俳優 田中道子さん 「芸能界に入ると地獄を見る」と反対した父も今は味方 きっかけはミス・ワールド日本代表

古根村進然 (2024年6月30日付 東京新聞朝刊)
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14歳まで両親と川の字で寝ていた想い出を話す俳優の田中道子さん=東京都港区で(松崎浩一撮影)

カット・家族のこと話そう

私が傷つくことを心配した父

 私は中学生の頃からアンジェリーナ・ジョリーさんらアクション俳優に憧れがありました。芸能界への夢を諦められず、地元の浜松市にある芸術大学を卒業後、思い切ってこの世界へ飛び込みました。

 小学校教諭の父は強く反対し、大げんかしました。父には「芸能界に入ると地獄を見る」と言われました。私が当時まで実家暮らしで生活能力がないうえ、人間関係などで傷つくことを心配したんだと思います。一方で、専業主婦の母は中立的な立場。でも、東京へ向かう高速バスの乗り場まで車で送ってくれたので、一歩を踏み出す後押しをしてくれたのは母ですね。

 東京の生活は高校時代の友人らとシェアハウスし、始まりました。演技やダンスのレッスンを受けながらいろんなオーディションに挑みましたが、落ちる日々が続きました。驚いたのは「ミス・ワールド2013」の日本代表に選ばれたとき。喜んで母に報告すると、既に知っていると言われたのです。実は、父が私の動向をくまなくチェックしていたんです。私の苦労を分かってくれたようで、父とはその辺りで仲直りしました。

 私がテレビドラマに出演すると、両親は「あのシーンは良かったけど、こっちのシーンはダメ」などとはっきり言ってくれます。テレビ番組の企画で絵を描くことがありますが、父は「(建物の絵をよく描いていた)芸大時代の経験が生きている」と言い、うれしそうです。

1級建築士目指し実務経験中

 俳優になった後、衣食住に携わる第一線の職業として建築士にも魅力を感じ、1級建築士の試験を受けて合格しました。当時は主演の舞台も重なり、何度も諦めようと思いました。それでも、母から「鉄は熱いうちに打て」などとおしりをたたかれ、モチベーションを保てました。

 実は、私は自分のために頑張ることが苦手です。一緒に喜んでくれる人がいないと踏ん張れない。だから帰省できない時は実家に頻繁に電話しています。家族と触れると初心に返り、大事なことを思い出せます。家族はもちろん味方だし、コンパスのような役割をしてくれます。

 俳優の仕事の傍ら、1級建築士の免許取得のため、東京都内の設計事務所で実務経験も積んでいます。パソコンを抱え、朝の満員電車に揺られています。芸能活動と両立するのは本当に大変ですが、温泉好きな両親に、足湯のある家をデザインして建てたら喜ぶだろうなと思いつつ、乗り切っています。

 私生活では、(サッカー元日本代表の)川又堅碁さんと結婚しました。彼はスポーツ選手なので体のケアを大事にしていますが、私は心のケアを大事にします。それぞれ価値観や性格に違いがありますが、良い化学反応を起こしてずっと笑っていられるような家庭を築いていきたいと思っています。

田中道子(田中・みちこ)

 1989年、浜松市出身。静岡文化芸術大卒業。「ミス・ワールド2013」日本代表に選ばれる。2016年に俳優としてデビュー。MBS「プレバト!!」やNHK「解体キングダム」、BSテレ東「築き人」に出演。バラエティー番組や舞台、映画にも出るなど幅広く活躍している。

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