×3もかわらん
なんなら2×2×3にする状況も生まれる
出てきた数字テキトーに掛けてたら間違う問題作ればいい話
掛け算と足し算が、順番変えても答えが同じことには理由がある。教師がそれを説明して◎にするべき。
設問が未完成です。クッキーの数か袋の数かで数式は変わる
かけ算には交換法則が成り立ちます。かける順序が大事というのはコレを理解してないので算数を勉強しなおすべきです。大真面目に。
ただ、穴埋め形式にして、「ここの穴には人数を入れてね」みたいな誘導があるならわかりますけどね……
かける数とかけられる数で習うからね
普通に考えれば3個×4袋も、4袋×3個も同じよな。順番が大事なのではなく、その数が何を表しているかを理解して立式することが大事。
そう考えるときちんと分かっているなら逆に書いたりはしないはずだから、画像の答えは間違いだと言える。
私は中学校で数学を43年間大間教えた後、現在小学校で算数専科として働いております。私の勤務する大磯小学校では、かけ算やたし算の順序は不問となっています。
小学校で働いてから5年目になり、かけ算の順序に限らず、算数の教え方や考え方のおかしいと思われる部分を教科書会社にメールを送りながら、少しですが研究しております。算数が嫌いになる、出来なくなる原因があるのではないかと感じているからです。
かけ算の順序に関してはPDFやパワーポイントにまとめてありますので、見ていただければありがたいです。つとむの数学の部屋 http://nakaguntta.main.jp/
http://nakaguntta.main.jp/teacher's_hiroba08_kakezann_06.26.pdf
http://nakaguntta.main.jp/ttm01_kakezann_04.04.pdf
http://nakaguntta.main.jp/manabinohiroba08_kakezann_06.26.pptx
画像の問題であれば、枠に入れるべき数量が指定されているので式が逆なのはバツとしてもおかしくは無いと思う。
単位をつけて考えれば、(1)は3個×4袋が正答。画像の通りだと4個×3袋となるので、数量を正しく捉え表現出来ているとは言えないのでバツ。ただ総数は合っているので答えは丸。観点で言えば、式は思考判断で、総数は知識技能。
とりあえず目に見える数を適当に当てはめるのをOKとしてしまうと、後でしわ寄せが来るから…。テストの後にきちんと説明してあげることが大切よな。
3個のクッキーが入った袋が、4袋あります。
これを式にすると、3✕4ではなく、4✕3にして、駄目な理由が判らん。
3には単位として、(個/袋)というものがくっついてるし、にも4(袋)がある。
(個/袋)✕袋=個という、単位の数式も隠れているわけで、答えは、袋✕(個/袋)でも同じなわけだ。
にも関わらず、バツにするのは、数学も算数も解って無い先生なんだよ。
ゆとり教育世代が教師になり、テンプレートの回答意外全部xにするようになった。
求めるべきは何なのか。教えるべきはイチャモンやマウンティング、揚げ足取りなのか。
パソコンのカタログみても「USBポートTypeCx2」と「2xUSBポート TypeC」の二通りあるけど、センセー的にはどちらが正解なんでしょうね?
