生まれないほうが幸せ「反出生主義」に反響 「同じ境遇…励まされた」「出産で価値観が変化」 識者はどう見る?

読者から寄せられた「反出生主義」に対する思いや記事への意見
両親に恵まれず「子ども持たない」
愛知県刈谷市の女性(46)は「同じような境遇や思いの人がいると知り、とても励まされた」と書いた。父親がギャンブル依存、母には無視されて育った。「こんなことは私で最後にしたい」と考え、子どもは持たないと決めた。ただ、周囲に子どもを持つことを勧められて知識を深め、「今ならちゃんと子育てできるかも」と悩んだ時期も。「焦らないでしっかり考えてみては」と気遣った。
子どもを産んだ女性からの投稿も多かった。両親が不仲で、幼い頃から「無」でいたい気持ちが強かったという同県の女性(44)は「孤独でいる勇気がなかった」ため結婚し、「夫やその家族の手前、子を持たないという選択もできず」に出産。そうした思いを話したことはなかったといい、「人知れず悩む人は多いと思う。前向きでない繊細な思いを女性が伝えてくれて、掲載されてありがたかった」。
「産んでみよう」自分をだまし出産
石川県の女性(35)は20代の頃、「満足に育てられない、こんな腐った社会で子どもは産めない」と考えた。ただ、「妊娠適齢期は限られている」との思いも。子育てを社会で支える考えが広まりつつあると感じ「産まずに後悔しても取り返せない。ならば産んでみよう、と自分をだまし言い聞かせた」。今は子育て中で「産まなければよかったとは思わない」という。
結婚や出産で考え方が変わったのは、愛知県豊川市の女性(41)。幼い頃から無気力で自分を卑下することが多く「子どもが苦しむことになるのに産むのは自分勝手」と感じていた。転機は前向きな性格の夫との出会い。「自分の価値を自分で決めること自体がエゴと気付いた」。出産後は夫の家族の笑顔に囲まれ「人生は自分だけのものではないと、考えがグラデーションのように変化した」と振り返る。

反出生主義についての哲学書やテーマとして扱っている小説
人は一生を通して成長するもの
千葉県の男性(71)は「この世に命を授かったからには力の限り生き抜いて。それがほんのわずかでも誰かを喜ばせることにつながるかも」と訴え、愛知県碧南市の女性(68)は「人はつらいこともうれしいことも経験しながら、一生を通して成長するもの。努力を惜しまなければ幸せを得られると思う」と呼びかけた。
神奈川県の女性(31)はアルコール依存症の父が母を殴る家庭で育った。「子どもが将来どんな苦労をするかは分からず、子を産むのは親のエゴ」だと感じ、「子どもが生まれるのは善という価値観を変えたい」とも。出産した人には社会通念上「おめでとう」と声をかけるが、「かわいそうに、また犠牲者が生まれたと感じる。自分は産まないし、できれば他の人にも産んでほしくない」と話す。
生きているだけで頑張っている
愛知県春日井市の50代女性は、息子が15歳の頃に「まともに育てられないのに、自分たちの快楽のために子を産んで」と責められた。「僕はなんで生きているの、死んだ方がいいよね」とも。息子の悲しさを知り「つらさや気持ちをできる限り理解しよう、何事も否定せずに聞こう」と考えるようになった。
21歳になった息子は引きこもっていて「生きづらいのに、生きていてほしい、と思うのも私のエゴ」と思う気持ちもある。「生きるのは当たり前ではなく、一日一日を生きているだけで頑張っている。笑顔になれたことを思い返しながら過ごし、いい思い出をためていって」と記事の女性を思いやった。
なぜ反出生主義が注目? 識者に聞く
「死んだ方がよい主義」ではない 学習院大・小島和男教授
2006年に南アフリカの哲学者デイビッド・ベネター氏が哲学書「生まれてこないほうが良かった」を発表し、注目された。生まれれば快楽も苦痛もあり、生まれなければ快楽も苦痛もない。両者を比べると、苦痛がある前者の方が害悪で、人類は絶滅する方がよい、と説く。

小島和男・学習院大教授
2017年に邦訳された「生まれてこないほうが良かった」の訳者の一人である小島さんは、「反出生主義は攻撃的な思想で悪の秘密結社のような発想と思われがちだが、全然そうではない」と強調する。「生まれてくる以上は苦しみがあるので、その苦しみを減らしていこうという考え。害悪を増やすのはよくないので、子どもは産まない方がいいという話になる」
ただ、ベネター氏が主張するような反出生主義は、「(後で死ぬより今死んだ方がよいという)死促進主義ではない。生きてしまっている自分を大切にしましょうという考え方」と説明する。
さらに、「始める価値と続ける価値は違うというのが重要」と語る。生まれてきたのは自分の意思ではなくても、「じゃあ死んだ方がいいかというとそれは違う。われわれは始める価値はなかったけれど、大抵の場合は続ける価値はある人生を生きている」。
小島さんは、ベネター氏のような考え方の人が、特に若年層で増えていると感じている。貧困が進み、アルバイト代を生活費に充てる貧しい学生も多い。
「生きていることがつらければ、生まれてこない方がよかったと思うのは当たり前。切ない話だが、実感として反出生主義が受け入れられやすい世の中になってしまった」と分析する。
残りの人生どう生きるかのヒントに 早稲田大・森岡正博教授
反出生主義には、さまざまな考え方があるというが、森岡さんは「簡単に言えば、全ての人間は生まれてこない方がいいし、全ての人間は産むべきではないという思想」と説明する。

森岡正博・早稲田大教授
森岡さんによると、哲学の世界では2000年以上前から同様の考えが存在。古代ギリシャでは「生まれてこないのが一番いい」と誕生を否定する考えが見られ、古代インドには、「生まれることは苦しみだ」という思想があった。
20世紀になって、出産を全面否定する考えが加わった。「日本でよくみられる反出生主義は、子どもを産むべきではないという主張が多い」と森岡さんは指摘。その理由について、そう考える人が実際に増えた可能性のほか、「考え方は昔からあったけれど、言語化されなかった可能性もある」という。
一般社会では、これまで出産はほぼ肯定的に語られてきた。産むことを否定的に捉える考えは「すごく目新しいし、見る人にとっては衝撃的だと思う」。
森岡さんは、2020年に発表した著書「生まれてこないほうが良かったのか?」で、ベネター氏の主張を批判的に論じた。人生の大事なことを快か苦痛かという2つだけの要素で考えることは単純化しすぎで「人間が生きることの多様性が無視されている」と語る。
自身が反出生主義に共感する部分もある一方で「既に生まれてきてしまっている人が、誕生否定的な考えを持ったまま死んでいくのはすごく残念。有限の人生を生きようとする人が、残りの人生をどうしたらいいかを考えるヒントや、議論の下敷きにしてほしい」と期待する。
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この記事を見ている私たち、皆さんは他人の苦しみを理解できる方々なんだろうと想像します。ニコニコしながら暴言や暴力を加える人はこのページにはあまり来ないでしょうね。人生を親、学校職員、社会に振り回されてきたので、私も生まれたくありませんでした。生まれることにYES NOは言えなかったので生きてるだけです。法律の範囲内で、自分で選択しましょう。友人も家族も学校も給料を払ってはくれません。言い返すか逃げましょう!
自分のことを異常だ、弱虫だと思わないで。学校内で暴言と暴力があると教職員は隠そうとし、裏金議員は逮捕されず、殺人の冤罪で人が40年も拘束される社会です。世の中の仕組みが異常なんです。これらに怒りと悲しみを感じるあなたは正常です!
