あの日、名前も知らない彼女に救われた〈南家真紀子 MIRACLE TWINS〉
彼女はきっと、私の孤独を察してくれたのでしょう。「双子の母である」という共通点だけで、私たちは一瞬でわかり合えたのでした。
ほんの数年先をいく彼女の双子の娘たち。その数年は私にとって果てしなく遠く、蜃気楼(しんきろう)のようだったけれど、彼女に出会って初めて「息子たちもいつかあんなふうに大きくなるのかも、自分でしっかり歩くのかも、買い物を手伝ってくれるのかも…」と、希望のイメージを持つことができたのです。
子育てがつらいとき、彼女のことを思い出して乗り越えました。名前も知らないその女性に、今でも心から感謝しています。そして、いつか私も彼女のように、誰かに声をかける側の存在になろうって心に決めたのでした。
◇紙面に掲載された元の作品
※第3金曜日掲載
南家真紀子(なんけ・まきこ)
アニメーションアーティスト。三重県出身。武蔵野美術大学卒業後、アニメ制作会社勤務を経てフリーに。NHK・Eテレの子ども向け番組「いないいないばあっ!」のアニメコーナーなどを手掛ける。12歳の双子男児と6歳男児を子育て中。作品や活動は公式サイトで紹介している。
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なるほど!
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グッときた
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もやもや...
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もっと
知りたい
いつもお母さんは大変なんです。ちょっと周りが気付く事が出てたら少子化問題も解決出来るではないでしょうか?「無理しないでね!」と声を掛けるのも優しさですよ。
一卵性双生児女児、7歳です。私も同じような経験があります。通勤帰りに、一人をベビーカーに乗せ、一人をおんぶして、電車の中でご夫婦に話しかけられました。暖かい言葉をかけていただきました。お子さんはおいくつですか?と尋ねると「うちは28歳になる男二人よ」と、笑いながら話をしていただきました。今のようにインターネットのない時代、お買い物ひとつにしても大変だった時代だと思います。その隣で懐かしむように笑顔で話をきかれていました。お二方の優しさが、伝わってきました。
双子育児の経験はありませんが、記事を読んで泣いてしまいました。
“気遣い”と“共感”。
どのような立場の人にも必要なものだと感じました。
Miracle twin
私も同じ経験あります。
夫は、マスターの勉強でいつも帰宅が12時ごろ。私はユタ州のソルトレークシティーで友人も居ず一人で育てていました。夏の暑い日も冬の寒い日も毎朝、散歩に出掛けてスーパーでおしめを変えて近くの喫茶店でミルクをあげていました。
大変と言う気持ちより、時間時間で機械的にミルク、せなかたたき、おしめ、などなど文句を言う暇もありませんでした。そんなとき、二人の男の子を連れたお母さんが声をかけてくださって、「頑張ってね。すぐにおおきくなるわよ。この子達は11歳よ。」と、ニコニコ声をかけてくださいました。ホッとさせられて涙がドバーッと出てきました。それまでの張り詰めていた私の心がとけた瞬間でした。
いま、その11歳を通り越して13歳になり私が子供の膝の上に乗れるぐらいおおきくなりました。抱っこしたくても抱っこできません。赤ちゃんを見るたびに、可愛くて可愛くて抱っこしたい毎日です。
子供の同級生のお母さんも同じ気持ちで、できたら子供をアダプトしたいと、言っています。子育て楽しいですね。
私は今4ヶ月の女の子の双子の育児中です。まさに今この大変さの真っ只中にいます。生後1ヶ月の小さな新生児の時の記憶は既にほとんどありません。毎日エネルギーを振り絞って双子と向き合います。それでもちょっとした事で心が折れかかったりすることが度々あります。
私もこのように声をかけられたら嬉しいと思います。
小学四年生二卵性の女の子の母親です。私は両親が離婚をしていて主人の両親も他界しているので身近に頼れる身内は居なかったので主人も仕事が有るので私が一人24時間体制で子育てしました。新生児期は睡眠小一時間しか取れず目が開けられない程睡眠不足夜が明けるのを毎日感じてました。
とにかく寝たかった辛かった。後ろからポンと押されたら倒れるかもと精神的にも肉体的にもギリギリいや限界の子育てでした。今となり二人の赤ちゃんの頃の写真をかわいいと眺められる余裕が出て来ましたが、以前は見るとギリギリの子育てをしていた事を思い出すから見ませんでした。
双子ではなかったけれど 仕事と育児で 職場にも子どもにも保育園にも、きちんと出来ず ごめんなさいの人生だなぁ~!と大変だった頃に、3歳になれば楽になるよ~!! との先輩ママからの一言に、救われました。