通園バスにシートベルトを(3)保育士の目からあふれた涙 掲載まで5カ月、担当記者の取材日記

 「通園バスにシートベルトを」の記事 は、読者から寄せられた意見をきっかけに、昨年12月に取材を始めました。「東京すくすくで、読者と一緒に考えたい」と都庁の取材を取りまとめるキャップの男性記者(49)に相談したら、「じゃあ取材経過を日記風に紹介してみたら?」。キャップの(いつもの)思いつき発言に戸惑いつつ、その苦労とやりがいをつづってみました。

石原真樹記者

取材のきっかけは読者からの意見

◇2018年9月
 都庁担当になった。東京新聞の都庁担当は当時4人で、うち女性は私1人だ。ちょうど、乗り合いバスの車内で高齢者が転倒する事故の多さを問題視した連載「危ない!バス内転倒」がスタート。都庁担当が分担して取材してきたと聞き、「都庁担当がこんな取材もするんだ」と思った。

バス車内での転倒が多いことを伝えた記事

◇12月初旬
 バス内転倒の連載に読者から90通を超えるメールやファクスが届く。その中に「園バスにシートベルトが必要だ」など、通園バスに関する意見が複数あった。「年末年始の掲載に向けて取材してみてよ」とキャップ。子どもの安全をどう守るのか、という取材はやりがいがある。興味を持って取材を始める。

読者から届いたファクス

◇12月12日
 通園バスの事故件数を、公益財団法人「交通事故総合分析センター」に電話で問い合わせる。「『幼児専用車』という分類で調べれば必要なデータが取れるかもしれないが、1週間ほどかかる」と担当者。「幼児専用車って何ですか」と基礎的な質問をぶつける。幼児のための特別なバスがこの世に存在することを初めて知った。

◇12月17日
 出張中でなかなかつかまらなかった国土交通省の担当者に電話取材。幼児専用車の安全性については、2013年に作成したガイドラインが最新で、現在もシートベルトは義務化されていないことを確認する。

幼児専用車の安全のためのガイドライン

 幼児専用車で死者が出るような事故はなく、負傷率も低いことなどを理由に義務化を見送っていた。「今後、検討しないのか」と質問すると、担当者は「引き続き(義務化が必要かどうかを)調査する」と述べるにとどまった。

小児科医・山中さんの情熱に背中を押されて

◇12月18日
 子どものけが予防活動に取り組むNPO法人「Safe Kids Japan」の理事長で、医師の山中龍宏さんに取材するため、横浜市にある山中さんの小児科を訪問。診察室で子ども用の椅子に座って話を聞く。「死者がいないから、重傷が少ないからといって、防げる事故を防がないのはおかしい」と熱く語る山中さん。子どもを守りたいという強い思いに共感する。

山中龍宏さん

 取材の途中で、同法人事務局の太田由紀枝さんも診察室に現れ、米国のスクールバス事情を語り始める。バスが停車すると周囲の車もぴたっと止まり、バスを追い越すのは法律で禁止されているという。「(米国人は)不便でもそういうものだと思ってる。何でこんなところに停留所を作ったんだと怒る日本とは大違い」と太田さん。私たち取材班の元には、通園バスの待機場所にバスを寄せようとすると「ライトやクラクションであおる車が多い」との声が届いていたことを思い出す。子どもに向けられるまなざしの厳しさやゆとりのなさは、日本ならではなのかと思うと悲しくなった。

事故を経験した保育園や幼稚園を探して…

◇12月下旬
 「通園バスで事故が起きた時、バスの中がどんな状況になっているのか知りたい」と、キャップが新たな思いつきを言い出す。「事故が起きた時の様子を取材したい」なんてお願いをしても、応じてくれるのかな…。そう思いつつ、首都圏で過去3年以内に通園バスが事故に遭った幼稚園や保育園を記事検索などで探し、埼玉県内の保育所に電話で尋ねると、事故時の状況を丁寧に説明してくれた。1月に直接、話を聞く約束を取り付ける。