とにかく自分の遺伝子を次に繋げたくない この自分の気質HSP、非定型の脳タイプ…周りの人と明らかに何か違う、仕事、人間関係いろいろうまくいかない、生きづらい…もう自分で終わりにしたい
まあしょうがないよね、生まれてきちゃったんだから。碌でもない家庭に生まれたけど今はもう家を出たので、あとはせいぜい前向きに生きようとしてみるさ。ただのそれだけ。子を持つことには慎重になるね。コーヒーを飲んだら漫画を読もうかな。
生まれて来なかったら、毎日行きたくもない学校に行かなくて良かったし、自分の時間を破壊する塾にも行かなくてよかったし、家庭教師も来なくてよかった。親の暴言や夫婦喧嘩も聞かなくてよかった。お金のことも考えなくてよかった。こんな自然のない場所で生きなくてよかった。家賃も悩まなくてよかった。後、家族や自分の葬式の心配もしなくてよかった。(ってそれが心配で産んだ面もあるでしょう)
色々思います。
ただ親の年代は、25歳で売れ残りやら、そうやってまんまと引っかかったのでしょう。深いこと何も考えてないのです。今だって、友達に話しても、「じゃあ最期一人でいくの?」しか返って来ません。つまり子供の気持ちはみんな全く考えてないのです。自分のことしか考えてないのです。私はもし産まれるなら、ハイジとかムーミンみたいなゆったりした暮らしがしたいです。つまり人口多いから絶対に出来ないのです。増やすから=幸せ。それは違うのです。エゴのぶつかり合いになるだけだそうです。
自分だって、生まれてこないならそれでよかったのです。ちなみに少子化問題は、どうやら違うみたいです。人口増えすぎて、子供を産まないようにするしか方法ないそうです。もし増やすなら、質素な暮らしと菜食なら大丈夫だそうです。が無理でしょう。
人間は生まれない方がいいと思う。人間は生命のピラミットの一番上にいて、他の動物を殺し、命を頂きながら生きて行かなければならない残酷な生き物です。そればかりか、自分たちの欲のため自然も壊すとんでもない生き物だからです。
下のカチワレ様のコメントを読んで。
最後の段落にある森岡氏の発言『既に生まれてきてしまっている人が、誕生否定的な考えを持ったまま死んでいくのはすごく残念。』は、子どもを作ることの是非に触れたものではないと思います。
森岡氏の著書「生まれてこないほうが良かったのか?」では反出生主義を「出産否定」と「誕生否定」とに分けておられます。
森岡氏のいう「日本でよくみられる反出生主義」、すなわち子どもを産むべきではないという主張のことを森岡氏は「出産否定」と呼んでいます。対して「誕生否定」は「自分は生まれてくるべきでなかった」という考えのことだそうです。2つは関連してますが別の考えなわけで、誕生否定でないけど出産否定という方も当然おられます。
この記事の最後の段落にある森岡氏の発言は誕生否定にのみ触れています。つまり「日本でよくみられる反出生主義」について述べられたものではないわけです。
記事中にもう少し説明があればわかりやすかったかと思います。
産まれなければ性犯罪に合わずにすんだし、精神科に通う必要もなかった。子どもが生まれて女の子なら自分と同じ目に合う、ならば生まれないほうがいい。少なくとも被害に合わないのだから。
……という理由から個人的反出生で産まなかったのですが、ネット検索すると私と同じ考えの女性がちらほら出てくるため、社会的要因もある程度あるのでしょう。
本記事の最後の文章に違和感、です。私は別に自分自身の人生に対する希望的観測の欠如から反出生主義を掲げているのではありません。
子どもって半分は自分の遺伝子が入ったとしても自分の分身では無いです。支配したく無いけど、ある程度支配しないと生きていくための知恵をつけてあげられない。自分の人生にそんな矛盾が欲しくないんです。幸い夫も同じ考え方をする人なので、うちはずっと2人です。
余談ですが、中学生くらいの頃から妊娠したら頭痛薬が飲めなくなるのが嫌だなとか、カフェイン入りのコーヒーが飲めなくなるのは嫌だなとか、太りたくないな、とか思ってました。今でも昔の自分に全く同感です。自分でもなかなかくだらない理由だなと思いますが、産む側が嫌だと言ったらそれが全てです。そしてこういうことを言うと「子どもが欲しくても授からない人に失礼だ」なんて言われますが、私が産めるけど産まない人間なのか、産まないから産めないことに気づいていない人間なのかは、蓋を開けてみないと分からない。そしてひたすらに生殖を善とする社会が、やっぱりちょっと不思議です。
親と喧嘩したとき何度も産まんかったら良かったと言われたことありますが、私自身も本当に生まれたくなかったです。お互いwinwinの関係でありません。
親はなぜ産もうと思ったのか、私はなぜ産まれてきてしまってのでしょうか。。。
ほんとに産まれてきたくなかったです。例えお金持ちでも。お金持ちより生まれてこないほうが勝ち組です。競争することなく無でいられるから。
親は軽い気持ちで産んだのでしょうが、ほんっとうにに産んでほしくなかった。最初から存在なけらば。。。
この世が努力で幸せになれるまともな世界ならともかく、理不尽の塊の世界だと分かっていながら、どうして一握りの大富豪や権力者でも無い人が、不幸になるのを分かっていて子供を持とうと思うのか理解出来ません。
「生まれてきたくなかった」は、思ったことある人は少なくないだろうと思います。生まれてきたら、病気にかかったりハゲてきて悩んだり…。生きていなければ悩みも苦しみもないわけですから。
ただ、「生まれないほうが幸せ」という主張は、論理的に違和感があります。まず、「幸せ・不幸せ」は、その思いを抱く主体(=現に生きて存在している自分)がなくてはあり得ないものなので。
子を生み出す親サイドの考えで言うと、今の日本で子を持つのは避けたほうが良いのではないかと思う。子どもの自殺者数が高止まりしている。統計を取り出した頃よりずっと子どもの数は少なくなっているにもかかわらず。これは、生まれてくると非常に苦しく生きづらいという現状を如実に物語っている。
どうしても子どもが欲しい人や、自分自身が夢を持ち生き生きと人生を歩んでいるような人(子どもに良い手本をみせられる人)以外は子を生み出すのはやめておいたほうが良いと思う。環境面では、地球沸騰化で子どもと一緒に夏を越すのも一苦労、スマホの脅威から子を守ることは非常に困難。何より、親子関係で苦しむ人は多い。
最近、人間の能力とは何だろう?とよく考えます。人間は平等な能力を持って生まれてなんて来ませんし、赤ん坊は白紙では生まれてきません。生まれつきの差は厳然としてあります。天は二物を与えずなんて大ウソ、世の中には二物も三物も、いやそれ以上持って生まれてくる人もいます。
例えば、ピアニストだけど医師でもある、東大生だけど優秀なスポーツ選手でもある、等。片や生まれつき能力が低く努力ではどうにもならない人もいます。私の妹は最重度の知的障害者です。私自身も大した能力はないです。