英語の授業したらSVOCMきっちりしてないとX。
こうして意味のない勉強が増えていく。
教えることはするけど、育てることを疎かにするのが日本の教育。
画像の問題ならば、こういう順番で書きなさいと誘導されているのだから不正解とされても仕方ないと思う。
あとは式の作り方を授業で教えているならば、それを理解して覚えてないということで不正解になるのも仕方ないかと思う。
世間一般ではなく、授業内容を理解できて応用できるかを試すのがテストだと思うし。
1つ分の数を書くところと、それがいくつかを書くところの数字を間違えてたらバツされてもしょうがないと思うのだが…
6台の車にそれそれ5人乗っているという考え方も出来るのでは?知りたいのは何人なのでどっちの掛け算も○。
それぞれの数字も6台と5人で意味のある数字を使っているので適当に計算式を作っている訳では無いし。
1当たり量×いくつ分からすると、5×6が正解。
順番に拘る人は時速✕時間の順番教えてくれ
順序に意味がないのに無理やり意味を持たせようとする教師が悪い。算数や数学の本質とかけ離れた指導をしていることを自覚したほうがいい。
採点上の都合でどうしても順序を揃えてほしいのなら、問題用紙のすべての箇所に「□(個)×□(袋)=□(個)」のように単位を書くべき。
結果は同じだけれども、AがB個あるならA×Bだし、BがA個あるならB×Aでしょ。日本語の意味と式の関係。その意味がはっきりしている問題なら、将来文章題の立式の面でも順番は重要。もっとも学校の授業でそれをしっかり考えさせていなければだめだけどね。
小学校で算数を教えている者です。かけ算の文章問題における式の順番に関して論争は続きますね。
小学校では(ひとつ分の数)×(いくつ分)=(ぜんぶの数)という意味を大切にしているので、答えを出すための計算方法はどちらからかけようが自由ですが、立式の順番は大切な意味があると指導しています。
1000円のお小遣いを3人の子にあげた時の総額は、1000×3ですが、仮に3×1000としても、1人ずつに1円ずつ、1回に3円、それを1000回繰り返すと、3×1000になると説明する子がいれば、あっぱれ!と〇をあげます。でも、そういう説明できる子は稀です。
(いくつ分)は、〇倍と言い換えることもできるので、1000円の3倍と言ったら、やはり1000×3ではないかと思います。このかけ算の式の順番は、割合の問題の(もとにする量)×(割合)=(比べられる量)の式につながっています。
2割引きで定価900円の品物を買った時は、900×0.8という計算をするのが普通で、0.8×900をやる人はいないと思うのですが。(英語圏の方々がどういう思考をしているかは少し疑問ですが)
なお、面積や体積などのかけ算は、別物と考えます。長方形の面積の公式の(縦)×(横)は、縦、横、どちらからかけても、正解です。横×縦の式があっても、×をつけるべきではありません。おはじきが縦に3個、横に4個並んでいる時は、どう串刺しにするかによって、3×4でも、4×3でもよいわけです。
蛇足ですが、面積は、長さと長さを掛け合わせることによって、平方cmという新しい単位が生まれるというのもすごいことだと思ってます。
乗算には交換法則が成り立ちます。
日本語も
5人乗った車が6台
車が6台、1台に5人乗ってる
どちらでも意味は同じです。
それを他の指定なしで5×6は○、6×5は×とするのは出題の不備であり解答者に責任はありません。
数学(算数を含む)において曖昧な出題で複数の解釈ができてしまうものは、出題側の精査が足りないと言わざるを得ません。形式を指定したいならかける数には台数を、かけられる数には人数を、と指定が必要です。
答えが正しいが、そのプロセスを理解させるという分野であると考えると式に☓をつける事には賛成できる。
数学者を育成するという立場で話をすると話の論点がズレてしまうが、数学の世界ではA☓BとB☓Aが等しくない事はあるので(実生活のなかでも可換でない事なんで沢山ある)答えが合っているではなく順番は大切と言う事を伝えるためにも(少し理不尽と思う人もいるでしょうが)☓は有りだと思います。
授業中に式の順序や意味も教えているから不正解にしたのだと思いました。
ただ高得点問題なら三角にして半分点数あげるとかしても良かったかもですね。
いずれにしても先生は生徒の成長を一番に考えてやってほしいですね。
