【虐待の連鎖】殴られて育った私、わが子に同じことを… 当事者が明かす実態「私のようになる前に、誰かに助けを求めて」

 「被虐待児でありながら、子どもを虐待してしまった。いわゆる『負の連鎖』を断ち切れませんでした」

 東京すくすくで「<ストップ 子ども虐待>わたしたちにできること」を特集したところ、東京都内の50代の女性からメッセージが届きました。「子に手を上げている瞬間は、自分で自分を止められなかった。親からされたことをわが子にしてしまっていると苦しみながら、抜け出せずにいる親がいるということを知ってほしい」という女性に話を聞きました。

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「子に手を上げてしまう自分を止められなかった」と振り返る女性=東京都内で

殴られ蹴られ「私はいらない子」と感じて育った

 「私の人生は、半分が虐待の被害者で、半分が虐待の加害者なんです。虐待がニュースになって親が責められるたび、その親はどんなにつらかっただろうと思って苦しくなる」。女性はこう語り始めた。

 神奈川県で生まれ育った女性の両親の仲は悪く、物心ついた頃からけんかばかりしていた。再婚だった母親は、前夫との間に男児がいたが、子を連れての再婚を父親が拒んだ。「両親はスタートから夫婦としてつまずいていたのかもしれない」と女性は振り返る。

 母親はアルコール依存症になり、毎日台所で酒を飲むようになった。酔うたびに、泣きながら引き取れなかった男児の名を叫ぶ母親の姿に、女性は「私はいらない子なんだ」と感じて育った。父親にも母親にも殴られたり蹴られたりして大きくなった。

 6歳下に弟が生まれると、母親はさらに遠くなった。母親は生まれたばかりの弟をかわいがる一方、女性には「いい子」であることを強要し、暴力もひどくなった。

両親に暴力を振るった思春期「虐待の原点だった」

 小学校高学年になると、母親の振る舞いはさらにエスカレートした。友人から借りた漫画を家で読んでいたら「漫画を読むとばかになる」とちぎって捨てられた。何かで母が怒り、階段の一番上から突き飛ばされて落ちたこともある。その頃の記憶は途切れ途切れだ。よく覚えていない部分も多い。とにかく家に帰りたくなかった。

 中学生になり、小さい頃からたまっていた気持ちが爆発した。説教する母親を殴るようになっていた。父親と言い合いをして蹴ったこともある。暴力を振るった後は自己嫌悪に駆られた。このままではいけないと思った。でも、止められなかった。「私の虐待の原点だった」と振り返る。

 部活動で部長を任されたり、高校受験に打ち込んだりしたことがきっかけになり、いつしか両親への暴力はやんだ。

出産後に夫からDV…気持ちのはけ口が子どもに

 再び家族に暴力を振るってしまったのは、約10年後。自分の子に対してだった。

 手に職を得て20歳から働き始めた。一刻も早く両親の元を離れたいと、22歳からは1人暮らしを始めた。24歳で結婚し、3人の子が生まれた。第1子の出産後、夫からのDVが始まった。気に入らないことがあると、手も足も出た。外づらは良く仕事もできる人だったが、一度スイッチが入ると止まらなかった。

 夫からの暴力に耐える中、自分の気持ちのはけ口となったのは子どもだった。子どものことを、かわいいと思う余裕もなかった。まだ小さかった上の2人を殴った。蹴った。子どもが少し大きくなると「おまえは何もできないんだから、家事くらいしろよ」。言葉のやいばも向けた。水が高い方から低い方へ流れるように、虐待も強い方から弱い方へ向かった。

 初めて子どもをかわいいと思えたのは、第3子が生まれてから。上の子も末っ子をかわいがってくれた。そんな姿を見るひとときは幸せだったが、夫と離婚し、東京へ移った後も、子への虐待はやめられなかった。体調を崩しがちな子ども、たまる一方の家事…。夜勤もしながら1人で3人の子を育てる余裕のなさも大きかった。

 「育ててやってるんだ」。自分が親から言われて一番嫌だった言葉を、何度も投げつけてしまった。子に手を上げながら、自分のことを責め続けた。「なぜ子どもを産んだんだろう」「結局、私も親と同じことをしてしまった」

「どんな暴力を受けたか、日記に残してるから」 

 今と比べて「虐待」という言葉が一般的ではなかった20年以上前の当時、自分が虐待をしているという意識は薄かった。女性は「もともと自分が子どもの頃から暴力を振るわれて育ち、子に手を上げることに抵抗がなかった」と振り返る。子どもに体と言葉の暴力を振るっていた頃は、夫からのDVに加え、仕事や育児といった日々の大変さなどにより、「全てにおいて自分に余裕がなかった」。

 子3人が成人した今、後悔はさらに深くなっている。子どもたちとの関係はうまくいっていない。所在を知らせてこない子もいる。

 最近、子の1人から当時のことを責められている。「どんな暴力を受けたか、全部日記に残してるから」「虐待のストレスで心身の調子を崩したせいで、まともに働くこともできない」。正直、言われて初めて思い出した自分の行為も多い。「自分が親にされたことは鮮明に覚えているのに、自分のやったことはあまり思い出せない。人間て、なんて都合の良い生き物なんだ」と苦しむ。

 「虐待の連鎖」という言葉を知ったのは、子育てが落ち着いてから。虐待の連鎖について書かれた書籍を片っ端から読み、「自分のことだ」と思った。

 今は、自分の子が、さらに虐待を連鎖させてしまうのではないかと恐れている。

「危ういと思ったら、抱え込まずに手を伸ばして」

 繰り返される虐待の報道に、女性は訴える。「一生懸命育てていても、虐待をしてしまったら台無しになってしまう。今は行政の相談窓口をはじめ、たくさんの門が開かれている。虐待をしてしまっている親は、自分で分かっていると思う。危ういと思ったら、自分一人で抱え込まないで手を伸ばして。私のようにならないで」

虐待の連鎖を防ぐには? 専門家に聞きました 「心の傷に気付くことが第一歩」

 では、「虐待の連鎖」を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。親本人、周りの人、行政、それぞれの立場でできることは? 「親から虐待された心の傷がある」「子どもに虐待やそれに近いことをしてしまった」場合、どのように対処したら? 子ども虐待に詳しい東洋英和女学院大大学院・人間科学研究科長の久保田まり教授に聞きました。

―虐待は、親から子へ連鎖するのでしょうか。

 「虐待の連鎖」というよりも、「関係性の質が連鎖する」といえます。親子関係だけにとどまらず、例えば「学校や会社で先輩からされた指導を同じように後輩にする」といったことと似た構造です。「かつての『いじめられっ子』が、その後『いじめっ子』に変貌する」なども同じです。

―虐待が親子間で連鎖する割合はどれくらいなのでしょうか。

 問題の性質から言って、なかなか、客観的なデータを得ることは難しいのですが、海外の研究では、虐待の連鎖の割合は、だいたい3割程度と言われています。

 ほとんどが、自分の子どもを虐待した親に対して、「自身が子どもの頃に虐待された経験があるかどうか」を問う「回顧的研究」です。人の記憶を頼りに問うので、被虐待経験の有無が事実かどうかは、検証できません。また、質問用紙で問うのか、口頭で問うのか、という方法の違いによっても結果は異なってきます。

