日本は後進国です… 広げよう「体罰によらない育児」 “たたく、怒鳴る”の悪影響とは?

 日本では子どもへの体罰や暴言を「しつけの一環」として容認する風潮があります。でも、体罰がエスカレートして日常的な虐待につながることも。たたいたり怒鳴ったりすることの悪影響は近年、科学的にも明らかになっていて、国も「体罰によらない子育て」の普及に乗り出しています。

6割が体罰容認、7割が「たたいたことある」

 「もう、ダメって言っているでしょ!」。東京都大田区で2児を育てる主婦(37)は昨年、なかなか寝付いてくれない1歳半の長男へのイライラから、怒鳴り、思わず背中をたたいてしまいました。泣いた長男を見て、すぐに「ごめんね、ごめんね」と声をかけました。「たたくことが自分の感情のはけ口になっている」と自己嫌悪に陥った一方、「強く言わないと子どもは分からないと思った」と振り返ります。

子どものたたく親のイメージ写真

 日本では「しつけのためにたたくのは仕方ない」「体罰は必要悪だ」との考えが根強くあります。公益社団法人「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が昨年実施したインターネット調査では、成人2万人の約6割が子どものしつけとして体罰を容認。子育て中の親1030人の約7割は、実際に子どもをたたいた経験がありました。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの体罰に関する調査のグラフ

脳を傷つける恐れ…世界では54カ国が「体罰禁止」 

 しかし、福井大の友田明美教授が2009年に発表した研究結果によると、厳しい体罰は子どもの脳の一部を傷つけて、学習への意欲を低下させたり、大人になってから精神疾患を引き起こしたりする恐れがあることが分かっています。脅したり、暴言をあびせたりする心理的な虐待であっても脳が変形するのは同じだといいます。

 世界的には、子どもへの体罰を禁じる法律が整備されつつあり、現在こうした法律がある国は54に上ります。今年9月にはネパールで施行されたばかりです。また、国際組織「子どもに対するあらゆる体罰を終わらせるグローバル・イニシアティブ」によると、少なくとも56カ国が法改正に取り組むことを表明しています。

体罰の法的全面禁止を達成した国の数
 法律ができることで、何が変わるのでしょうか。世界で初めて、子どもへの体罰禁止を法制化したスウェーデン政府の調査では、法施行前の1960年代は体罰を用いる人が9割以上いましたが、2011年には1割以下に減りました。親の虐待で亡くなった0~17歳の子どもも、年15人(1970年)から4人(2010年)に減り、国民の意識に変化が出ていることがうかがえます。

日本でもようやく「愛の鞭ゼロ作戦」 

 日本でも厚生労働省がようやく体罰によらない子育ての普及に力を入れ始めています。2016年に児童福祉法が改正された際に、虐待防止に取り組む市民団体などが働き掛けたことなどで、付帯決議に「体罰によらない子育てを啓発すること」と記され、これをふまえ、リーフレットができました。

写真 厚生労働省研究班が作った「愛の鞭ゼロ作戦」リーフレット

厚生労働省研究班が作った「愛の鞭ゼロ作戦」リーフレット

 厚労省研究班が作ったリーフレット「愛の鞭(ムチ)ゼロ作戦」には、子どもに向き合う際のポイントなどが書かれています。厚労省ホームページから印刷できます。また、厚労省の母子保健情報サイト「健やか親子21」内にも、特設ページがあります。

 「愛の鞭ゼロ作戦」のリーフレット作成に携わった認定NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク理事の高祖常子(こうそ・ときこ)さんは「年配の人には自分もたたかれて育ったと言う人が多いが、体罰では子どもは怖いから行動をやめるだけで、根本的な解決にならない」と指摘します。突発的な体罰が、日常的な虐待へエスカレートする恐れもあるといいます。高祖さんは「日本でも体罰禁止を法律に明記し、啓発と親への支援を充実させるべきだ」と話しています。

<特集「ストップ 子ども虐待 わたしたちにできること」トップはこちら

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  • 匿名 says:

    不要か必要か以前に当たり前のように殴られて育ったため「殴らない教育」というものが想像つきません。上下関係や命令への服従をどうやって殴らずに教えるのか、教えてもらいたいものです

     男性 40代
  • 匿名 says:

    必要に応じて使うべき、と1割以上の人が思っている割に、日常的に用いるという人は2%にも満たないのか。

    いざ手をあげてしまったら罪悪感が押し寄せるのがマトモな大人。

    平気でぶっ叩ける、胸がスッとするという虐待気質の大人は、れっきとした犯罪者、人としてぶっこわれてると思うね。

    日常的にぶっ叩けてしまうのって、しつけの様式の問題じゃなくて、それができちゃう人格とか人間性のヤバさであり、子どもを一人格として見てない事の現れだと思うな。我が子の泣き叫びがノーマターなんでしょ。ヤバいでしょそれは。

     女性 30代
  • 匿名 says:

    必要ないです。言っても聞かないし学校でもトラブルを起こしうちだけ毎週授業参観状態だしお友達大人なら犯罪として逮捕されるようなこともしますが
    体罰はダメらしいので叩くのはダメです。それでいいらしいです。

      
  • 匿名 says:

    体罰を受けた当事者です。30年前。私は手が不器用でジュースをこぼしただけで殴られ、少し発達気味だったから理解力がなくて殴られ。怖いから余計に理解が追い付かず、人とも上手く関われず。いつしか私は飼い主の顔色ばかりみて指示待ちする犬のような存在なり、不快なら暴力に出る子供になりました。警戒心の塊になり獣のような大人になった私に安心して暮らせる環境を10年与えられ、やっと人の心と脳にかかった恐怖や、思考を遅くする霧のようなものが晴れました。思いやりや共感性も止まっていた心の成長がおいついてやっと人と仲良くできるようになれました。安心したことで脳機能が追い付き、軽めの発達障害も限りなくなくなりました。
    犬の躾に近い積極的な体罰は人を馴らした獣にしますが、体罰による躾では子供が人にはなりません。人を育てる育児でしか人は育たない。私は間違いなく成人付近まで人のふりをした獣でした。
    体罰は人を警戒心剥き出しの家畜にするだけです。私は人にいま近くなって失ったものが多すぎて悲しくなりました。獣のような生きるため、安寧のためなら手段を問わない人格をした私を救ってくれた夫には感謝しかない。が、このような幸福な事例は少ないと思う。まさかですが昨今指示待ちがふえたのも、犬の躾のような育児が原因ではないでしょうか。
    人はお互い理解しあい、話し合い、察し、子供なりに意見をかわし妥協や協調を理解しなければ考える人にはならない。恐怖をつかい親の思考をコピーあんどペーストなんてしたらそりゃ指示待ちロボットになるでしょうな。

      
  • 匿名 says:

    必要ありません。躾という名の体罰はあってはなりません。私は躾は体罰で教育であるという親の元で育てられました。三つ子の魂百までと言いますがそのとおりです。私はこの世を去るまで、体罰(暴力)の数々、言葉の暴力は忘れないでしょう。そして、それらの記憶が残り少ない人生を迎えた今も、自分を脅かし突然悲しくなり、大泣きし嗚咽が止まらなくなることがあります。我が子といえど1人の人間として尊重し見守るのが親の在り方と思います。子は親の所有物ではありません。子にも親と同じ意志があるのです。生きていくには、どんな教育をされても子は親から逃げることはできません。そんな子へ日常的な親の暴力や言葉での罵倒も含め、子の将来に精神的苦痛を残すことはしてはならないのです。私は我が子への愛し方がわかりませんでした。よく「親の背中をみて学ぶ」と例えがありますが「愛情」がどういうものであるかを背中を見て学ぶことなく、ただ親への「恐怖心」しかありませんでした。そして私は子の愛し方がわからなかった親でした。幼い我が子には私という親は「氷のように冷たく鬼のよう」だったのではと思います。けれどその幼い我が子が、小さな手で私の手をいっぱい、にぎりしめ「お母さんの手きれいだね」と何度も何度も撫でてくれました。こんなに小さな幼子から愛情一杯こめた手のぬくもり、号泣しました。子の愛し方がわからず、我が子に手を上げようとしたこと、私は鬼親以外の何者でもありませんでした。私は幼い我が子に救われました。この子が私を親にしてくれました。何よりもかけがえのない尊い子供です。体罰は時に「自分は生きていても仕方ない人間、価値のない人間」と、自己肯定ができない要因を子供の精神に与える原因になります。体罰(暴力)で得るものは何もありません。子供を愛しているなら安易な体罰はしてはいけません。取り返しのつかないことになります。ここまで読んでくださりありがとうございました。

