ミスコン日本代表 重光・ルマ・ナオミさん 難病抱え、世界大会を目指すことに不安も 母は「行けるところまで行ってみれば」

佐橋大 (2025年6月22日付 東京新聞朝刊)

写真

クラウンを手に話す重光・ルマ・ナオミさん(石橋克郎撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

高校2年生で「クローン病」

 8歳上の兄と、ブラジル出身の両親の4人家族です。ブラジル・サンパウロで私が生まれたのは、母(59)が里帰り出産をしたから。私は今、名古屋市に住んでいますが、20歳ごろまでは家族と一緒に愛知県豊川市で暮らしていました。

 母は介護士。父(59)は運送業です。父と母は同じ日に隣の町で、それぞれ生まれたそうです。母は一番の親友。何でも話せます。

 私は、腸に炎症や潰瘍ができる難病「クローン病」です。発病した高校2年生のとき、最初に体調の変化に気付いてくれたのは母でした。

 最初は少し体の調子が悪いだけと思っていましたが、1カ月ぐらいで、どんどん悪くなっていきました。毎晩、高熱が出て、食べる量も減って、腹痛もひどく、食べてもすぐにトイレに駆け込んでいました。母は、「すぐに病院に行こう」と言ってくれて、病院まで付き添ってくれました。あまりに症状がひどかったので即入院でした。体調不良の原因が難病で、治らない病気と聞かされて、絶望的な気分になりました。でも、約2週間の入院の間、家族の誰かが2日に1回ぐらい来てくれて、心強かったです。

 母は、退院後半年ぐらいは特に食事に気を使ってくれました。この病気は、何をどれぐらい食べて大丈夫かは個人差があり、試してみないと分からない。母は食事の後、体調を聞いて、次の料理に生かしてくれました。今は薬が合っていて、症状は落ち着いています。

後押ししてくれた家族のように

 あまり考え込むことのない兄と違い、私は考えすぎるタイプで、恥ずかしがり屋でした。でも、3年前からブラジル人コミュニティーの小さなミスコンテストに出るようになり、内気な性格は結構変わりました。ステージに立つと、アドレナリンが出て、違う自分が出てくる。それを楽しめるようになりました。より大きな舞台に立ちたいと、世界大会の日本代表を決める「ミス・グランド・ジャパン」に応募するときには、体調の心配もあり、私も迷いました。母は「夢があるなら、行けるところまで行ってみれば」と後押ししてくれました。

 ミス・グランドの日本代表として活動するプレッシャーはあり、自分の中で完璧にならなければならない、完璧に近づきたいと過度に完璧主義になっていた面もあります。そんなとき、家族は一緒にいてほっとできる存在であり、私の一番のサポーターです。

 家族の後押しで、私がチャレンジできたように、私も難病の人のサポーターになりたい。病名を告げられたときの私と同じように、病気を受け入れられない人には、明るい未来を考えてほしいし、病気を理由に、チャレンジすることをやめてほしくないと思います。

重光・ルマ・ナオミ(しげみつ・るま・なおみ)

 2002年、ブラジル・サンパウロ生まれ。24年10月、タイで開かれた「世界一勝つのが難しい」とされる美の祭典「ミス・グランド・インターナショナル」に日本代表で出場し、世界トップ20入り。モデルや通訳、炎症性腸疾患(IBD)関連の講演をするなど幅広く活躍している。

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