“ビートルズの仕掛人” 高嶋弘之さん 長女のダウン症を隠さず育てました 次女のちさ子はいじめた相手に…

( 2020年7月24日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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高嶋弘之さん(川上智世撮影)

妻を亡くし3年 人生を半分失ったよう

 妻が2017年8月に病気で亡くなりました。昨年、3回忌を済ませましたが、会えないのかと思うと、今でも本当につらい。自分の人生、半分持っていかれたような感じです。人は本当に悲しいと涙も出ないんですね。自分の人生を否定されたような気さえします。86歳にもなると、人は悟りを開くものと思っていましたが、全然開けません。

 彼女は会社の2歳下の後輩でした。とても美人でしたよ。結婚後はぼくは仕事ばかりで、家には3時間寝るために帰るという日々。苦労をかけたと思います。それでも彼女とは非常に仲が良かったからね。すごい喪失感です。

特別な教育はしなかった 今では後悔

 長女の未知子がそばにいてくれることで、ぼくは本当に助かっています。未知子はダウン症で生まれました。当時は医師もあまり詳しくなくて、ダウン症と告げた医師に、妻が「それはどういうことですか」と聞き返すと、医師は今では死語になった、知能が低いという意味の言葉を言い放った後、「20歳までしか生きられない。生きた人形と思ってください」。妻はその場で失神しましたよ。

 それが57歳の今も元気で、朝食の準備もぼくと半々でやります。洗濯もやってくれるし、ぼくとおしゃべりもします。非常に残念に思うのは、ダウン症は程度によっては才能を発揮する方も多いことを知らなかったことです。医師に最初に言われた言葉があったので、ぼくは未知子に特別な教育は施さなかった。

 今にして思えば、ぼくは書家のような家系に生まれ、ぼくの名も書の達人だった弘法大師の「弘」からとっているのでね、未知子に書道を習わせてあげていたら、違った生き方があったかもしれないと思うことがあるんですよ。今はNPO法人運営の障害者施設で、ぬいぐるみを作っていて、器用でセンスがあるんです。書にも向いていたんじゃないかな。

子どものために、親の見えは捨てるべき

 昔は、障害のある家族を家から出さないように隠した時代もありましたが、うちは未知子の障害を周囲に隠さないようにしました。世の中には背の高い人、低い人、めがねをかけた人もいる。いろんな人がいる中の一人ですから。障害のある人もいることを知ってほしいと思うし、健常の子にもすごく勉強になると思うんです。

 子どものことを考える時は、親の見えは捨てるべきです。ぼくがそういう姿勢だったからか、ちさ子は、未知子がランドセルをどぶ川に捨てられていじめられたと分かった時は、いじめた男の子のところへ乗り込んだりもした。長男の太郎はデートの時も、未知子を一緒に連れて行ったしね。仲のいいきょうだいで、亡くなった妻もきっと安心していることでしょう。

高嶋弘之(たかしま・ひろゆき)

 高嶋音楽事務所代表。早稲田大卒業後、東京芝浦電気(後の東芝EMI)へ。洋楽ディレクターとして、ビートルズの国内での売り出しを仕掛けた。次女はバイオリニストの高嶋ちさ子さん。所属アーティストのソプラノデュオ「山田姉妹」がアルバム「私のお父さん」を発売中。

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