      
  • 匿名 says:

    子供の育て方を教えてください。無知のままに育てていれば体罰はあります。

      
  • 匿名 says:

    体罰いらない方がいいに決まってるじゃん。殴らないで済むならその方が絶対にいいに決まっている。そして、体罰が必要だと言っているのは、体罰以外でどうしつけていいか困ってる人たち。
    大事なのは体罰が必要、不要かではない。体罰抜きでじゃあどういう風にしつけをしたらいいか考えること、それで困っている人たちのサポートをする、考えることだと思う。子供虐待の通報が大事というが、それは子供の為だけであって、子育てに追いつめられている父母への援助も必要だと思う

      
  • 匿名 says:

    必要とは思いません。でもやめられない。今日は叩かないと心に決めていても、とっさに手が出てしまいます。
    自分の手がジンジンと痛くなり、もうこのまま手がとれてしまえばいいのにと嫌悪感で一杯になります。こどもには抱き締めて直ぐに謝ります。
    子供にも個々に色々ありますが、自分の子供達とは色んな関わり方をして、どうしたら物事をわかってくれるのか、喜んでくれるか、静かにしてくれるのか、姉弟喧嘩をやめてくれるのかは知っています。ゆっくり丁寧に関わればしっかり答えてくれます。
    でも疲れがたまってきて、どうしても丁寧に対処できずに、頭で考える前に気付けば手が出ています。そんな自分が本当に嫌で、更に疲弊します。こどもも更に泣き止まず途方に暮れてしまいます。
    今は何食わぬ顔をしている母はわたしを叩いて引きずり回していたので、あまり信用していません。友人はいますが、こんなこと相談できるはずありません。

      
  • 匿名 says:

    はい。私は高校生になりましたが、昔は私の姉と私が喧嘩ばかりしていました。そんな時によく頭を母に叩かれました。母の父親もよく手をあげる人です。
    前は怖かったですが今は姉とも母ともとても仲良しです。しかし、姉は私と約束したことを守ってくれません。なので私はたまに姉に手をあげています。しかし姉には効かないので解決策を知りたいです。

      
  • 匿名 says:

    思いません。どんな理由があろうと、体罰の先には愛はありません。
    私も含めて、具体的にどんなことが体罰なのか、虐待なのか、ネグレストなのか事例をあげつつひとつひとつ理解して行くことが必要なのではないかと思います。
    国、県、のレベルだけでなく、市町村レベルでの問題です。分かりやすいプリントの作成など、絶対必要だと思います。まさに、今、子どもたちを守りたいので、切望します。

      
  • 匿名 says:

    私は幼い頃「このままじゃこの子達死んじゃうよ」と保護課の人達に言われたことがあります。当時私達は虐待で育てられてました。ご飯も貰えず親は帰ってこない、帰って来たら殴られるの繰り返しでした。
    ある晩母が父に叱られ殴られた時、離婚の話が出ました。
    母は私達を連れて父と離婚しました。新しい家に行くとそこには新しいお父さん。新しいお父さんはお気に入りの子には優しく、末っ子や下の子達には手をあげる人でした。
    私は昔と同じ繰り返しをしたくなくて、何度も新父と母から弟と妹達を守りました。保護課の人は口だけで何もしてくれませんでした。
    虐待は恐怖でしかないです。痛くて苦しくて。弟と妹達の口癖は「もう死にたい」「痛いのやだ」でした。私達は身体よりも心の方が先に死んでいました。
    虐待からは愛は感じられません。虐待はやめた方がいいと思います。もう繰り返したくありません。
    長々とお付き合い下さりありがとうございました。

      
  • 匿名 says:

    体罰は必要ないと思います。でも現実には体罰はいけないと思っていても、追い詰められてしてしまう人もいると思います。
    私は子供が何をしてもいつまでも泣き止まず、近隣への騒音のプレッシャーもあって精神的にとても辛くなったことがあります。乳幼児の育児と虐待は隣り合わせだと実感しました。
    また、体罰を受けて育った人が育児する側になった時に、その連鎖を断ち切れるような支援も必要ではないかと思います。

      
  • 匿名 says:

    使わずにできたらいいけど、無理じゃない?そもそも、親が子が教師が学校がっていうけどさ、結局誰も責任取りたがらないんだからさ、無理でしょ 笑
    無いなら無いほうがいいよ。僕は経験ありましたので、100%無いと個人の意見として言いますが・・・でも結局世の中自己責任で終わりますし、しょうがないんじゃないですか?
    社会的強者ですら社会的弱者に対して「努力が足りないから、自己責任だ」とよく言いますよね?そういうことです。そんな中で体罰無くなりますかね?無理だと思いますけどね 笑
    精神的余裕なり、何かと余裕のない世の中で、はけ口になるのって社会的弱者であり最終的に子供だと思っております。

      
  • 匿名 says:

    わたしは小さい頃、叩かれたりものを投げつけられたり、山に置いていかれたりしましたが、今でもそれが「わたしのためにしたこと」だとは思えません。ずっと嫌な記憶として残っています。よく、あなたは全然謝らない子だったと言われますが、小さい頃からそんな両親に疑問や不満を抱えていたから、素直に謝ることができませんでした。なぜ、わたしが叩くと怒るのに、お父さんはわたしを叩いても、謝らないのかな?と感じていました。
    なにが悪かったのか、なにを伝えたかったのかよりも不信感や嫌な気持ちだけが残ってしまうので、体罰は意味がないと思います。

      
  • 匿名 says:

    分からない。

      
  • 匿名 says:

    私の親は躾けの1つの方法としてお尻を叩くことがありました。でも感情に任されてではなく、いつも冷静だった記憶があります。幼少期でしたが叱られた後自分は悪かったと分かりました。しっかりダメなことはダメと教えてくれたこと、今でも感謝しています。
    日常的な体罰は厳禁ですが、大事なのは親として善悪を分かるまで教え続けること、その方法は子供によって若干異なると思います。
    私自身も3人のやんちゃ坊主を子育て中ですが、感情的になって怒りをぶちまけるのと、しっかり毅然と教えるのは、全然別物だと感じています。

      
  • 匿名 says:

    親に子供に愛情があるから叩くのよ、これは暴力ではないと言われました。私は本当に怖くて痛くて悲しい思いをしたのに、暴力と愛情がゆえの力の行使は何が違うのでしょうか?結局、しつけや体罰なんてものは一時的なものにすぎません。叩くことと甘やかさないことま違います。その判別がついてない人が多いです。

      
  • 匿名 says:

    体罰によるしつけの向こう側に何が残るのでしょうか。自分自身、子供の頃よっぽど言うことを聞かなかったらゲンコツをもらったり、家の外に出されたことがあります。
    大人になっても覚えているのは「怖かった」「痛かった」ということだけ。怖くて何が悪かったか内省する心の余裕なんてありませんでした。
    今親になって子供を引っ叩きたくなる気持ちはすごく分かりますが、体罰でしつけても問題の根っこまで解決はしてくれません。

      
  • 匿名 says:

    しつけに体罰は必要だと思いません。
    言語能力の低さや、感情をコントロールできなかったりするのを子供の責任にして暴力を振るうのはそもそも親として、人間としてあってはいけないことだと思います。

      
  • 匿名 says:

    ある程度はしつけに体罰ではないが、身体で覚えさせるしつけは必要だと思う!親がしつけで叩く行為が体罰なら、日本は終わりですね。ただ、体罰と親が子供を可愛いからしつけで叩くはとは意味が違うと思います。
    親から叩かれたことのない子供はろくな大人にはなりません!叩かれたことのない子供が親となり虐待になっているこの日本の現状!国が法律で縛ることではない!

