子どもの「バウンダリー」侵害していませんか?〈スクールソーシャルワーカー・鴻巣麻里香さんに聞く〉①

タイトル:「バウンダリー」って? 親子に必要な境界線

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保護者が子どもと良好な関係を築く上で大きなヒントになる「バウンダリー」という考え方について説明するスクールソーシャルワーカーの鴻巣麻里香さん=松崎浩一撮影

子どもの心を守る境界線「バウンダリー」

子どもが進路や学校の悩みに直面したとき、保護者がどうかかわり、どうサポートするかは悩ましい。保護者のかかわり方によっては、子どもが余計につらい思いをしてしまうこともある。子どもの意見を受け止めることができているか、親の考えを押しつけてはいないか。スクールソーシャルワーカーとして中高生を支える鴻巣麻里香さん(45)は、近著「わたしはわたし。あなたじゃない。10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア刊)で、保護者が子どもと良好な関係を築く上で大きなヒントになる「バウンダリー」という考え方を紹介している。

「心を守る境界線」を意味する「バウンダリー」は、「子どもの権利」とも深くかかわる考え方だ。11月20日は1954年に国連が制定し、今年70年を迎える「世界子どもの日」。「子どもの権利条約」は35年前の1989年のこの日、国連総会で採択された。節目の日を前に、大人が子どものバウンダリーを侵さないために大切なポイントを考えたい。

連載目次【「バウンダリー」って? 親子に必要な境界線】

第1回 子どもの「バウンダリー」侵害していませんか?(このページ)
第2回 バウンダリー侵害が起きる理由 子どもの不安より親の不安で動いていませんか(11月22日公開予定)
第3回 子どもを動かそうとしたら、バウンダリー侵害の黄信号(11月29日公開予定)
第4回 意見やノーが言えるようになるためには、「聞かれる体験」の積み重ねが必要(近日公開予定)

第1回のポイントは…

  • バウンダリーは「心の皮膚」のようなもの
  • 「私は」を主語にして話さない子どもたち
  • 「性的同意」の解説が響かないのは、なぜ?

バウンダリーは「心の皮膚」のようなもの

ーまず、「バウンダリー」という考え方について教えてください。

「バウンダリー」という言葉そのものは「境界線」という意味です。ここでは、「私」と「あなた」を隔てる境界線、「私は私、あなたはあなたよね」という違いを守るための目に見えない心の境界線だと考えてください。

ただ、体の境界線も実は心の境界線を守る上で大切です。意に沿わない触られ方や体の接触で、心もダメージを受けます。心も傷ついたり、モヤモヤしたり、つらくなったりしてしまう。ですから、私は「心の皮膚のようなものです」と説明しています。

語句を説明するイラスト:バウンダリーって?

「境界線」という言葉のイメージは「隔てるもの」ですよね。でも、バウンダリーは必ずしも隔てているだけではなくて、皮膚と同じように、外からの刺激から隔てて私たちを守ってくれると同時に、皮膚を通じて温度や感触を確かめることができる。

「私は私で、あなたはあなたよね」と隔てるだけではなく、バウンダリーを通じて「あなたって、どんな人? どんな気持ち?」と感じ取ったり、「私はこう考えて、こう感じるんだ」と伝わったりという役割も果たします。

接する、つながるという機能もあるし、隔てる、距離をとる、区別する、嫌な刺激を遠ざけるという機能もあるわけです。

「私は」を主語にして話さない子どもたち

ーなぜ今、「バウンダリー」に着目し、著書のテーマとして取り上げたのですか?

理由は2つあります。

1つ目は、スクールソーシャルワーカーや精神保健福祉士という私の仕事が関係します。困っている人の話を聞き、その困り事が少しでも軽くなるようにするにはどうしたらいいのかな、と答えを探して支援するのがソーシャルワーカーの仕事です。

主に子どもや女性を対象としていますが、困っている人に「あなたはどうなりたいの?」「あなたの願いはなんですか?」「あなたは何を選びたいですか?」と質問しても、「私は」という主語で返ってくることがあまりないんです。

「お母さんはこうしてほしいって言ってる」「夫はこうした方がいいんじゃないかなって言うんです」「先生はこんなこと言ってました」と。言葉では「私はこうしたい」と言っている場合も、「それは誰の願いなのか」と考えると、その願いの中に「私」以外の誰かが「私」にかける期待がだいぶ入っている。

イラスト

イラスト・横田眞未子

この傾向は、特に子育て中の親御さんの相談で顕著です。例えば不登校。「うちの子が学校に行かないんです」という相談があったときに、「子どもが学校に行っていないことで自分がすごく不安だ」ということと、「子どもが今、何を不安に思っていて、何が怖くて、どうしたいのか」ということがぐちゃぐちゃになってしまっている。

「うちの子が学校に行っていないので、なんとかしたい」というのは、お母さんの不安、お父さんの懸念です。親御さんが困っていることと、子どもが困っていることを分けて考えられない。

ーたしかに、子どもの悩みに向き合う前に、親の不安を解消しようとしてしまっているかもしれません。

子どもも同じです。「学校に行けないことで苦しいです」「学校に行けなくてつらいです」と言うけれど、「いや、待って待って。そのつらさの中に何があるの?」と考えていくと、親が不安になってつらそうな顔をしているからつらい。「学校に行けるようになりたいです」という子に「本当にそうなりたいのかな?」と聞くと「だって、そうすると親が安心するから」。自分の願いではなく、親の願いなんです。

