教員の「過労死」で、遺族は公務災害を直接申請できない 認定に高いハードル…「家族の会」が訴え

竹谷直子 (2022年11月1日付 東京新聞朝刊)
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亡くなる8カ月前の体育祭での義男さん=横浜市内で(工藤祥子さん提供)

 11月は、厚生労働省が定める過労死等防止啓発月間。教員の長時間労働が社会問題となる中、2007年に横浜市立中学校の教員だった夫の義男さん=享年(40)=を亡くした「神奈川過労死等を考える家族の会」代表工藤祥子(さちこ)さん(55)=東京都町田市=は、教員の公務災害認定のハードルの高さを訴える。「残された遺族も過酷。教員の命と健康を守るため、国は過労死の原因を調べて改善してほしい」

元アメフト選手 生徒に慕われた夫が

 義男さんは元アメリカンフットボールの選手。1990年に中学の保健体育の先生として働き始めた。好きな言葉は「闘魂」。熱い性格で「何でも話を聞いて、味方になってくれる」と生徒から慕われた。

 2007年、横浜市立あざみ野中に転勤。転任直後で生徒指導専任となり、弱音を吐かない義男さんが「つらい、しんどい」とこぼすようになった。修学旅行の引率で不眠不休となり、頭痛でようやく行けた病院内で倒れ、6月25日、くも膜下出血で亡くなった。

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「疑わしい事案もきちんと原因を調べて改善してほしい」と訴える工藤さん=東京都内で

 前任校から毎朝7時には出勤し、午後9時ごろに帰宅後も残業する日々が続いていた。過労によるもの、と確信した祥子さんは公務災害申請を決めた。

公務災害の申請は校長・教委を通して

 企業の労災申請と違い、教員の場合は「地方公務員災害補償基金」に申請する。基本的に遺族が直接申請できず、所属長(校長)と任命権者(教育委員会)を通す必要がある。学校側の協力が不可欠だ。

 祥子さんは同僚への聞き込みをし、発症前の職務従事記録などの申請書類を作ったが「夫が亡くなるまでの過程を何度も何度も確認しつらかった」と振り返る。自らも小学校教員として働きながら娘2人の子育て、申請の心労が重なり、過労で倒れた。「当時のことはほとんど覚えていない。娘から『お母さん死なないで』と言われていた」

 1度目の申請で不認定とされ審査請求をし、13年1月にようやく公務上の災害と認定。義男さんが亡くなって約5年半がたっていた。「遺族の声が届きにくく、公平性を保てない仕組み」と指摘する。

 講演を続ける祥子さんの元には、過労死とみられる教員の遺族から連絡が来る。「同僚は口をつぐみ、校長は『何もなかった』と言う。冷たい態度に遺族はさらに傷つく」。遺族の多くは、公務災害申請をしていない。

教員の残業 月平均120時間を超える

 連合総合生活開発研究所は9月、教員の労働時間に関するアンケート結果を公表。残業は月平均123時間16分で、厚労省が示す「過労死ライン」の80時間を大幅に超えた。「本当に死んでしまうラインのことなのに、ただの線になってしまっていないか。対応への本気度が感じられない」と憤る。

 現場には踏ん張る先生や、教師を目指す若者がいる。祥子さんは「生活時間を大切に働いてほしい。相談機関もある。抱え込まないで、自分と大切な人のことを思ってほしい」と願う。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2022年11月1日

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  • キガネムシ says:

    申請を校長や教育委員会に出さねばならない現行システムをまず変えた方が良い。彼らは「ヒラ教員の災難が発覚すると、自分たちの出世が妨げられる」と思っているからである。厚生労働省に申請した方が幾らかマシなのではないか。

    キガネムシ 男性 50代

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