芸人 もう中学生さん 人生のピンチを救ってくれた先輩2人 両親と一緒に感謝しています

古根村進然 (2024年9月22日付 東京新聞朝刊)
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子どものころの遊びについて話すもう中学生さん(五十嵐文人撮影)

家族のこと話そう

「好きなことするのはいいね」

 一人で庭の草を抜き、その草同士で会話させて遊ぶような少年で、周囲からいじられるようなタイプでした。中学の修学旅行で大仏の置物ばかりに7000円も費やした際には、両親から「何で違う物も買わないの」と指摘されました。でも、両親に怒られた記憶はあまりないです。家族の恒例行事は夏に新潟県の佐渡島に行って海水浴をしたり、冬に地元でスキーを楽しんだりすることでした。

 つらいことや悩みがあっても、お笑いコンビ「ダウンタウン」さんの笑いで救われたことが大きく、小学生の時から漫才やコントをしたいと思っていました。高校3年のころ、芸人を目指したいと両親に伝えました。「1年だけ吉本の養成所に行っていい?」って。両親は「好きなことするのはいいね」と応援してくれました。

父からの絵手紙は100通以上

 東京に出て数週間たった時、両親から励ましの手紙が届きました。その後もお父さんから誕生日や正月などに手紙やはがきが届きます。庭の花の話や散歩中の出来事だけではなく、「これネタにしていいよ」などもあります。2007年に初の単独ライブを見に来てくれたのですが、僕の段ボールネタに影響され、お父さんも手紙に絵を描くようになりました。すでに100通は超えていますが、自宅の大切な物を置くスペースに保管しています。

 僕は、お父さんと似ています。ノートにネタの内容を書き残しますが、お父さんも俳句をノートに記して残しています。前に出雲大社の関連グッズのノートを贈ったら、すごく喜んでくれました。レコードや本も集めていて、僕はCDを集めるのが好きで、そのあたりもそっくりです。

コロナ禍で…母の前で泣いた

 僕は結構、ネタの内容をお父さん、お母さん基準で考えます。両親を喜ばせたいと思い、パンダがササに乗って世界一周旅行をするネタを作りました。でも、コロナ禍に仕事がどんどん減り、家賃も払えなくなり、お母さんの前でわんわん泣きました。大好きなお笑いができないのがつらくて。「仕方ないね」と言って背中をさすってくれました。

 そんな時に芸人の有吉弘行さんがラジオに呼んでくれたり、お笑いコンビ「麒麟(きりん)」の川島明さんが僕の芸をテレビで紹介したりしてくれて本当に助けられました。両親も人生の恩人だと感じ、家族皆で先輩2人の動向をテレビでチェックしています。

 以前、「お父さん、お母さんは幸せ?」と聞くと、僕の本名で「典幸が幸せなら、幸せだよ」と言われました。お笑いを続けていいんだと思いました。でも、これまで両親に心配させてばかりで親孝行できていないので、今後もし結婚して家族が増えたら、皆で旅行に行きたいと思っています。

もう中学生(もうちゅうがくせい)

 1983年、長野市出身。高校卒業後、2001年に吉本興業の芸人養成所に入った。イラストを描いた段ボールなどを使った一人コントで知られる。SBC信越放送「ずくだせテレビ」や信越放送ラジオ「もう中学生のおラジオ中」に出演するなど、全国で幅広く活動している。

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