フリーアナウンサー 登坂淳一さん 原点は父が喜んでくれた即興の実況

吉田瑠里 (2021年12月12日付 東京新聞朝刊)

フリーアナウンサーの登坂淳一さん(稲岡悟撮影)

家族のこと話そう

仕事一筋の父とコミュニケーションをとりたくて

 NHKに内定した大学4年の10月、父が54歳で亡くなりました。その半年前に「腰が痛い」と病院へ行ったら、末期の大腸がんだった。初めて、突然に身近な家族の死を経験しました。

 父は「ザ・モーレツサラリーマン」。電気機器会社の営業で、40代で取締役になりました。忙しいけれど、楽しそうに仕事していました。僕の少年野球や、中学、高校時代に入っていた陸上競技部の試合も一度も見に来ませんでした。キャッチボールをしたことも片手で収まるくらい。

 小学校に入ったくらいの頃、話す機会が少ない父と何とかコミュニケーションをとろうと思ったんです。父は朝、新聞のスポーツ欄を一生懸命見ていたので、僕がテレビで見た巨人対阪神戦の一番良い場面を覚えておいて「そこはこういう感じだったよ」と実況したら、すごい喜んでくれた。勝敗の結果の情報だけでなく、喜怒哀楽や微妙な感情を言葉で伝えるのは難しいけれど、できるとすごくうれしいなと実感しました。何かを伝える仕事をやろうと思った原点です。

父と妹の死… NHK辞職、そして結婚・娘の誕生

 父は最期は家に帰りたいと言い、亡くなるまでの数カ月を自宅で一緒に過ごしました。父は若いし、やりたいこともいっぱいあっただろうと思ったのですが、僕が「悔いはないの?」と聞いたら、父は「ない」と即答。「本当にないの?」と聞き返したけれど「ない」。僕はすごく驚いて、自分も社会に出てから、後悔しないように毎日を過ごそうと思いました。仕事を始めてからは日々、分からないことがあれば徹底的に調べ、なぜ緊張して間違えそうになるのかも自問自答しました。

 6年前、3歳下の妹が父と同じ大腸がんで41歳で亡くなりました。妹には「お兄ちゃん、仕事もいいけど、健康を大事にしてね」と心配され、自分の人生を生きるように言われていました。順番の違う妹の死はショックが大きかった。一度の人生だから新しいチャレンジをしようと、NHKを辞めました。その翌年、9歳下の妻と結婚。お互いに年齢的に時間も限られていたので不妊治療を始め、今年4月に娘が生まれました。

 最初の1カ月は毎日娘の動画を撮り、高年齢で子育てする方の役に立てばと「白髪(はくはつ)のパパ」というブログも始めました。一日一つ発見しようと思って子育てしています。離乳食でトマトを食べさせてみて、この酸味は嫌なんだなとか。夕方に一度帰宅して一緒にお風呂に入るなど、子育てに関わる時間をつくれています。そして、いろんな仕事に「やってみよう」という気持ちを持ち、父のように悔いなく生きようと思います。

登坂淳一(とさか・じゅんいち)

 1971年、東京都出身。1997年にNHKに入り、「おはよう日本」や正午のニュースなどを担当。2018年に退局後、YouTubeやTikTokへの動画投稿、俳優など活動の幅を広げている。毎週日曜、BSフジ「BSフジニュース」に出演中。

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  • 匿名 says:

    僕も人間に生まれてきて良かった

     無回答 無回答

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