      
  • 匿名 says:

    法整備するなら、しつけマニュアルを下さい。
    マニュアル通りにして、しつけにならなければ、特別措置法として体罰に変わる代替的な解決策を用意して下さい。

      
  • 匿名 says:

    しつけに体罰ほ不要です。
    体罰が必要なら、自分の思い通りに動かない動物を調教しているのと同じと言えますね。

      
  • 匿名 says:

    体罰は、最悪だと思います。

      
  • 匿名 says:

    全く思わない。でも10ヶ月の乳児に病院内で大音量で動画みせてる親がいた。泣かせなきゃ何でもありになって、そこから無関心・ネグレクトへ…体罰や虐待が表面化しない密室で発生することで気付き難い環境になり助けられない命が増えるのは悲しい。

      
  • 匿名 says:

    体罰は厳禁です。私は両親から心理的虐待を受けてきました。私が10歳の時に父は金銭トラブルが原因で母に包丁を振り回してぶっ殺してやると私の目の前で暴れました。それ以来、母は私に父の悪口を私に言いお前なんか産まなきゃよかったとか、親子の縁を切るとか、ちょっと失敗したことでも暴言を浴びせるようになりました。更に母は新興宗教をやっていたため宗教依存症になり自分の子供より教祖を尊崇していたので、信者に母親代わりさせて自分は神様だからと言い、私を足で蹴飛ばしたりしました。その時の記憶が蘇ることがあるので現在も精神科に通院しています。今は、父も母も亡くなりましたが、亡くなったって心の傷は消えていません。社会がもっと家族問題に関心を持ち、児童虐待が将来甚大な社会秩序の損失を招く結果になることを肝に銘じて、学校のみならず、地域全体が児童虐待防止の教育に取り組むべきだと思います。そのために政府は青少年の家庭保護を目的とした予算をつぎ込むべきであります。例えば、代替的な家庭養子縁組制度の拡充や学費支援など子供の人権を守る施策をアピールしてほしいと思います。

      
  • 匿名 says:

    躾に体罰は必要ないです。
    しかし、テレビなどで取りざたされている事例は大の大人に対してあまりにも無抵抗な子供。それは弱い物いじめと一緒で力でねじ伏せようとしているだけ、親がしつけと言い訳しているだけ。でもある程度力が付き人に暴力を加えてしまった場合、学校に呼び出されても自分の子供を思って叱る時、怒鳴らずに叱るって少し無理があると思う。命に関わる事、人様に迷惑をかけた事に声を荒立てるのが怒鳴るになってしまったりは誰でも経験した事あるんじゃないかなと思う…体罰禁止に関してもあまりにも境目がなさすぎる…。
    そうではなく今一度体罰に対しての認識を子供と話し合う環境を作る事に力を入れて欲しい。保育の場や学校の授業で親子の関わり方を入れたりはできないかな?…でないと体罰出来ないだろ!?っていう子供も増えてくる。それに対して逆上する大人はもっと今より増えてしまう気がする。そうしたら今より子供を殺める大人は増えはしないかが心配。言っても分からない子供はいる、言ったら分かる子供もいる。その差がある以上、言って分かる子供をどう育てていくかに研究を重ね国が取り組んで欲しい。それでからの体罰禁止法をお願いしたい。
    親だって愛してる子供にまともに育って欲しいと願っているに決まってる。でも体罰禁止ならと児童養護施設などに預ける親は増えると思う。そこに、親の愛情だ!素晴らしい!と全ての人が喜ぶかな?…
    行政がもう少し親子の愛や絆を確かめ合える場を作って欲しい。親子の関わり方のお手本マニュアルを配布してほしい。躾で叱る範囲も記載して。

      
  • 匿名 says:

    体罰ってなんだろう
    私も叩かれて育って、首絞められて育てられ私は最終的に親を見捨てた
    でも今3歳と0歳の親になって、0歳に乗って潰されてたり、目潰ししたり叩いたり蹴ったりする3歳に怒らざるを得ない
    叩いたらその手を叩く
    こうやって叩かれたら痛いでしょと教える
    さすがに目潰しはしないけど
    自分がやられて嫌なことはしないと教える
    すべて禁止されたらどう教えたらいいのか誰か教えて
    ダメなことしても怒れないなら私はどうやって無抵抗の赤ちゃんを守ればいいの
    ずっとおんぶしててもいいけど、うちの0歳の子の寝返りがなかなか出来なかったのはおんぶをずっとしてたのが原因だと思う
    生後半年ぐらいの集団検診で寝返りできてないとボロクソ言われるし、日本は親が誰かに教えや助けを請うこともできない
    歯磨きだって検診で子ども押さえつけてでもやれって教えられるのに今後はそれは体罰にならないの?
    そもそも蹴るとか叩くのはアンパンマン からうちの子は学んでしまった
    叩いて教えるのがダメならアンパンマンも仮面ライダーも◯◯ジャーもプリキュアもお昼のニュースでの格闘技も子どもがマネして親がやってはいけないものは全て20時ぐらいまで放送禁止にしてほしいもちろん芸人のつっこみも
    年末のケツバットもタイキックももちろん禁止で

      
  • 匿名 says:

    話せばわかるなどというナイーブな考えは棄てろ。人間はロボットじゃないんだから話し合った所で理解できない多様性がある現実を認めるべき。現実を見れば痛い目を見ないと学習しない馬鹿は大勢いる。

      
  • 匿名 says:

    子供一人ひとり性格も特性も違います。自分と考えが違うからといって「わからない」「うちの子はそうだったから違う」と決めつけてはいけません。一人ひとり性格も特性も状況も違うのに、法律で一律に決めようとしているので無理が出るのです。子供の権利を大事にしましょう、でよいのです。XXをしてはいけません、とするのでおかしくなるのです。
    厚生省のガイドラインを見ました。ここで私の話をしますが、うちの子も発達障害があります。もう何年も療育に通っていますが、言葉での指示はほとんど通りません。意識を向けるために目の前で手をたたいて大きな音をたてたり、タイムアウトとして一時的に無視をすることもあります。快か不快かといえば不快でしょう。これも体罰なのでしょう。
    親も本をたくさん読み、セミナーに参加し、高いお金を払ってコーチングを受け、と勉強していますが、すべてを解決できる100%の育児法はありません。言葉が伝わらない相手にどうやって躾をしたらいいのか、私も教えてほしいです。
    自分のお子さんが、他のお子さんに傷つけられた時、相手のお子さんは自分の子供を叱れません。もちろんあなたも相手のお子さんを叱れません。否定は体罰になるのだそうです。できるのは、相手の親に「XXちゃん痛かったよね、ごめんね」と代わりにあやまってもらうことくらい。これで、あなたは許せますか?

