幼い子の脳死 心臓移植を望んだ4歳娘がドナーに…両親の決意「待つ気持ちは誰よりも分かる。誰かを助けるなら」〈岐路に立つ臓器移植・上〉
6年前の冬、岐阜市の柔術家、白木大輔さん(40)は、長女優希(ゆうき)ちゃん=当時(4)=のそばで、フェイスブックに書き連ねていた。
優希ちゃんに異変が起きたのは、その約3カ月前。嘔吐(おうと)が止まらず、尿が出ない。地元の病院での診断は、血液を送り出す心臓の働きが低下する拡張型心筋症。関西の大学病院に移り、補助人工心臓を付けて心臓移植を待つことになった。
国内では、子どもへの心臓移植は年に1例あるかないか。大輔さんと妻の希佳(きか)さん(45)は、米国での移植へ向け、準備を進めた。
しかし転院から約1カ月半後、急変した。人工心臓の中にできた血栓が脳に飛び、血管をふさいだ。「頑張れ」「帰ってきて」。夫婦で一晩中、呼び掛けた。
「呼吸などをつかさどる脳幹が圧迫されている。これ以上、治療を続けられない」。翌朝、医師から告げられた。脳死だ。もう助からない。そう悟った瞬間、思わず尋ねていた。「他の臓器は元気なんですか」
移植を待つ家族の気持ちは、誰よりも分かる。3歳違いの妹の面倒をよく見る優しい子だった。娘の臓器が、誰かの命を助けるなら―。希佳さんも同じ気持ちだった。ドナーになろう。
触れると、じんわり温かい。死を受け入れるのは身を切られるようにつらかった。
脳死判定が終わるまでの3日間は、別れへの準備をする時間になった。「もう十分頑張ってくれた」とベッド脇で見守った。
臓器の摘出直前、看護師らが優希ちゃんの手形や足形を取らせてくれた。最後に、二人で小さな体を抱いた。「抱っこが大好きなのに治療中はできなくて。久しぶりにしてあげられた」
優希ちゃんからは、肺、腎臓、肝臓が摘出され、病気の人たちに移植された。大輔さんは、移植の成功をニュースで知った。なぜだか涙が止まらなかった。
どこの誰がレシピエント(移植を受ける患者)になったかを知ることはできない。直接の交流も認められていない。ただ、ドナーとレシピエントの間を取り持つ日本臓器移植ネットワーク(JOT)を介して、その後の経過は分かる。「娘の臓器は、他の人の体の中で元気に動いている」と希佳さんはほほえむ。
移植を待つ側と臓器を提供する側、どちらも経験した。「命について、そして命をつなぐことについて、娘が私たちに考えさせてくれた」と2人は言う。
もう姿を見ることも、抱くこともできない。でも、心の中では、いつもはじけるように笑っている。
脳死下の臓器提供 2010年から15歳未満でも可能に
6歳未満の子から提供 2012年以降21件
日本では臓器移植法が施行された1997年から、脳死下の臓器提供が行われるようになった。当初は、書面による本人の意思表示が必要で、民法で遺言ができる15歳以上に限られていた。
本人の意思が不明でも、家族が承諾すれば可能になったのは13年後だ。改正法の施行を受けたもので、15歳未満も提供できるように。背景には、2008年の国際移植学会で、移植が目的の渡航自粛や臓器売買の禁止を求める「イスタンブール宣言」が採択されたことがある。幼い子どもに、大人の心臓は大きすぎて移植ができない。改正法の施行まで、心臓移植しか治療法がない子は海外に渡らざるを得なかった。
心臓移植を希望し、JOTに登録している15歳未満は7月時点で74人に上る。腎臓は50人、肺11人、肝臓は10人だ。
医師は本人の状況を脳死とされ得る状態と診断すると、家族に病状を説明。臓器提供について説明を求められれば、JOTから臓器移植コーディネーターが派遣される。家族が承諾すると、医師が「深い昏睡にある」「瞳孔が固定し一定以上開いている」など5項目からなる脳死判定を実施。6時間後に同じ検査を行って全て変化がなければ、脳死とする。
脳の回復力が大人より強い6歳未満の子どもは、より厳格さが求められる。2回目の判定実施を1回目の24時間後とするのは、そのためだ。いずれも2回目の判定終了時刻が死亡時刻となる。JOTに登録している希望者から、提供される臓器に最も適した人がレシピエントに選ばれる。
脳死下では、心臓や肺、肝臓、膵臓(すいぞう)、小腸、眼球、腎臓の7つの臓器を、最大11人に提供できる。JOTによると13日現在、脳死下での臓器提供件数は777件。6歳未満の子どもからの臓器提供も少しずつ増え、2012年の富山大病院での提供を始まりに、21件が実施された。
託された命…医師「究極の愛情を感じた」
「しっかりと思いを引き継がなければと思った」。6月上旬、愛知県内の病院で、頭蓋内疾患で脳死判定を受けた6歳未満の女児の腎臓を摘出した渡井至彦(わたらいよしひこ)さん(60)は振り返る。渡井さん率いる日赤愛知医療センター名古屋第二病院のチームは手術前、横たわる小さな体を前に、全員で黙とうをささげた。「自分にも子どもがいる。提供を決断されたご両親の心中を思うと胸が詰まった」と言う。
各地の医療機関から集まった移植チームによる摘出手術は数時間で終わった。女児からは腎臓のほか、心臓、肺、肝臓が摘出され、それぞれのレシピエントが待つ病院へと向かった。渡井さんらも、腎臓の入ったクーラーボックスを胸に大事に抱き、エレベーターに乗り込んだ。
その時、「お見送りをしたい」とそばに立った2人がいた。女児の両親だ。両親は「お願いします」と渡井さんに伝え、チームの車が出た後も、その場に立ち続けていた。「ご自分のお子さんへの思いと、つながれる命への思い。究極の愛情を感じた」
その日のうちに、腎臓は10代女性に、心臓、肺、肝臓は関西地方などの病院で10歳未満~10代の患者3人に移植された。腎臓を受け取った患者は、人工透析を受けなくてもいい状態まで良くなったという。
臓器を提供するかどうかは、誰に強制されるものでもない。渡井さんは「われわれに託してくれた命を、移植を待つ人にリレーし、その人を元気にするのが医師としての使命」と話す。
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私も、優希ちゃんと、同じ病気です。補助人工心臓しています。心臓移植を、待っています。優希ちゃんは、脳死と、なったけど、臓器移植のドナーに、なって、きつと、優希ちゃんも、人を、助けられて、良かったと、天国で、喜んでいると、思っていますよ。一緒懸命に頑張ってきた事は忘れたら優希ちゃんは、かわいそうです。私も、頑張って生きてます。きらら
脳死による移植が始まった頃は、自分がそうなってもして欲しくないと思っていた。子どもが生まれ、上の子が中学生になった時、ケロッとした顔で、自分が脳死になったら、全部あげてと言われた。10年経ってもその考えは変わらない。恥ずかしながら、子どものおかげで私も臓器提供しようと言う気持ちに変わった。
近い将来、子どもたちが親になった時、きっと迷わずに幼い子どもであっても、臓器提供できるのなら、迷わずやるのだろうと思う。