 よって正確な数値での把握は難しいのですが、見解としては「3割程度」です。ということは、6~7割は、連鎖しない、ということでもあります。

―虐待の連鎖を防ぐために、親本人ができることは。

 過去の自分の親子関係にとらわれずに、「親と自分との関係」と「(大人になった今の)自分と自分の子どもとの関係」とは全く別個のもの、と認識することです。とはいえ、過去からの脱却は、それほど簡単ではありません。傷が深いほど難しいのです。

 また、子育ての不安・負担を1人で抱えずに、パートナーやママ友・パパ友、子育て支援者などに打ち明け、相談し、共有してもらいましょう。負担になっている部分を分担・手助けしてもらうなど、支援のネットワークを確保することです。

 そして、子どもへのイライラする気持ち、嫌いになる気持ち、たたきたくなる気持ちを、自分で「否定」することなく、「程度の差はあれ、親としては自然だ」と自分の気持ちを素直に受け入れることも重要です。

 子どもへのアンビバレントな(相反する)気持ち―かわいいし、いとおしいし、世界で一番大切。なのに、イライラするし、憎たらしいときもあり、叱り飛ばしたいときもある―を、自分の内で受け入れること。そして、できればそれを信頼できる誰かに、話してみることです。

 一方で、自分の親に対する怒りや恨み、甘えたかった気持ちを否定せずに素直に振り返り、信頼できる人に「言葉を紡いで語る」ことができれば、過去からの脱却は近くなります。語りを聞いてもらう人が身近にいない場合は、こういった感情を、そのまま文字にして表現してみる、というのも一つの方法です。

―家族やご近所など周りができることはありますか?

 子育て全体に共通することですが、養育者が安定するような「家族(特にパートナー)の情緒的サポート(感謝、ねぎらい、共感、励まし)」▽養育者1人に負担が集中しないような「子どもの世話などの分担・手助け」▽ママ友同士の情報共有や励まし合い―などが有効です。

 虐待の兆しや子どもの変化など、何らかの異変に気が付いたら、養育者に寄り添いつつ、話を聞くことが大事です。

―行政など公的な機関ができることは。

 さまざまな子育て支援事業が立ち上がり、サービスも提供されているようですが、実は、虐待リスクの高い養育者にとって必要なのは「個別の、身近な見守り」です。

 具体的には、乳幼児期の、地域の保健師などによる定期的な家庭訪問を通した個別の相談活動などです。子どもとのかかわり方(泣きやませ方や遊び方)を具体的に教えたり、親自身のリラックスの仕方を助言したり、お子さんの成長を評価したり、という援助です。親の心理療法が必要な場合もあります。

 海外の研究では、妊娠期から2歳までこういった個別の支援をすることで、その後の幼児・児童期の虐待やネグレクトは著しく減少することが実証されています。

―「自分に親から虐待された心の傷がある」と感じた場合に、本人にできることは?

 この気付き自体が連鎖を防ぐ第一歩です。連鎖するケースでは、「虐待ではなく、しつけであり、子どもは痛い目に遭わせないと学ばない。自分も、親からそうやってしつけられた」「体罰は必要だ、自分もそうやって育ってきた」など、意識としては、むしろ、身体的・言語的暴力を肯定します。

 そういう意味で、「心の傷」への気付きや認識は重要な一歩なのです。

 その上で、繰り返しになりますが、過去の自分の親子関係にとらわれずに、「自分と自分の子どもとの関係は全く新しい関係性であり、自分と子どもとでつくっていくものなのだ」ととらえることが重要です。

―自分の子に虐待やそれに近いことをしてしまった場合、どうしたらよいのでしょう。

 自分を過度に責めず、イライラする気持ち、かっとなる衝動、子どもを憎らしく感じる気持ちを、「自然な気持ち」として自分で受け入れた上で、「どうして、そういう気持ちになったのか」と落ち着いて内省してみましょう。そして、そのことを、信頼できる身近な誰か、あるいは子育て支援者に、話しながら振り返ってみましょう。

―虐待した親が、自分の子に後年それを責められた場合は?

 子どもの言い分にひたすら耳を傾けましょう。その当時の子どものつらさ、恐怖、無力感、寂しさ、そして現在の子どもからの敵意、怒りを、子どもの身になって受け入れましょう。同時に、そのころの親としての自分の不安、寂しさ、孤立無援の孤独感などを丁寧に伝えてみましょう。ただ、この場合、親が、自分自身の心の問題をほぼ解決していることが大事です。

―子を虐待した親が、自分の子が親になった時のことを心配する場合、何かできることはありますか。

 ケース・バイ・ケースで、一概には言い切れません。ただ、虐待をしてしまった親の「心配」は、自分自身の「不安」の反映でもあるので、むしろ、ある程度は(親となった)自分の子どもを信じて、任せればいいと思います。中途半端に、かつて虐待してしまった親が関わると、また過去の関係性が再燃し、記憶がよみがえる契機にもなりかねません。自分の子どもを信じて、「子どもの方から素直に頼ってきたときには、手助けする用意をしておく」くらいがよいでしょう。

くぼた・まり

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久保田まり教授

 東洋英和女学院大大学院・人間科学研究科長。日本乳幼児医学・心理学会理事。日本発達心理学会、日本子ども虐待防止学会などにも所属。専門分野は発達心理学で、特に乳幼児から思春期・青年期までの親子関係や、愛着に関する発達臨床心理的問題を研究テーマとしている。

 論文に、「児童虐待における世代間連鎖の問題と援助的介入の方略:発達臨床心理学的視点から」(季刊社会保障研究)、「ハイリスク家庭における虐待・ネグレクトの心理・社会的支援の実際:親と子を対象とした予防的・援助的介入」(厚労科研「子育て世帯のセーフティーネットに関する総合的研究」報告書)、「虐待を防ぐための予防的介入と親子支援」(教育と医学)など。

取材後記

 「話すことが自分の心をえぐることにもなるが、私の経験が誰かの役に立つのであれば、加虐してしまっているつらいお母さんにとって何らかの参考になるのであれば…」。昨年11月に本サイトが特集した「<ストップ 子ども虐待>わたしたちにできること」の一連の記事を読んだ女性からのメッセージには、長文の虐待体験がつづられていた。

 何度かのメールのやりとりの後、住所や名前を明かした上で、取材に応じてくれた。「取り乱してしまうかもしれないので、喫茶店などではなく静かな部屋でお願いします」とのことで、都内の貸会議室で話を聞いた。

 自分の育った家庭と自分の築いた家庭で起こったことを、2時間かけて話してくれた女性。終始冷静に言葉を紡いでいたが、最後に「虐待しているお母さんが一番つらいと思う。私のようになる前に、誰かに助けを求めて。誰かが救いの手を差し伸べてあげて」と語ったとき、初めて声が震え、顔を覆った手の隙間から涙の筋が何本もつたった。

 私も3人の子を育てている。「東京すくすく」編集チームの仲間との座談会でもメンバー同士で打ち明け合ったように、虐待と隣り合わせだと感じている。虐待のニュースに接するたび、女性と同じように、「虐待してしまっていた親も、どんなにかつらかったろう」と苦しい。久保田教授がインタビューで語ったような支援と理解が社会に広まるように、今、子どもと向き合いながら苦しんでいる親に届くように、自分には何ができるだろうか。

<特集「ストップ 子ども虐待 わたしたちにできること」トップはこちら

23

なるほど!

36

グッときた

17

もやもや...