この問題は掛け算の問題だけではありません。足し算と掛け算は反対にしても答えは同じですが、引き算と割り算はそうではありません。
出てきた数字をかければ良いという考えでは割り算や引き算に当たった時にそれで間違えてしまう子供がたくさんいます。なので、文章を正確に式に表すということを強く意識させるためにも掛け算は順番が大事ということを教えることは大切だと思います。
また 習う時が2年生なので掛け算の時は〜割り算の時は〜と区別するのも難しい 発達段階です。
例を見ろ、や出題者の意図を汲み取れなどと、仰っている方々がいますが、それは間違いです。高校の教師に聞くと、数学は楽してなんぼです。無駄に過程にこだわる必要はありません。
掛け算はある単位のものが何個あるか?という計算方法です。絵、図など人によって見方が違う紛らわしい図で出題すると問題かもですね。一まとまりが捉えられれば良いと先生の裁量が現場で出るのもわかります。
ただ問いに対して順番がどっちでもいいとか答えは同じじゃんと覚えてしまうのはいけません。それは乗算の工夫の話です。問いに対して計算式を使った回答(会話)になってません。数式は言語みたいなものですから。
自宅から駅までの行き方を聞いて、駅から自宅までの行き方を答えられたら嫌ですし。
習ったことの確認なのだから×をつけられてもいいだろとは思いつつ小学生にそこまで求めるのもなんか違うような気もする。
割り算引き算なんかだと順序変えると答えが逆になってしまうので文章通りに立式するというのは大事だとは思う
出題の意図を理解し、出題者が誰であっても文句の付けようがない解答を用意するのも能力のうちだと思います。
✕にされる可能性がある解答を出したということは解答者には足りない考えや視点があったということであり、出題者の意図を押さえた完全解答を超えることはないと考えます。そこに考えが至らないのは単純に能力が不足しているからであり、それを自覚することが能力向上の第一歩だと思います。
『数学が嫌いになる』などと責任を他に求めるのは違うと思います。
このバツは誰もが経験するバツです。少なくとも私の学校ではそうでした。私も経験したことがあります。いや、よほど要領がいい子は最初からバツすらないのでしょうね。あれから少し大人になった今でも覚えています。とはいえまだまだ子供の分際ですが。
ただ、勉強すれば順序くらい理解できます。当時間違えてしまったと悔しい思いをしましたが、その分カラーテストでは満点を取れました。周りの生徒も満点の人はいらっしゃいました。友達と点数を競っていたので。
a=b、b=aは、この学年となっては周知の事実です。頭に入れて置かなければ証明問題が解けません。ただ、小学校の最初に掛け算を習う頃と言うのは基礎の基礎を習います。皆さんも九九を暗記した頃を覚えていますか。一生懸命やりました。テストはその成果を出す場所でもあるでしょう。それは答えの部分がマルになることに現れます。
しかし式は別です。掛け算の基礎を理解しているか、または理解できる読解力があるかを問う問題でもあるわけではないのでしょうか。
もし掛け算の式のバツに悩んでいるお子さんがいれば声をかけてあげましょう。「あ〜、これね、小さい頃私も間違えたわ。でもこうやって考えるんやで。」と。きっと小学校はそういう考え方の基礎の部分を学ぶものです。
ここまで長く読んでいただきありがとうございます。最後に言います。「こんだけ語ってるんだから数学大好きな理系なんでしょ?」
私は理系志望です。ですが数学は得意ではありません。加法定理。積和変換。和積変換。難しくて仕方がありません。理解が難しいので公式丸覚えです。
算数は好きでした。数学は嫌いとは言いませんが苦手です。確かに掛け算の順序のせいで数学が嫌いになる子も多いかもしれません。算数ではなく数学です。思えば式を理解するという意味で掛け算の順序は数学の最初の一歩なのかもしれません。
1パックにa個入っていのがbパックある場合の全部の個数を、日本ではa×bとするけれど、英語だったらb times aから、b×aとします。
単に、言語的習慣の問題でしかなく、数学的必然ではないと思います。ベクトルの外積とか、行列の積のように順序が入れ替わると結果が変わるというのは、全く別の話ですね。
正直言って教師のほうが問題あるケースもあるでしょうからね
文科省の指導要領などがどうなのか それがその学校の方針なのかの話にもなるのかと