 千葉県内の幼稚園関係者も電話取材に応じてくれる。園バスが停車すると、後ろに車の列ができてクラクションをブーブー鳴らされるという現状を訴え、「ベルトがあれば安全性が増すというのはその通り。でも、ベルトの着脱でさらに時間がかかると、こっちは焦っちゃう」とこぼした。ひとたび大きな事故が起きれば多くの人が死を悼み、現場に花束を供える。でも、日ごろから命の大切さはちゃんと考えられているだろうか。

◇12月26日
 交通事故総合分析センターから幼児専用車の事故データが届く。近年は年90件前後の事故があり、年30~70人がけがなどをしていた。この数字をどう見ればいいのか。少なくとも安全な乗り物だからシートベルトは不要、とまでは言いにくいのではないか。とても怖い思いをした子はいるはずだし、あす重大な事故が起きるかもしれない。

◇12月28日
 年内には記事を出したいと思っていたが、完成せず、年またぎに。昼食をとる時間も惜しく、都庁32階で初めての「都庁ラーメン」(570円)をかき込む。1年を回顧する企画で豊洲市場の開場を担当し、締め切りぎりぎりで何とか書き上げ、仕事納め。

都庁ラーメン

心の傷は2年たっても癒えていなかった

◇2019年1月4日
 仕事始め。都新年度予算案の編成作業が大詰めを迎える。小池百合子知事による査定が始まり、しばらくは予算取材の日々。

都の予算案の紙面化に向けて準備を進めた

◇1月16日
 年末に取材のアポイントメントを取り付けた埼玉県北部の保育所へ。都内の保育所と違い、広い園庭で子どもたちが走り回り、元気な声が響く。2016年、通園バスが軽乗用車に衝突され、横転した時の様子について話を聞く。バスに乗っていた女性保育士は「子どもたちがパニックになって…」と話し始めた途端、涙があふれ出した。2年以上前の事故なのに、心の傷は今も残っているようだった。運転していた男性保育士は「何が起きたのか分からなかった」と、事故の瞬間を振り返った。

通園バスが事故に遭った現場

 この保育所は通園バスを購入した時、メーカーにシートベルトを付けてほしいと要望していたという。でも、付けてもらえなかった。国交省が安全基準をつくっていれば、メーカーもオプションでベルトを用意しやすいのではないかと思った。

 「子どもたちがその後、元気に育っていることが救い」と女性保育士は最後に笑顔を見せた。思い出すのもつらい出来事を話してくれたことに感謝し、同じ思いを誰かにさせないため、記事で世に訴えようとあらためて心に誓う。

 「場所が分かりづらいから」と、園長先生らが事故現場に車で連れて行ってくれる。畑に囲まれ、視界を遮るものが何もない見通しの良い交差点。こんなところでも事故が起きるとは、というのが率直な感想。

リスクにふたをしてもいいのか 膨らむ疑問

◇1月18日
 日本自動車研究所から質問への返答がメールで届く。幼児専用車でシートベルトの着脱実験をしたところ、子ども自身でベルトの着脱ができ、ベルトの有無で降車時間はほとんど変わらないことが示されていた。ベルトを義務化しない理由の一つが消えたと言えるのでは。

◇2月13日
 子どものけが予防活動に取り組むNPO法人「Safe Kids Japan」に意見を寄せた母親を紹介してもらい、メールで取材する。保護者が「園バスにベルトがないのは不安」と声をあげても、幼稚園側から「これまで事故がなかったから大丈夫」と説明されるだけで、さらに不安になったという。あらゆるリスクを調べていちいち対応するのは大変だろう。でも、リスクにふたをして、なかったことにしてもいいのか。ふたは、こじ開けなきゃだめだ。

◇2月14日
 2月は都庁担当記者で分担して、都内の児童養護施設で虐待があったという問題の取材を続けていた。この日に掲載。子ども本人には何の責任もないのに、つらい経験をして、やっとたどり着いた安心できるはずの施設で再び虐げられるなんて。何とかしたい。

◇2月19日
 通園バスの記事なのに、バスの写真をまだ撮っていないという重大な問題が、日に日に心の中で大きく膨らむ。そろそろキャップが何か言い出しそう。焦りながらふと、東京新聞に載っていた記事を思い出す。目黒区が運行している保育所への送迎バス「ヒーローバス」だ。撮影を頼もうと区に連絡したところ、なんとヒーローバスに簡易ベルトが付いていることが判明!