      
  • 匿名 says:

    基本的には不要だと思います。しかし、親も人間、咄嗟に手や暴言が出てしまう場面もあります。
    例えば、ドラえもんのジャイアンを育てている場合としずかちゃんや出木杉くんを育てる親では考え方が大きく変わってくるのと同じで、口で伝えてわかる子。怒られてわかる子。様々ですよね。
    私の子供は発達障害があります。声かけ、見通しを持たせる仕組み作り、療育。やれる事は全て親の務めと思い取り組んでます。どれだけ親や支援者のサポートを受けてもただちに子供の特性が改善する訳ではありませんでした。
    子供が4歳過ぎるまでの間、睡眠障害の夜驚(夜中に突然起きて大暴れする)があり、度々、起こされるので常に不眠状態でした。
    腕や脚は子供に噛まれて痣だらけ。栄養面を考えて出す食事も投げつけられる日々。本当に辛かった。手をあげる事や怒鳴ることも正直ありました。もし、その辛い日々に法案で虐待だと指導が入ったら親子でこの世から去る選択をしていたと思います。私だけが特別な経験をしているわけでは無く、世の中の発達障害のある子供を育ててる家庭ではありふれた日常です。
    子供のことは可愛いし、もちろん愛してます。手をあげること、怒鳴ること、正当化するつもりは一切ないです。ですが、親も人間。極限まで追い詰められると怒鳴ることぐらいあると思います。

      
  • 匿名 says:

    体罰は不要。というより、絶対にしてはいけません!この点で、過半、であるらしい親の皆さんには、考えなおしてもらいたいのです。そんな体罰をする親が、私には理解できません。
    まず、自分の子がかわいくはないのですかと、お聞きしたいです。かわいいこどもでしょう。その子を育てるにあたって、体罰などまったく必要がありません。
    体罰をするときには、親自身が感情的・精神的に異常、混乱を来していることを自覚してほしいのです。10かぞえる、などと言います。何が起きても、まず自分が落ち着くまで、何分でも何時間でも、こどもと離れてください。
    体罰の実体は、こどもにとっては「愛」の喪失なのです。だから、叩く、暴言などの、たった一度の体罰でも、こどもの心を傷つけることになるのです。
    そんな体罰を受けたこどもは、一生常に親を疑うことになります。親を疑うだけでなく、自分以外の他人を信じられなくなるのです。時には、自分自身さえも。一生消えないトラウマになるのです。そのために、こどもは生まれながらにそなわっている自身の能力を全開できなくなるのです。どの子も、どんな子も、親が思う以上にはるかに大きな可能性を持っているのです。
    また「しつけ」という言葉自体、間違って受け止めている人が多いのですが、ここでは問題が違うので論じません。

      
  • 匿名 says:

    全く必要ないと思います。
    5歳の娘が習い事の先生にご挨拶をしなかったことに私自身腹が立ち、叩いてはいませんが机をバシンと叩き、感情的に怒鳴りつけたことがあります。その後なぜ私が怒ったと思うか問うと、「分からない」と泣いて答えました。逆に、大きな声でご挨拶をした時に、ものすごく褒めたことがあります。そうしたらその後必ず挨拶をするようになりました。
    この一件で、しつけをするには褒めるしかないと確信しました。何か身につけてほしい所作がある時は、子供と約束をして、そるが出来たら表にシールを貼らせ、オーバーリアクションで褒める事にしています。
    靴を揃える、お弁当箱を出す、1人で着替える、お友達にありがとうと言う等々、沢山身につけ中です。
    怒鳴り、怒り、物や子供を叩いたりするより、ずっとエネルギーもいらないし、親として自信もついてきます。

      
  • 匿名 says:

    必要だと思いません。私は体罰を受けて育ちましたが、親から叩かれて学んだことは1つしかありません。それは、叩かれたら叩かれたことだけが記憶に残るということです。毎日のように注意を受ける際に叩かれていましたが、なぜ叩かれたのか、どのような注意を受けて叩かれたのか覚えていません。ただ、痛くて「私はバカなんだ」と素直に信じた、それだけは覚えています。私はいま4歳になる娘を育てています。私がそれくらいだった時、私の母を取り巻いていた環境や彼女の生い立ちからの考え方など想像すると体罰以外の方法を知らなかったのかもしれないとも思います。母から受けた体罰を恨んではいませんが、私は体罰無しでも子供はすくすく育つことを娘を通して目の当たりにしています。私は今でも誰かの怒鳴り声が道端で聞こえたり、子供をひどく叱ったり叩いている親を街中で見かけたりするとそれだけでビクっとなり心臓がバクバクしてとても恐ろしく、その場にいることが苦痛でなりません。しかしそんな時、隣で手を繋いでいる娘は近くに見える小鳥の話をしていました。そのような光景は彼女の意識外であると先日気付いたのです。「経験していないとはこういうことか」そう感じた瞬間でした。
    怒鳴り声や体罰、そのようなものが異常である世の中になっていって欲しいと思います。

      
  • 匿名 says:

    場合によってはというか、何度言ってもわからない場合の最終手段としては必要。命に関わる危ない場面とか。腕を強くつかむか一発ビンタで、根拠を説明するならOKかと。言って一発でわかるなら、同じ過ちをくり返さないなら、犯罪もなく親も先生も苦労しない。
    軽く叩く程で処分されるなら、猪木さんの闘魂ビンタや芸人さんのツッコミだって処分ではないでしょうか?
    法整備はおかしいですよ。逆に親も先生も、叱り方がわからなくなって、追い詰められますよ。

      
  • 匿名 says:

    体罰賛成派は死刑も賛成している率が高い気がする。体罰は与える側の腹いせ!加害者に厳罰与えても意味がない!刑事罰もある意味腹いせなんだよ!

      
  • 匿名 says:

    子どもは生物学な条件さえ整えばできてしまいます。子どもをつくる前にテストに合格する必要があると思います。子どもを育てるにはある程度以上の知性は必要です。
    義務教育で発達心理学は必修にすべきだと思います。その年齢で正常な子どもの行動にもかかわらず、その行動を気に入らず、矯正しようとする大人がいます。正常な行動なのに。

      
  • 匿名 says:

    身体的な苦痛だけでなく、精神的な苦痛も「体罰」である事を忘れてはいけません。
    教育とは選択肢を増やして正しい行動を自ら選べるようにするための指導です。苦痛を与えて望まない行動を消去する「体罰」はただの暴力です。

      
  • 匿名 says:

    思いません。
    私は、四姉妹の長女なのですが、洗濯物をたたむのを頼まれてやっていたのですが、量が多すぎてやる気がでず、休憩しながらしていてその時他は夜ご飯を食べていて私もお腹すいたなと思い、母がお風呂に入っている間にご飯を食べて食べ終わったからもう一回片付けに行こうと思った時に、母がお風呂から上がってきたらしく、「時間めっちゃかかってるしこのたたみ方何!お風呂から上がってきたら濡れるの分からへん?濡らさそうとしてんの!たたみ方わからんなんやったら聞いたらいいやん!」ってゆわれ私は、たたみ方がわからんのはほんまの一部やし、お腹すいたから食べてきたのに何があかんの?なんでそんなに怒られなあかんの?と思い、ガラスでできた置物を落とすと追いかけてきて壁に押し付けられて両手首を押さえつけられ逃げれないようにし、ビンタされてメガネの抑えの部分が壊れ、なかなか育つからや!自分の尻拭いぐらいしなさい!!!!!と言われ、その後に服を引っ張られ右や左にやられて階段から落とされそうになり、私が涙を拭こうとしてティッシュの置いてあるところに行くと早く行け!!!!!とゆわれ、なんで拭いたらあかんの?と思いました。そして、後始末をさせられちょうど降りてきた妹にあんなんになりたくなければちゃんと勉強しなさい!環境も整えてあげてるやろ!とゆわれてなぜ私を出されるのが不思議でした。そして、自分のことは自分でせい!自分のものは自分で片付けろ!とゆわれました。
    前は大人の女の人に道を聞かれて連れてこうとしてどこのクラブに入ってるの?と聞かれ、答えると同じクラブに入っていたことが分かり、二人でずっと話していて別れて家に帰ると遅すぎる!何してたん!と聞かれ道案内してたとゆうと、こんなにかかる道案内があるか!とゆわれてどんな人やったん?年齢は?何の話ししてたん?などと聞かれわからないと答えると警察に探してもらうか!とゆわれて服を引っ張られてきた道を戻ってその人を探せ!とゆわれてその人はもう行ってるからいるはずがないけど探せとゆわれてその後に結構夜ですが人はいたと思いますが、その前でビンタされて腕を引っ張られ帰らされました。
    私が帰ってくる前にクラブのグループラインに事情を知る人はいませんか?などと聞いていたらしく、クラブの子から何事かと思ったけどおってよかった〜とゆわれました。