32

もっと
知りたい

すくすくボイス

  • 苦労人 says:

    自分が子供時代に親にされていた酷い事アレコレ(不登校に理解も味方も示してくれない。等)を思い出してしまった。

    そんな私が毎晩妄想の中で、何やかんやと理由を付けて理想の息子(理想の五男)のお尻を思いっきり強くキツく厳しくペンペン(30回以上)してしまっている事をとてもとても悔やんでいる。

    今夜の妄想の中では理想の息子(理想の五男)に沢山沢山謝ろうと思う。『今まで厳しくしてしまって御免ね。』と。

    苦労人 女性 30代
  • さと says:

    幼い頃、両親は忙しく近くの親戚の家で祖母に育てられていました。私は親戚の子供達の中でも一番下でしたが、楽しかった記憶はあまりありません。私はよく嘘をついたり、お金を盗んだりする子供でした。

    祖母は綺麗好きですが母親は歯も虫歯だらけで真っ黒、家はゴミ屋敷で押入れにキノコが生えているような家でした。そんな母親が醜くて、恥ずかしくて大嫌いでした。父親は私が悪い事をするので殴る人でした。母と父の喧嘩もしょっちゅうでした。

    私には今もうすぐ3歳になる子供がいますが毎日イライラして、感情が抑えきれなくなると酷く叩いてしまいます。

    最低な母親です。生きていたくない。二度と子供を叩きたくないのに毎回思うのに感情が抑えきれずに叩いてしまう。

    生きていたくない。娘の心も身体も傷つけたくない。私が生きていれば娘を傷つけてしまう。自分の事が大嫌い。

    さと 女性 40代
  • へろし says:

    父親(思考が発達障害、暴力、暴言)、母親(カサンドラ)と弟(大学で精神障害を発症)に囲まれて育ちました。物心ついた時から、親との関係は主人と奴隷、何か少しでも意にそぐわないことを言えば殴られ、車庫に閉じ込められました。

    顔にあざがあって幼稚園の先生が家に来たことがあります。適当に誤魔化して、殴られて育ってるから親はお前は慣れてると言ってました。そうだねと言って、ヘラヘラ笑って過ごしてあげてました。クソ人間がと思いながら。いつか殺すと思いながら。

    自分が父親になり、子と接する中でフラッシュバックします。自分が同じことをしないようにずっと気をつけてます。思考の癖(考える方法や順番)がどうしてもそこに一緒になりそうになるので、自分で修正してストレスを抱えて酒飲んでます。自分はストレスでさっさと死んでもいいって思ってます。

    親については、今だに生きているので、ほんと早く死んでもらいたい。孫には会わせません。だって悪い影響しかないから。先日、息子が写真見て、これ誰?って言ってたのを、「嬉しい」と感じてました。そういう自分に対して嫌悪感を抱くしストレスもあるが、なんとか働いて、息子には幸せになってもらいたいなという生き方をさせてもらってます。

    親の逃げ得だけは絶対に許しません。世代間で訴えるシステムをつくるべきだとおもう。

    へろし 男性 40代
  • ガチャピム says:

    27歳、結婚もしてない子どものいない女です。 私は父が日本人、母がフランス人のハーフで、生まれてからずっと日本で育ち、一般の公立の学校に通ってました。

    両親はよく怒鳴り合い、ひどい時にはお互いを叩いてました。私が幼稚園児だった頃にもあって、成長するに連れてその頻度は増えていきました。

    私の外国人母は、ヒステリックで頑固な性格です。少しでも自分の思った通りじゃなければ、私に大きい声で怒鳴ってきました。酷い場合は暴力もふるってきました。

    私が母に怒鳴られたうちの8割は、私が悪いことをしたからじゃなく母の機嫌の悪さによるものです。顔を叩かれたり、腕を強く引っ張ったり、腕をつかんでハンマー投げみたいに振り回したりされました。暴力をふるわれた回数は数え切れません。

    今でも鮮明なのが、雨の降る夜に、通行人も結構いる所で大声で怒鳴り、鼻と口から血が出るまで殴られたりした事です。殺される!と思いました。母からそこまでされるのが辛かったけど、傍を通った大人が誰も私を助けてくれないことが何より傷つきました。

    家で母から暴力を振るわれた時、父がいる時は必ず助けてくれました。最初は優しかった父も私が中学生の頃から、言葉の暴力が始まりました。

    同じ家で暮らしてるから母から悪影響を受けたのでしょう。穏やかな性格だった父も声を荒らげる頻度が増え、私と母への人格否定が頻発するようになりました。私が家事をやってる時に少しでも手際が悪かったり、汚したりすると、お前も母親と同じだ!出来の悪い母娘だ!と言われました。


    私は今とっくに成人はしていますが、経済的な事情でまだ実家暮らしです。少しでも早く出れるように色々頑張ってるところです。

    結婚はしたいし、子どもも育てたいけど、どうしても幸せな家庭のイメージが出来なくて、自分も将来の子どもに同じことしてしまったらどうしようと不安が強いです。

    でも母が子供の私に絶えず暴力してしまった理由が今では分かります。それはフランスから日本人の夫と暮らすために、日本に移り住んだから、こっちで何でも話せる友達がいなかったからだと思います。しかも日本語があんまり分からないから、強い孤独の中で初めての子育てをしていたためです。

    我が子を虐待してしまう親は、孤独が大きな原因でしょう。

    長文を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

    ガチャピム 女性 20代
  • かな says:

    わたしも親に否定されたりものをかってもらえなかった。毎日怒鳴りちらして八つ当たりの道具にされた。結婚相手も決められて結局家からでれなかった。

    かな 女性 30代
  • 匿名 says:

    自分は子供を産んではいけなかったと後悔しています。

    両親からずっと理不尽な事を言われたり、暴力で脅されたりしてきました。自分は子供にはそんな事するまいと思っていたのに、この子は私にそっくりな気がします。周りの子と同じ事ができない。駄目と言っても同じ悪さを何千回でも繰り返す。正直、自分がそうだったという記憶はありませんが、この子を見ていると、私もこうだったとしたら、親が私にした事も頷けると思ってしまいます。

    産まれた時からめちゃくちゃに可愛がってきました。なのに、何度言っても笑いながら反抗する態度、許せないと思ってしまいます。これはもう血筋なのではないか?私の先祖は代々こういう子供として産まれ、厳しく躾けられながらでないとまともな大人になれないのではないか?そういう考えが湧いてきて、頭から離れません。今の時代に私のような血筋は子孫を残すべきではなかったと思ってしまいます。

  • 匿名 says:

    子供の頃の虐待された記憶がフラッシュバックします。朝ごはんはいつも用意されていなかったし、妹だけ御飯がありました。お腹空いたと言えばアル中の父にみぞおちをグーで殴られ、常に暴力に怯えてました。

    母の顔もアザだらけだったけど、私は父に顔が似ているからと言って何も愛情はかけてもらえなかったです。その妹は自殺しました。母から全てお世話してもらってたのに・・夫もアル中になって手が震えているし、子どもの前で「金のいるデブ」と面前DV。そしてやっと授かった子供に虐待をしてしまった自分に絶望しました。虐待の連鎖はしないと決心したことは無駄だった。

    自分が子供の頃、満足に食べられなかったから、ご飯だけは欠かすことなく用意してもアレルギーや好き嫌いが多くて食べない子供。クズ夫がスマホを貸してゲーム課金何十万、友達や学校の物を勝手に持ち帰る子供。どんなにいけないことだと説明してもウソをつき続ける子供。死にたい。