エテしてそんな採点が正しい、という人達は、「六百円持っています。一個三十円のみかんを五個、一個五十円のリンゴを三個買いました。お釣りはいくらですか。」を三百円て答えるんだよなぁ。お釣り、なんだから、0円か二百円なのにね。
いろいろな方の考え、拝見しました。当方、小中高の算数数学免許を持つ現職教員です。
この場合、文章題ですので、立式には「意味」があります。1台に5人乗っていて、6台あれば何人か、なら5×6で、6×5ではありません。
言葉なら(1台あたりの人数)×(台数)、単位もつければ
(5人╱台)×(6台)=(30人)です。
ただ、乗法は交換法則、結合法則が成り立つ(交換してもどこからかけてもよい)ので、計算としてはどちらで計算してもよいことになります。それをきちんと教えられれば子どもも納得すると思います。
一部の教員は、数式と日本語を強く結びつけすぎています。日本語の語順に合わせて数を並べることを強制する教員は、数学を理解していないと言わざるを得ません。
「6人乗った車が5台あります。何人いますか?」という問題を解くときに、6×5と書かなければいけない理由はどこにもありません。整数は積について可換なので、5×6と書いても良いです。英語圏ではむしろ5×6と書く方が多数派でしょう。
6を掛けられる数、5を掛ける数と呼んだとします。このとき、「掛けられる数×掛ける数」と書いても良いですし、「掛ける数×掛けられる数」と書いても良いです。常に右から掛けなければならない理由はありません。整数は積について可換なので、左右のどちらから掛けても良いです。
左右のどちらから掛けるかは、行列やベクトルなどの可換とは限らないものが出てくるときに非常に重要になります。ある座標を示すベクトルpを行列Aを使って変換したいとき、ベルトルpに行列Aを左側から掛けたA×pを計算すれば答えが求まります。しかし、順序強制派の立場に立てば、p×Aと書かなければならなくなります。これでは計算できなくなってしまいます。
数式というのは、様々な地域で異なった言語を話す人たちが、言葉の壁を飛び越えて意思疎通できるツールです。そこに、日本語という特定の言語圏でのルールを無理やり持ち込むべきではありません。
自分より馬鹿な人間にかけあって点数アップしたところでなんの価値がと思う。むしろそんなことがあったらただしく採点すらされないテストそのものを以後ボイコットしてよい。
小学校の算数を勉強している段階で○倍という考え方はとても重要なんです。2年生で九九の勉強をしているときから○倍、△の○個分を理解できていれば新たな単元の学習での理解に繋がっていきます。これから複雑になっていく文章問題も図式化できるようになって、順書立てて考えれるようになっていくんです。
答えは一緒、どっちでもいいってことはないです。テストで順序を確認して○を付けるのはとても重要なんです。どっちでもいいという考えがスタンダードになると算数、数学を苦手とする子どもがこれまで以上に増えていきます。子供の発達段階と思考の流れを気にかけてあげてほしいです。
長文失礼します。
この問題は、算数の問題に見せかけた国語の読解問題のように感じました。
理由は、作者(先生)の意図を理解して問題を解かなくてはならないから。
1問目のヒントに、1つ分の数×いくつ分とありますので、4袋の中にそれぞれキュウリが3本入っていると解釈してしまうと、今回のように間違いと言われてしまいます。
でも、これはお題にキュウリ・1つ分の数・いくつ分と書いてあるから、1袋の中にキュウリが3本入っていて、それが4袋と解かないと間違いになる、という意図を理解しないといけません。
単に算数の問題であれば、お題を「1袋の中のキュウリの数×袋の数」にするか、式が逆になっても正解な「キュウリの数は全部でいくつ?」にするべきだと思います。
また文章問題の読解力を付けさせたいという理由があるのであれば、きちんとした文章を載せるべき。
以上より、算数の問題であるとするなら、
問題の出し方が悪いという結論になると感じました。
出題者の意図を察する問題とするなら、異論のある子に納得の出来る答えの解説(作者の意図を理解して答えに反映させるまでが最終回答)するべきと考えます。
それが出来ていれば、こんな話題は上がって来ないが、そんなの小学生の算数かな?と疑問大です。
この画像のテストの答えを見れば○が当然でしょう。
全てが先生が思ってるものと逆に書いてあるんですから、一ヵ所だけ逆になってるのとは別ですよね?
