〈坂本美雨さんの子育て日記〉43・生きた心地がしない…を初体験 娘が大きなけがをした

(2020年9月11日付 東京新聞朝刊)

坂本美雨さんの子育て日記

大好きな森戸海岸にて、親子で海に目覚めた夏

幼なじみの家でお風呂に入っていたら

 先日、娘が大きなけがをしてしまった。きっと親でいるうちにいつかは皆味わうのであろう、生きた心地がしない、という気持ちを初めて味わった。

 幼なじみの家でいつものようにお風呂に入っていて、目を離しているときに滑って転び、パックリと顎の下が切れ、血だらけになっていた。夜間救急の病院を調べ、急ぐ車の中でふと見ると自分の指の隙間に血の跡がついていて、なんともいえない気持ちになった。

救急で「縫いましょう」と拘束されて

 救急の病室で先生が傷口をのぞき込み「あぁ…」と脱力したのが忘れられない。「縫いましょう」と一言。網のようなものでベッドにきつく押さえつけられ、泣き叫びながら縫われる娘。もちろん麻酔は効いているので処置は痛くはないはずだが、なによりも拘束されていることと、縫われている箇所以外の顔が覆われて見えないことが怖かったらしい。

 思えば彼女は産まれたての頃から、おくるみでギュッと包まれたりすることが大嫌いだった。赤ちゃんは丸くギュッと包まれるのがおなかの中にいるときのようで安心する、と聞いていたのに、包んでも包んでも、バリーーーン!とアメコミのキャラクターの衣装が筋肉ではち切れる瞬間のように解いてしまうのだった。安心、どこいった? しかし妊娠中も強い足でおなかのなかを蹴り上げられていたのは、私を押さえるな! 自由にしろ!というその頃からの強い意志だったのではないか。そんな彼女が拘束され、泣き叫びながら縫われている。痛い、ではなく、「あし!これやめて!」と。お母さんは部屋の外にいてくださいね、と言われているので廊下でなす術(すべ)もなくうずくまるしかない。ごめんね、と涙が出てくる。

「泣いて傷見られなかったんだよね」

 処置はあっという間に終わり、彼女が大好きなポケモンの動画を見せて気を紛らわせているうちに、眠りに落ちた。次の日にはもう元気に走り回り、案の定「ギュッてしばられたの!」と周りに語っていた。そして「ママはね、泣いて傷見られなかったんだよね」と言ってニヤニヤ笑う。

 この傷痕は、残るだろうか。どんなふうにけがをしたのかは忘れるんだろう。母はきっと忘れられない、あの指の間に残った血と、無力感を。傷痕はきれいに消え去ってほしいけれど、もしも彼女にうっすらと記憶が残るとしたら、あの母の慌てっぷりだけを思い出してまたニヤニヤしてほしい。(ミュージシャン)

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すくすくボイス

  • 匿名 says:

    私は、人生で2度だけ泣いている母を見ました。最初は、先天性の病と戦っていた私の弟が長期入院していたとき。母の希望で、帰宅せずに病院に泊まりこみ看病する毎日、母の身体を心配した父と弟を守りたい母の想いとがぶつかり口論になって涙しました。強かった母をもってしても弟を快方に向かわせられなかった悔しさもあったのだと思います。もう1度は、昨日まで元気に近くで生活していた私の従姉妹が、交通事故にあい、帰宅できなかった日のこと。事故を知らせる叔母の電話を受けて、発狂した母の姿を今でも覚えています。自分にも一番厳しかった母が亡くなった今思うことは、もう少しだけ心の逃げ処を持てるように、娘の私からも働きかけてあげれば良かったと。そのような訳で、坂本美雨さんはとても自然体に生活されて素敵だと、心より思います。聖歌を歌われるとき、心の声まで届けられるようで包み込まれます。お嬢様にも芯の強さを感じますので、きっとありのままの姿をすてきに表現できる人に成長されるのだろうと思います。

      
  • 匿名 says:

    小学生になる少し前、幼なじみ家族との旅行中に顎を8針縫いました。宿泊先のホテルのプールで遊んでいた時にコンクリートの滑り台で一休さんの真似をしてあぐらをかいてチーンと滑っていたらバランスを崩し顎を強打です。
    幼い時の記憶はあまりないタイプの私ですが、姉が慌てて母を呼びに行ってくれたこと。幼なじみ達が母が駆けつけるまで一緒にいて励ましてくれたこと。
    父母、大人達が慌てふためいていたこと。病院で「はい、今から縫いますよー。」という時に母が気分が悪くなり、看護士さんにうながされ病室の外に出たこと。
    幼いなりにみんなの愛を感じたことはよく覚えています。痛かった怖かったという記憶より、母やみんなが心配して励ましてくれたという印象のほうが強く残っている気がします。その後はもちろん笑い話になり、母が気分が悪くなり病室を出たという部分は特に!何度大笑いしたことか。
    私にとってはほっこりさせてくれる大切な思い出です。

      
  • 匿名 says:

    いつもInstagramと共に拝見させていただいております。私は2歳の頃、おでこの右の方に14針縫う傷を負いました。家の戸棚の取手にぶつけたそうです。もちろん記憶はありません。今でも傷は残りますが、さほど気にはしていません。
    こちらを拝読して、ふと、あの時の母の気持ちを想像しました。
    私は小学校に上がる頃から母が嫌いで、かれこれ30年ほど不仲です。20年くらい、ろくに口も聞かないまま。それでも、第一子の私が顔が血だらけになった姿を見た時、どんな気持ちだったのか。いや、その場にいたかさえ聞いたことはないのですが、もしいなかったなら、病院に駆けつけた時、自分の不在時に起きたことに対し、どんなに後悔したのか。まだ今は聞けるような関係ではありませんが、いつか聞ける日が来たら、と思います。なまこちゃんの傷、消えても消えなくても、お母さんの気持ちを憶えていて欲しいです。愛されていた証拠のように。

      
  • 匿名 says:

    つい1ヶ月くらい前に3歳息子も遊んでいて顎を切って出血しました。
    幸い息子は縫わずに済みましたが、あふれる血と傷口から飛び出た中身、そしてあの時の一瞬で日常でなくなってしまった時の感じが忘れられません…
    当の息子はガーゼをつけるのを気に入ってガーゼが取れた時ちょっとグズってました笑
    早くなまこちゃんのガーゼが取れますように。

      
  • 匿名 says:

    いつも記事を見て涙が溢れます。
    勝手ながらなまこちゃんがすくすく育つ過程を楽しみに見ています。

      

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