     女性 40代
  • 匿名 says:

    家が大嫌いです。4歳年下の妹がいて、妹が生まれてから始まりました。

    当時保育園時代だった私は、「妹のほうがなんだか大事にされてる?」と思い、だんだん私への扱いが酷くなっていき、時には大事な日に寒い中、薄い服で外に追い出されて2~3時間放置されたりしてました。ご飯もあまり食べさせてくれない、私が暴力を振るわれてたときに「もう虐待なんてやめてよ!!」と強くいうと「じゃあ見せられてる妹のほうが虐待だわ」と意味わからないことを言いました。そして妹からも「この人だれ?」と笑われてとても腹が立ちました。時には大きなあざや、切って血を流したり、首をしめて脅したりされました。絶対に私はこんな親になりたくないです。

    読んでくれてありがとうございました。では。

     女性 10代
  • 匿名 says:

    母と私で喧嘩をしていると必ず父が入ってきて、座っているのにしっかり座れとか、言ってないのに言ったことにされたり、しっかりと父を見て話を聞いているのに、ちゃんとこっちを見て話を聞けと言われたり、「どうしようもないのに」と悩んでいるといきなり叩かれたり、逃げると何か叩く物ない?と探して脅迫じみたことをされ、ひどい時には家から出てけと言われて玄関から出されたり、あとは私を叩かないと分からない動物なんだという話を聞いてしまったのが凄くショックでした。

    小学校4年生ぐらいから虐待をされた記憶があり、イライラというかむしゃくしゃして父を殴ってしまった事もありました。殴ったら殴ったで親2人から叩かれ、蹴られ、声も出ずに泣いていた自分を思い浮かべるだけで泣いてしまうほど酷い事でした。それからは親を殴る事はしなくなり、殴られるたび、怒られるたび、話しかけられるたびにすごく殴りたくなったりしてストレスなどを抱え込むようになってしまいました。

    これを書く本当に少し前にも怒られ、叩かれ、叩くものないかと脅迫じみたことをされ、違う部屋で悪口を言われ、誰かに知って貰いたくて泣きながら勢いと怒りで書いています。誰かに知ってもらえるだけでも楽になるならと探してここに来て書いています。相談したいけどあまり大事にして学校で変に注目されたくない、親にバレたら、今までよりも酷いことをされるんじゃないかと不安になり、相談できず、抱え込んでしまうのです。

    読んでくれた人ありがとうございました。また辛くなったら書きに来ます。

     無回答 10代
    • 今川綾音 says:

      【すくすく編集チームから】
      連絡手段が限られるとのこと、いろいろな方法で
      つらい気持ちを相談できる窓口をいくつか紹介します。

      ■チャイルドライン
      https://childline.or.jp/
      18歳までの子どものための相談先です。
      電話やチャットで、かかえている思いを話すことができます。

      <電話>
      0120-99-7777(通話料のかからないフリーダイヤルです)
      日時:毎日、午後4時~午後9時(12月29日~1月3日はお休みです)
      ※携帯電話や公衆電話からも無料でかけられます。公衆電話でかけるときは、最初にお金を入れて下さい。通話が終わると戻ってきます。

      【チャット】
      チャイルドラインのウェブサイト(https://childline.or.jp/)から
      日時:第1・第3水曜、毎週木、金、土曜、午後4時~午後9時

      編集チームが直接案内することもできますので、その場合は投稿フォームからご連絡くださいね。
      https://form.tokyo-np.co.jp/entry/index.php?form_id=59%2FfgBL2tWmIbfcOLFjdrg%3D%3D
      話の内容や相談したということを、あなたの許可なく、家族や学校の先生、周りの人に伝えることはありません。

      東京すくすく編集チーム  
  • 匿名 says:

    自分が幼少の頃少し発達障害だったと思いますが、その当時はそのような言葉はなく、普通に過ごしていました。ただ自分で思うのですが、他の友人と比べるとできないことが多すぎ、よく怒られていました。それに悪いことも結構して、私が悪いので仕方ないのですが叩かれたこと沢山あります。でもそれは虐待とは思っていません。しかし、今自分の中学生の長女の反抗期と思春期が重なり、言葉遣いがあまりにひどく「キモイ」とか「汚れるから触るな」みたいなことを平気でいうようになり、手をあげてしまうようになりました。手をあげる=虐待というものなのか分かりません。でもそう思いたくないだけで「手をあげてしまう」の言い訳で自分を正当化しているとも感じます。

     女性 40代
  • FH says:

    私は、親が大っ嫌いです。まだ大人ではないので出て行くことはできませんが、18、19歳ぐらいで出て行こうと思ってます。
    小さい頃から、両親のお人形です。なんでも親が決めた事じゃないとダメなんです。少し口答えをすると、スリッパ、ハンガーなどを投げてきたり、ひどい時には顔に痕が残るほどの傷をつけられました。また、親の知り合いの前ではいい子のふりをさせられたり、誰かより一歩前に出とかなければいけないのです。
    3年生の時、姉がしたことを私がしたと言い切って外に放り出されたことや、マットを少し汚しただけでパンツ1枚で(冬)冷水を浴びされたこともありました。この前は、成績のことで殴られました。
    家がこんな状態なのでどうしても学校でストレスをぶつけてしまいます。そのため成績が下がり親の顔もあるので怒られました。それに体を壊したこともありました。親は気分で変わるので、病院には連れてって、もらえました。するとストレスなどで起きる過敏性腸症候群と機能性ディスペプシアでした。
    まだ治っておらず、今も苦しいです。でも「お前にはストレスなんかない」と言われて相手にされませんでした。いつも家族の言いなりでとにかく合わせなければいけません。別に膨れたりしてないのに「膨れている」と言われ殴られたりもしました。「犬のように殴られたりしないといけないのか?」と言われたり髪の毛もちぎれるほど引っ張られました。
    私はこんな人にならないように生きて行こうと思います。
    読んでくださった人、ありがとうございました。困ったらここに書くので、助けてください。お願いします。

    FH 女性 10代
  • 匿名 says:

    私も親に精神的、肉体的DVを受けて育ちました。そして夫のDVに悩んでいて、自分も子供が成長したらやってしまうのではと最近悩んでいます。
    戦争の影響に言及されてる方がいて、私も全く同じ事を最近考えていました。
    祖父母は父方、母方も、よく今でもTVなどで話題になるような悲惨な現場を生き抜いた被害者です。住むところが無くなり、土地を追い出され、戦後も新しい土地で苦労したはずです。
    何十年も経ち戦争の記憶は人々からどんどんなくなるのに、その影響は世代を越えて受け継がれているなんて、なんて悲しい事でしょうか。

  • 匿名 says:

