起業家 小幡和輝さん 不登校は不幸じゃない 教師だった父は難しい立場…でも認めてくれた

長田真由美 (2021年11月7日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる
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小幡和輝さん(本人提供)

家族のこと話そう

休む前は毎日死にたい思いがあった

 僕は小学2年から中学卒業まで不登校でした。学校は時間割が決まっていて、好きなことができない。運動が苦手で、体育も外遊びも嫌い。食べ物の好き嫌いも多くて、給食も楽しくない。今振り返っても嫌な記憶しかありません。

 幼稚園から行き渋りがありました。小学2年の半ばごろには「行きたくない」という気持ちが明確に。最初は、親に許してもらえず、毎朝けんかしていました。父は中学・高校の先生、母は教育熱心で、2人とも勉強も運動もできたそう。だから、学校に行きたくない僕のことをどうしたらいいのか分からなかったんだと思います。「行きたくない」が明確なのに行かなければならず、それ以外の選択肢がない。休む前は、毎日死にたい思いがあった。この時期が一番つらかったです。

フリースクール、定時制高校、起業

 親が認めてくれたきっかけは、いじめだったと思います。学校を休みがちになって、「なんで来ないのか。ずる休みだ」と同級生に殴られた。さすがに親も「いじめられてまで学校に行くのは」と思ったようです。休んでもいいと堂々と認めてくれたわけではなく、諦めた。小学2年の冬休みが明けてから、行かなくなりました。

 行かなくなって、僕はめちゃくちゃ明るくなった。1年後、フリースクールに通うようになり、中学卒業までそこで過ごしました。先輩から、小中学校と違って一人一人に合わせた対応をしてくれると聞き、定時制高校に進学。高校3年でイベント企画の会社を起業し、堀江貴文さんを招いた講演会などを開きました。両親は、好きにやったらいい、この子はそういう子だと、自由にさせてくれました。

苦しんでいる子は「自分の場所」を

 4年前、不登校をテーマに本を書く機会があって、当時を振り返りました。僕はゲームが大好きで、大会に出るためにいっぱい練習した。ゲームを通して友達もできた。だから、不登校だけどめちゃくちゃ幸せでした。でも不登校で苦しんでいる子もいる。なぜなのか。学校でやっていることは、他の場所でもできる。だから苦しんでいる子は自分の場所をつくってほしい。それが僕の出した答えです。

 今は不登校への社会の偏見を変えていきたいと思い、「#不登校は不幸じゃない」とSNSなどでメッセージを発信しています。数年前、父に当時のことを聞きました。父は「教師の立場として、なかなか自分の子が不登校だと認めきれなかった」と言っていました。住んでいたのは人口1万人の小さな町。みんな顔見知りで、父も難しい立場だったと思う。両親には不登校を認めてくれてどうもありがとう、と思っています。

小幡和輝(おばた・かずき)

1994年、和歌山県生まれ。高校3年でイベント企画の会社を起業。2018年から「#不登校は不幸じゃない」のスローガンを掲げ、全国でイベントを開く。2019年からオンラインでゲームの家庭教師サービスを始め、翌年に株式会社「ゲムトレ」(東京)を立ち上げた。

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コメント

  • 匿名 より:

    先ず題名にひかれてどんな内容だろうと思い観ました。幼稚園、学校へ行きたく無いと言う子供心は誰にでもある気持ちだと思います。確かに自我が強ければ余計に反発するでしょう。でも人道的に外れた人生をいくのでは無く社会に貢献出来る道に進んだ事は、フリースクールに通いながら育まれたのでしょうね。これからの教育の在り方について考えていかなければならない事だと思います。

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