テルミン奏者 竹内正実さん 究極のナルシストの私に一目ぼれしてくれた妻 「奇特な人がいるもんだ」

夫婦で共に歩む生き方を語るテルミン奏者の竹内正実さん

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
11歳年上、気にしたことはない
妻(テルミン奏者の浜口晶生(あきよ)さん)とは、1999年ごろに出会いました。私がテルミンの奥深さに魅せられて、93年から3年間ロシアで修業し、日本で演奏活動を始めた頃でした。当時、妻は関西で音楽用のこぎりを使った演奏活動をしていて、私がテルミンの演奏でゲスト出演したのがきっかけです。
私は究極のナルシストですから、自分の演奏する音しか好きになれないんです。私のような人を、誰も好きにならないと思っていました。妻は私の演奏を初めて聴いて一目ぼれしたと。奇特な人がいるもんだと思いました。
妻は私より11歳年上ですが、年齢を気にしたことはありません。同じ時代に生きている。その偶然だけで十分なんです。テルミンのことを知らない人も多く常に孤独の中にいたので、心を寄せてくれる人がいたのは驚きでした。
2000年に、テルミンを発明したレフ・テルミン博士の伝記を書くために一緒にロシアに行きました。現地の空港ロビーにパスポートが落ちていて、「誰か落としていませんか」と声をかけると妻が「私です」と。事前になくしてはだめだと確認していたのに落としていた。「一緒にいると楽しそうだな」と、01年に結婚しました。
当時、映画「テルミン」が日本で再上映されて話題になり、その日暮らしだった生活が激変しました。連日、取材対応や試写会での演奏があり、全国を飛び回りました。今思い返しても、あんなに忙しかった日々はないですね。
忘れんぼうな妻の愛称は「モズ」
妻はマネジャーの役割をしてくれたのですが、全く向いていませんでした。コンサートに出るたびに、機材を持ってくるのを忘れるんです。「モズのはやにえ」ってあるじゃないですか。捕まえた獲物を枝に突き刺したまま忘れてしまう。それにちなんで妻を「モズ」と呼んでいます。
04年には教え子たちと一緒にロシアで演奏ツアーをすることになり、忙しくてできていなかった結婚パーティーも開きました。恩師が妻と一緒にドレスやベールを探して、徹夜で裾上げもしてくれました。当時はチェチェン紛争で非常事態でしたが、無事挙行できて思い出深いです。
私は16年に横浜でコンサート中に脳出血を発症し、右半身などに障害が残りました。各地の教室やコンサートには妻が代わって出演し、さらに私が入院する横浜の病院へ、自宅のある浜松から車で見舞いに通う日々。疲労の中での長距離移動が心配で、衛星利用測位システム(GPS)で妻の位置を確かめていました。
そして今年2月、今度は脳梗塞に見舞われました。妻は若いころは病気の母親の世話、今は私の面倒ばかり。他にも人生の選択肢があったのに、とも思います。
私は病気になったことも含めて人生が楽しいんです。仕事以外に興味がなかったので、今後は人並みに旅行でもして「妻孝行」できたらなと思っています。
竹内正実(たけうち・まさみ)
1967年、埼玉県生まれ。浜松市在住。日本におけるテルミン演奏の第一人者。高校卒業まで愛知県小坂井町(現在の豊川市)で育つ。大阪芸術大卒業後、音響技師を経てロシアに渡る。映画「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」での吹き替え演奏などを担当。マトリョーシカにテルミンを内蔵した楽器「マトリョミン」を開発した。
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