    子どもへの叱り方が実母のそれと似ていると感じたことがあり、それは自分が嫌だった実母の姿であるのに、無意識に体現してしまっていた自分に嫌悪感が込み上げたことがあります。こちらの記事の女性の悲しみに共感する女性、特に今の40代以上の方には多いのではないでしょうか。私も40代、祖父母世代は戦争を経験し、当時の困難な時代を生き抜くため子どもへ手を挙げ躾けることも普通にあったと思います。その祖父母の子供が親となり、力で抑える育て方を倣ってしまった現70代、その子供が今の40代以上の世代です。時代と共に価値観は大きく変わり、子への虐待がクローズアップされ、暴力で親が逮捕される時代になりました。身近であった親に倣えば罪になり、良い親のお手本もなく、親世代の良妻賢母の価値観と、ジェンダー平等の新しい価値観に挟まれ、どちらの考えも理解できるからこそ苦しく、過去の自分が受けた傷に気付いていても、癒す方法を知らずに苦しんでる女性は、自分自身を含め少なくないと思うのです。子供を暴力から守るため、法の力で強力に囲うのであれば、その母親達の苦しみも、法のような強い力で癒す囲いが必要なのではないでしょうか。親の暴力の原因がその親にある、過去からの負の連鎖を証明できるのならば、罪を母親一人に背負わせず、罪を家族へ分散する等の現実的な救いにも目を向けて頂きたいです。

      
  • 匿名 says:

    私は両親から虐待を受け育ちました。どんなに望んでも親から愛される事はありませんでした。愛されるどころか、親から消えていなくなって欲しい存在でした。それは、大人になった今でも変わりません。

    親から愛される事なく育った人間は、人を愛する事は出来ないのでしょうか? 一人の男性を愛する事が出来たなら、きっと、その人との間に出来た子供も愛する事が出来るのではないかと思います。

    コメント欄を読み、思った以上に、虐待されて育ったのに自分の子供に虐待してしまう人が多い事に衝撃を受けてます。

    ご自分のお子さんに「大好き」と言ってあげて欲しいです。最初は、心から、そう思えなくても、何度も繰り返し「大好き」と言ってみてください。その内、「大好き」の言葉の魔法に掛かります。

    子供を大切に愛して育てれば、子供からの「愛」が返ってきます。親からは必要とされる事はなくても、愛して育てた子供は、自分の事を頼り必要としてくれるようになります。

    愛する事と愛される事の心地良さを子供との信頼関係を結ぶことで経験出来るのに、それを自ら捨ててしまうのは、勿体ないと思うのです。

    虐待は負の連鎖。そんな物は、ご自分の代で断ち切ってください。単なる綺麗ごとと思われるかも知れません。でも、自分がされた酷い仕打ちを、ご自分の子供にしないで欲しいです。

    ご質問の趣旨とは違いますので、コメント欄に相応しくないと思われたら、掲載されなくても良いです。不幸な子供がこれ以上増えないようにと思い、書き込ませていただきました。

      
  • 匿名 says:

    私は父からも母からも虐待を受けて育ちました。母は、週の半分は自分の実家で暮らし、自分のいない時は、私に家事をするように命じていました。小学生の低学年から、掃除や食事の用意、洗濯をさせられていました。私の家事の仕方が気に入らないと罵声を浴びせ、父に手伝いをしないと言いつけては、父親に殴る蹴るの暴行を加えさせていました。一番酷かったのは、窓ガラスへ向かって投げ飛ばされ、手はガラスで切れ、足にガラスが刺さっても病院へ連れて行ってくれないのは勿論の事、傷口に膿が溜まり自分で病院へ行った時は、直ぐに縫わないといけなかったのにと言われました。
    中高生になり反抗期で家事を拒否すると、私の食事は一切ありませんでした。親のいない時に冷蔵庫にある食材を食べました。食材を食べたのがバレると「泥棒」と言われ殴られました。
    話しかけても無視され、私は完全にいないものとして扱われていました。
    家の鍵すら持たせてくれませんでした。誰かが家にいないと家にははいれませんでした。
    お風呂は、「お前は居候なのだから一番最後」と言われ、深夜にならないとお風呂に入ることは許されませんでした。
    冬でも夏用の薄いスカートを履き、着る物も殆ど持っていませんでした。
    母は相変わらず、してもない事を父に言い付け、父に殴る蹴るの暴行を加えさせていました。

    良く言われた言葉は「早くいなくなれば良いのに」「この家から早く出て行って」「あんたは自慢する所が何もない」でした。

    大人になっても週の半分は、自分の実家で暮らします。大人になりきれない、何時までも祖母の娘をやっています。祖母が何でもしてあげるから、自分の思い通りにならないと気のすまない性分です。また見栄を張る性格で、何時もブランド物の服やバック、装飾品を身にまとっていましたが、自分の物は買っても子供に買い与える事は殆どありませんでした。

    私は、自分の子供は自分と同じ思いをさせたくないと思い、大切に育てました。
    出来るだけ褒め、悪い事をした時は、本人が理解できるように根気よく説明しました。
    手は挙げません。本人の自尊心を傷つけないように気を付けて接しました。

    表題とは違いますが、どうして自分がされた酷い事を我が子にできるのでしょうか?
    自分が子供の頃にしてもらいたかった事を子供に沢山する事で、自分自身の心をも癒しているのだと私はそう思っています。

    辛くて何度も死にたくなり、自殺をしようと試みても失敗し、それを見た母から「死ねるものなら死んでみろ」と高笑いされた記憶は決して消えません。
    死にたくなるほど辛い事、どう考えても可愛い我が子にはできません。
    同じことをしてしまう人の気持ちは分かりませんし、また分かろうとは思いません。

    虐待負の連鎖、自分が虐待をされたのに、子供を同じように虐待してしまうのは、本当に仕方のない事なのでしょうか?こんな事を肯定して欲しくないです。
    仕方ない事だったと安堵させてはいけないのではないかと思います。

      
  • 匿名 says:

    5才になる男の子と1才半の女の子の父親です。
    仕事のイライラを家庭に持ち込み、妻の話を聴くどころか、汚い言葉で悪口吐いて、妻も子どもも義母も、やな気持ちにさせてしまっています。
    家にいる時も、家族とは、ろくに向き合わず、家の修繕や庭のことやテレビを観たり、買い物行ったり、ケータイいじったり、本読んだりしたくて、でも出来なくて、そんな自分だけの都合で、イライラして、当たり散らしています。

    自分で言うのもなんですが、今の仕事に就く前までは、もう少し体裁の良い、相手を思いやることのできる、優しい心掛けが、表現できていたと思うのですが、弱い自分は、情けないかな普段接することの多い人に合わせてしまい、影響もらい、自分を変えてゆきました。
    いままで居心地よくできた妻や子どもとの、たわいないやりとりでも、相手の表現が、気に食わないと思ったときに、酷く怒り狂うことが、多くなりました。なんとも思わないで、乱暴な所作と口調と表情として、出してしまいます。
    相手のからだを傷つけてはいけないという気持ちは、まだありますが、目の前で、ものには、激しく当たって壊しています。言葉では、もう既にかなりきつい言葉で、罵ってしまうことが、多くなり、ぐわっあっと頭に来ると、言葉でだれかれ見境なく、生意気な口調で正論振りかざして、相手のできないこと、弱いとこ、コンプレックスにズタズタ踏み込み、威張り散らして、失礼なことを平気で語ってしまっています。

    ダメなのはわかってんのに、これでいいんだって肯定してる自分がいる。また優しくできる男に変えなきゃって、思える時もあれば、自分より弱い人に対して悪鬼のような振る舞いをしてしまう時もある。