      
  • 匿名 says:

    必要か必要でないかを言い争うこと自体間違ってると思います。育児に正解はありません。育児が正解だったかどうかはその子が死ぬ時に幸せだった。お母さんお父さんの元に生まれてこの人生でよかったと思って死ねるかどうかで決まると思います。
    躾に体罰は必要か?ある程度歳を重ね国語力が身につくまでは必要ではないでしょうか?子育てしたことがある方ならわかると思いますけど、2〜6歳、更に小学校低学年の子達は大人が叱れば叱るほど面白がります。かえってその行動をしようとします。その時親が「体罰はダメなのよ。一度痛い思いして自分で学べばいいわ。私は口でちゃんと注意したもの」とした場合、果たして子どもは生きて大人になれるでしょうか?考えてみて頂きたいです。
    私の返答は「年齢に応じた対応をすべき。」です。口で言ってちゃんと理解出来、行動に移せる子に手を出す必要はありませんし、それを躾とは呼びません。
    ここで問うべきは「躾に体罰は必要か?」ではなく、「その体罰は躾か虐待か」ではないでしょうか?
    体罰を一度も受けずに育った人間がこの世に一体何人いるのかは私はわかりませんが、その方々が大人になってどうしているのか?それがこの質問の答えではないでしょうか。

      
  • 匿名 says:

    程度にもよるのでは。下に大きい声をあげるのはいいが、怒鳴るのはダメと言ってる人もいましたが、大きい声をあげることと怒鳴ることは同じ意味ですよね

      
  • 匿名 says:

    体罰は不要です。一部の親はよく躾だとか仕方ないとか言って体罰を許容・正当化しますが、親の怒りの感情をぶつけているだけです。いけないことを分からせるために体罰が必要でしょうか?本当に?自己弁護ではありませんか?
    そもそも自分と子供の境界が曖昧な人はDVモラハラ傾向があります。子供を個として尊重していないこと丸出しです。体罰は不要ですが、体罰は必要と言う者を体罰で躾することは有効だと思われます。

      
  • 匿名 says:

    タバコの注意に暴力を振るわないって書いてる人がいましたがそれとこれとは話が違うと思いました。わざわざ他人に対して暴力を振ってまで注意する人なんていないことは当たり前、でも自分の子供は他人であって他人じゃないという意識の上で手を出すことは悪いことではないと思いました。

      
  • 匿名 says:

    しつけに体罰は必要ありません。私自身、母親に手をあげられた経験から母親の言いなりになっていたと大人になって感じています。母親が敷いたレールに乗らないと何言われるか、何されるかわからないと諦めていたかもしれません。現在子育てに奮闘していますが、旦那がそういった教育を受けてきたからか「悪いことしたら手をあげるしかない」という思考でとても困っています。私しかこの子を守ることはできないと思いました。体罰を取り締まる法律が成立されてもなお、こんなことを言える人とどうして一緒になったのかと自分を責める日々です。私が言っても頭の硬い人なので聞き入れてくれません。どんな媒体でもこの話題が目に入り人々の注目になるように、どうかもっと大々に愛の鞭ゼロ作戦が世間に知れ渡り、暴言暴力がどれだけ悪なのか広めて欲しいです。どうかお願いします。

      
  • 匿名 says:

    本当に危ないことや、他人を傷つけてしまったら、ある程度必要かと思います。twitterでも道路を飛び出して危うく轢かれそうになった子供を平手打ちした親がいますが痛いのは一瞬!いなくなるのは一生ですからね!無理ないと思います。

      
  • 匿名 says:

    非常に難しい問題です。私は子供が誰かを傷つけるかもしれない時、また、子供自身も大けがをするかもしれないなど、(注意を促しても左右確認せず道路に飛び出していったときなど)叱りながら叩きました。子供も私も泣いてしまいました。今でも胸の痛い思い出です。  
    子育てをしていると、途方もない気持ちになることがあります。何度注意しても同じ間違いをし、いう事を聞かない子供という生き物を、余裕をもって温かく見守れれば…変わるかもしれません。これは親を取り巻く環境にも左右されるはずです。
    人目が気になって、人前では過剰に怒ってしまう親御さんもいるようです。私は人前で怒っている人は、怒り方にもよりますがまだいいかなと思います。
    マンション住まいの方で、「雨戸を閉めて大声で怒って、叩いたりしてる」「スーパーとか人前では絶対に怒らない、トイレに連れて行って怒っている」と、笑いながらいう人がいました。
    体罰への議論が良いほうに行ってくれればよいですが、やりようによっては「隠れて叩く」「隠れて怒る」そうした親や大人が増えていくということにつながらないか心配です。
    「体罰はないほうがいいに決まっているけど、実は誰もが抱えている悩み。みんなで話そう、みんなはどうしてるの?」
    わたしなら、そんな風にたくさんの人と、話してみたいです。でも、まだそんなに勇気が出ません。こういう場所で出せても、名前と顔を出してはなかなか話せない。保護者会とかでそういう議題に取り組んでもいいのに、まず出ないし、わたしからも出せません。人目が気になっています。私は弱いんだと思います。

      
  • 匿名 says:

    想像力の欠如が問題の本質。そしてそれを補うはずの知識不足も不足している。体罰も何も、こっちも人間、あっちも人間。必要なのは正解を求めることではなく、共感できる想像力。

      
  • 匿名 says:

    父親に小さい頃ゲンコツされたり、門限過ぎて帰ってきた時に胸ぐら掴まれて投げ飛ばされたり、思春期は取っ組み合いのケンカもしたし、こんな暴力的な父親なんて大嫌いだ!って思ってたけど。夜中寝てる間、間違って携帯のボタン押して父親に電話かけたらしく(もちろん寝てるから無言電話になってしまって)、「おい!大丈夫か!?」って部屋まで駆けつけてきてくれたこと。すごくジーンと胸に打たれて、自分は愛されてたんだってハッとした。
    そして今子供まだ5歳だけど、自分も父親のような親でありたいと思う。体罰と虐待は別。

      
  • 匿名 says:

    「体罰」=「暴力・虐待」と捉えがちな風潮に違和感を覚えます。上記の記事にもあるように「厳しい体罰は子どもの脳の一部を傷つけて〜」と「体罰」が語られるときには極端な例ばかりあげられているように感じます。
    いけないことをした時にしつこく言葉と理を尽くすことで、屈辱感や敗北感、劣等感は生まれないのでしょうか?あるいは「口が上手い奴が勝つ」という思想に染まらないでしょうか?
    一方、「悪いこと」を「痛み」で知ることはシンプルで分かりやすい。そして、身を持って知ることは大切な経験ではないでしょうか?
    「痛み」「辛さ」を回避しつづけることで、耐性を身につける機会が失われている気もします。暴力、虐待を防ぐために体罰を禁じるのはあまりに安易な選択だと思います。他にも暴力、虐待を防ぐアプローチはあるはずです。