◇2月21日
 都議会の第1回定例会初日、築地市場跡地の再開発を巡り会派が対立し、予定していた午後1時に開会できず。都庁と議会棟を行ったり来たりして1日が終わる。この後、1カ月余り、新年度予算案の審議など議会取材に追われる。

築地市場跡地再開発を巡り紛糾した都議会

「議論を起こす記事が良い記事だと思うよ」

◇2月22日
 保育所が遠いため、通勤ラッシュ時にベビーカーで電車に乗らざるを得ない母親らが、乗客から暴言を吐かれたり、ベビーカーを蹴飛ばされたりする現状を報じた記事を夕刊に掲載したところ、インターネットで予想以上に話題になる。取材に応じてくれた女性が批判にさらされ、ちょっぴり落ち込む。キャップの「議論を起こすような記事が良い記事だと思うよ」との言葉に励まされる。

子どもに優しい公共交通を求める母親らと面会する小池知事(右)

◇2月28日
 小雨の中、目黒区のヒーローバスを取材。初めて見る幼児専用車の座席はこぢんまりしていて、簡易ベルトの面ファスナーは長さ30センチ、幅4センチほどで思ったより大きい。「ヒーローバスを見て街の人が手を振ってくれる。社会で子育てする雰囲気づくりにも貢献している」と区の担当者がバス自慢。

ヒーローバスの簡易ベルト

ヒーローバスの車内。簡易ベルトは思ったより大きい

 都庁に戻り、通園バスを使っている都内の幼稚園に電話したところ、バスにベルトがないことに社会の関心が集まるのは困る、との反応。事故が起きてからでは遅いのに。

◇3月4日
 ヒーローバスに簡易ベルトを装備したメーカーの担当者と電話で話す。ベルトはカタログに載せておらず、要望があれば装備しているという。まさに幻のベルト。「ベルトをすると安全、子どもが外せないから危ない、と両方の意見があり、国の動向を見ながら慎重に対応している」。現場の苦労がしのばれる。

◇5月10
 取材を始めて5カ月、ついに記事を掲載できた。都の予算や築地市場の再開発など、いくつもの取材を同時並行で進めながらだったので時間はかかったが、多くの人に記事を読んでもらい議論を深めたい。滋賀県大津市では8日、保育園児の散歩の列に軽自動車が突っ込み、2人の園児が亡くなった。保護者や保育士、地域の人たちの悲しみは計り知れない。小さな命を守るために、私たち一人一人ができることは何か、取材を続けていきたい。

通園バス問題を取材したノート

通園バスにシートベルトを(1)危険な事故が起きたのに、なぜ義務化しない? 国は「幼児が外すのは難しい」

通園バスにシートベルトを(2)「幼児バス」マークで注意喚起しても…現場は「あおられる」「高速道路で不安

コメント

  • 甲斐市の公用バスでは幼児専用でもないのに幼児の利用が多く年間7割の割合で乗車致しますが、足もつかない幼児が腰だけの二点シートベルト、せめて三点のシートベルトに変えてもらえないかと市長あてに手紙を出すも
    甲斐市公用バス 男性 無回答 
  • 幼児車には、シートベルトの義務化がないということですが、今後のバス製造メーカーはどこも衝突被害軽減ブレーキが採用されます。そうすると障害物等で急ブレーキがかかるようになります。 その急ブレーキがかか