    体は前より弱くなって、神経質になっている自覚がある。得たものがある一方、できなくなったことも出てきた。
    俺は、妻に優しく出来なくなった。嫌いなわけじゃない、むしろ居るとホッとする。感謝してる。
    でも、女として抱きたい奴でないと感じてしまった。それでも大切な存在なんだ。でも、からだのつながりがないと、どうでもいい女に感じてしまう。
    信じ合うことができなくなれば、夫婦は家庭の中で、一番遠い関係になってしまう。と気付かされた。
    共通の興味と目的と価値観をもつことかなにか、あれば、いいのかな?なんて考えたけど、やっぱり抱きしめたい。俺は妻を抱きしめたい。
    欲求不満で、知らない女と知らない男のハメ撮り動画見て、情けない馬鹿みたいな冴えない男を慰めてる。

    取り留めないまとまりない考えが、いつでも体中ぐるぐる浮かんでは、消えて、浮かんでくる。

    周りは見てない。自分自身も見えてない。今、見えてるのは、周りの人の弱点ばかり。

    もう寝なきゃ

      
  • 匿名 says:

    親から撲られて、育ちました。長男だったので、弟、妹の為に二十歳蔵で親父を殺す位殴った後、親の辛さも理解してしまいました。親父は妾の子で、コンプレックスを、お袋はお婆さんが怖くて、本当は強いのに親父の親には言えないだったそうです。
    私は死別した子ども含め4人いますが、親と同様、親として親父を出来ることに喜びを感じます。自分がして欲しくないことは人にして欲しくない。それだけです。
    同じ立場の子供がいるのなら、逃げて欲しいです。

      
  • 匿名 says:

    62歳女性一人っ子です。
    物心着いたときには既に父が母に暴力を振るってました。それを見て父方の祖母は、お前が悪いからあの子がこんなになるんだといつも言ってて、私が何か気にそぐわないことをすると、それも母の躾が悪いからだと、すべて母のせいになりました。母は気丈な人で、全て我慢してました。そして私には、あなたが居るから我慢できると、何かあるごとにそう話し、それが私には重荷でした。私がいなければ母はここ家から逃げれたのにと思う毎日でした。毎日夜になると、父は酒を飲み大暴れして、私と母は豆電球の下でいつでも逃げられるように立ちながら夕食を取ってました。
    中学生ぐらいから母と自分を守る為に父に暴力を振るう自分になってました。祖母は娘の子供の方が可愛いと私の事など眼中になく、扱いも雑でした。
    それでも母は私の為と言って離婚をせずに家に留まり、私は父とは何もかも正反対の主人と結婚して家を出て、主人の家に入りました。結婚して35年、主人は今でも変わり無く優しい人です。でも主人の両親は結婚に反対でした。あんな家からもらってやったのにと事あるごとに言われました。
    娘が三人、男の子がいないのもダメなようです。今は義両親共なくなりましたが、働いていた私の代わりに義両親に育てて貰った娘達には、私のような思いはしてほしくないので、何事我慢しました。 
    でも二人に育てられたと思うと、ちょっとしたアクシデントでも、私がいなければこんな事にならないのにと思うことばかりです。主人も娘達も、そんな事は絶対ないのもわかってるのに。私の子供として生まれて来て申し訳ないと日々思い、だけど決して生まなきゃ良かったとは言うまいと思いながら生きています。娘達が笑顔だと安心し、すこしでも顔が曇れば、私が何かしてしまったのではないかとビクビクしてます。
    62歳になっても子供の頃受けた事は忘れられず、今も引きずり、心が壊れかけてます。心が軽くなるには何か方法あると思うけど、それがわからない。
    今、実家の母が入院してるけど、重篤なのにホッとしてる自分が居て、それもきつい。
    今は結婚せずに私でこんな事を終わらせておけば良かったと思っています。もう遅いのに。二十歳前に戻りたい。みんなゴメンね。こんな母でゴメンね。こんなひどい奥さんでゴメンね。

      
  • 匿名 says:

    私はまだ子供もいないし、結婚もしていません。ですが、彼氏が出来てから幸せだと感じる度に私は幸せになってはいけないのだと強く思い、眠れず、ひたすら泣いてしまう日があります。私は小さい頃から父親に、お前はバカだ人間のクズだ、と言って罵られてきました。また、片付けが苦手なことを直す為の躾だと言って夜中ですら顔を殴られたり、叩かれたり、服を掴んでは床に叩きつけられました。さほど傷痕が残らなかったせいか、母親も見て見ぬふりをしました。ですが、分かりやすいあざが出来てから暴力は止みました。
    しかし、私も大きくなって恐怖の余り父親の首を締めてしまった事もあり、自分がこんな事をしてしまうのかと自分を恐れるようにもなりなした。
    途中で自分がしている事に気づいて手が止まったものの、その時は無我夢中で罪の意識がなかったことを覚えています。
    学校の授業で、虐待を受けて育った子供は自分の子供にも虐待をすると聞いてからは、自分もいつかそうなってしまうのではないかと不安になっていました。
    父親以外の男性と接することが増えた今では、父親に似た目つきの人を見ると、呼吸が浅くなることもありました。そんな毎日でしたが、この記事を読んで本当に救われた気がしました。自分と同じ様な経験をした人がいることや、辛い思いをした人がいることが分かり、一人じゃないことが実感できました。もし、子供が出来て同じように暴力を振るってしまうことがあっても、まだ誰かに助けを求めてもいいんだと思えました。私の父親も家庭環境が悪かったと聞いて、もしかしたら虐待をしながらも辛い思いをしていたのかもしれないと考えることが出来ました。皆さんとは違ってまだ結婚もしていないし、子供もいないため、決して同じ辛さを味わったとは思いませんが、少なくとも少し気持ちを楽にすることができました。ありがとうございます。

      
  • 匿名 says:

    母から感情をよくぶつけられてました。手で叩くなんて茶飯事。病的にキレると子供にストレス感情をぶつけ胸ぐらつかみ壁にぶつけたり振り回されました。ジャイアンみたいな。そうやって平気で感情を子供へぶつけ発散してた。馬鹿で軽蔑しますね。犯罪者に近い。でも自分も親になったら、感情抑えられなくて子供にぶつけたりして辛かった。親ほど酷くはしなかったけど、生きてるのが辛かった。夫とも上手くいかず周りの人間とも子育ても生きてるのが辛くて自殺未遂するくらいでした。
    今は子供も大きくなってきて子育ても少しは楽になり、自分と向き合ったりゆっくり休んだり好きなことしたり自分を大切にできるようになってきて良くなってきました。まだ生きづらさはありますが色々受け入れられるようになり精神も落ち着いてき たのでよかったです。

      
  • 匿名 says:

    4歳の娘を育てるシングルマザーです。元夫とは暴力がひどく離婚しました。
    そこから自分のイライラが抑えられないことがあります。娘を叩いてしまいます。苦しいです。
    仕事に家事に娘との時間。自分で余裕が無いのがわかります。余裕がないからというのは言い訳だと頭では分かっています。
    難しいです。娘の事は本当に大好きで大切なはずなのに…

      
  • 匿名 says:

    虐待されて、子供にもしてしまうという連鎖を知ることができて、貴重な時間でした。私は精神的な虐待をされていたと思うので、親にされたこと何もしないようにしていますが、何を基準にどうしたら良いのか、毎日、勉強と反省です。そして、望んで産んだのだと、自分に言い聞かせています。イライラしてしまうとき、子育てに向いてないのに産んだことを反省するからです。
    同じ部屋で一緒に寝ていることは、してもらったことと同じことをしています。親にしてもらったことを、自然と子供にできるなら、なんて幸せなんだろうと、いつも思います。

