なぜいじめた側が教室に通えて、被害者は別室自習なのか 「双方に学ぶ権利」対応に悩む教育現場
「教室に戻りたい」被害者が求めても
千葉市内の中学校に通う女子生徒や父親によると、4月下旬から同級生に悪口を言われるなどされ、一緒にいると体調が悪くなるようになったことから別室で自習をするようになった。
生徒は10月になると適応障害の診断を受け、学校を休みがちに。生徒や父親は「教室に戻りたい。加害者を別室に移して」と繰り返し求めたが、学校側からは「加害者の授業を受ける権利を取り上げることはできない」と拒まれたという。
法律では「加害者を別室」認めるが…
いじめ防止対策推進法では、被害者が安心して教育を受けられるように加害者を別室で学ばせることを認めている。学校教育法には、加害者に出席停止を出せる規定もある。
文部科学省の調査によると、2021年度は国公私立の小中高校でいじめが要因の不登校は620件あったのに対し、加害者に出席停止を行ったのは1件。中学校でのいじめのうち、加害者を別室に移したのは3.7%で、被害者の6.9%よりも低かった。
東京都内の公立中学校の男性教員は「学校は被害者も加害者も守るところで、どちらかを攻撃する権利はない。多忙な教員にとっていじめ対応は負担が大きく、中でも事実関係をつかむのは大変。被害者でも加害者でも別室に移すという判断は非常に難しい」。関東地方の公立高校の男性教員は「正直、加害者が教室の外に出ればよいと思う。ただ、そうなると今度は加害者側から抗議を受け、さらに問題がこじれる可能性が高い。被害者を教室外に移す方がやりやすい面はある」と打ち明ける。
「被害者の意向」を優先して方針転換
千葉市のケースでは、いじめ発生から半年たって学校側は方針を転換。「反省している」として別室登校の必要はないとしていた加害者について、今月14日から別室に移した。
学校側は本紙の取材に、被害生徒の別室登校は「緊急的な避難対応だった」と説明。「被害者の意向を最優先に考えた」と判断を見直した理由を明かした。
教室に戻れることになった生徒だが、「問題が大きくなってクラスの人の目が怖い」と加害者のいない別室と教室を行き来しているという。生徒は「今でも夜眠れず動悸もする。学校にはもっと早く対応してほしかった」と話す。
中学生の多くが「加害者を出席停止に」
名古屋大の内田良教授(教育社会学)が21年8月に「いじめの加害者を出席停止にすべきか」と中学生や保護者らに調査したところ、「とても思う」「どちらかと言えば思う」と答えたのが、中学生で52.7%、中学生の保護者で65.8%。中学校教員でも45.8%と半数近くを占めた。
内田教授は「学ぶ権利がためらう理由なら、オンライン授業を使うなどして別室でも学ぶ権利を保障し、対応を検討すべきだ。いじめ被害者が教室から離れざるを得ない状況はおかしい」と指摘する。
「引き離しでは解決にはならない」
別室登校は、被害者の身を守るための手段の一つだ。しかし、被害者が別室登校になると不登校に発展するケースも少なくない。
「被害者と加害者の引き離しでは解決にはならない」と話すのは、いじめの相談を受けるNPO法人「プロテクトチルドレン」代表の森田志歩さん。最終的には両者が元のように教室で授業を受けられるように息の長いサポートが必要だと強調する。
森田さんは「学校側は、いじめを繰り返さないよう加害者に教育するとともに、被害者には支援計画を示しながら、2人が教室で一緒にいる時間を徐々に増やしてあげる。教員には労働環境を整え、いじめにしっかり対応できるゆとりを与えてほしい」と指摘した。
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被害者は一生心に傷が残ります。社会人になってもそれがトラウマとなり1歩がスムーズに出なくなります。いじめは犯罪です。隠蔽体質の学校側に任せず専門機関に委ねるべきです。加害者側は少年院送致、隠蔽を企てた学校関係者には実刑を・・・。兎に角今の現状は生ぬるい。
いじめは犯罪であるから、学校が解決に関わってはならない。その道の専門家である警察に預けるのが最良の方法である。「学校で起きたことは学校で解決できる」という思い上がりが、管理職や教育委員会による隠蔽を引き起こし、自殺者を出すのだ。(元教員より)
相手の気持ちを考えるようにならないと 虐めは永遠になくならない