一昔前に比べて社会は非常に高度化しました。昔はそこそこの人でも普通に暮らせたかもしれませんが今は違います。能力的にも環境的にも恵まれた生まれ育ちの人はいい人生を送れるでしょうけど、能力的に恵まれず環境的にも恵まれない生まれ育ちだとどうにもならないように思います。
だから恵まれた人だけどんどん子ども作れば?と思います。私は生まれてこなければよかったと、子どもの頃から現在までずっと思っています。
生まれることに、生きることに意味はない。必ず死ぬし、死には苦しみがほぼ伴うし恐怖も伴うが幸せや幸福は伴うとは限らない。
全ては運であり、世の中見てわかるように運がいい人よりも悪い人の方が多い。
資産だけ見ても一部の人間が独占し、大多数はほぼない状態。
だったら最初から生まれてこない方がいい。これ以上不幸を増やさないためには反出生主義は当然の考え。
どうでして私は生まれたの?どうして嫌な仕事をして稼いで生活しなきゃいけないの?お金、ないよ苦しいよ。もう楽になりたいよ。
人の事信じれないよ。自分も信じれなくなったよ。助けて。でも助けてって言えない。死ぬのも怖い。痛いのやだ。なんで産んだの。どうして生きなきゃいけないの。もう面倒くさい。安楽死制度作ってください。もう無理です死にたいです
私も幼少期の頃から産まれたくなかったと感じています。
若い頃はいい仕事に就いたら、お金持ちになれたら、いい人と巡り会えたらこの感情は薄れるかもと期待し努力してきました。大方納得いく成果を得ましたが、それでも消えたい気持ちはなくなりません。
幸福を手に入れても生きる意味に直結しない、ましてや不幸な体験を背負っては尚のこと。
理性を持った人間なら子を持つことに躊躇するのは至極真っ当なことだと思います。産みたい人だけ産めばいい。
人口減少に伴うデメリットを唱える人もいますが、人類にはテクノロジーがあるのですから。
これからは少ない人口で豊かに暮らす時代だと思います。
若い頃からケアラーで自分の事を真剣に考える事はありませんでした。それに加えて中学の頃から家庭内暴力の標的になりました。暴力を受けてる時に消えればよかった。それでも家族が大好きでした。
自分さえ我慢すればと思ってました。
今は尽くしてきた家族が亡くなって激しい喪失感で立ち直れず。希死念慮が消える事もありません。子供を軽く産む人もいますが真剣に考えるべきです。世間体のための出産なんて自己中もいいとこです。
私は自分が産まれてきたことに後悔しています。それを両親に言って悲しませてしまいました。自殺する勇気がないから生きているだけです。大人になってから発達障がいも判明し、ますます生きづらくなりました。
こんな私も一応夫がいるのですが、夫婦というより親子です。私が子供で夫が親。日々助けられ、夫なしでは生きていけません。夫はこんな私でも好きだと言ってくれますし、自殺しようとしたところを止められたこともあります。本当に情けないです。仕事も、何度も休職して迷惑をかけています。こんな私が子供を持つ資格なんてない。子供に同じ思いをさせたくない。この世は地獄です。
夫は今のところは子供がいなくてもいいと言ってくれていますが、本音ではほしいと言うことも察してしまっています。子供を産まないぶん、死ぬ気で働いて納税するから許してほしいです。私の日常を奪っていく、子供などいりません。夫に捨てられたくありません。こんなわがままな私でも、今日も無駄に生きてます。お父さん、お母さん、ごめんなさい。私は、産まれてきたくなかったよ。
反出世主義に深く共感します。自分は独身未婚ですが結婚したいと思ったことがありません。それは世の中の悲惨さに耐えられる精神がなく生きづらい弱いメンタルだからです。
ただ一つだけ気になることもあります。反出世主義を突き詰めれば人間のみならずそもそも宇宙が存在しないことが善であるということにいきつきます。
始まりもなく終わりもなく無である永遠の静寂の世界こそが最善であるからです。これは宇宙を創った創造主に敵対する考え方になるかもとおそれます。
自分はメンタルが弱く精神的に辛い事に耐えられないので身内からの言葉一つなとも傷つけられ立ち直るのが困難です。結婚なともってのほかです。
子供にこの遺伝子が受け継がれると子供も苦しむ事が目に見えているので創造主に逆らった考え方ですがお許し願いたいと思っております。
また悲惨な戦争や人身売買、性的虐待などのニュースを見るにつけ反出世主義であることが自分の心の救いにもなっております。怖い世の中にどうすれば対処できるのか絶望しかありませんか反出世主義者として存在を消していくと考えると気持ちが落ち着くのです。
人が罰を受けるために産み落とされる地
地球という名の監獄
略して「地獄」
このサイトが学習用タブレットで開けてよかった
何で生まれなきゃいけないんだよと思った事が何回もあります。
だっていじめられてメンタルぐちゃぐちゃにされたのに親は、ホスト狂なので僕のことなんてきいてくれない
いっそのこと死んでしまいたい。
私は、この世も天国も大嫌いです。母親がキリスト教信者で、幼い頃から毎週日曜日教会へ連れていかれてました。
聖書にある“汝の父と母を敬え”という言葉。くそ食らえでした。神は世界を創った創造主だとか、皆の罪を引き受ける為に十字架にかかってくれただとか。
もともと人間と世界を創ったのは神なのに、何が罪だよって感じです。
神は悪魔です。苦しんでいる人間を観てほくそ笑んでるに違いありません。
本当に神がいるとして、慈しみ深き神ならばこの世界を創らなかったでしょう。人類も存在していなかったと思います。
母親も父親も、その先祖すらも嫌いです。産まれていなければ、結婚する相手と逢わなければ、途中で血が絶えていれば、私は生まれていなかったでしょう。まさに奇跡です。聖書によく出てくる馬鹿みたいな二文字。
この素晴らしい人と人との繋がりを、奇跡を、私の代で断ち切ります。
ベネターの主張は産むとその後の苦痛諸々が発生するから産むのに反対ってやつじゃないのけ?単純にそこじゃないのけ?
自身が逆境に在ることから生まれなければよかったっていう考え方をしてる様な意見が見られるな。じゃあお前さんはその状況と反対なら、人生イージーモード、勝ち組だったらどう感じるよ? それで感じ方が変わるなら論旨を取り違えてるって事にならないか? まぁ、これは記事とかぶるか。
生まれて来なければよかったは俺も思うんよ、正直悪くない家庭に育ったけどさ。面倒くさいんだ、生きてくの。んでさ、そういう気持ちって落ち込んだり嫌な気分になるじゃん?
だからそれを払うため忘れるため興味があるものを片っ端から齧ったり、識者、偉人が遺したものを読んだりして気を晴らそう、光を探そうとするわけ。
んでさ、こう思うの。「えっ!?ちょっと待って、人生ってこういう事死ぬまで続けるの!?」って。楽しいときは忘れてて苦しいときは逃げようと藻掻くの。
そんなの求めてなんかいないのよ。めんどくせんだわ、生きんの。こういう生まれてくると発生する害の部分をベネターは言ってるんじゃ?
でもさ、この国では生存権は保証されどもその反対の権利は無いんだよな。生まれてくる人以前に今ある人たち自分自身にも関心が無いのか?