      
  • 匿名 says:

    私の場合は母親代わりの祖母からでしたが、今思い出しても辛かった。
    普通の服を父に買って貰って持っているのに直し込んで、何故か父の昔のダサい服やお下がりを着せられ。ご飯はほぼ毎食納豆ご飯(兄は豪華)。お風呂は祖母の機嫌次第。洗濯もそう。そのせいで虐められました。機嫌次第で態度や言動が変わる祖母の顔色を伺いながら生きてきて、あんな人になりたくないと思っていたのに。
    結婚し子供が産まれ、ある日をきっかけに普通に手を上げるようになってしまった。祖母に言われて傷ついた言葉。母になった私が、今子供に投げつけている。嫌悪感で一杯。
    子供に言われました。「そんなことをしてるママは鬼だよ」
    泣いてる子供は昔の私だ。もう、止めよう。いつも誓っては、簡単に破ってきた。もう絶対に私は手をあげない。
    ごめんね。本当は誰よりも大事で、大好きなはずなのに。ママが弱かった。強くなるね。

      
  • 匿名 says:

    すべて、子との距離感、あやし方、母や父に投げかけられた言葉はそのまま我が子に投げかけている自分に驚きます。第2子の方がかわいく感じることまで。いいこと、嬉しかったことはあまり思い出せないのに、嫌だったことはこんなに深く刻まれているのだと恐ろしくなります。親になるべきじゃなかった。

      
  • 匿名 says:

    自分が虐待されていたことに最近気づきました。手をあげられることもありましたし言葉の暴力もとても酷かったです。父の違う妹には母からの虐待は無く、かわりに私が手をあげてしまう事もありました。その度に妹が告げ口し私が何倍も殴られました。この記事の女性と同じく、自分が母と対等な力になると私も母にやり返すようになりそんな自分も嫌で今は母とは距離をおいています。
    父もDVで酒乱でしたので、男性が嫌いで高校生時代以来お付き合いをする男性はいませんでした。一年前から数年ぶりに彼氏という存在ができてとても大きな心の支えになっています。彼はとても温厚な人でそこに惹かれたのですが、自分が心に余裕のない時に彼氏に手を出したり酷い事を言ったりしてしまいます。最初はカッとなって抑えられないのですが、途中から母と同じ事をして同じ事を言っている自分がとても嫌になります。全く同じ事をしてしまうので彼の立場の気持ちも痛いほどわかるからです。後から1人で涙が止まらなくなります。
    彼に、僕は結婚願望もあるし子供もほしい。君は子供にも同じ事をするの?と言われてハッとしました。大丈夫と言えませんでした。したくないのに出てしまう手と言葉はいつか止められるのでしょうか。この記事にある通り、なぜこんな気持ちになるのか一度落ち着いて考えてみるという事を実践してみて改善したいです。
    私は幸せな家族の一員になることは許されるのでしょうか。大好きな彼との未来を夢見ますが、こんな自分のせいで彼の未来までも壊してしまいそうで怖いです。私には良い母になることは無理なことなのかな…と考えて彼を悲しませる前に別れようかと考えてしまいます。

      
  • 匿名 says:

    月経前や睡眠不足で情緒が不安なときに子供に子供に甘えられる(癇癪という形をして)のが辛い。押したり叩いてしまう。とにかく母に対してだけ当たりが強い。受け止めて上げることが出来ない。
    参考↓
    https://kitchenfunwithmy3sons.com/kids-misbehave-around-their-moms/

      
  • 匿名 says:

    エホバの証人の伝統的な、懲らしめ、とゆう悪魔崇拝的儀式、大体中学生迄ぐらいの子供がターゲットになります。ズボンもパンツも降ろされうつ伏せに寝かされたり四つん這いや立膝をつき前の壁にしっかりと手をつくなどの体位を強要されたのち丈夫で細目の棒やベルトなどでお尻をフルパワーで殴られます、時と場合により自分の親以外からされる子達もいました、回数は最低でも10発ぐらいからでその時の親の気分で増えたりしました。特に酷い時は最高で僕は7歳の時に1度に130発、3時間近く時間は掛かったのを昨日の事の様に覚えています。お尻の右側は完全に出血し左側は途中で感覚が麻痺しました。パンツを履くと血が滲み2週間程は座るだけでも激痛が走ります、歩く事も苦痛でした、その様な行為は中学2年生になるまで定期的に行われました、もう40歳を回りましたがフラッシュバックは頻繁にあります、本能的にまだ結婚はしていません、次の被害者を出さない為に無意識に脳が子供を作るとゆう環境を作らさ無い様に強く働いているんでしょうね。僕はとっくにエホバの証人は辞めています。エホバの証人はこの日本では3世が登場し始めてきてますが、児童虐待も1世から2世そして3世へと悪の連鎖をしています、特に最近は水面下で行われている為周りが中々異変に気付き難くなって来てます。もし身近に子供連れのエホバの証人が住んでいたらよく注意して見てあげて下さい、SOSを見逃さないであげて下さい。もし少しでも違和感のあるような歩き方などしているのにやたら表情は明るくしている子とかいたら確実に日にちの浅い打たれ傷がお尻に生々しく付いているはずです、それを必死に子供達は隠して生きてます。警察に通報を直ぐに入れてあげて下さい、効果は有ります。僕も地域の人の通報のおかげで何度も助かりましたから。よろしくお願いします。

      
  • 匿名 says:

    虐待された子供も、虐待してしまう親も、それぞれが一番辛い。どちらも救われなければいけないですね。
    私も虐待を受けて大人になってしまいました。結婚はしません。子供も産みません。出来るわけがない。一つの幸せの形を生涯叶えることなく終わるのも少し寂しいですが・・・。
    少しでも虐待がなくなればいいですね

      
  • 匿名 says:

    この記事の感想…
    >虐待しているお母さんが一番つらい
    心から悔やんで反省したのかと思ったら、最後の最後にそれかーい!と唖然としました。「叩いてる手の方が痛いんだ」なんて言いながら殴る教育がまかり通っていた弊害なのでしょうか…そういう意味では確かに彼女も被害者だけど…。泣くほど悔やんでもなお、子供から白い目を向けられてもなお、発想の根っこは変わることはできないのか。ゾッとするような締めくくり。

      
  • 匿名 says:

    私も両親から色々な虐待を受けました。家も貧乏で皆が持っているような、自転車やゲームなどもちろん持っていませんでした。三姉妹なのですが母親は、下の妹を溺愛して、姉や私は、暴力、暴言の嵐でした。私の母親もアル中で給料が安いくせにお金使いが荒くて苦労をしたと思います。
    私は、非行に走ろうかと思ったことも、たくさんあります。同級生の不良は、万引きしたり、罪のない地味な子をいじめていました。それは、万引きは犯罪だし、罪のない人をいじめるのは悪ということは、私でも分かっていました。だから、勉強を一生懸命して、短大まで奨学金などで行きました。今、子供が二人いて、夫も優しく、暴力のない生活を送っていました。
    一人目を妊娠して、臨月に、突然、精神疾患を患ってしまいました。20年精神科にかかっています。この人の虐待をしている親も辛い。という言葉に怒りしか感じません。何で虐待を受けていたら、虐待をしても可愛そうなのですか?意味が全然分からない。子供は親を選べない。転んだり病気をしたら、お母さんとしか泣かないんですよ。幼い子に手をあげて、二人のお子さんが一番かわいそうじゃないのですか?
    私の記憶では、母親に抱き締められたり、可愛いね。とか言われた記憶が全くない。自分の弱さを正当化しないでもらいたい。父親は、ずいぶん前に死んだけど、はっきり言ってせいせいしています。母親にもはっきり言って、死んでもらいたい。私は、働けないし、一人では外にも出られません。このおばさんに取材された記者の方は、綺麗事にしか聞こえない。私は、この記事を見て、子供さん達が気の毒でたまらない。ただそれだけです