      
  • 匿名 says:

    しつけに体罰は不要です。体罰とは子供のために行っているのではなく、自分の苛立った感情のはけ口に行う行為です。相手が子供で仕返しされる心配がないから、簡単に手が出るのだと思います。例えば見知らぬ人がタバコをポイ捨てしたことを注意する時に、愛のムチだと言って暴力を振るう人がいるでしょうか?これは立派な犯罪です。なのに何故子供への暴力は犯罪ではなく、「しつけ」になってしまうのでしょう。相手が誰であれ暴力は犯罪です。

      
  • 匿名 says:

    必要ない。アメリカ在住30年ですが、確かに今の40代くらいまでの大人は体罰を知らずに育っていて、大人に叱られても殴られた経験がないから自由過ぎる傾向は強いです。親が殴ったのを通報されたら、即警官が家の鍵をこじ開けて全力で子供を保護しに来て、親元に帰さないシステムが徹底してます。その最低限のルールすら守れない大人に親になる資格はない。
    子育てに体罰が加わると、子供は従わざるを得ない。それは本来大人が理路整然と諭さなければならない手間を怠っているだけであり、教育レベルが高い家では幼少期からアンガーマネジメントを徹底して教える。感情を露わにして怒る事自体が、人としてあってはいけない事。例え下級市民であっても、相手が幼児であっても口だけで説得出来なければ大人失格です。

      
  • 匿名 says:

    私は、しつけに体罰は必要ないと思います。子どももひとりの人間であり、子どもの心と体は子どもだけのものだと思うからです。体罰は、どんな理由があっても、あくまで人が人の体や心を傷つけるものです。外部から傷が見えなくとも、脳に傷をつけたり、PTSDなどの症状を引き起こすこともあります。
    確かに、口で伝えても、なかなか子どもが変わらないというのはあると思います。そして、なかなか変化が見られないと、この子は口で言っても分からないのだ、と判断してしまうのかもしれません。しかし、どんな子も、すぐに変わらないのには理由・原因があるはずです。例えば、脳の発達状態や知識量、理解の速度、心の健康状態などによって、分かりたくても分からない、心を開けない、意固地になってしまっているなどの事情があるかもしれません。
    親や教員など、子どもを教えられる立場にある人は、様々な理由・原因を検討しながら、自分自身の伝え方・行動を変えて試行錯誤すべきです。この方法には時間がかかり、体罰という手段を取りたくなるかもしれませんが、体罰を使ってしまっては、新たに深刻な問題を増やしてしまうことになります。
    最後に、体罰を愛の鞭だと感じたという経験者の方がいますが、それは体罰を受けた時に起こる心理的作用や脳の防衛反応が要因の一つではないかと考えています。つまり、そういった経験者の方は、相手との関係性から愛を感じたと言いますが、体罰を受けた瞬間のショックを脳が愛情表現に置き換えて防衛しているとか、心理的にそう感じる原因があるのではないかと思うのです。そういった、体罰を受けた人が愛の鞭と感じた原因について、心理的な面からも研究が進められることを願っています。

      
  • 匿名 says:

    幼少期に叩く子育て、力で抑えるつけるをしてしまうと、脳がストレス反応に過敏になり、どんどん叩かないと制せない状態になっていってしまうのではないかと思う・・。「叩く子育て」と「言うことを聞かない子」は互いに刺激しあって、次第にエスカレートしていくのではないか。
    自分も3歳男児の子育て中であり、こちらの感情が刺激されて怒鳴りそうになることも多々あるが、この時期の子どもが「悪意」ですることはないことがわかっていれば、「叩かないと」いけないことはまずない。子供の楽しい時間を前ぶれなしに「ちょきん」と切ってしまったり、刺激たっぷりのスーパーに約束せずにいったり、この時期に「子どもがいうことを聞けない」状況を作っているのは大人であることが多々あることにも気づかされる。
    色々な意見があるのは仕方がないが、虐待後進国の日本において1人でも多くの大人が、「叩かない・怒鳴らない・脅さない」子育て(そして保育)を選べるよう、このような場がもっともっと増えていくことを願う。

      
  • 匿名 says:

    私は37歳の独身者で差し出がましいかと思いますが、日々の「子供が虐待死」するニュースを観て少し感じることがあるので書かせてください。「叱り方に線引き」がないということです。私自身も叩かれたことはありますし、意味も理解はしています。何でもかんでも叩くわけではないですし、ただ、「虐待」の線引きはどこでしょうか、例えば「尻を手で叩くは虐待でない」など、年齢を重ねればわかるようなことでも線引きは必要な時代になったような気はします。

      
  • 匿名 says:

    何度、口で注意しても行動を改めないから体罰が必要だった。手加減してやったから生きてるだろう。
    大人になってから、父に言われた言葉だ。
    その行動が何故悪いのか?どうしたら直せるのか?説明があっての注意ならば、注意と思えたが、彼が言うのは、毎回、何でそんな事も解らないんだ?どうしてそんな事をするんだ?と言う質問形式であり、注意ではなかったので、説明をしようと、少しでも口を開けば、口答えするな!俺が話しているだろう!と来て、そこで殴打される。感情に任せて何度も殴る。大体殴られ始めた辺りから、毎回、記憶があやふやで、とにかく、痛くて、怖い。泣きながらごめんなさい。と言い続けていたのだけは覚えている。ごめんなさい?何が悪かったか理解してるのか?と聞かれたが、痛みと恐怖で思考もあやふやなのに、考える余裕が何処にあるのだろう?
    父にしてみたら、不適切な言動をし、注意しても意図を読み取れない私の所為だったのかもしれないが、私からすればどうして悪いのか?どうするのが適切だったのか?その説明が出来ていない、或いは不足している、殴り始めてから言っていたのかも知れないが、その状況では聞き取る事が難しいし、彼の意図するところが理解出来ない状態で殴られた事になるので、理不尽に思うだけだ。
    体罰に至る経緯は色々あるのかもしれないが、体験した自分からすれば、殴られながら聞いた言葉は、痛みと恐怖が上回って、数十年経ても未だにフラッシュバックの原因にはなっているが、注意としては何も残っていないので、結論としては、全く必要無かったのではないかと思う。

      
  • 匿名 says:

    必要ありません。
    落ち着きがない子供に対し、道路に飛び出したり、お友達に手を上げてしまうのをやめさせる際、多少大声を出したりする事はあっても、強く抱きしめて行動を制止させる事はあっても、怒鳴ったり、口汚い言葉を使ったり、まして叩いたりする必要はない。

      
  • 匿名 says:

    何百回言って聞かせても解ってくれない場合はどうしたら良いんでしょうね? 反対している人は子育てしたことがあるんでしょうか? それとも子供が皆言って聞かせれば理解できると思っている頭がお花畑な人達なのでしょうか? 子供の体罰は反対するけど、子供が犯罪を起こすと親はどんな教育をしているんだと言わないのでしょうか?