あと現状がうまくいってないやつに一応言っとくと、時間経つと変わること山程あるから。3次元じゃなくて4次元で動いてるから世界もあんたも。どんな姿勢を取るかははあんた次第だけどな。まぁ、これも記事に実例あるわな。
「死にたい」と思うことは、ヘンなことではありません。日本財団が2022年に行った調査では、15歳~19歳の「約2人に1人」が死にたいと願い自殺を考えたことがあるという結果がでています。死にたくなるのは普通のことなのです。
しかし、前述のとおり自殺とは、個人の問題でなく、社会の問題です。あなたが弱いわけでも、悪いわけでもない。
他サイトからの引用だが、こんな病んでる国に産むなんて。何のために産むのか、希望があるのか切実に教えてほしい。
私は、元々反出生主義ではありませんでしたが、これまでの自分自身の境遇を振りかえる機会があり、反出生主義の考えを持つようになりました。
この世の中には、生きていても自分自身ではどうしようもできないことがたくさんある。私自身、学生時代は「いじめ」、社会人では「パワハラ」、プライベートでは相手の精神疾患による婚約破棄など自分自身ではコントロールできないことで当たり前の幸せが壊され、人生がめちゃくちゃになった。
正直、巻き込まれた方はたまったもんじゃないし、一体自分はどれだけ苦しめばいいのか、こんな地獄を見るために生きているんじゃないのになと毎日考えてしまう。
「反出生主義」、「出生主義」の方も共通して言えることは「今生きている人も、これから誕生してくる人も、人間誰しも幸せでありたい」ということである。
しかし、現代社会では、この「全員が幸せに生きていける」というのが限りなく不可能のように感じてしまう。
こういった話は、家族や友人には話しづらいので、自分の気持ちを書けたこと、そして少しでも共感していただければ幸いです。
私は今大学生ですが、子供は絶対に持たないと決意しています。
平均的な人であれば、不安のない生活を送るためには最低でも6年は勉強という努力を重ね、就職をし、そこから40年以上も労働という努力をしなければいけません。
しかも今ですら老後や年金の心配をしている中高年が増えてるのですから私たちが中年になるころにはさらに大きな不安となっていることでしょう。
生きるためには努力をしなければなりません。人によっては生きることこそが努力ということも有り得ます。
幸せな人がいたとして、それは幸せになるために努力を重ねた人のうちの中のひと握りの人達なのです。
母親が私を産んだ理由は、元々子供は好きではなかったが友人の産んだ赤ちゃんがとても可愛いかったからだということでした。
母親は私を産むまで大変な人生を歩んできたようですが、私を産んでからは幸せだと言っています。皮肉にも出産とは「産む側」が幸せになるための行為なのです。
だから生まれてしまった以上幸せになることを求めると子供を産みたいという結論に至ることが多い。しかしそこに「産まれる側」の意見は考慮される隙はありません。
「子供を産んだ方がいい、幸せだよ」という人はある意味で自己中なのです。産まれたら簡単には生きられませんし、簡単に死ぬことも出来ません。
また、自分が努力なく幸せに生きてきたという人がいるならばその人は子供をもちたいと思っても全然おかしくないし仕方の無いことだと思いますが、自分が苦労して生きてきたのに、自分の子供はそうはならないだろう、自分がそうはさせない、というのは何の根拠もない妄想にしか過ぎません。
この苦労した人が幸せになるために、次の苦労する予定の人を産むという負の連鎖はそろそろ断ち切るべきだと考えています。
ガザ地区のニュースを見るたびに「なぜこんなに戦争で荒廃した過酷な地域でも平気で子供を産み落とすんだろう」といつも疑問に思う
戦争もなく治安も比較的いい日本は少子化がひどいが、ガザ地区は子沢山、戦争のある地域は絶対に子供を産ませないでほしい
日本もいずれ戦争に巻き込まれるから産まれた子供は兵隊に取られ戦わされる未来が待ってます
反出生主義がもっと世界中に広まってほしい、人が産まれなければ戦争もなくなる
取材者さんは良かれと思って反出生主義とは違う意見を載せたのでしょうが、「努力を惜しまなければ幸せを得られると思う」という意見にまた暗い気持ちになりました…
あれはやるべき努力ができる人しかこの国にいないと思っての意見だと疑ってしまうんです。重い精神的不調や各種依存症の問題があり努力するのも専門医やカウンセラーの助けが必要なのに、本人も周りも費用を捻出できない人もいる現実を知る気がないからあの発言ができる
また個人的経験として、その時どう努力すべきかをまともに判断できない、なのに結婚出産で家族を増やす人がいるのも問題だと認識してます。私の実母は早期に離婚したいので養育費ゼロでいいと「自分のための努力」を優先し、責任持って子育てするために貧困に巻き込まない努力を後回しにしてしまった。自分の幸せのための努力を常に優先しては皆で失敗するから安易に子供を持ってはいけないし、反出生主義者も次々と生まれるんです
ヒトは不均質であり不平等なのは昔から変わってないんです。だから反出生主義に関係があろうがなかろうがせめて国や社会の助け、理解者を増やそうという人もいますが、
「全員私の知ってる努力や知恵の活用をすればいいだけだよ」「別な選択肢や対策増やそうなんて意見は大して重要じゃないよ」との口出しをする人は毎回現れるし、そんな人に合わせられない人や何も教訓を得られなかった人の困難を見ても改善に興味を持たない政治家や国民は減ってないんです
ヤングケアラーで勉強時間の確保も難しい子やカルト宗教二世で貧困と辛い環境を強いられる子の存在は一部で問題視されましたが、本人の可能性を狭めてるんだから対策用意してやれと実際に口にした人はどれだけいましたか? 本気で人々に努力して幸せになってほしいのなら、現状に無関心なせいで口先だけの発言をして終えるのはやめてください。
国民の無関心や無理解が解消されてないのを見て余計に産んでもいい人生を送らせられないと思ったのが私です
子供を産むかどうかという話になったとき、どれくらいの夫婦が「産まれてくる子供にとっての幸せ」まで考えているのでしょう。
子供を産む理由なんて、親の都合ばかりです。産まれる前の子供は喋れないので当たり前だと思うかもしれませんが、「子供はこの世界に生まれて幸せだろうか」ということを考えるくらいできます。それを、どのくらいの夫婦がしているんでしょうか。
生まれなければ、病気に苦しむことはありませんし、老いの苦しみも、いずれ来る死の苦しみも、その他あらゆる苦しみもなんにも味わう必要が無いのです。だというのに、それに勝る「産まれてくる理由」なんて存在するのでしょうか?私はずっと考えてきたけど、答えは見当たりません。
人間がいると、環境は破壊されるばかりです。人間のせいで、住処を追われる動物たちがたくさんいます。人間の発展など、よく考えずとも、地球のためにいいものではないことは誰でもわかると思います。
それでも産む人の神経が私にはわかりません。
人間はゆっくりと数を減らしていくべきです。これ以上の苦しみの連鎖をとめるために。
生まれてこないことが1番の幸せです。
・宝くじでお金持ちになっても、強盗に狙われる可能性ある
・生涯不労所得確定しても、いずれその生活に飽きる
・美味しい食べ物を食べると幸せと言うが、そんなのは一瞬だけ
・寝ると幸せは現実逃避してるだけ
リスクあるなら生まれないことが幸せって分かりますね
ひとり親ひとり子(母63歳、私24歳)
母がだんだん老いて、ひとりではできないことが増えていくたび、私は母のために生まれてきたのではと思うことが多くなりました。
「元父が子どもが欲しいと言うから産んだ。私はそんなに子どもは欲しくなかったんだけど…」と母は私に説明します。
結婚、出産を考えたい時期に親の体調や介護、今後のことを考えると将来に前向きになれず、子どもが欲しいなどと彼氏から言われると(彼氏は親が元気できょうだいもいて両親揃っている) 苛立ちを覚えるほど気持ちにゆとりがありません。