      
  • 匿名 says:

    記事の内容に共感。子どもの時はあれが虐待だとは思わずに育ち、大人になり度々精神的に苦しむようになりました。育児で子どもと向き合う時に母親からの言動が呪縛で苦しむ私に気付きました。それからネットや本で情報を集めて、そこで仕事で疲れた母親の八つ当たりで自分を大切に出来ず苦しむ私、自分らしさを見失っていた私に気付きました。
    母親は自分のした事が虐待だとは自覚していなくて、もちろん私にした精神的苦痛や暴力も覚えていません。ですが連鎖を断ち切るために近距離にいる実家と距離を置くために手紙を送り、気持ちが落ち着くまで絶縁した。大人になってからの反抗期でした。1年以上距離を置き、傷ついた子どもの私を癒し、今後の育児で成長した子どもたちが大人になり自分を大切に出来ず私と同じ気持ちにならないよう、そんな事態になったら命を絶とう、、、命懸けの育児を決意しました。
    そのくらいの覚悟をしないと連鎖は断ち切れないと思います。

      
  • 匿名 says:

    私は、ものすごく自己愛の強い母に育てられ、反抗どころか、話も聞いてもらえない状況でした。でも、それが愛だと思っていました。初めておかしいと思ったのは、子育てが終わりに近づいた頃です。上の子から、虐待されてたと言われ、下の子も、摂食障害、不登校、家庭内暴力などがあります。そして、初めて、虐待していたことに気づいたのです。私は、自己免疫疾患になり、うつ病になりました。後悔と懺悔の日々です。

      
  • 匿名 says:

    母自身は虐待を受けて育っていませんが、私に対して長年、叩く、蹴る、マッチの火を押し付ける、精神的に追い詰めるなどの虐待を繰り返しました。母は外面は非常に良く子供時代は恐怖の毎日でした。
    私は子どもに対してそんな酷い事など出来ないし、心を追い詰めるような事は言いません。母は、欲が深く、加虐性質だったと思います。

      
  • 匿名 says:

    あります。

      
  • 匿名 says:

    ありました。過度の過干渉。部屋に勝手に入る。子供の、プライバシーがない。愚痴を言う。子供の前でけんか。

      
  • 匿名 says:

    自分が幼い頃からされてきたことを、弱い親だからしょうがないんだと我慢して生きてきた。そのうち自分が親になり、自分の母親は別人格が2人いるんだと思うようになったら楽になった。
    自分の子供達に対して、連鎖を断ち切るように育てていこうと頑張ってみたが、気がついたら子供達を追い込んでいたらしい。
    自分は誰のせいにもできず、パートナーや子供達や子供の医者から母親のせいだと言われて、自分の置き所がわからない。

      
  • 匿名 says:

    上の娘に「うるさい」などと言葉をかけてしまった。まだ寝返りも打てない頃です。
    保育園に通いはじめ、話せるようになった娘が自分の思い通りにいかない時私に「あっぷ(怒っているという幼児語)」と言った際、「お前にあっぷなんて言われたくない」といい、夫に殴られました。「お前が娘にしていることは虐待だ」と殴りながら言われ、母親にされていたことが虐待だと気づきました。下の息子が産まれる少し前の話です。
    夫は経済的DVや威圧的な態度、無視、暴力などがありますが親に比べるとずっと穏やかです。母親からは日常的に殴られたり「あんたたちが産まれなきゃ離婚して自由になれた」と言われたことや「言うこと聞けないなら犬以下」と下着姿で庭に繋がれたりしました。父親はたまにしか殴りませんでしたが、殴られるときは気絶しても終わらず何時間も殴られ続けました。あざのある顔で学校に行き担任に「お母さんは怒るので学校でのことは言わないで」と助けを求めたら担任は母親に直接電話をかけて「お母さんが怖いといっているので怒らないでください」と伝え、結局気絶するまで殴られました。幼稚園の頃、トイレに行きたいと言っただけで張り倒され床に頭を押さえつけられたのも記憶にあります。
    それでも親に好かれたかった。今でもできることなら仲良くしたい。でも、気にくわないことがあると、やっぱり無視される。このまま会わなくなるのは寂しいと感じている自分が嫌だし怖いです。会えば、子ども(彼女にとっては孫)も同じことをされるのに。なぜか娘は母親に懐きます。彼女の本性を知っている私は怖くて子どもから目を離せない。彼女がピリついたら子どもとの間に入る。
    そんな母親がよく言う言葉は「子どもはいくつになってもかわいい」。離れようとすると、かわいがられた記憶も蘇る。焼いてくれたニンジンケーキ、抱っこしてくれた朝、連れて行ってくれたイベント。でもそんな記憶も、殴り吐かれた暴言に上書きされてしまいます。
    夫はそうならないように止めてくれた。私も誰しも経験していることだと思っていたから話してもいなかったのです。夫と深く話したら彼のDVも止みました。私がおかしかったから彼も戸惑っていたみたいです。下の子が産まれたのと、話ができたのがほぼ同じ時期だったので下の子はとても穏やかに育てられています。もちろんいまは上の子も。上が産まれたときは辛いだけだった子育てがいまは幸せなものに変わりました。あの3人くらい子どもが欲しい。そう思えるくらいに。

      
  • 匿名 says:

    はい、あります。家族の宗教を押し付けてきました。(今もちょっとあります。)宗教的権威は根強いので難しいものがあります。
    親が追い詰められると危ないです。手をあげたり暴言を吐いたりしなくても、親の切迫した雰囲気を、子どもは(自分がなんとかしなければ)と思います。私自身がそう思ってきたし、私の子どもも私たち夫婦に対してそう思っています。

    自分は頑張っていると思っている親(実際頑張っている)は、頑張っているように見えない親を許せなかったりします。仲間同士の助け合いも良いですがそこに力関係も発生するので、プロフェッショナルな方々からの手助けを受けられると安心です。

      
  • 匿名 says:

    自分が癒やされた、解放されたと感じるまでは子供を作らないのが一番いいと思います。
    何故なら、子供に同じことをやってしまうからです。
    自分の問題を解決出来ないのに、どうして他者の世話が出来ましょうか?
    人間はそこまで強くないですし、弱い自分を受け入れる事が出来るようになるには、やはり、自分の心の傷が癒やされていないといけません。

      
  • 匿名 says:

    親がいつも手作りご飯や手作りおやつだったので、私も子供や家族にはなるべく手作りでご飯やおやつを用意したりします。
    しかし、私も子供の頃はお母さんが忙しく何でも自分でやりなさい!と言われていたので、同じように子供にも自分でやりなさい!と怒鳴ってしまう

      

良いことも悪いことも含め、「自分が親からされたことを子どもにしている」と感じたことはありますか? この記事の感想とともにお聞かせください。

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投稿内容は、東京すくすくや東京新聞など、中日新聞社の運営・発行する媒体で掲載させていただく場合があります。

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