相手の気持ちを考えるようにならないと 傍観者も永遠になくならない
みんな自分が第一だからなくならない
子ども同士のトラブルの場合、難しい問題だと思いますし、時と場合にもよりますが加害者側が別室登校や転校になるべきだと思います。ただ、現実は被害者ばかりが我慢しているように思います。その方が学校側が楽だからでしょう。苦痛を感じていない加害者側から「別室や転校が良いです」と言い出すことは絶対になく学校側が強要をするしかありません。一方で、苦痛のある被害者側から「別室登校、転校します」と言わせるのは簡単です。学校側としては「別室・転校はあくまでも本人の主張」と言い張ることができるからです。
私の子どもは、先生からいじめを受けました。何度も本人が嫌がっていることを先生は子どもに繰り返しました。子どもは先生が恐怖の存在になってしまい、先生のいる教室には行けなくなりました。そのため、被害者側の子どもが別室登校することになり、問題の教員の方は何も変わらずに教員生活を送っています。うちの場合も、子どもの本心は皆と教室で授業を受けたいでしたが、体調が悪化しすぎて先生を見るだけでも体調が悪くなるので別室にせざる負えなくなり、「別室登校でお願いします」と私から学校にお願いをすることになりました。
さらに、うちの場合は別室登校にしても問題の先生が子どもに接触を繰り返してきたため、最終的には学校へも行けなくなりました。決して学校に行きたくなかったのではなく、子どもを問題の先生から守るために、ドクターストップもかかり、学校へ行けなくなりました(子供はずっと学校を返せと教委などに主張中)。接触禁止だと言われている生徒に接触を繰り返すような明らかに問題のある先生でも「働く権利」があり守られ、被害者側児童の「学校に安心・安全に通い学ぶ権利」が奪われます。
「何も感じない加害者」が権利を放棄したり、譲ってくることはありません。そのため、「何も感じない加害者」vs「体調悪化必須の被害者」の権利をかけた椅子取りゲームでは被害者の勝ち目はありません。だからこそに、加害者には厳しい対応をして欲しいです。厳しい対応を取らないと問題を理解できない人は一定数いると考えられ、その人たちには厳しい対応をして改心をするなりさせるべきです。
「いじめ」の問題で、世の中はいわゆる「加害者」の非を鳴らしますが、「他人をいじめる」というのは、「声なき声」なのです。
例えば、中学生がロッカーの扉を蹴ってボコボコにする、そんな時に経験のない教員は「そういう行為は、世の中では器物損壊だよ」と言って説教しますが、生徒は別にロッカーに怒っているわけではなく、内なる怒りをそこにぶつけているわけです。
ですから、「社会に出たら、その行為は器物損壊だよ」と【法律的な視点】から説教するのではなくて【教育的な視点】から、その行為を見なければいけないのに、それが出来る教員の何と少ないことか…。
そういう“器物損壊行為”が「モノ」から「人」へ向かっていくと「いじめ」になるわけで、そういう意味では、「いじめ」の早期発見などと文科省や有識者は言いますが、ある教室で「いじめが起こる」ということは、すでに、その教室運営は、末期的なわけです。
どんなに“早期”であっても、クラスで「いじめ」が起きる…ということは、ほかの問題も潜在的に起きているのです。
そうやって、視点を変えて「いじめ」の問題を突き詰めていかないと…単に「加害者」「被害者」と分けて、「被害者をどう守る」なんて議論だけをしていては、「いじめ」問題はこれっぽっちも無くならないでしょう、もっと深いところから問い直さないと…。
私の娘も市立小学校でのいじめにより、転校を余儀なくされました。
いじめが始まった当初、学校からはとにかく別室での授業を進められました。いじめられた側がメインの教室から退出させられ、別ルートでの登校等、肩身の狭い思いをしなければならないことに強い違和感を持ちました。
その後、いじめは収まらず一カ月近く不登校となりましたが、学校からはその間、何の学習支援もなく、学習する権利を無視、放置されたことに強い憤りを感じました。私と同じような体験をされた保護者のかたは多数いらっしゃると思います。
加害児童に対し、学校及び保護者は場当たり的な指導を行うのではなく、記事にあるよう、被害者に中長期での支援計画を示すことが有効であると思います。人権問題として議論が進むことを期待します。