私の現状、日本の政治、日本の社会では反出生主義であることは自然だと思う。
本当は自分のことだけを考えて生きてみたい。
同時に、生かされてしまった人を楽にしてほしい。
貴媒体が子どもや子育てについて、育児の辛さへの共感だけでなく、相反する考えを取材し、意見やメッセージを受け付けていることに驚きました。特に、反出生主義というマイノリティの声を掬い上げている点は非常に貴重だと感じています。
記事公開から1年半以上経過しているにも関わらず、今なお反出生主義の女性から多数の共感コメントが寄せられている事実は、本心では抱えながらも、社会的な妊娠・出産の圧力によってある種タブー視されている現状をよく表しているのではないでしょうか。この現状に対し、私は強い問題意識を持っています。
具体的には、このようなタブー視が、周囲からの圧力によって不本意ながら出産を選択する状況を生み出しかねないだけでなく、人々が他者の苦しみに目を向けず、自分本位な判断をしがちな社会構造を助長しているのではないかと考えています。
人々は結局、自分勝手なのではないかと感じます。他人が苦しんでいようと「それはその人の責任だ」と目を背け、自分の子どもはそうはならないだろうと楽観視する。産まれた時は手放しに祝福するが、いざ社会に出るとなると、無能だとか仕事ができないだとか、コミュニケーションが下手だとか、自分の役に立つかどうかしか考えず、役に立つか否かは育ってきた個人の責任だと思っている。このような風潮は、断じてあってはならないものです。
さらに、産まれて人生を生きる権利があるなら、自ら苦痛なく死を選ぶ権利も当然として保障されるべきではないでしょうか。「簡単に人生を諦めるようになるから安楽死はだめだ」と言う人たちは、希望者の人生をどれだけ背負う覚悟があるのでしょうか。口先だけで何の手も差し伸べず、あるいは税金目当てで、彼らを金づるにしか見ていないのではないでしょうか。
私は子供を産んで後悔して7年ほど毎日苦しいです。私の子供には重い障害があります。教育、医療、育児、移動何をするにも手間がかかります。
人は子供と親は選べないと学びました。
子供を持つことの負の部分を知って、母親になるか、ならないかの選択をしたかった。私には妊娠前にその教育が必要だと思った。
私は二度と子供を持たない。ずっと後悔しながら、生き続ける子供を捨てることもできず、喜ぶこともできないまま生き続ける。母親放棄する事は世間体にも制度上もハードルを高く感じます。外で笑顔に過ごし、子供に八つ当たりをしている自分がいます。
慰めのような言葉いらないので、私の子供、私の知らない世界に連れて行って欲しい。
今大学生で資格の勉強しています。思えば例え受かってもADHD持ちの私は働きたくありません。別のみちで子供産むにも子供は可哀想で産みません
ゆく道道が絶望しか無くてほんとに頭おかしくなります。やってられませんね。世間の人はこんな辛い世の中で頭おかしくならないのでしょうか
なぜ昔の人はこの世を「世界」と名付けたのでしょうか。この世は「地獄」で、あの世が「世界」なのでは。
産まれてきたくなかった。寝てる時が一番の幸せです。寝たままぽっくりといけばいいのに
若い頃は親の暴力がありながらも、未来があるとなんとか頑張って生きていました。あとは当時は余り情報がなく、辛いながらも生きるしかなかった。
私は余り頭がよくないので深く考えず、子供を産みましたが、子供が20歳で自殺しました。
私に似た性格で、この世界で生きるには辛かったと思います。生まれてきたくなかったとも言ってました。
愛情をかけて育ててもやはり性格が似ると生きづらいという感覚まで似てしまうのだと感じました。
夫に似た性格の兄の方は同じ地域、環境、学校でも楽しく生きています。同じ辛い事柄があっても感じ方、捉え方、回復までの時間の長さが兄弟でも全然違うのです。
まるで私と夫が正反対の様に。
この世に生をうけて楽しく生きられるか、どうかは遺伝子できまる部分が大きい気がします。
もちろん環境もありますが、良い環境であっても幸せを感じる事があっても、真に生まれてきて良かったと思えない性格の人間もいると思います。
若い頃は親が愛情を注げば、子供は幸せになると思っていましたが、若い私がこのサイトの様な考え方を知っていれば、子を産むことをためらっていたと思います。
貧乏でも見た目が悪くでも明るい性格で人生を楽しんでいる方もおられます。大した不幸がなくても人生つまらないと言う人もいます。
私の性格は生きるには向いていないので、この遺伝子はなくなって欲しいと感じる様になりました。
子供産むのは慎重に考えるものだと思いました。
死にたいと言うと、「日本に産まれただけで運が良い、アフリカの子供たちや北朝鮮の子供たちを見てみなさい」と言ってくる自己愛者がいるが、そもそも仏教は輪廻転生の考え方で、死んだらその国に産まれ変わりとしてその国に産まれる可能性もあるんだよね?
そんなリスクあるガチャ回したくないし、そもそも産まれなかったら、そういう国の状況知らなくて良かったし
「日本に産まれただけで恵まれてる」との意見を目にすると、なんで自分は恵まれてる国に産まれたのに上手く生きていけないんだろうと自己嫌悪に陥ります。
最近は子供は観賞用金魚と一緒だということに気が付きました。「自分が寂しいから」「子供を育てることで自分の成長を感じられる」「親の言う通りにしなさい」等
良く言えばペット、悪く言えば観賞用金魚ですよ
本当に(笑)
「死んだ後は、天国に行きたいなー。地獄はイヤだから、悪いことはしないでおこう」と小さい頃は考えていた。ところがビックリ、この社会が地獄だったとは。
一生懸命生きるほど、心身がボロボロになっていく。良心を殺して生きなきゃならない。親孝行なんてする気にならない。
子どもは親の言うことを聞くものだ!親に意見するなんてとんでもない!と、人の意思を軽んじてきたんだから。
記事では、哲学の専門家の見解が述べられていますが、私には内容がサッパリわかりません。どうせなら現場でカウンセリングやNPOでの活動を通して苦しんでいる人を助けている人を教えてほしい。残りの人生、苦しみを減らしたくてこのサイトにたどりついたのだから。
脳の障がいで、育ってきた環境の影響で、他の大多数の人たちが経験していることを自分はほとんど経験できないまま、もうすぐ中年に差し掛かろうとしている。
例えばいまだにキスはおろか女性と手すら繋いだことがない。ちなみに現在39歳です。性の経験が無いというのはこの社会ではかなりのスティグマであると感じています。
「この世界は楽しいことや素晴らしいことに溢れている」そんなふうに言われるたびに死ぬほど腹が立つ。自分には何の縁もないのだから。飢餓の自分の目の前でご馳走を食べている様子を見せつけられるような残酷さを感じながら生きてる。
人生が拷問に近い。生まれてきたのに、この世界に生きているのに、人生は一度しかないのに、ほとんどのことを経験できないまま、虚しく時間だけが過ぎてく。自分はただ他の人たちが楽しそうにしているのを、分厚いガラス越しに眺めるだけ。最大の皮肉だと思うし、最初から存在しないことよりも遥かに残酷なことだと思う。
生まれてきたことを恨んでいるし、自分の体が憎い。なんの障がいもなくて、家族にも恵まれて、自分の経験できないことを経験している人間達のことも心の底から憎んでいる。そんな醜い自分のことも。
こんな思いするぐらいなら生まれてきたくなんてなかった。今は何もかもが憎いです。
こんなにくるしんでいるのに公にはできないという二重のくるしみ。このサイトを見つけて、自分だけじゃないんだと知って心がやすらぎました。
うれしさやたのしさがぜんぜん、無いわけじゃない。でも心身の苦痛や、老いや病や貧困、まわりの者に先立たれるかなしみ、そして最後は自分におとずれる死という究極の恐怖。それらのものに見合うほどのうれしさやたのしさやよろこびが、果たして人生のなかにあるだろうか?こんなおもいをしてまで本当に生まれてこないといけないのだろうか?
