ナレーター 近藤サトさん 「子どもは思った通りに育たない」 父の教え、中3の息子と向き合い実感

(2019年6月16日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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(坂本亜由理撮影)

「東京に出ろ」背中押してくれた父

 父はコンタクトレンズのメーカーに勤めるサラリーマンでした。高度経済成長を支えた世代です。私が子どものころは、平日はバリバリ働いていましたが、週末は休んで、近くの里山に連れて行ってくれました。私が育った岐阜県の東濃地方は化石が出るので化石を探したり、山野草を見たり。母に言わせると私はお父さん子だったようで、読書感想文の添削をするのも父でしたし、ニュース番組を見ながら意見を言い合う相手も父でした。

 大学受験で行き先を考える時には「東京に出ろ」と言いました。地元から通いやすいのは名古屋で、大学もたくさんある。でも、東京に出た方が将来の可能性が広がる、と考えたんです。私も同じ意見でした。夏目漱石の小説などに東京の暮らしや街の様子が出てきて、あこがれました。

アナウンサーになると喜んでくれた

 同時に、地方にいいものがあっても、全部東京に持って行かれるという悔しさもあった。地元で以前、絶滅した哺乳(ほにゅう)類の全身骨格が見つかったんですが、東京の国立科学博物館に行ってしまい、残ったのはレプリカだけ。フランスのルーブル美術館の有名な絵が日本に来ても、展覧会は東京でしか開かれないんですから。

 東京へ行くことを母は心配しましたが、父が背中を押してくれました。目立つことが好きで、長女の私に期待をかけて「政治家になれ」と言っていたほど。それは嫌でしたが、アナウンサーになると喜んで応援してくれました。

 父は家庭の事情で大学に行けず、高卒で就職し、そこから努力して取締役になりました。今思えば、コンプレックスをばねに生きた人。体は弱く、肝炎の後に肝臓がんを患って64歳で亡くなりました。定年まで勤め上げ、体力の限界だったのでしょう。

老いていく姿を見せるのも「教育」

 「人生は楽しいぞ」が最期の言葉。子どもも育て上げたし、後悔はないけれど、もう少し人生を楽しみたかったというのが本音だったのでは。「人生を楽しんでほしい」というメッセージだったと受け止め、悔いのないように人生を楽しもうと思っています。

 子育てについて父は「子どもは思った通りに育たない。でも、親は子どもを信じるものだ」と言っていました。息子は中学3年になりましたが、確かに思い通りにはいきません。本を読めと言っても読まないものは読まない。

 ただ、信じることはずっとしていこうと思います。大人になった時に母はこうだったな、父はこうだったなと思い返すことでも学べるはず。親の生きざまそのものが子どもへの教育だと思います。老いていく姿を見せるのも教育。親の人生から何かを学んでくれるといいなと思います。

近藤サト(こんどう・さと)

 1968年、岐阜県土岐市生まれ。日本大芸術学部放送学科を卒業し、アナウンサーとしてフジテレビ入社。報道番組を担当し、情報番組のナレーションなども務めた。1998年からフリー。現在は主にナレーターとして活躍。40代後半から白髪染めをやめてグレーヘアの選択肢を広めた。4月に「グレイヘアと生きる」(SBクリエイティブ)を出版。

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