料理家 ワインあけびさん 父の薪ストーブで作る母のラザニアは絶品です
プラハの春でチェコを離れた父
今年80歳になるストーブ作家の父は、旧チェコスロバキアのプラハに生まれ、カレル大で舞台装置や絵画を学びました。絵の勉強に専念するため、24歳で当時としては珍しい国費留学生として渡仏しましたが、まもなく民主化運動「プラハの春」が起きて、国に戻るか国籍を失うかどちらかを選ばざるを得なくなりました。
父はチェコには戻らず、その後20年間レフュージー(難民)のパスポートで、さまざまな国で暮らしていました。米ニューメキシコにいた30代半ばごろ、日本から現地に来ていた詩人のナナオサカキさんとの出会いをきっかけに来日。日本人の母と出会って結婚し、ずっと信州で暮らしています。
父からチェコの思い出をよく聞いてきましたが、共産主義の自由のなさの一方で、医療や、質の高い教育が無料で受けられる利点もあったと語っていました。
父の話を聞きながら、私はずっと自分の半分である「海の向こう」を感じていて、チェコにすごく行きたかった。チェコ語が話せたらいいな、という思いもありました。高校卒業後、プラハの語学学校で学んだ後、カレル大に入学。両親とは当初、語学学校の1年間だけという約束だったのに、プラハに7年間暮らし、パリ、イタリアへと移り住み、レストランで働いたり、料理を学んだりする暮らしを計14年続けました。
故郷のライ麦パンが食べたくて
父が薪(まき)ストーブを作り始めたのはチェコ風のライ麦パンが食べたかったからです。ライ麦を植えつつ、オーブン付きの薪ストーブを考案。日本の家屋に合うシンプルで美しいストーブを作って使っていると、周りの友人も欲しがるようになり、いつの間にかストーブ屋になっていました。
アーティストの父は、モノを生み出すのが本当に好き。作る過程が楽しくて、いいものができたらうれしいという人。数年前の父の展示会のタイトルが「ものをつくるのが大好きな少年」でしたが、ピッタリだと思いました。今も「体はじじいだけど、心は15歳」って言ってますよ。
父のストーブビジネスが軌道に乗る前は、わが家は織物職人の母が作る敷物で生計を立てていました。母は食べさせるのがとても好きな人。そこは母から私が受け継いだところです。父の薪ストーブで作った母のオーブン料理はとてもおいしく、中でもラザニアは絶品。「イエルカ(父の名前)はいつもラザニアに憧れている。(中略)またせっせとラザニアを作ろう。異国に暮らすイエルカのために」と母が書いた文章を読み、とてもいいなと。母の温かくたっぷりのごはんが、父や父に似て、ともすれば頭でっかちになりがちな私を地面につなぎ留めてくれたように思います。
ワインあけび(わいん・あけび)
1985年、長野県生まれ。高校卒業後、プラハのカレル大で言語学を学び、その後渡仏。パリのレストランで修業し、ケータリングで独立。その後イタリアへ渡り働きながら料理を学ぶ。2019年に帰国し、長野県南部と鎌倉で料理教室を主宰。2022年11月、松本市に「欧州総菜Kawasoe」を開店。近著に「ワイン家のオーブン料理」(リトルモア)。
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