【虐待防止月間】壮絶な虐待を受けたイラストレーターの美聖さん(27) 子どもを死に追い込むくらいなら、母親をやめたっていい

9月に退院した美聖さん。抽象画は、文字に色を感じる「共感覚」という感覚刺激から描いている(写真はいずれも本人提供)
きっかけは中学受験の勉強
季節の行事を大切にする母で、体にやさしい食材にこだわる手料理はおいしかった。虐待がいつから始まったかは分からないが、思い出せるのは小学3年生くらい。父の勧めで中学受験をすることになり、学校と塾以外の時間も勉強漬けだった。リビングのテーブルで宿題をしていた美聖さんがひと息つこうと顔を上げると、台所から菜箸や陶器の湯飲みが飛んできた。「休むな!」と、夕食の支度をする母が怒っていた。
勉強に疲れ、母がトイレに行った隙に答えを書き写したこともあった。子どもだったから、それっぽく1カ所くらい間違えるなどの細工はせず、全問正解。怪しんだ母からおなかを何度も蹴られた。母は「○○ちゃん(友人)は勉強ができる。あなたは何ができるの!」と叫んでいた。
唇をぐっと噛んで耐えるうち、意識を失った。切れた唇を縫ってくれた病院で、「お母さんにやられたと看護師さんに言っていれば、(今のような)病気にならなかったかもしれない」と大人になった今なら思う。
当時、母は仕事から帰宅した父によくうそをついた。「この子、宿題やってないよ」。すると、父からも馬乗りで殴られた。それでも、母が悪いとは思わなかった。小2の時、同級生が担任から褒められた作文をクラスで読み上げた内容が頭にあったからだ。
「お母さんに怒られることは、ありがたいことなんだと思いました」
美聖さんも「そうか、ありがたいんだ」と、耐えた。母は後にうつ病になり、受験は免れたが、脱衣所で馬乗りになって濡れたぞうきんを口に詰められるなど、「家の全ての場所が虐待の現場だった」

「大勢の中のただの1ぴき」 ただ目の前のことに一生懸命に向き合って、悩んでまた次の壁に当たったら、その時自分にできる精一杯のことをしてみな生きている。そんなひとつひとつの尊い人生が大勢の中のただのひとりになってたまるか
突然、自宅から消えた母親
児童相談所に一時保護されたのは、中学2年生の時。顔の傷に気付いた担任が通報した。1カ月して、母方の祖父母宅へ。でも祖父の持病が悪化し、最終的に実家に戻された。髪の毛をつかんで振り回されるなど、体にあざができない暴力に変わった。
このころには美聖さんも成長し、抵抗するようになった。「出て行って」と突き放すと、母は「今追い出されたら食べていくお金がないの」と泣いて土下座した。
ある日、修学旅行から帰ると、母は大量の作り置きを残して姿を消していた。「本当にこれでよかったのかな…」。突っ伏して、何時間も泣いた。
突然怒ったり、涙が出たり、気持ちが不安定になることが増えた。自殺未遂をして児童精神科に入院したのもこのころ。感情の制御ができない複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)、トラウマから自分を守るために突然意識を失う解離性障害などと診断された。

幼児退行という症状が起きている時に描いた絵(下)を、21歳の時にまねて描いた作品
心に色を取り戻した入院生活
初めての入院生活は1年10カ月も続いた。1日に何度もフラッシュバックして虐待を再体験した。暗く深い海の底に、逃げられないほどの無数の手で引っ張られるような感覚。看護師は、背中をさすりながら静かに泣いてくれた。
思いを吐き出すように絵を描き始めたが、当初、病室で描いていたのは真っ黒な顔の人ばかり。「このまま自分も黒くなって消えてしまいたい」と泣きながら、黒い色鉛筆を半分くらいかみ砕いたこともあった。
でも、寄り添ってくれた看護師にありがとうと伝えたくて、黄色やピンクで描いてみると、「上手だね」「かわいい」と褒めてくれた。喜んでくれる笑顔がうれしくて、次々と色鮮やかな絵が描けるようになった。
19歳で入院した先は、分厚い二重扉の保護室。「このまま死んだら、誰にも気付かれない。生きたい」と初めて思った。「いつか個展を開き、助けてくれた人に『生きているよ、ありがとう』って伝えたい」。それから作品を描きためるようになった。
感謝を伝えたいのは、通報してくれた先生、児相や病院の職員、病気になっても変わらず遊んでくれる友達、自分の知らないところで支えてくれた人…。「花が咲くのはいつになるか分からないけれど、惜しみなく種をまいてくれた人たち。いつか私の作品を見つけて、安心してもらいたい」

「Vacancy」(空虚)何も考えずに苦しみながら描いた
子育てを一人で抱え込まないで
2022年、高尾山近くで建設中のギャラリーを見つけ、夢は実現した。「死にたいとずっと思ってきたけど、本当の幸せに近づいているのかも」。4年で描きためた14作品が売れた。
その後も、グループ展やカフェで展示して、作品を伝え続けている。
ただ、ふいにやってくる「死にたい」という衝動に抗えない時がある。入院は40回を超えた。母親とは中3以降会っておらず、虐待からは逃れられたが、心の傷は癒えていない。
うまくいかないと感じることがあった時、虐待経験からくる認知の歪みを自覚しようと、気持ちを書き出し、出来事を捉え直す作業に取り組んでいる。体調の異変を感じると、「もうだめだ」と諦める前に、薬を飲んで休むことも意識し、再入院しないための努力を続ける。
それでも、母親を恨んでいないという。「何もしてくれていなかったら、0歳の時に死んでいる。今私が生きているってことは、愛情を注いでくれた時期もあったということ。お母さんにも助けてくれる人がいてほしかった」
「自分で育てるのが難しいと感じたら、周りの人に『この子を育てることを手伝ってほしい』とお願いすることも、愛情表現の一つだと思う」。一時預かりやショートステイなど、行政の支援はさまざまある。「子どもを死なせてしまう前に親権を手放し、子どもに後見人をつけるという選択肢もある」と美聖さん。一人で抱え込まず、支援にたどり着いてほしいと願う。

「涙の誤魔化し」化粧水を塗り回しながら浸透するのを待っているけれど、目からも水分が溢れ出て永遠に塗り終わらない。それでもごまかすように手を滑らせ続ける
美聖さんの他の作品はHPから見られます。
なるほど!
グッときた
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美聖さんが経験した辛さの何倍もの嬉しいことをこれからの人生で手にしていってほしいと思いました。
辛さを経験した人だからこその優しさ、忘れることのなかった暖かさが美聖さんの絵から溢れていて、ぜひ個展を見に行きたいと思いました。もしもいつか絵本などを作られる日が来たら読んでみたいです。
済みません。考えがまとまらないなりでも、言いたい事があったと思うのですが、安易な意見や感想などを述べられる場ではなかったようです。自分には経験する事がなかった世界、何かできることはあるのでしょうか?
必死に頑張っている姿はいとおしいです。一人で無いです。必ず身近の人達が支えてくれますよ。若い 若いよね。いいこといっぱい有ります。人生捨てたもんじゃ無いですよ😃まずは5年後 10年後の明るい美聖さんの姿がわたしには残念ながら見えないでしょうがその日の真っ青な太陽のように輝やいていることでしよ う❗️
美聖さんのことを紹介してくださりありがとうございました。想像を超える苦しく辛い経験をされていらっしゃいますが、生きていてくれてありがとうとお伝えしたいです。素晴らしい作品の数々、拝見しました。絵に元気をいただく人がたくさんいると思います。ぜひ、一度実際の作品を見てみたいとも思いました。遠くから応援しています📣