人間は自由だと言う人は多いけど、実際は何もえらべないまま生まれて、後ろから追い立てられるように大人になって、それなのに最後には死しか待っていない。くわえて現代ではもう、死後の幸福な世界を信じることも難しい。何の救いもない。ワケワカンナイまま生まれて、ワケワカンナイまま死ぬ。人間は一度生まれたが最後。死ぬまで自分の体に縛りつけられている。肉体は監獄で、人生は死ぬまで終わらない懲役。
こんなこと誰にも話せなくて、他のどこにも書けなくてとてもくるしかったです。
結婚したい相手もいない。子もいらない、ただ早くぽっくりと1人で死にたいと思うようになってきてる人です。
覚悟はできてる。生き物は皆産まれたらそういう末路だから
このまま少子化で増税、年金払いは増え貰える額が少なくなる。世の中に子を産みたくはないって思ってます
子供も老後も見てくれる人もこれからどんどん居なくなる。米も食べられなくなるだろうと、
あと、アメリカみたいに日本の男子には魅力がありません……自己中な方が多くとても自分は呆れてしまいました
自分が良ければと結婚したい理由が家政婦がほしいだけ寂しいからだとか…まるでこれじゃ親と子 夫婦なんていう話じゃない…
弱々しすぎる……2次元の方がほんと良いとか思ってしまう
女は産むのにリスクが伴う反面、夫は何もしないとイライラ。女が何もしなければ夫が女に対してイライラ…
兄弟皆県外にでて自分は県内でほんとにショックしかないし出ていきたくもなくなってしまい、地元の近いとこで車も費用高いので持てず夢見てきてたのにもういいやと思ってます
生きてきて幸せなことももちろんありましたが、常に苦痛を感じてきました。自分の性格や容姿、体質を子供に遺伝させることで子供は苦労するでしょうから、子供は諦めました。
自分自身の不幸には諦めがつきますが、子供の不幸にはきっと耐えられないと思うからです。
本当はそんな気兼ねをせずに子供を産みたかった。何も深く考えずに子供産める人がうらやましい。大した苦労もせず生きていたんだろうなと憎しみすら抱いてしまいます。
「ある一人の人間の人生が、自分が産むことで始まる」。その意味合いを子供を産む方はどこまで考えるのでしょうか。それとも深く考えてすらないのでしょうか。
子を産むのは自由であって欲しいと思いますが、生まれてくる子供のことを、これから一から生きる人間のことを、落ち着いて真剣に考えて欲しいです。
結婚して7年。子供を持つかずっと悩んでます。
理由はいろいろありますが、今のこの世に生まれるのはかわいそう。両親や友人、職場の人はみんな、子供を持つのが幸せだと言います。そんなの分からない。私の気持ちは理解されないと感じます。考えすぎて辛く、考えるのをやめたいけどやめられない、といった感じです。
自分自身は生まれてこれて良かったと思っています。両親にも恵まれました。幸せに過ごしてきました。それなのに自分の子供を持ちたいと思えないところに後ろめたさを感じるのです。
何が正解なのか分かりません。
小学生の時から生まれてこなければよかったと思っていた。今は結婚して、旦那と二人暮らし。家事は進んでやってくれて、私のすべてを受け入れてくれる。暗い私をいつも笑顔で照らしてくれる。
そんな旦那は子供を望んでいる。私は子供がいらないと思っていたが、結婚して一緒に暮らしてみて、旦那となら子供を産んでも幸せに暮らせるのではないかと思う。
何が正解か分からない。皆さんの意見を見るとやっぱり子供をもつことが怖いと思える。考えれば考えるほど分からない。産んでも不安、産まなくても不安。不安が渦巻く。
昔から、ぼんやりと死にたいと思ってきました。小学生の時、魚釣りに行って川を覗き、ここで溺れて死ねたらすべての苦痛から解放されると考えたり、わざと全速でこいだ自転車の車輪に足を突っ込んだり。大学二年でようやく病院に行き、鬱だと診断されました。(反出生主義に出会ったのは大学の講義で。)四年生では教授からのパワハラ(卒業させないぞ等)、就活の惨敗、部活動でのトラブルなどにより自殺未遂。いまは療養中で、反出生主義についてずっと考えています。
もともと、両親は幼い頃に離婚し、その後すぐ母はチンピラ上がりの酒浸り男を連れ込みました。母の彼氏は平日でも昼間から酒を飲み、酔って私をなじります。妹と比べて私なんかが会社にきたら最悪だななど。母はいつもそれを見て、知らないフリ。毎日自分の部屋で暴れているか、泣いているかでした。
大学にも苦労して入りました。私立大学のスポーツ推薦の話が来たのに、レギュラーになれなかったとき、授業料が発生するのではという懸念から、スポーツ推薦は却下され。公立大学の学費も、受ける前から毎日のように母と、離婚した父がいくら払うのかで橋渡し役をしました。私は授業料年間十数万ですが、妹は何故か年間百万円以上の専門に何一つ揉めることなく母が全額払いました。
差別を感じながら、苦労したら報われると信じていました。しかし、人生に待ち受けるのは絶望です。苦痛です。なぜ生まれてこなければならなかったのか、私は頼んでいないのに。では、そもそも生まれてくることが間違いなのでは?と思い至りました。子どもはかわいいから生みたいと言っている人は、本人には言いませんが非常に無責任だと思います。
生まれてこないことこそ、最大の幸福です。生まれてきたいかどうか、赤ちゃんに確認できるシステムだったらな、と思いました。
結婚して3年経ち、子を設けるか悩んでいます。もし授かれば、その子には出来る限りの幸せをあげたいと思うし、生きていて良かったと感じてもらいたいです。その反面それはエゴだとも思いますし、私自身生きていてしんどかった時期もあるので、同じ思いをしてほしくないという気持ちもあります。だからといって『反出生主義』が世の中の人にとって善だとも言い切れません。ただ、こういう考え方の人もいるんだ、と認めてほしいなと思います。
今日の一見平和な日本において、少子化が進んでいることこそ、(この言葉は知らずとも)反出生主義がベースに流れている証拠でしょう。
私も反出生主義に賛同する者ですが、別に、今すぐ死にたいとは思いません。生まれてきたからには、また自分の仕事を全うするためにも、健康に留意して、仕事に励んでいます。
ただ、現世で頑張るから、いつかあの世に行ったら、先にあの世に行った愛犬とのんびり過ごしたいと思ってしまいます。この世という地獄で、生まれてきたくなかったのに、一生懸命生きたのだから、もう許してほしい。
友人知人には言わないが反出生主義です。妻はいますが子供は敢えていません。生まれてくることで痛みや苦しみが生じます。しなくていい苦労だと思っています。
子孫には一つの苦労もしてほしくないです。これは私の愛情、優しさからの想いです。
ご先祖さまには悪いですが私の代で終わらせます。親や祖父母には育ててもらい、助けてもらい感謝しています。今の生活にも満足しています。ありがとうございます。
人間という存在は、
生きる事や子孫を残す事の他に
欲が特に多い動物だと感じます。
そしてその数が増えれば増えるほど、
問題が増えるのです。
生まれなければ、
痛み、苦しみ、悲しみ
何も知らずに済んだはずなんです。
いっさい問題のない
綺麗なままでいられたのです。
元からない『無』だったら
どうだったのだろうと…。
何故人は生み出されるのでしょうか。
そもそも生きているだけで苦痛を感じるし、多くの動物を殺さなきゃいきていけないから、人間は増えないほうがいいと思う
偶々この記事が目に入ったので書き込みます。37歳の男です。両親が出来婚で、自分が生まれてすぐ離婚、父親を見た事が無く、母親の体質も弱く(各種アレルギー、気管支喘息、自律神経失調等)見事にそれが自分に遺伝、平均から比べても相当貧乏な母子家庭で育ちました。
母からは「弱い体に産んでしまってごめんね」と言われた事があります。聞いた瞬間、色々諦めがついたというか、自分は生まれて来るべきではなかった存在だと思ったのを覚えています。バックグランドが劣悪な場合、子供は作るべきではない。そもそもそれ以前に、異性と出会いのある人生になるとも思えない。
大人になり、自分が所謂アスペルガー、自閉症という事が判明し、いよいよ先が見えなくなってきています。人間不信でもありますし、親を恨んですらいます。1人で育ててくれた母親には大恩がありますが、「そもそも無責任に子作りをしなければ」「一時の情事に流された結果、劣悪な命が生まれたのでは」という結果論が生きている限り付きまとうのです。
24時間365日、自分の存在価値を疑問に思いながら生きています。迷惑をかけない死に方が存在しないのは苦でしかありません。
