【虐待防止月間・上】児童養護施設の職員は「心の家族」 社会活動家・山本昌子さんが引き継ぐ愛のバトン

 親の虐待から生き延びた若者を支える東京都の社会活動家・山本昌子さん(31)は、自身も親のネグレクト(育児放棄)で生後4カ月から19歳まで乳児院、児童養護施設、自立援助ホームで育った。「施設で育って幸せ」という山本さん。お世話になった職員との日々を胸に抱き、家庭的な温もりを感じてもらおうと、自宅の「まこHOUSE」を開放している。
 11月は児童虐待防止推進月間。国がさまざまな事情で実親と暮らせない子どもを、施設から家庭養育へとする方針を打ち出して13年。児童養護施設と里親のもとで育った2人の女性の言葉から、社会的養護のあり方について考えた。
 
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ふらっと立ち寄っても泊まってもOKな「まこHOUSE」を開放する山本さん

児童養護施設で育って「幸せ」

 母親は20歳上の父親と結婚し、山本さんを授かった。父親の親族から歓迎されていなかった母親は家庭内で孤立し、山本さんを置いて家を出た。父親に放置されて衰弱した生後4カ月の山本さんは、親族によって病院に運ばれ、医者は「あと1~2時間遅ければ死んでいた」と言ったという。

 実親と暮らせなくても、幸せだった。

 2歳で児童養護施設に移った時、職員は、当時好きだったキティちゃんの箸や茶わん、ぬいぐるみなどを買いそろえてくれた。施設を小規模化したグループホームで、2階建ての一軒家。子ども6人と、3人の職員がローテーションで過ごす。当時、職員は朝10時から翌朝10時までの24時間勤務。ただ、勤務簿では、深夜12時~6時を休憩時間としていた。

児童養護施設で暮らしていた頃の山本さん

 山本さんは、「今ではありえない働き方だと思うが、ずっと一緒にいてくれてうれしかった」と話す。

 今でも「育ての親」と慕う卜部(うらべ)みや子先生と、中学3年の時に定年退職するまで12年をともに過ごした。「靴をそろえなさい!」「肘ついてご飯食べない!」と厳しい人。幼い頃は「くそばばあ、早くやめちまえ」とさえ思っていた。怒ると迫力が、他の先生と違う。一方で、他の子より少し早く起きた朝、「内緒だよ」と言って果物を食べさせてくれるなど、「特別な時間」を用意してくれる人だった。

「愛されている」と感じられた 

 山本さんは、小学校では悪さばかりしていた。入学式で気に入らない子をいきなり蹴飛ばしたり、教室のロッカーの上に並ぶ夏休みの工作を(プロレス技の)ラリアットで全て落とし、自分の作品を真ん中に置いたり。自分からは謝らない子どもだった。

 ある日、卜部先生にきつく叱られた。夕日が差し込む部屋で、先生が悲しそうな顔をしていたのを覚えている。「私、愛されているんだな」と感じた日だった。

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児童養護施設を出た後、卜部先生(中央)を囲んで

 先生とおしゃべりする時間も好きだった。高校生になると、夜10時に寝たふりをしてから静かにリビングに降り、朝3時まで話し込んだ。「なんで人は生きるの」「先生は何が生きがい?」。答えはないけれど、ひたすらおしゃべりする。自分の思いや考えを整理できた。

 山本さんは、施設出身の仲間2人とユーチューブ番組「THREE FRAGS-希望の狼煙-」で社会的養護について発信している。8月に卜部先生にインタビューした際、先生は幼少期の山本さんを「常に周りを敵だと考えていたようで、気を張って、心情はいつも大変なんだろうなと思っていた。本当はけなげでとってもチャーミング」と振り返った。 

 親の悪口を言わないことを徹底してくれていたのもよかった。山本さんの父親はよく面会に訪れたが、仕事が忙しくなると「来る」と言っていたのに来ないことが増えた。「お父さん来ないね、忙しいのかもね」と否定せずにいてくれたことで、親の人間性を自ら判断できたという。いつも外出のたびにおもちゃを買ってくれる父親に対し「甘やかしすぎですよ!」と注意するほど、気心が知れていた。