文章での問題でもないのでこの場合はどちらの数字が先ということは無いと思いますが…
A✕B≠B✕Aという世界があるということを知るきっかけになると良いな
本来であれば議論の余地すらないことなのにね。知識と理解力が乏しくなったと言うことでしょうか。
このプリントにだって「一つ分の数」✕「いくつ」って例が提示されている。
問題を読まない、話を聞かないで勉強するとこうなるという典型例です。
これは教育方法論の問題であって…。算数の文章題は「言語を式に置き換える」ものなので、逆にすると文章と不一致になる。他の人も書いてますが「結果的に同じ」は、数学の話であって算数の話ではないというのが大前提。
追跡調査をすると、式はどちらでもいいよと教えるよりも「言語を式に置き換える」を徹底させたほうが、その後の中学・高校の数学が苦手になる確率が有意に低いので、教育方法論的には「言語を式に置き換える」で学ばせたほうが良い。
ただ、逆にして☓にするのはまた別の問題。数学的には正しいので、その子が逆に書いた式の意味を捉えられているのであれば良いし、「ただ掛ければいいや」でその式にしたなら適切な指導が必要。
かけ算としたら、当然どちらでも問題ないわ、そら簡単な話や。
ただ、計算するための順序、かけるための意味を考えながらとなると、かけ算を練習するより立式の練習となって両方正しいとは言い難いかもしれない。算数がそれで嫌いになるとか、それは違うわ、最初から苦手なんやって。数学になればどうでもよくなるしね、当然。
何が何個あるかというのを求めるのがかけ算だと思うので、式の順番は大事では無いのかな…。
一つの塊 × それが何個あるか = 解
一つの塊の単位と解の単位は一致します。
5人に4個ずつりんごを配る。りんごは何個必要か?
1人4個で5人だから 4 x 5 = 20 個
でもトランプのカードみたいに1個ずつ5人に配り、次に2個めを配り、とやっていくことも考えられます。
1周5個で4周配るから 5 x 4 = 20
どちらの考え方も正しいので、どちらの式もマルですよね。
掛け算は順番逆でも答えは同じ。長方形の面積は縦横逆にしても同じ。小学校でも習うことです。数学なら良いけど、算数はダメとか、そんな分け方は変だと思います。どちらも正しいとおもいます。
バツつけた先生も個人的には丸だと思いつつ学年や学校の方針としてそうしろと言われているのでしょうね。子供の気持ち、本質的な教育、という観点ではなく、上の言う事には逆らえないだけなのかと思います。
A✕BとB✕Aが等しい世界しか知らないと順番なんて関係ないと思うんだろうな
5人がそれぞれ6台の車に乗りましたと、6台の車にそれぞれ5人が乗りましたは、同じ意味ではないでしょうか?順序にこだわっている方は、日本語が分からない方のようですね。
単位を合わせろっていってる人は思い違いをしてる。6台のバスにそれぞれ5人だと、6台x5人で30人ではない。6台x5人だと、30人・台という単位になってしまう。
正確には6台x5人/台=30人
なので、答えの単位の方を先にとか後になんてあり得ない。答えの単位は式には存在しないのだから。
掛け算の後も先も関係ない。足し算も一緒。ただ、引き算、割り算で入れ換えてはいけないいけないことは同時に教えないといけないけれど。
「乗算の立式のお作法」は、本当に必要なものですか?
この問いに対して「その必要は全くない」という正解がすでにあるのに、その正解を受け入れられずにいる層は、日本の教育の質を著しく下げているだけでなく、「算数嫌いになる子供を産む」という、およそ義務教育の意義とは真逆のことをしているという自覚を持つべきです。
5人の6倍だから5✖️6で30人
6台の5倍じゃ30台になっちゃうからね
計算の答えは同じでも意味をしっかりわからせるには順序は大事だと思うけど
6台に5人づつ、と
5人乗ってるのが6台
の違いを明確にしてくれ
文章の読み取り、というなら倒置法を認めないのは採点者の読み取り不足じゃないのか?