他コメントでは当たり前のように既婚者、子持ちの方が見受けられますが、劣悪な遺伝子と確信してる自分の場合、出会いを避けるようになります。幼少期、家ではずっと一人だった故に寂しいという感覚もよくわかりません。
私は私自身以外の方の出産や子育ては祝福できます。ただ、今相手がいる状態で将来を勝手に予想図立てますと、何故子を産むのかについての答えは出てませんし、行動にも移せてないです。
私の周りには過去からの縁により10人くらいの子供と関わっているのと、彼らの成長と人としての純粋さや周りとの関わり方を見ていますがとても良い子達で、まだ見ぬ我が子より今居るこの子達を見守り良き将来への手助けをすることに勝手ながら幸せもきちんとあります。
私の主人とも仲が良く、僕が世話すると言ってくれて仲良くしてくれてまして、じゃあ安心だね(*´︶`*)ノと全く将来世話してくれることに不安も無いです。
こんなにも小さい子も大きい子も仲良く居るのに十分過ぎるのですが、やっぱり産まなくちゃいけないのかと単純な悩みは変わらないんですよね。因みに妊活も雑な始め方してますので、選択として未だに出来てません。
自分に合わないゲームを途中でやめても一部のお金と時間と労力が無駄になるだけ、命まで差し出す必要なんて全くないけど人生は……、って考えると子どもを持つ気にはなれません。
私は反出生思想を持っています。「主義」とまで言わないのは、友人で子供を産み育てる人も多く、それに対して「おめでとう」という気持ちはありお祝いもするので、あくまで個人的な考えのためです。
「生まれてきたくなかった」こう言うと不幸な身の上だと勘違いされますが、両親に恵まれ大きな不自由はなく育ち、愛をたくさんもらってきました。友人もパートナーもいて、趣味もあります。だけど、それでも「生まれてきたくなかった」のです。
生まれてしまったから、せめて楽しく生きたい、限りある時間を充実させたい、と日々行動しているに過ぎません。幸せだなぁ、楽しかったなぁ、心からそう思い家に帰り、夜ベッドの中で生まれてきたくなかったなぁ…と泣きながら眠りにつきます。
自分が子供を産んで、もし同じように反出生思想を持ってしまったら、きっと苦しいでしょうから、私は子供を産みたくないです。ただすでに生まれてる命には幸せになってほしいので、友人の子や地域の子どもたちには優しく接しています。
二人目の子供の可能性あってどうするか迷うときあるけど、やっぱいいやと思えるようになった。子供かわいいけど自分の人生ってそれだけじゃないし。
夫婦なんて所詮他人。子供は夫婦に必要だと思えるけど、一人で十分。
早く仕事引退していつか独りになって自由になりたい。
生まれてしまったからには、死ぬことしか確実なことがない。
「努力すれば」「生きていれば」というのは、勝手な希望でしかないと思う。
2月に結婚するが、夫も私も「親からの育て方しか分からないから、親のような子育てをしてしまいそう。親のようになりたくない。」「自分の子供が障害者や犯罪者になった時に責任が取れない。」という思いが一致しており、子供は産まないと決めた。
私は夫と出会い、夫との日々をなるべく長く過ごせるように生きていくと思うが、別に生まれなくても良かったと感じる。
子供を産み育てている人たちとはお互い理解し合えないので、深い関係を持たないようにしている。
産みたい人が産めばいいと思うので、「産むことが正義である」「産んだ私たちは偉い」「子供は全員尊い」という考えを押し付けるのはやめてほしい。
結局のところ、生と四苦八苦はセット売りなんだから生は罪だと言う単純至極な話ですよね。
幸福な時もあるということは反証にならないし、それをどう感じる生きるかは本人次第と言うのもまったく反証にならない。宝くじのあたりとはずれを同時に手渡されるようなもの(当たりくじは条件付きだし、はずれくじはたいてい高額)で、この思想は子供がもらった宝くじをどう使うかではなく、宝くじをわたす「親の是非」の話なので。
ちなみに、これは生まれてしまった僕らが真摯に生きることと相反しないので、僕はきちんと生きます。子供は作らないけれど。
反出生主義の人達の考えは人間の誰もが経験することだと思う。生きていれば様々な精神的かつ肉体的な苦痛があり、それが嫌で生きたくない、死んでしまいたいと思ってしまう。先の人生などは誰も知り得ないが、今の不幸を享受し続ける人生だったならば、生きてる意味はないのか?など思う。
ここからは自分の話になるが、僕は生まれつき体が細く難聴で家庭も貧困と周囲と比べて不遇を与えられてきた。僕以上に困難がある人達もいるが、僕もまたその困難を苦痛をたくさん経験したと思う。
死にたいと思うこともあった。マンションに住んでいたので飛び降りたらどうなるんだろうとベランダで下を眺めながら想像したり、ナイフを手首に当てたこともあった。だが直前で怖くなりやめた。勇気がなかったのかも知れない。
昔から臆病なのが幸いし今も生きている。だが生きてしまったと思っている。別に自分の人生で何も楽しいことがなかったわけではない。無論幸せな日々もあった。楽しい日々もあった。だが、時折自分に絶望する。生きている意味はあるのかと。幸せに生きることはできないかもなと。。
僕は生きている中でいずれ聴力がなくなる。どんなに薬を飲んで抑えても、その成長の日々でみんなの声が聞こえなくなっているのを感じるのだ。これは絶対に来る未来だ。無駄に消費した薬やその生きてくためのお金、これから消費して生きる意味は価値は自分にあるのかと思う。
僕はただ幸せに幸福にただ普通に暮らしたい。それだけだ。生きたいのか死にたいのかそれはまだ分からないが、ただ何も思わずに自由になれるのなら、それだけでいいと思った。また生まれてくるのなら、ただ家族と友達とそして自分とただ自由な日々を暮らせるのならそれだけでいいと、その為だけならばこれから百年後に死にそして、生まれてきても良いと思った。
人間が皆同じでないことなど知っている。ただ自分はそう思った。その為だけならば悪くないと。
公表されている上では生殖能力は女にしかないのだから、わたしは施設で育つ子供たちにもっと税金とかかけてあげて、子供が欲しい人には子どもを、子どもが欲しくない人には出産だけ手伝って貰えばいいんじゃないかと思ってしまう。
勿論出産にかかる費用や生活費は国全体で出す。じゃなきゃ人類は滅びるし、先人が気づいてきた文明の進化も淘汰されるし、自分たちが年老いた社会を支えるのは誰?って話になる。
国が育児にお金出さないとか育児のためのお金を子どもじゃなく自分の至福のために使うバカ親に渡るくらいなら、育てる人と育てないでお金を出す人に分けてしまえば、親ガチャに外れて苦しむ子どもも減るんじゃないかな。
施設も18過ぎたら出てくってのも、自分の親に育ててもらったから幸せ的な洗脳を植え付けるから不幸に感じるだけで、ちゃんと育ててくれる人と養育費があれば、誰が育てても明日食べるお金がないとか進学できないとかの絶望感よりよっぽどマシだと思う。
自分の遺伝子を持った生きづらい子を産むくらいなら産まない、産んでも私はうまく育てられないだろうから産まない、そう思って過ごしてきました。
結婚した時「この人なら私のマイナス思考を上回る楽しさや喜びを子供に与えてくれるかもしれない」と思ったけれど、自分の病気により今は子供が望めないとわかった時ほっとしました。それと同時にそんな自分の人生に誰かを巻き込みたくないと思い離婚しました。
酔って暴れる父だったけど、毎日ではないし普通の生活はできていました。姉妹も普通に健やかに成長して家族を築いています。「普通って何?」とも思いますが、41歳シングルは周りからわけありとも見られます。
私は養護教諭をしています。社会的養護が必要な子供、家族に苦しむ子供をたくさん見ています。なぜ大事にしないなら子供を作るんだろうと思います。
経済的に満足いかないのに子供を持とうとする気持ちもわかりません。親の気持ちに十分に寄り添えない分、大人になっても子供目線でいられることはこの職業にとってある意味大事なことだと思い、今はそんな自分に少し満足しています。
口には出しませんが、子供を持つ人はそれに見合う立派な人なのだろうか、子供と一緒に育つと言ってもスタート時に「自分は親になれる」と自信がもてる気持ちがわかりません。そんなにあなたは立派なの?と思います。
「ただ子供がほしい」「かわいいから子供がほしい」「子供がほしいは当たり前」の感情もわかりません。この年になり結婚や出産について触れられにくくなり、やっと楽になってきました。