      
  • 匿名 says:

    全く不要です。研究結果から脳へのダメージや将来的な精神疾患に繋がるという事を全人類に早急に知らせ、法律で親から子への暴力も取り締まれるようにして欲しい。日本は遅れ過ぎ。全ての暴力は不要。

      
  • 匿名 says:

    しつけでも体罰は必要ないと考えます。
    反抗期だったころ、しつけの一環として兄から殴られ蹴られて育ちました。恐怖心はもちろん、反省するどころかますます反抗心を燃やすだけでした。今思うと、学校で受けたいじめのストレスを家で発散させていたのだと思います。
    なぜ反抗的な行動をとるのか、本人なりの理由があるのです。手をあげるのは手っ取り早くて簡単です。でも、問題の解決にはなりません。時間はかかりますが、まずは相手のことをよく観察して、相手の気持ちを落ち着かせて、相手の声に耳を傾けることが、結果的に問題解決の近道だと思います。
    体罰を受けた人は、その後自分が家庭を持ったときに連鎖する可能性があります。これ以上、傷付く人を増やすことに何の意味があるのでしょうか。体罰は、百害あって一利なしです。理想論かもしれませんが、力ではなく話し合いで解決できる世の中にしていかないといけないと思っています。

      
  • 匿名 says:

    いらないと思う。親が体罰をして、生まれた子供が親になって子供に体罰をして生まれた子供が親になって子供に体罰をして…と無限ループに陥る可能性があると思うから

      
  • 匿名 says:

    どうして極端に偏った見解を記事にするのでしょうか。兄弟間でも、聞き分けの良い子もいれば、大人の注意に聞く耳もたず好奇心の赴くままに動く子など、個性は様々です。親はその子の個性や状況に応じて対応を変えればいいのでは。
    痣ができるまで殴るなどは論外ですが、子供に対して大きな声を出したり手を叩いて注意しただけで、虐待と捉えられる風潮は考えものです。極端な意見は社会において子育てを息苦しくするだけです。

      
  • 匿名 says:

    必要ない。しかし、何を言っても話が通じない時がある。余裕がない時には手をあげてしまう。とても後悔するが、また同じことをしてしまいそうで怖い。可愛いのは変わらないのに、なぜこんなに感情的になってしまうんだろうかと思う。

      
  • 匿名 says:

    私は戦争を経験した祖父から体罰のこと聞かされました!体罰と言うかある種の処刑だ!親が正しければ子も正しい、本当にそうでしょうか?勿論感極まって手を出すこともありますが、結果が出なければ意味がない!世の中揺らぎが起きている!本来死刑も体罰も、どちらも無い方がいいに決まっている!加害者に厳罰与えたところでその人が善くならなければ与える側の腹いせだ!腹いせしても亡くなった人は喜ばない!親が正しければ子も正しいなら教育で教えよう、小さな頃から!相手を憎む心を捨てることが平和を語る事が出きる。そう私は思います。

      
  • 匿名 says:

    言って聞かせてもわからない子には、叩いて聞かせてもわからないと思う。

      
  • 匿名 says:

    言葉だけで言って聞かせることができたら世の親たちはここまで苦労していません

      
  • 匿名 says:

    体罰は絶対に必要ありません。自分自身は叩かれて育ちました。叩かれた時の痛みと、言葉にならない悲しさが今でも忘れられません。自分のやったことを肯定し続ける親とは縁を切りました。自分がされた事を否定する事はとても大変です。だから、叩かれて育った人は「あのおかげで今の自分がある。」「自分には必要だった。」と思いたいのだと思います。叩かないと理解しないから叩いてよい?叩かないと痛みがわからない?…大人同士でそんなことしたら犯罪ですよね。子供は大人の所有物ではありません。大人から大切に守られて、甘え、育つ権利が子供にはあります。

      
  • 匿名 says:

    場合によっては必要。口で叱っても聞く理解力と意味がわからなければ、馬の耳に念仏。

      
  • 匿名 says:

    身の危険に関わること、人に迷惑をかけること、即座に止めるために「おしりを叩く程度の体罰」が必要なこともあります。24時間自宅保育をした経験者なら迷わずそう答えるはず。託児所に預けることで、子供が活発に遊ぶ時間帯は人任せなのが今の時代です。そして、このような決まりを作るのも24時間自宅保育は未経験な人達でしょう。

      
  • 匿名 says:

    体罰だけでなく怒鳴りちらす行為も厳禁にすべきだと思います。子供に体罰、暴言というのは親のストレスを子にぶつけさせるに等しい。それ以外何にでもない。

      
  • 匿名 says:

    なしだ!!!!!!

      
  • 匿名 says:

    私はそこまで叩かれて育ったわけではないですが、叩く教育は教育ではないと思います。『日本の古くからのやり方』『そうやって育った』という言葉により、現実から目を背けているだけで、叩かれたら痛いです。怖いです。悲しいです。そういう『人間らしい感情』を尊重して、それが当然な社会になれば、いいなぁ。
    本音と建前の国、だなんて、『本音』を殺すことが美徳ですか……そんなもん、なんになるっていうんですか……素直に正直に生きようよ、日本人。
    私は現在25歳。30年後の日本のために、私たちは今岐路に立たされていると感じて日々生きています。今、日本は改編期にあると思っています。国ごとまとめてターニングポイントなんだと思い、今この瞬間私が感じている苦痛も、不条理も、すべてが30年後の日本のためだと思っています。
    そんな考え方の私ら世代がどれだけの人数いるのかは知らないけれど、きっと私だけではない。叩いてこどもを育てることは、非効率的だし、非合理的だし、生物学的にも感情論でもいいことなんてありません。恐怖で支配することがどれだけ無意味か……私たち世代が、その意味を発信して、30年後のこどもたちが痛みなく生きられる世の中になれば……いいなぁ。

      
  • 匿名 says:

    自分自身、殴られ蹴られ頭ごなしに怒鳴られ、言いたい事があれば言えと言われ、言ったら100倍で返ってきて褒められず、やって当たり前出来て当たり前の環境で育ってきました。
    そんな私でも、必要な場合は度合いによりますが、良いと思ってます。
    仏の顔は三度まで。ってありますよね、三回注意してダメならオシリを叩いています。分かりやすく、どうしてやってはいけないのか?質問をして彼女が答えながら聞いていきます。それでも聞かない時は聞かないんです。だって、子どもだって人間です。大人の自分でも聞きたくない時ってありませんか?はいはい~。で、あしらったりしませんか?それと一緒ですよね。それでも耳にタコが出来るほど伝えています。彼女も分かっています。分かっていても好奇心でやってしまうんですよね子どもって。
    でもこれってある意味、これってお母さん側にも負担がかかりませんか?口で言っても聞かない子って絶対居ると思います。その場合は、今度からどう接すればいいんですかね?
    これって、お母さん達が鬱状態になる可能性もありますよね。聞かない子に聞くまで言い続けるのもその子にとってもストレスになりませんか?一発ビンタ食らった方が私は良いです。あぁ、そんなにいけなかったのか。と、目が覚めますから。
    虐待や異常なまでの体罰をする方たちのせいで歪んだ日本社会になりそうですね。あ、あと芸人のツッコミをいれる時にシバくのも禁止にしないといけませんね。

      
  • 匿名 says:

    行き過ぎ体罰はいけないと思うが、叱らないという育児には共感出来ない。我が子が、よその人やよその子に迷惑行為をしていても、謝罪のひとつもない親にもちょくちょく遭遇するが、体罰禁止、怒鳴るのも禁止という状況で、どの様に子どもをしつけしていくのか甚だ疑問。勿論、ヒステリックに怒鳴り散らすのは良くないと思うが、少々声高に子どもを叱ったぐらいで、体罰や虐待と捉えられてしまうのであれば、子どもに対しても、物事(善悪)の分別を充分に教えられないのではないのだろうか?
    例えば、公共の場で暴れ回っていて、明らかに周囲の人に迷惑なか行為をしている子どもに対して、親の代わりに、第三者がその子に対して、叱責や注意を与えた場合、その第三者が罰則を受けることになるのだろうかという疑問もわく。
    叱られずに育った子どもが、今後どの様な大人に成長していくのか、想像するだけでも恐ろしい。いま現在、既に無秩序な世の中であると感じている身には、今後どの様な世の中になるのかますます不透明であると感じている。

      
  • 匿名 says:

