「エロ広告」ここからは男性の声が必要〈瀧波ユカリ しあわせ最前線〉13
社会全体が性的虐待を看過している
国会で「エロ広告」の問題が取り上げられた。性行為を描写した広告がウェブサイトに表示される問題だ。
「性的な」「不快な」エロ広告と言われるが、実態はそんな生ぬるいものではない。主に男性から女性への性暴力、性虐待を思わせるものがとても多く、それらは女性にとっては屈辱的であり、子どもにとっては無論、有害だ。
先月、私はXにこう投稿した。
「エロ広告とは性的興奮の惹起(じゃっき)を目的とした『ポルノ』で/ポルノを子供に見せるのは性的虐待で/現状そんなポルノが全年齢向けのサイトに表示されていて/社会全体が子供への性的虐待を看過している状況/その責任はどこにあり、どう防ぐか?/って話はそんなに難しいかな、と政治家のポストを見て思う」
エロ広告とは性的興奮の惹起を目的とした「ポルノ」で
ポルノを子供に見せるのは性的虐待で
現状そんなポルノが全年齢向けのサイトに表示されていて
社会全体が子供への性的虐待を看過している状況
その責任はどこにあり、どう防ぐか?
って話はそんなに難しいかな、と政治家のポストを見て思う。
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) March 24, 2025
政治家が「表現の自由」ばかりを持ち出して問題を語ることへの違和感から投稿したこのポストには、1万3000件もの「いいね」がついた。

イラスト・瀧波ユカリ
「うちの子には見せなければいい」?
一方で、こんな反論も大量に飛んできた。「だったらスマホを子どもに持たせるな」「広告をブロックするアプリを使え」「子どもにネットを使わせる親が悪い」。申し訳ないが、取り合う価値もない。連絡や移動にもスマホ必須の時代にそれを使わせないのは非現実的だし、アプリがあってもすり抜けるのだから。
インターネットで調べ物をすると、性暴力描写が目に飛び込んでくる。そうして他人を支配するのが性だと誤解した子どもが、自他の性を尊重できるだろうか。それが間違った情報だと判断できても、安心できないネット環境のせいで学びが阻害されることはないだろうか。そうであればエロ広告は、子どもにも国の未来にも有害だ。そもそも国の未来を持ち出すまでもなく「子どもを守ろう」という当たり前の話が、国会ですらすぐに理解されないことが問題だ。
ともあれ、主に女性たちがずっと声をあげてきたこの問題が、今やっと社会問題として認知され始めたのは喜ばしいことではある。そして、ここからは男性たちの声が必要だと私は思う。子育て中のお父さん、エロ広告をどう思いますか。「仕方ない。うちの子には見せなければいい」と思うなら、もう少し考えてほしい。性の知識をゆがめられた子どもが増えるほど、あなたの子のリスクは高くなります。性被害を受けるリスクも、周りに感化されて性加害をするリスクも。
まずは子を持つ親たちが、そしてそうでなくとも大人であるならば、どうか一緒に声をあげてほしい。すべての子どもたちのために。
【前回はこちら】春はPTA 非効率的だけど、メリットも

瀧波ユカリさん(木口慎子撮影)
瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)
漫画家、エッセイスト。1980年、北海道生まれ。漫画の代表作に「私たちは無痛恋愛がしたい~鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん~」「モトカレマニア」「臨死!! 江古田ちゃん」など。母親の余命宣告からみとりまでを描いた「ありがとうって言えたなら」も話題に。本連載「しあわせ最前線」では、自身の子育て体験や家事分担など家族との日々で感じたことをイラストとエッセーでつづります。夫と中学生の娘と3人暮らし。
なるほど!
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記事に強く賛同します。子供たちにポルノ広告が表示される現状は、瀧波さんが指摘する通り「社会全体が子供への性的虐待を看過している状況」に他なりません。
ネット広告のエコシステムは、広告主、配信プラットフォーム、コンテンツ提供者等が絡む複雑な構造です。個々のサイト運営者が「広告配信会社を変える」や「広告をやめる」といった選択肢は、資金や技術力に乏しい小規模運営者にとって現実的ではありません。問題の核心は、子供たちが見るべきではない性的な広告が全年齢向けサイトに表示されてしまう構造そのもの。こうした構造的な課題を「自己責任論」に矮小化し、個人や小規模事業者に押し付けるのは無責任だと思います。
瀧波さんが提起する「子供たちにポルノ広告を見せることは性的虐待に等しい」という倫理的問題は極めて重大です。表現の自由はとても重要ですが、子供たちに有害なコンテンツを垂れ流す自由など存在しません。私たちが求めるのはメディアの統制ではなく、子供たちに有害な広告が表示されない仕組み作りであり、これは「統制」ではなく最低限の社会的責任です。「統制 vs 自由」という二元論で議論を妨げ子供を守るための規制を避ける姿勢は問題解決を遅らせるものだと思います。
この課題は社会全体で向き合うべきものです。子供たちを守るための具体的な対策を急ぐべきです。
瀧波さんの勇気ある発言を、いつも拝見させていただいています。
ネット広告、アニメ、マンガ、実際の人物を使ったものでもそうですが、こうしたものが始終 目に留まると、「女性を、人間としてではなく、エロいおもちゃとして弄びたい人間がたくさんいるのだ」と思ってしまい、男性嫌悪に陥る女性が増えると思います。
わたし自身、広告だけでなく、Xのやりとりを見ていても、多くの男性に対して幻滅します。
そういう投稿に群がってくる人は、一般男性の割合とは違うと思うものの、あまりにも話の通じない、人権を無視した発言の数々を見ると、どうしても男性不信になっていくのです。
リアルの男性の友人に対しては、嫌悪感を持っていませんが、
「男同士だと、どうしても話が下ネタになるよな」などという発言を聞くと、やっぱりそうなのか…と。
瀧波さんの仰るように、アプリを使ったりブラウザを変えればいいと言う人がいますが、本当に「自分が見えなければいい」という問題ではありません。
目をつむっても、それは存在し、たくさんの人が目にして、それに影響される人は後を絶たないのです。
「見なければいい」という人は論外ですね。「見るのをやめよう」と判断した時点で、もう見ているのですから。
広告の問題は、広告収入を得ているものが責任をもって管理すればよいことです。
広告配信会社に要請する、広告配信会社を変える(1社が独占しているわけではありません)、自身で広告スペースを設けて管理する、広告自体をやめるなどが可能なので、それを求めればよいでしょう。
ただ、記事中に「表現の自由」を掲げている政治家を批判していますが、広告も表現のうちに含まれるので、新たな法規制に慎重であることは当然のことです。
また、”子を持つ親たち”や”大人”の責任を問うのであれば、メディアに対して、公権力の統制を強化することを仄めかすことに対する責任も問われるべきです。