「おはなし」を広めた児童文学者・松岡享子さんの功績 東京子ども図書館理事長・張替恵子さんに聞く
おふろだいすき、くまのパディントン…
「おふろだいすき」「くまのパディントン」「しろいうさぎとくろいうさぎ」…。東京都中野区の住宅街にある同図書館のエントランスには今、松岡さんをしのぶコーナーが設けられ、手掛けた多くの絵本や児童書が並ぶ。
「私のことをこういう創作をした、翻訳をした、と振り返ってくれる人が多いかもしれないけれど、おはなしを広めた人、と言われるのが一番合っている」。「おはなし」は、本を使わずに国内外の昔話や短い創作話を語ること。この松岡さんの最晩年の発言を、張替さんは印象深く覚えている。
その場限りで消えても 大切な仕事
松岡さんは慶応大文学部図書館学科を卒業後、米国に留学し児童図書館学を専攻。27歳の時、児童図書館員として働いた現地の公立図書館で、おはなしを始めた。
帰国後、1967年に家庭文庫「松の実文庫」を自宅に開設。毎週の「おはなしのじかん」は子どもたちであふれた。1970年代に入ると、語り手の養成にも励んだ。張替さんは「絵本や児童書など形のある作品とは違い、おはなしはその場限りで消えてしまうものだけれど、松岡さんにとって最も大切な仕事の一つだった」と話す。
児童図書館員の重要性を訴え続け
松岡さんは図書館での児童サービスの充実も願い、子どもと本を結ぶ児童図書館員が専門職として認められるよう訴え続けた。1974年にオープンした東京子ども図書館は、同じように家庭文庫を開いていた児童文学者の故・石井桃子さんらと立ち上げた。全国でも珍しい児童図書専門の私立図書館。公的助成もない中、松岡さんは無報酬の役員として著述業の収入から寄付をするなどして運営、維持した。
「図書館が松岡さんにとっては子どものようなものでしたし、ここで学んだ人たちはみんないとしい教え子でした」と張替さん。松岡さんは児童文学の世界で名を成しても、子どもと本の仕事に真剣に向き合う人であれば誰にでも丁寧に接し、助言を惜しまなかった。「最も広い意味での教育者だった。それぞれの人に合った研究課題を与え、良い仕事ができるよう手を差し伸べていた」
素朴で地についた言葉を子どもに
この半世紀、子どもを巡る社会環境は大きく変わったが、「言葉を豊かにすることが思考を豊かにする。素朴で地についた言葉を大人が子どもに語りかけなくてはならない」という松岡さんの信念は生涯揺らがなかった。東日本大震災直後には自ら被災地に赴き、「痛切な体験をした子どもたちにこそ、楽しいおはなしや本を届けたい」と、岩手県陸前高田市の児童図書室の運営支援や学校訪問を10年にわたって続けた。
2015年に松岡さんから理事長を引き継いだ張替さんは「憧れの人。どんなに頑張っても到達できない高い峰」と惜しむ。「でも、松岡さんの影響を受け、子どもに本の楽しさを伝えている人が全国にたくさんいる。その思いは必ず引き継がれていくと思います」
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