産後女性の死因、1位は自殺 私も双子育児で追いつめられ…〈南家真紀子 MIRACLE TWINS〉

(2021年4月16日付 東京新聞朝刊)

MIRACLE TWINS

南家真紀子

イラスト

イラストイラスト 産後女性の死因の1位が自殺だと知っていますか。多胎児を育てる家庭で虐待死が発生する頻度は、単胎の家庭の4倍という推定もあります。産後間もない時期、過労で母親が不安定な精神状態に置かれることで、多くの親子が生死のはざまにいるのです。

 今もどこかで、じっと深淵(しんえん)を見つめているかもしれない誰かのその手を、ただぎゅっと握ってあげたい。そこがどんな景色か、私はよく知っているから。

 「おかあ、写真撮るなよー」とニキビ顔でカメラを避けるくせに、今もまだ私を「おかあ」と小さい頃と同じように呼ぶ2人は、この春小学校を卒業し中学生になりました。この姿を見せるため、あの日の私を助けに来てくれたのかな? おめでとう。大きくなったね。

 

紙面に掲載された元の作品

イラスト

※第3金曜日掲載

南家真紀子(なんけ・まきこ)

 

写真 南家真紀子(なんけ・まきこ)さん

 アニメーションアーティスト。三重県出身。武蔵野美術大学卒業後、アニメ制作会社勤務を経てフリーに。NHK・Eテレの子ども向け番組「いないいないばあっ!」のアニメコーナーなどを手掛ける。12歳の双子男児と5歳男児を子育て中。作品や活動は公式サイトで紹介している。

1

なるほど!

52

グッときた

2

もやもや...

8

もっと
知りたい

すくすくボイス

  • 匿名 says:

    私は59歳の男性ですが、二人の子供に恵まれました。その時子育ては女性の仕事と勘違いしている事と思い子育てには参加しているつもりでした。ある日会社で年上の女性から言われた一言が今でも心に残りました「可愛いい子供を二人も産んでくれた奥さんには感謝しなさいよ」との言葉に「はっ」と気づかされました。男は「会社」と言う逃げ場が有りますが、妻は有りません。それ以降どれだけ妻の負担を少なくできたか分かりませんが口だけでなく行動でも支える事が出来るように努めました。

      
  • 匿名 says:

    【12年後幸運でした、彼らの卒業見られるなんて奇跡ですよね。】うるっとしました。29才長男、23才の双子、3人男子が我が家から巣立って行きました。早く大きかならないかなぁ。って毎日思っていたのに、今は懐かしくいい思い出しか無い。あんなに怒鳴ってイライラしていたのに‥。たまに実家帰ってくると、すごく嬉しい。食卓が肉、肉、揚げ物、大盛りご飯となります。

      
  • 匿名 says:

    私は無我夢中で何も考えられませんでした。とにかく機械的にミルク、そのあと抱っこしてゲップをさせる。このゲップがすごかった。善悟は3メートル先まで飛ばした。また、それをふくのもひと仕事、ほかのお母さんが赤ちゃんをあやしていたのを見て、ハッとしたことがあった。でも、そんな余裕がなかった。自殺を考えるなんて、そんな余裕もなかったなあ。

      
  • 匿名 says:

    28歳を筆頭に24歳、15歳、13歳の4人の母です。
    子育てしてて辛かったこと大変だった事たくさんあったと思うのですが、子どもたちが小さかったころの事はもう遥か彼方霞がかかったようなぼんやりとした記憶となってます。楽しかった想い出しか残ってませんが、この記事を拝読して涙が止まりませんでした。
    そうだった、そんな時もあったと急に色々思い出しました。
    過ぎてしまえば…と一言ですが、当事者は必死です。
    当時は子育てを楽しむ余裕もなかったです…
    手を差し伸べられる環境、大丈夫と声をかけられる関係が必要だと上の子の時から思ってましたが未だに改善されないのかーと悲しくもあります。
    しかし蜜月の時は母子にしか持てない大切な宝物のような時間なんだなーとシミジミもします。
    今、いま、この時にどこかで大変な思いをしているお母さんたち。なかなか先のことは考えられないかと思いますが、作者さんの描く『幸運』と『奇跡』が必ずどこかで見られると信じて欲しいです。
    感動をありがとうございましたー!

      
  • 匿名 says:

    漫画のイラストを見て、泣けました。夫の仕事の関係で両実家から遠く離れて、知人も友人もいない環境。長男が生まれたときもやっとだったのに、双子を妊娠したと知った時は絶望で泣きました。生まれてから3ヶ月は母が休職して手伝ってくれましたが、帰ってしまってから、長男の子育てで知り合ったママ友たちとも会えず、遅くに夫が帰宅するまでは誰とも会えず、ヘルパーさんを頼んだこともありましたが、気を遣って逆に疲れて、いつも寝不足。常に『消えてしまいたい』と日記に書いてました。毎月、飛行機に乗って母と妹が交互に顔を見せてくれなかったら、命を絶っていたと思います。『かあさん、ちっちゃくなったなぁ〜』と上から、私の顔をのぞきんこんではクスクス笑いあってた双子の息子たちは、漫画と同じようにこの春高校を卒業し、兄に続いて、大学生となって遠く県外へ旅立ちました。幼い頃は忙しすぎて記憶も所々飛んでいます。でも彼らと過ごした日々は、宝物でした。今、ガランとしてしまったリビングを眺めて、育ててあげてるつもりだったけど、育てさせてもらっていたんだと、幸せな時間を、奇跡の日々をありがとうって心から思っています。

      
  • 匿名 says:

    二歳半くらいまでは子を道連れに死ぬことばかり毎日毎日毎日考えていました。夜泣きがありまともに寝れた日がなかったからです。
    紙一重、ギリギリで死なずに来れました。十年あっという間でした。

      
  • 匿名 says:

    いやぁ!数十年前を思い出しました。我が家は息子が一歳四ヶ月の時に女二人の双子が生まれました。家内は北海道のオホーツク、私は青森の片田舎、関東近県には身内も親戚もいません。三ヶ月で双子と判った時に「えっ、どうしよう」って思ったのは私。家内は「なんとかジタバタ頑張るしかないね」。今では娘たちにも孫が2人づつ出来、たまに緊急応援要請が来ればすぐに飛んで行きますが
    両手を挙げて「抱っこ」走ってこられればすっかり爺婆ですよ。家内に「あんた一回もオムツ交換しなかったね」言われ今でも頭が上がりません。          埼玉県鴻巣市)沼澤

      

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