将棋棋士 永瀬拓矢さん 父の「家系」ラーメンが一番好きです 謙虚な姿に学んだ人生の糧
9歳の誕生日 祖父から将棋盤と駒
9歳の誕生日、同居していた祖父から将棋の盤と駒をもらったのが、始めるきっかけになりました。祖父は孫とのコミュニケーションの道具として、将棋を思い付いたのでしょう。もの静かで優しく、放射線技師の仕事を引退後、老後の趣味としてたしなんでいたようです。
私もすぐに将棋に夢中に。平日は近所の将棋道場に通い詰め、週末は父の経営する川崎市内のラーメン店でお客さんに水を出す手伝いをした後、店の近くの道場へ行くようになりました。
プライドを捨て、変わろうとした父
父のラーメンは「家系」と呼ばれるとんこつしょうゆ味で、脂の量も調節してくれます。味付け卵やチャーシューも手が込んでいます。父のラーメンが一番好きです。父は研究熱心で、店で出すキムチの勉強をするため、本場の韓国まで行ったことも。私が10歳前後のころだったでしょうか。その後も10年おきぐらいに、一流とされるラーメン店に弟子入りのような形で修業に出て、家をしばらく空けることがありました。
年を重ねると、誰しも自分の世界を守りたいと思うもの。自分から一歩踏み出し、他の人に教えを請うのは大変な決意が必要だと思います。でも、父は時代の変化に対応するにはプライドを捨て、自分が変わらなければならない、と考えたのではないでしょうか。
将棋にも共通する部分があります。今の将棋界は強い方がたくさんいて、後輩から学ぶことも多くあります。父から何か言われたことはありませんが、謙虚な気持ちを忘れず、他の人から学ぼうとする父の姿は、間違いなく、私の人生の糧になっています。
佐藤康光九段に勝利 祖父は病院で
私は今、一人暮らし。実家には祖母、父母、美容関係の仕事をしている21歳の妹、野球部で頑張る高校生の弟が暮らしています。
将棋を教えてくれた祖父は約9年前に病気で亡くなりました。亡くなる直前、私が初めて出場したNHK杯の本戦で、佐藤康光先生(九段)に勝った瞬間を病院のテレビで見て「よかった」と言ってくれていたと聞き、少しは恩返しできたのかなと思っています。
父は67歳。ラーメン店は肉体労働で、いつまで続けられるか分かりません。最近は母も店を手伝っていますが、今後はここまで自分を育ててきてくれた家族を、支える立場になれれば、という思いがあります。
大学進学を希望している弟の学費は、自分が出すつもりです。どれだけ力になれるか分かりませんが、家族のみんなが不自由なく、穏やかな日常を過ごせればと願っています。
永瀬拓矢(ながせ・たくや)
1992年、横浜市生まれ。2004年、小学6年で奨励会入会、2009年、17歳でプロ入り。2012年、若手棋士らを対象とした新人王戦で優勝。2019年、初タイトルの叡王を奪取後、3連勝で王座のタイトルも獲得。二冠となり、八段に昇段した。将棋への厳しい姿勢から「軍曹」の愛称がある。
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