アーティスト アイナ・ジ・エンドさん 生活の全てを歌で表現するアイドル歌手だった母 夢の続きを自分が成し遂げたい

斉藤和音 (2025年8月10日付 東京新聞朝刊)

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アイナ・ジ・エンドさん(幻冬舎提供、大峡典人撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

母は本当に歌がうまかった

 母はアイドル歌手でしたが、夢をかなえきれず主婦をしていました。私がよく動く子どもだったこともあり、4歳からダンスを習わせてくれた。後ろで練習を見守る母親たちを見て「どのお母さんよりも美人だな。かわいいな」って思っていました。

 母は人に甘えることにちゅうちょがなくて、本当に少女みたいな人。でも、家にコウモリが入ってきた時、一生懸命に子どもを守ってくれて、親としての頼もしい一面もあります。

 カメラマンの父は寡黙ですが、とても優しい人。外出中に手作りのおにぎりが食べたいと言ったら、コンビニでごはんと塩と水を買ってきて、わざわざ握ってくれる。そんなユーモアもある人です。

 家族でカラオケに行くこともありましたが、母は本当に歌がうまかった。家では洗濯物を干しながらとか、隣の隣の家まで聞こえる声量で自作の歌を歌っているんです。生活のすべてを歌で表現していました。父はサザンオールスターズの桑田佳祐さんみたいな歌声で、ハスキーな声質は父に似たのかなと思います。

 高校を卒業して大阪から上京しましたが、母は大反対でした。大阪の大学の入学金を支払っていたほど。父は「人生一回なんだから好きなことやって頑張りな」と、一緒に家探しをしてくれました。

 引っ越しは家族が手伝ってくれました。同級生は進学のために上京するけど、私は何のあてもなく東京にいる。先行きの不安が急にのしかかってきて怖かった。家族が帰った夜、部屋で泣きました。でも、家族には心配をかけないように努めていました。親に悩みを相談したことはこれまでなかったかもしれません。

ライブでめっちゃ踊る父

 BiSHのメンバーになり、CDショップにCDが並んだ時は親孝行ができた気がしてうれしかった。母はリリースイベントにも来てくれました。父は大きなライブは必ず、仕事の都合をつけて駆けつけてくれます。ステージ上から父がめっちゃ踊っている姿が見えて、泣きそうになったことも。普段、踊るような人じゃないんですよ。

 Bishとして音楽番組や紅白歌合戦に出たり、ファンの人と何かを成し遂げたり。どれも大事な思い出です。

 3つ違いの妹は、ダンサーとして活躍しています。幼い頃は全力でけんかをしていました。私が小学校低学年くらから一緒に遊ぶようになって、どこへでも付いてくるポケモンみたいでかわいいなと思うように。今は私のライブやミュージックビデオにも出てくれています。しっかりしていて、助けてもらうことも多い。頼りにしています。

 今年はツアーもあり、ソロ歌手として地に足を着けたいというのが目標。私が活動を続けることで、母がかなえられなかった夢の続きを自分が成し遂げられる。「続けていく限り、お母さんが喜んでくれるんじゃないかな」という気持ちがあります。

アイナ・ジ・エンド

 1994年、大阪府出身。楽器を持たないパンクバンドとして人気を博した女性6人組「BiSH(ビッシュ)」のメンバーとして活動し、2023年6月の解散後はソロで活動する。映画初主演となった岩井俊二監督の「キリエのうた」で、日本アカデミー賞新人俳優賞。今年6月に初のフォトエッセー「達者じゃなくても」(幻冬舎)を出版した。10月からは全国9都市を巡るワンマンツアー「革命道中」が始まる。

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