産むのと同じでできれば死にたいと思います。死にたいより、生きていたくないという感じです。そんなこと言いながらも、大笑いするし、美味しいものが好きだし、旅行もするし、友達も彼氏もいて、仕事でも期待される立場にあって生活しています。
でも、自分の存在を消すようにいなくなれたらと思います。それは無理だから自死ための行動はしないですけど。
こういう話ができる場所は少ないのでありがたいです。いつかそういう思いの方と本音で話してみたいし、そういう研究者の方とじっくり話してみたいです。このようなテーマを扱ってくださりありがとうございます。
毒親ではなかったが物心ついたときからなぜ生まれてしまったんだろうと思っていた。
50代になって私がいなかったらうちの家族どうなってたんだろうと思うことが続いた。全て私が引き受けた。父は早く亡くなったが母と独身の兄と姉を看取る義務が私にはある。
私は結婚した流れで子どもを授かった。子はかすがいで今まで家庭は続いている。しかし、息子はこんな世の中で希望は持てない日本だから子ども作って良いのかなと言ってる。私も結婚するまでそう思ってたから。同じこと言ってるなと。
自分としては、結婚してからは幸せになったと思ってるし生きていくことに迷いはない。
不幸な境遇、生きづらい社会や時代でなければ生まれても良いという意見が散見されます。しかし、釈迦は王族の子として生まれ、何不自由のない生活を送りながらも、人間の根源的な苦しみに悩み、出家をしました。
人として生まれるということは、境遇や社会、時代に関係なく、すべて苦しみである(一切皆苦)ということを釈迦は述べています。反出生主義の研究者はこのことを主張したいのでしょう。
生まれてきたのはしょうがない、生きることはすべて苦である、しかし自ら死ぬのはとても難しい。ではどう生きるのか。そこが反出生主義の目指すテーマであるように思います。
文中に出てくる森岡氏は、著作の中で反出生主義を「誕生否定」(生まれたことを否定する考え)と「出産否定」(人を作ることを否定する考え)とにわけています。私は森岡氏の考え自体には賛同しませんが、この分類は話の整理のために有効だと思います。
「生まれてきたことを肯定すること」と「人を作ることを肯定すること」、そして「なるべく幸せに生きること」は、関連するにせよ、すべて別の話でしょう。
人間を作ることは倫理的に悪だと私は考えます。お酒を飲みたい、車で帰りたい、代行を頼むとカネがかかるし、翌日取りに来るのも面倒……それでも飲酒運転という選択肢は選ぶべきでないですよね。「自分を騙して」とか「思い切りが大事」とか、そういう話ではない。それと同じです。
この記事の前編に「作らないと決断した側」としてコメントした者です。
反出生主義や産まない選択について非学問的な観点から語られるときに、不幸な家庭環境がバックグラウンドにあると誘導されがちです。前の記事も、こちらの記事もそうでしたね。私も夫も、両親から愛されて育ったと思います。愛し方が誤っていた可能性はありますが、そんなのは誰にもわかりません。
何かを決めたり主張したり議論を成すとき、必ず「誰かのせい」にしたがるこの社会性も、私が子を産まないと決めた一つの要因です。
様々な要因が絡み合っているはずなのに、「子どもがいらないということは、君たちは両親に恵まれなかったんだね」という話に持って行かれてしまう風潮は非常に苦しく感じます。私たちの選択であり、私たちの問題であり、仮に両親に問題があったとしてもあくまで主軸は私たちです。
コメントにはまったくフィードバックないので反応がわからないが書いてみる。
「反出生主義」―この言葉はすごく人生観を曲げさせる。この言葉を知ったとき何かヘンだ、と感じたのは、「主義」と付いているから。
主義と付くと、“自身のみならず、場合によっては他人に押し付けます、これに反対の人々とは私は対立します、”といった心を含む。そして社会に壁を創る。わざわざ意固地に壁を創っても何にもならず、それ以上変われない。
まさに、所詮理解されない、と勝手に創った壁の前で独りで結論を出す人のように。
ベネターについて、彼の主張を導く事由があることは理解できるが、同氏の結論は理解できない。推論が、わかりやすい結論ありきの子供だましなので受けがいいように思われる。従って論理として成立せず空論。ただ、結論に疑問を持ってもらうためのとっかかりには良いだろう。
反出生主義の話題のはずなのに、話が進むにつれに生きる事を美化する流れに変わる時点で終わってる。
結局は反出生主義は誰にも理解してもらえない。
記事中にある愛知県の親子の話は、そのまま私と21歳の娘のことです。息子さんの言葉はそのまま娘の言葉と重なり、年齢も引きこもり状態だったことも同じです。
「反出生主義」という言葉も頻繁に使っていて、最近まで強い希死念慮もありました。15歳までの家庭には緊張感があり、外でもなかなか人を信頼することが難しい様でした。
ただ、妹が人生に前向きで様々なことに挑戦し努力する様子を見て、自分がいなくなったら妹が辛い思いをするのではないか? 妹の人生を台無しにしたくない、という思いもあった様です。あまり人と関わらない、週に数時間のアルバイトを続け、来週からはもっと長い時間で多くの人と関わる仕事を始めます。
私も50代ですが、昨年国家試験を受けて新しい職に就きました。言葉ではなく、身近にいる人間が意欲的に前向きに生きているのを見ることで、人生に何か意味があると考えてくれるのかなと思います。
娘に「生きている意味がわからない」と言われ続け、自分自身はそんなことを考えたこともなく生活してきましたが、これからの人生で答えを考え続けることになると思います。
私も子供の頃からずっと生まれてこなければよかったと思っていました。
父は機嫌が悪いと突然切れて暴力を振るう人でした。私は子供の頃から、ずっと父から暴力を振るわれていました。暴力を振るいながら、お前なんか生きている価値もない死ねとか、誰が食わしてやってると思っているんだ、とかいろいろ酷いことを言われたので、なんで子供なんか作ったのだろうと思っていました。
両親の夫婦喧嘩も激しくて、父が母に出刃包丁を突きつけたり、殴ったり蹴ったりしていました。私と妹は震えながら、喧嘩が収まるのを待ちました。
母はいつも私に父の悪口を言いました。私は母を可哀想に思い、両親の間に立って仲裁をしようとしましたが、無駄でした。それなのに母は私が父から暴力を振るわれても、庇ってはくれませんでした。そんな時は母に何で産んだんだ、こんな辛い思いをするなら、産んでほしくなかったと言いました。
私はこの世の中は誰も助けてくれないから、一人で生きていこうと思いました。父からの暴力は私が高校を卒業するまで続きました。
父からの暴力から逃げるため、一人暮らしをしている元夫と付き合って妊娠して結婚しましたが、何故か夫からも暴力を振るわれるようになり、二人の子供を連れて離婚しました。
シングルマザーとして、仕事をしながら子育てをしました。何故か何処の職場に行ってもセクハラ、パワハラにあいました。私は子供のためだと思い我慢しました。
子供のころから自分に自信が持てず、人の顔色ばかり見ていたからかもしれません。
今は子供も成長して孫もいます。両親は病気で亡くなりました。今までいろいろありましたが、今は落ち着いて生活しています。
ただ生まれてきて良かったのかどうかはわかりませんが、孫が可愛いので、少しでも長生きしたいと思っています。
子供を育てて幸せ、っていう発想が害悪なのよ。自分が幸せになるための道具として子供を作るっていう意識の表れ。成人してしまえば責任を取らなくてもいい他人になるのだから、と。
誰が産んでくれと頼んだのか。望んで生まれてくる子供など存在しません。子供を育てて幸せになるというエゴのために、幸せな人生を歩めるかどうか分からない人間を一人生み出してしまう。皆がそういう利己的な考えの結果生まれてきて、またそれを再生産する繰り返し。永遠の地獄です。
いい加減その地獄を終わらせませんか、というだけの話です。今は避妊も堕胎も出来るのですから、性行為と出産は同義ではありません。生き物を育てたいならペットを飼えば良いだけなんです。
子供いるけど産んで良かったとは思わないし自分自身産まれなければ良かったと思う。
端金配ればいいってわけじゃない。社会的に子供を育てて幸せっていう国じゃない。
産もうと思えば何人でも産めるけど産む価値のない国。生活の保障もない何の安心感も満足も得られない国。