この例のように、困った状況に置かれている人たちは、「私はどうしたい」「私は何が不安だ」といった、「自分」という主語を見失ってしまっている。自分の願いや懸念と、周りの誰かの願いや懸念との間の境界線がグラグラになって、自分でも分からなくなっている。バウンダリーが侵害されているから起こっていることだと感じました。

困っている方を支援する際には、「あなたは何を願うの?」「あなたの懸念はどこにあるの?」ということをいかに引き出していくかが一つのポイントです。「誰かの期待・誰かの懸念」と「私の願い・私の不安」をテーブルの上に並べて、「これは誰の懸念だよね」「これは誰の願いだよね」とそれぞれのお皿にしっかりと分けてのせていくのが、支援の入り口。それぞれのお皿の枠組みはなんだろうな、と考えた時に「バウンダリーだな」という気づきがあったのが1つ目の理由です。

「性的同意」の解説が響かないのは、なぜ?

ー「バウンダリー」に着目した、もう1つの理由は何ですか?

2つ目は、ここ近年のMe Too運動に関係します。このムーブメントの中で、「性的同意」が一つのキーワードとして注目されました。つまり、「嫌なものにはノーと言う」。「No means No」だし、「ノーと言えない時もあるけれど、それでも嫌だという気持ちを大切にしていこうね」と。そして、「同意」も大切。同意というのは「嫌な時にノーと言えることが前提で『イエス』と言う」ことです。

性的同意も完全にバウンダリーの問題です。私は私、あなたはあなたで、今お互いに望んでいることは違うかもしれないから、それぞれを大切にしつつ、性行為においては、やはり女性の側が多くのリスクを負うことになるので、リスクを負う側の声を大事にしましょう、ということです。

日本でも、特に若い女の子に向けて、性的同意の大切さを解説するような分かりやすい本が主に欧米から輸入され、翻訳されて出ています。私もそのいくつかに目を通したのですが、言ってることは頭では分かるのに、正直、なんか響かなかったんです。「あなた自身を守ろうよ。嫌なものはノーなんだよ。プライベートゾーンに触れてくることに関してはノーなんだ。ダメって言っていいんだよ」と力強く励ましてくれている本がほとんどです。

紅茶を題材にした有名な動画を見たときも同じでした。「無理やり飲ませてはいけません。飲み始めたとしても、途中で飲みたくなくなったら飲むのをやめていいんですよ」という動画の内容は非常に分かりやすいし、その通りなのに、少し距離や壁を感じてしまったんです。

ー頭では分かっているのに壁を感じるのは、どうしてなのでしょうか?

権利意識や「子どもの意見表明権が守られるべきだ」という考えが社会に根付いている欧米では、子どもが意見を表明すること、つまり「ノー」と言えることが土台になっています。「私たちにはノーという力があるし、ノーと言っていいんだ」というベースがあった上で、性的同意についても「ノーと言っていいんだよ」という前提が浸透しているので、人々の中にスッと入る。

でも日本では、大人たちも子どもの頃に、例えば「大人の言うことにノーと言っていいですよ」と教わっていない。日本は「子どもの権利条約」を批准はしているけれど、「子どもの権利」という概念や考え方、その存在は、全く子どもたちの生活の中に下りてきていません。ノーという言葉を奪われた状態で、「ノーと言っていいんだよ」といきなり言われても苦しいんです。

日本の子どもたちは、「ノーと言ってはいけない」「大人の考えにイエスと言いなさいね」という教育を受けていて、まるで子どもは大人の所有物であるかのように、大人が子どものさまざまなことを決めつけてきている。このことが、子どもからノーという力を奪ってきました。

性的同意についても、大人が子どもからノーという力を奪ってきた。それはつまり、大人による子どものバウンダリー侵害です。性的同意を考える前の段階として、「まず『バウンダリー』という、あなたの周りにある、あなたを守ってくれる膜みたいなものを意識して、大事にしてみない?」と、子どもたちが腹落ちする形で伝えたいと思いました。

「バウンダリー」というのは、すごく視覚的にイメージのしやすい言葉なんです。自分の周りにある膜がきれいな人もいれば、穴だらけの人もいる。うちの娘なんか、「私のバウンダリーは有刺鉄線だから」と言っています。

それぞれ形が違うし、例えば、ある人に対しては有刺鉄線だけど、ある人の前ではシャボン玉のような膜になったりと、相手によって形を変えたりもする。そういうものだよね、と視覚的にイメージしやすいので、この「バウンダリー」という言葉を使って、本として発信することにしました。

※続く【第2回 バウンダリー侵害が起きる理由 子どもの不安より親の不安で動いていませんか】の記事では、「なぜ大人は子どものバウンダリーを侵害してしまうのか」について考えます。親が設定する「正解」についての解説が心に刺さります。

鴻巣麻里香(こうのす・まりか)

1979年生まれ。スクールソーシャルワーカー、精神保健福祉士。子ども時代には外国にルーツがあることを理由に差別やいじめを経験する。ソーシャルワーカーとして精神科医療機関に勤務し、東日本大震災の被災者・避難者支援を経て、2015年、非営利団体KAKECOMIを立ち上げ、こども食堂とシェアハウス(シェルター)を運営している。著書に「わたしはわたし。あなたじゃない。 10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア)、「思春期のしんどさってなんだろう? あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題」(平凡社)などがある。

書影「わたしはわたし。あなたじゃない。」

鴻巣麻里香さん著「わたしはわたし。あなたじゃない。 10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア)

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