よしお兄さん&りさお姉さんインタビュー(1)奇跡に近い毎日。やりがいしかなかったです
2人とも、なろうと思っていたわけではなかった
―2人が体操のお兄さん、パント!のお姉さんになろうと思ったのはなぜですか? そしてそれはいつですか?
小林 そもそも体操のお兄さんになろうと思っていたわけではないんです。大学で体操部に入ったんですが、ひろみちお兄さん(佐藤弘道)や瀬戸口先生(瀬戸口清文)など何人か体操のおにいさんを輩出している部活だったので、ちらっと「可能性はゼロではないかな」くらいの感覚はありました。ただ、部員は当時100人くらい。歴代の先輩がいらっしゃる中で、さすがになれないだろう、と思っていました。
卒業後は大学に就職。その1年後にオーディションの話が来たんですが、新卒の子が対象で。私は「受けられないのかな」と思っていましたが、体操の先生に「1年くらいいいよ。せっかくだしどんな内容なのか見てきてよ」と言われて。「じゃあちょっと受けてきまーす」という感覚で行きました。で、引率した現役の後輩たちを全員蹴落として自分が受かるっていう(笑)…。縁あってやらせていただいて、ということです。
上原 私も、なろうと思っていたわけではないんです。音大(洗足学園音楽大)でミュージカルコースに通っていたので、体操のたぐいは一切やっていませんでした。たまたまオーディションの話が大学に来て、先生に「落ちるだろうし、気軽に受けてくればいいじゃないか」と言われて「あっ、そうですねー。行ってみますー」ってあんまり気負いせず、社会勉強みたいな感じでした。これからオーディションをいろいろ受けるだろうし、どんな感じか知っておいてもいいんじゃないか、というのもあって。非常に楽しく受けさせていただいたんです。そうしたらあれよあれよと最終オーディションで、自分でもびっくりしちゃって。2年生の1月でした。
子どもの「楽しかった」だけで、もう何もいらない
―なる前と、なった後でイメージが違ったことはありますか?
小林 先輩お兄さんが佐藤弘道さんで、当時も「だんご三兄弟」がヒットしている時期。「一生あの人がやるんだろうな」という感じで「ザ・体操のお兄さん」だと思っていました。いざ自分がなります、ってなった時に、「体操のお兄さん」というものをどうやっていったらいいのか、考え、不安に思っていた記憶があります。
ただ、実際始めてからは、世間のイメージはあまり気にしませんでした。オーディションの時もそうだったんですけど、包み隠さず「自分」で行きました。そのまま、受け入れてもらえるように頑張ろうっていう方向にシフトしたら、肩の力も抜けた。「自分そのままが体操のお兄さん」という感覚でずっとやってきたということですね。
上原 私の前任のまゆお姉さん(いとうまゆ)は本当にすごい方だったので、同じようなことはできない、っていう意識がありました。私にしかできないことをして、真似はしなくてもいいって思っていました。周囲からも「前の人の真似しなくていいんだよ」とは言われていました。DVDなどを見て、どういう風にお子さんと接しているのかな、というところは勉強させていただきましたが、あとは本当にやっていく中でできていった感じですね。
―どういう時にやりがいを感じましたか?
小林 もうやりがいしかなかったです(笑)、本当に毎日。週の初めが収録なんですけど、収録ごとに子どもたちは全員新しい、初めての子たちで。その都度その都度、全部色も違うし、状況も違うし、起こるハプニングも違う。常に自分が動いたことがそのまま反映されていくので、やりがい以外なかったですね。
上原 私は「楽しかった」って言われたときですね、やっぱり。毎回毎回、新しい子どもたちが来て絶対言ってくれるんです。「楽しかった」って。その言葉だけで、何もいらないなって思いました。
日々ハプニング 一瞬「ポン」と頭の中が真っ白に
―ハプニングという言葉がありました。「これには本当に困ったなー」というハプニングを挙げるとしたら?
小林 うーん。日々困っていたんですけど(笑)。収録はだいたい1時間くらいかな。その間になんとか撮り終えないといけない。よく考えると、3歳の子たちが、初めての環境に来て、周りもいつものお友達ではなく初めての子たち。1時間であのように、ある種コントロールしていくっていうこと自体が、奇跡に近い毎日だったって思います。
親と離れてくれない子もいるし、収録が始まった瞬間に泣き出す子もいるし。収録が始まってそういうことが起きても、起きてないような感じというか、自然にそのまま行くっていうのがやっぱり大変でしたね。やらなきゃいけないことプラス、子どもたちのことも、みたいな。こっちがパニックになってしまったらストップしちゃうので。
―上原さんも、「パント!」の時に振り向いたら子どもがいないってことがあったとか?
上原 ああ、そう! ありました! 自由で最高のコーナーだったんですが、最初は、なんて言うか、臨機応変能力っていうもののが自分になくて、一瞬「ポン」って頭の中が真っ白になったことがあります(笑)。でも慣れもあったし、他の方がそういう時どうやっているのかを見て、「あー、なるほど!ちょっと私もやってみよっかなー」という感じでやっていくうちに自然に対応できるようになっていけたかな、と思っています。
―歌のお兄さん、お姉さんも交えてミーティングのようなものをやるんですか?
小林 ミーティングまではいかないですけど、着替えながら「こんなことあったね」「サポートしてくれてありがとう」とか、そういう会話はありましたね。
上原 「あれは、ああだったね」とか「あれすいません」とか。
小林 でももう、すぐ次の収録だから。また次のこと、と。
―ちなみに、お互いどういう風に呼び合っていたんですか?
小林 それぞれ、入った年齢やタイミングもあるので、お互い呼び方は違いますね。(りさお姉さんを指して)ここも10歳離れてるので。
上原 でも、「よし兄」って呼んでます(笑)
小林 愛称みたいな感じで。私は「りさちゃん」ですね。
◇
なるほど!
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今は、孫と一緒に観ている“おかあさんといっしょ”ですが、代替わりして新しいひとに替わったりしますよね。その時、前の体操のお兄さんの方が良かったとかお姉さんが良かったと思うのは親の方で子供にとっては関係無いんですよね。でも、終わってしまった方達は今何をしているのか気にはなります。今回のようにインタビューがあったりすると読んでさらに応援したくなる内容でした。テレビで体操のお兄さんと一緒に遊ぼう!とかお姉さんとミュージカルを歌おうなんて番組を考えてくれるプロデューサーがいたら、お家に居る親御さんは観るんじゃないんでしょうか。