掛け算の順番はどうでもいいと思う理系ですが、順番は間違えなかったと思います。
それで、算数が嫌いになる人はもともと苦手なのでしょう。算数好きはどういう意味で掛け算があるのかも知るのも好きなので順番を間違えることはないです。掛け算は逆にしても答えは一緒だというのは採点側もわかっています。順番を間違えて不満を言うのは文系でしょうね。そこで丸にされていたとしても、算数が好きにはならないでしょう。
そもそもこの新聞記者は、現在の小学校での算数の授業の内容が全く分かっていません。保護者も同様です。今の授業は、かつての授業とは全く違うのです。かけられる数とかける数にはっきりとした違いがあるのです。つまり数字の順序はとても大切なのです。
小学校は基礎を教えるところです。算数の基礎をしっかりと教えるところなのです。したがって、順序が違うというのは、授業の内容を理解していないと言うことになります。
つまり、二つの数字をかけさえすればいいという教育はしていません。 順序が違えば×と言うのは当たり前なのです。
最近動画で、掛け算で数字をいじって、簡単で早い方法を披露しているものがありますが、これはこれで、大人はいいと思います。でも、問題は小学生です。まずは基礎から教えるのが小学校の先生方の役目だと思いますので、まずは学校に任せてみてはいかがですか?
乗算について順序の可換性を理解していることを褒めるべき。
文字どおり式化することより、順序を入れ替えても結果が同じであることを理解できていることの方が大事だとおもいます。
計算過程が違ってもよいことが創造的な数学的思考を育むのに必須だとおもます。
算数は数学といちど分けて考えましょう。
文章問題では、その意味を考えて、立式します。1台に5人ずつ乗ります。6台では何人になりますか?とすると5人のまとまりが6個あることになります。
それを数と記号で表したものが5✕6です。もし6✕5とすると6人のまとまりが5個分となり様子が、問題と合わなくなります。絵で描いてみると違いがわかりやすいです。
式は文章問題の意味を表した文と同じです。その後、それを解決する処理が計算です。計算は被乗数と乗数を入れ替えても答えは変わりませんからどちらでも良いのです。
小学校の算数で、文章問題は式と計算と答えの3点セットです。
面積とかはどうするのでしょうか?
縦が横分ある?円の面積とかは?半径が半径分、それが円周率分?
わけがわかりません。
算数(数学)は言語、なのだと思います。問題文を数式に翻訳する、のですが、日本語には主語述語が入れ替わっても意味が通じてしまうという特徴があるため、混乱しているのでないでしょうか?
ちゃんと教えることより、甘い採点で丸をあげる先生が良い先生。
子どもの将来を考えて厳しい採点をする先生は、理不尽だと批判される。
漢字も、細かいとめはねはらいや、突き出てる出てないやを細かく見るより、なんとなくで丸をあげた方が楽だし、評価はあがるし、良いことだらけ。
かけ算も、難問に発展していくときには考え方をきちんと身につけていくことが大事だからと、かける数かけられる数の意味を丁寧に教えるより、どっちでもいいと丸をしたほうが楽だし、評価はあがるし、良いことだらけ。
熱心に教えて細かく採点するなんて労力の無駄。…でしょう?
結果論だけで済ます現代らしい現象ですよね。確かに数だけの数式で見れば5×6も6×5も答えは同じですが、出たのは文章問題です。つまり数だけでは無いのです。
「5が6つ」と「6が5つ」は全く意味が違うと捉えることが出来ないのは、本当に言葉に重きを置かない現代病にしか感じないですね。
言葉が理解できない成績が悪い人が大人になり、SNSで同じような人達とつるんで声が大きくなりましたが、クラスで言えば少数派なんですがね。
人間は楽に流される生き物ですから、やらなくていいとなればやらなくなっていく。πの問題もそうですね。どんどんやらなくなりπのそもそもの意味すら忘れていく。そして意味がわからないことが正しいと言い始める。分からないことを学ぶのが勉強なんですがね。
数学だけではなく、勉強の姿勢の問題なんだよな。分からなくていいって言いますが、大人になりやりたいことをやろうと思った時に、やってない、分からないのは自分だけなんで困るのはその子。
絵を見た時に、いちばん左の袋見てきゅうりが3本入ってる!全体見ると同じ3本入の袋が4つある!の子は3✕4だし、俯瞰で4袋あるなどれも3本ずつだって子は4✕3だろう。
前者の子に、でも回答は4✕3にしなきゃというのはナンセンスだし、むしろ後者は問題を作った大人だからこその俯瞰目線なのではないか?
