脚本家・映画監督 山田佳奈さん もっと母に会いに行って、母の人生に耳を傾ければよかった
きょうだいと15歳差 甘やかされて
3人きょうだいの末っ子で、だいぶ甘やかされて育ちました。兄と姉は双子で15歳も離れているので、家族といると、私以外はみんな大人という環境でした。だからなのか、幼い頃は特にかわいがられていたように思います。
一番身近だったのは、2年前にすい臓がんで亡くなった母です。専門学校の講師もするほどの美容師でした。結婚後、相模原市の自宅で開業していましたが、私が生まれるタイミングで店を閉めました。仕事が忙しく、兄や姉の時に寂しい思いをさせた分、私の時はそうしないようにと考えたそうです。私が10代で家を出てからも、手掛けた舞台はいつも見に来てくれました。
忘れられない、亡くなる数日前のこと
亡くなる数日前のことは忘れられません。春間近の時期でした。私の作品が出品された北海道の映画祭へ向かう前に見舞うと、寝たきりでうつろだった目の焦点が合って、母は「今日は何曜日?」と聞きました。答えると、「お兄ちゃんに電話しなきゃ」とぽつり。今考えると、もう長くないと直感したのでしょう。
介護をしていた姉や父は「頑張んないと桜が見られないぞ」と励ましましたが、私は母がいなくなるのが怖くなり、初めて母の前で泣きました。母はその時「頑張る」とうなずいてくれましたが、映画祭を終えて数日後に戻ると、意識はすでになく、そのまま静かに息を引き取りました。身近な人を失ったのは初めて。母の闘病生活は3カ月でしたが、私にとっては今までにない感情を体験し、家族について考えた時間でした。
それまで私は仕事に夢中で、あまり母に会いに行きませんでした。家の遺品を整理していたら、テレビ番組の内容をメモしたチラシなど、生活感があふれるものがたくさん出てきました。もっと会いに行って、母の人生に耳を傾けていたら良かったと思います。
家族とは ややこしくて、いとおしい
母を亡くす前は家族というテーマを描くのは、無意識に避けていました。どうしても自分の家族と重ねてしまうし、俳優さんに考えを伝えられるほど、家族というものを理解している自信がなかったんです。ただ、母を失ったことで、喪失感をはじめ、さまざまな感情を知り、表現者として多くのものを得てしまいました。その不条理が30代に入り、家族題材の作品を発表し始めた理由です。
10月に初めて書いた小説を出版しました。認知症の父が失踪した後の子どもたちの物語です。年が離れたきょうだいの話で、自分の体験も反映されています。ややこしい。面倒くさい。いとおしい。相手に抱く感情の種類が多いのが家族なんだな。母の死を経て、今はそう思います。
山田佳奈(やまだ・かな)
1985年、相模原市出身。専門学校卒業後、レコード会社勤務を経て、2010年に劇団「□字ック(ろじっく)」を旗揚げ。2019年にNetflixオリジナルドラマ「全裸監督」の脚本を担当した。10月に初の小説「されど家族、あらがえど家族、だから家族は」(双葉社)を出版。翌月には監督を務めた映画「タイトル、拒絶」が公開された。
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