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施設を出た後は、身寄りのない孤独感で苦しんだ

施設で受けた愛を今苦しむ人へ

 山本さんは、施設で育った若者に無償で振り袖の撮影会を提供するボランティア「ACHAプロジェクト」も主宰している。その活動やSNSでつながった若者は500人ほど。コロナ下の2020年にはオンライン交流会を始めた。直接集まれる場所として、居場所事業はたくさんあるが、台風の日には閉めないといけない、大みそかには集まれないなど、泊まり込みで安心して行ける場所がない。理念に共感したNPOから安く古民家を借り、2020年8月から「まこHOUSE」として開放する。毎月15日に集まる会を開き、全国から15~30人ほどが遊びに来る。その他の日は予定が合えばふらっと立ち寄るのも泊まりもOK。

 アットホームな雰囲気を大切に、一緒にご飯を作ったり、温かいお風呂に入ってふかふかの布団で寝たり。集まる会では、季節の行事を楽しむ。ひたすらおしゃべりする夜もある。山本さんは料理が好き。シチューのルーから手作りするような施設で育ち、一緒に作りたくて、いつもみんなと台所に立っていたからだ。

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ACHAプロジェクトで振り袖を着て撮影した写真を振り返る山本さん

 山本さんが育った施設には複数のグループホームがあるが、別のグループホームで暮らした子どもの中には、「施設での暮らしは好きじゃない」という子もいる。「施設がよかったというよりは、信頼できる職員(大人)と出会えたかによると思う」と山本さん。一緒に育った子どもたちをきょうだいのように感じられるのは、卜部先生だったから。本当の家族のような空間を生み出してくれたことに感謝している。

 卜部先生が、退職して九州地方に暮らす今も、「心の家族」という大切な存在。元気が出ない時には会いに行く。「調子乗ってるからだよ」と厳しめの言葉をくれる人だけれど、一緒にいるだけで笑顔に戻る。山本さんは今、先生にしてもらったことを虐待で傷ついた若者に返している。「虐待されて育った人がトラウマを抱えながら生きる中で、『死にたい』と思うことがあっても、その気持ちを変えることは私にはできない。楽しいなと思える時が一瞬でもあったよねという時間を一緒に過ごしていけたらいい」

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山本さんが虐待経験者にインタビューした著書

国は「施設」から「家庭」へを後押し

社会的養護の充実を目指し、国は2011年から原則として「家庭養護」を優先し、施設もできる限り家庭に近い養育環境に近づけることを呼びかけている。社会的養護に詳しい立命館大の石田賀奈子教授は、「質の高いケアを目指すためには、心理や発達を含む領域を横断した連携の必要がある」として、家庭養育の推進や施設の小規模化だけでは質がともなわないことを懸念する。施設のメリットは複数の専門職との共同生活を通じて、子どもが多様な大人と触れ合う機会が持てる点だという。「子どもが育った環境に起因する、発達などの課題解決のために、専門的ケアが受けられる施設の方がいいという見立てもあれば、里親家庭で過ごしつつ外部の専門職とつながった方がいいという見立てもある」として、施設の職員や里親を支える専門職の充実を訴える。

山本昌子(やまもと・まさこ)

1993年、東京都生まれ。保育士の専門学生だった21歳の時、お金がなくて振り袖を着ていないと知った先輩「あちゃ」さんから撮影をプレゼントされうれしかった経験から「ACHAプロジェクト」を発足。コロナ下、虐待経験者に食料支援をすると、自粛生活で虐待の恐怖がよみがえり、入院するなどしていたため、返送されることが相次いだ。「虐待は大人になって終わりじゃない」と知り、ドキュメンタリー映画「REALVOICE(リアルボイス)」を製作、無料公開している。近著「親が悪い、だけじゃない」(KADOKAWA)では、5人にロングインタビューし「虐待の後遺症」に迫った。

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  • 匿名 says:

    施設で育っても、よかったと思い、このようによい仕事をしている方がいることに驚きました。

    担当の職員の方がとても愛情に満ちた方で可愛がって育ててくれたのですね。愛情のない親が虐待したりしています。

    家庭か施設かではなく、人だなと思いました。

     女性 70代以上

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