演歌歌手・水城なつみさん 「いつか吉幾三さんと共演してくれ」祖父の言葉に導かれ

草間俊介 (2022年3月7日付 東京新聞朝刊)

写真 演歌歌手の水城なつみさん

家族のこと話そう

歌手を目指して「流し」していた祖父

 高校まで曽祖父母、祖父母、父母、6つ下の弟の4世代、8人家族で茨城県つくば市で育ちました。祖父と父がトラック運転手をして家計を支えていました。そろって夕飯を食べるのが決まり事で、私や弟が学校であったことなど、たわいのないことを話し、とてもにぎやかな食卓でした。

 祖父は若いころ歌手を目指し、流しをしていて、吉幾三さんの大ファンでした。母も歌手になりたかったそうです。家の中は歌があふれ、自然に歌好きになり、歌手を夢見るようになりました。祖父も母も自分の夢を託すように、応援してくれていました。

 高校3年の10月、レコード会社の歌謡選手権に出場し、歌手への道が開かれました。重い病で入院中だった祖父が一時帰宅した際に話すと、とても喜び、「いつか吉さんと共演してくれ。それを見るのが夢だな」。「必ず見せるから。元気になってね」と約束し、2人が好きな「浪花恋しぐれ」を家のカラオケでデュエットしました。

「ごめんね」の後でかなった夢…号泣

 高校卒業で家を出る時、家族や友人らが、笑顔で見送ってくれました。母は「つくばは東京に近いけど、そんなに帰って来なくていいよ」と母なりの励ましの言葉を掛けてくれ、思わず涙しました。

 卒業した年の5月にデビュー。祖父はその4カ月後に亡くなりました。臨終の場に駆けつけ、「夢を見せられなくて、ごめんね」と呼び掛けると、力を振り絞るように「頼むぞ」と。歌手へ導いてくれた祖父、「うそをつくな。人さまに隠し事をするな」とよく言われたっけ。常に心がけています。

 デビューして3年目、ついに横浜市のイベントで吉さんと同じステージに立つことができ、終了後に号泣してしまいました。吉さんはその姿を見て、びっくり。理由を説明すると、やさしい言葉を掛けていただき励まされました。

歌好きの弟 高校卒業後に相撲の道へ

 父は温厚な性格で怒られた記憶はなく、「靴をしっかり履け、かかとをつぶして履くな」とよく言われました。深い言葉です。母はしつけに厳しく、よく叱られました。

 歌手になって同じ茨城出身の高安関に会う機会があり、「弟は体が大きいんです」というと、「今度連れて来て」と。当時高校生だった弟は体重120kg。でも、相撲は未経験。それどころか、家にこもってゲームばかり、スポーツとは無縁でした。

 ところが、高安関に会うなり一目で「かっこいい」とあこがれ、高校を卒業すると、高安関の田子ノ浦部屋に入門、序二段でがんばっています。負けないよう、がんばらなくちゃあ。姉弟で茨城を盛り上げたいですね。

 弟も歌が好きで、部屋のカラオケ大会で優勝したそうです。弟と2人でCDを出したいですね。亡くなった祖父らも喜んでくれるでしょう。

水城なつみ(みずき・なつみ)

 本名・飯塚なつみ。1994年6月茨城県つくば市生まれ。2012年10月キングレコードの歌謡選手権決勝大会でグランドチャンピオンに。2013年5月「泣いてひとり旅」でデビュー。特技は納豆レシピ考案。最新曲は今年1月CD発売の「くれない渡り鳥」。コンサート情報などは公式サイトで紹介している。

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