なお小学生の子が2人いるがまだこの件で先生と戦う場面に出くわしたことは無いし良い先生に恵まれていると思う。
欧米だと、5 apples の apple に単価例えば160円を代入して 5・160円=800円とするように、個数×単価の順にするのが通例。
なので日本で単価×個数とするのは欧米の主流とは異なりますます根拠がないです。
数式は欧州産なのにいつから日本でこう逆転したのか興味があります。
日本のこども時代に学習して日本流に書く人が結構偉いセンセでもあるのですが、間違いではなくとも違和感があるのは確かで、わたしは大学で欧米流に変えました。
なので、わたしは「個数×単価」派ですが、あくまでの個人の嗜好で、他人が「単価×個数」で書いても正しいと思うので文句は言いません。つまりどちらの順番でもいいと思っています。どちらかにバツをつけるのはもってのほかと思います。
ちなみに欧米では、上記の 5 apples の思想なので、掛け算の九九も例えば5の段なら
1✕5=5、2✕5=10、3✕5=15、……、9✕5=45
の順です。
「数学的に掛け算には順序がないのが正しいから、最初からそう教えよう」という人は「登山道は遠回りなので、崖をクライミングする最短距離の登山法を全員に教えるべきだ」と言っているに等しい。
掛け算の式の順序の自由化を求める人のほとんどは「中学で『 掛け算には順序がない』と習ったため、小学校で式の順序を考えさせられたことを無駄だと感じ怒っている」人たちだ。要するに「元から勉強が嫌いだから最小限の勉強で済ませたい」人たち。
もし掛け算の式の順序を小学生の時から自由にしていたら、彼らのほとんどは「□のある計算」も「割り算」も出来なかった層だ。
掛け算の順序を指導するのは遠回りだが、より多くの人を高みに連れて行ける。公立の義務教育は崖登りではなく、遠回りでも緩やかな坂を登って行くべきものである。
順序はなんでも◯なのではなく、「意図があり、理解していればどちらでも◯」ということですよね。
でもこれだと、一人ひとり呼び寄せて、何を一つ分にしたか聞かないといけないですよね。
集団でペーパーテストするからには、いい方法があればいいんですけど。
車が6台。1台に5人乗ると…で答えは何人と聞いているので当然、答は何人で答えます。この時の式は
○人×○台=○人で答えの単位(人)と×の前の単位(人)を同じにします。
×の後の単位(台)はその時々により変わります。答えの単位と×の前の単位を同じにすると言うだけで解決すると思います。
実際の式には単位を書く必要はありません。と習った記憶があります。
小2のときに同じ事があった。意味がわからずに☓にされ続けた。そのときに教わったのは、問題文で「何人ですか?」と問われたら「人」を単位とするものを「後ろに持ってくる」こと。「1台に5人乗れる車が6台あります。1度に何人運べますか?」だと「6×5」と記入するのが正しいと教わりました。
私は小学生の頃はそろばんを習ってたので、問題を見たらすぐに答えがでてきてしまいます。だけど先生は「式が大事」と強制的に書かされました。でも頭の中でやってしまうので式が書けないんですよ。そのまま書くと間違いだと指摘されます。
周りの子たちは式を書かないと計算が出来ないんです。式って出来ない人のためだと思う。だから紙とペンがないと二桁のたし算さえ出来ない大人がウジャウジャいるんです。
算数が苦手な子はこの計算が出来ないからそれ以上進めないので途中で諦めてしまいます。何のための算数なのでしょうね。
「ショックを受けた」「算数を嫌いになってしまう」などの理由は2番目以降の物です。
いちばん肝心なことは「本当は 単価×個数 でも 個数×単価 でも正しい」という事です。
それをおさえたうえで、もし「両方正しい」とするのが難しい子もいるのであれば、手加減として「単価×個数 だけ出来ればいい」とするのも良いでしょう。