    叩かれるのが怖いから行動をやめるだけ、根本的な解決にならない。なにをもってこのような結論に至るのか自分はよく分かりません。普段、愛情いっぱいに接してくれる父と母が手をあげる。それは自分がどれだけ悪いことをしたのかと反省する機会でした。
    怖いからやめる。本質を理解しない。子どもってそんな考えが浅くないと思います。仮に怖いからやめるケースがあったとしても我が子を危険から遠ざけるために必要だと判断したなら私は手段を選びません。
    教育という大きなくくりの枝葉のひとつとして体罰を行わないのは選択する側の勝手で一律にまとめていいものではないと思います。

      
  • 匿名 says:

    今現在、まだ親に育ててもらっているような年齢だけど。子供の立場から体罰は必要だと言わせてもらう。もちろん自分自身親に叩かれた、殴られたことは何度もある、だけどそれが無ければ自分は人の痛みと自制心を知らない人間になっていたと思うし、体罰と虐待の区別もつかず、もし子供ができたら暴力を振るっていたのかも。
    虐待をする親は親から虐待を受けていたか、ないしは体罰を一度も受けたこともないというのが現状です。後者も一種の虐待です、綺麗事で飾ったネグレクトです。
    痛みを知らずに成熟する人間はいないと思います、痛みのない教育で生まれるのは虐待親や少年Aなんですよ。

      
  • 匿名 says:

    全く必要ない。日本は親も教師も何十年と上下関係による威圧で指導してきたが, その文化はヨーロッパに住む私の目には遅れて見える。こちらでは親は声を荒げることもなく理由を説明する。子供が言うことを聞くまで大人の態度で繰り返す。私も初めは日本の親のようにピシッと𠮟れと思っていたが, 結局, その教育が日本の閉塞感と心の狭い無数の大人たちを生んだのだと思い至った。
    日本が今後発展するには, 子供たちを今の大人たちと同じ様にしてはいけない。

      
  • 匿名 says:

    体罰と虐待の区別が付かない親は危険。しかし理想観と価値観を他人に押し付けるのも危険。人の心は科学でもAIでも計り知れず、自分の痛みが解らなければ、相手への痛みも解らない。自身の感情によらず、本当に愛している我が子へは心を鬼にしてでも手を上げる親御さんへ拍手を送りたい。幼少期に母親から頬を叩かれた記憶は、その手の温かさと感謝の気持ちだけが後生の宝です。

      
  • 匿名 says:

    程度によるが必要。親側はもちろん、子供側が愛情を感じられているかが重要。そして話し合いももちろん必要。げんこつやぺちんは体罰とは言わない。
    無条件で愛されていると感じる子供なら心に傷は負わない。絶対に許されない場面での制止する為の行動としては間違っていない。

      
  • 匿名 says:

    虐待や単なる暴力につながる体罰が問題であって、矯正に必要となる体罰は保護者ないし社会人の務めではないでしょうか。そもそもどのような時にどのような体罰が必要となるかという議論はされているのでしょうか。体罰も度合いや手段が広い言葉ですから、各家庭や習慣による違いがありますから、ケースバイケースに関するディスカッションをしていかないと、煮詰まらないのではないでしょうか。
    最近の傾向を考えますと、無思考型体罰といった感じの「子供の行動が気に入らないから体罰をする」や「恐怖によって子供を従えさせるために体罰をする」といった傾向が見受けられるのではないでしょうか。そもそも体罰する側の教養に問題があるように思います。
    少しそれますが、制度の中にゆとり教育というものがありますが、「未来を担う子供のやる気や才能をどのように引き出し、世界をリードできる社会人を育成する教育システム」を作るという考えや目指すところに問題があったと言うよりも、結局、休日を増やしたり、円周率を3.14から3にするといった習熟難易度を下げたりといった、教育があまり理解できていないかのような対応が多く、ここで話を戻しますと、現社会人方がどこまで世界に誇れる新社会人や中年を育てられたかというといかがなものなのでしょうか。ニート問題も解決していないことも踏まえると、本当に日本人の未来を考えてくださっているのでしょうか。

      
  • 匿名 says:

    必要な子もいると思います。その子供の理解力、思考の癖、学習の癖、それによって、【聞いて学習する子】【感じて学習する子】など個性があると思います。【感じて学習する子】の場合、いくら「駄目よ」と言っても、何が駄目なのかいまいち理解しきれず、また同じことを繰り返します。好奇心に負けるんです。でも、「危ないから駄目、痛くなるよ」と言って、怪我をしない程度に針をチクリと刺す。痛いことが分かるとピタリといたずらをやめます。【怪我をしない程度に】【根拠を持って】与える痛みも体罰になるのであれば、体罰は必要な場合もあると思います。

    ただ、私は【感情のはけ口として痛みを与える】ということは体罰というよりは【虐待】だと思っておりますので、虐待と体罰を混同してはいけないだろうと思います。「体罰は絶対に必要ない」と主張される方のおっしゃる体罰は、親の感情を子にぶつけるだけの【暴力】であることが多いです。私はそれを体罰とは思えません。【身体に痕が残るほどの体罰】はもちろん必要ありませんが、人間もただの動物ですので、ある程度の痛みが必要な場合はあります。

    昨今のニュース、親の体罰禁止法、などを見ていると【虐待、暴力、拷問】の類と【体罰、躾】を混同しているようで少し不安です。加害者が「しつけだ」と主張しても、「それはしつけではなく暴力です」と否定すればいいのに【しつけの体罰】などとカテゴリを作ってしまう。それが一番恐ろしいです。

      
  • 匿名 says:

    本来は必要ないと思います。
    ただ時間に追われたり、中々子供が言う事を聞き入れてくれない時にどうすれば良いかなど、私自身も未熟で手を上げる事もしばしばありました。正直大人向けの子育てに対する教育をもっとして欲しいです。
    体罰の他に良い方法があって、その方が子供が言う事を聞いてくれるならば、どの親御さんもやらないはずはないと思います。

      
  • 匿名 says:

    なんでもかんでも極論で「絶対いらない」と語るから駄目なんだよ。いくらイジメは駄目だと言っても大津事件の加害者に「一回いじめられてみろ」「イジメを知らないから痛みが分からない」「転校先の生徒はこいつを徹底的にいじめろ」と言う。いくら人を殺すのは駄目だと言っても、池袋暴走事故の犯人に「とっとと死刑にしろ」「こいつが死ねばよかったのに」という人間は絶えない。
    1歳半の、まだ物心すらついてない子供が寝ないくらいで手を上げたこの主婦はどう考えても駄目だが、例えばイジメで他人を自殺に追いやってしまった子供の親が「私の子供の起こしたことは殺人ですよ、子供を一発ぶん殴ってやりました」と言って世間はどう思うか、なんなら一発で済むのだろうか?
    臨機応変に頭使えとしか言いようがない、例えばエアコンもそうだが、35度なんかになってもエアコン使わないのは論外だが、27度とかで1日中ガンガンにつけるのは汗腺の成長からしても明確に「やってはいけないこと」。勿論最終的には個人の体調体質に寄るが、なんでもかんでも「絶対やらない」「絶対やるべき」なんてのは思考停止でしかない。

      
  • 匿名 says:

    体罰禁止ってどんな甘やかし教育ですかね。明らかに他人に迷惑を掛けた場合、及び危険な行為を行った場合に平手打ちを食らわせるのは、何の問題も無い。全国の親がやっているだろう。但し、体育会系の指導に於いて殴る蹴る怒鳴り散らすのはただの虐待。

      
  • 匿名 says:

    私自身、体罰を受けて育ちましたが、心の底に怒りを抱え続けた大人になり、いまだにオヤジと喧嘩してボッコボコにしてる夢を見ます。体罰では子供を良い子にも、幸せにも出来ません。

      
  • 匿名 says:

    まず、テレビ番組での暴力・暴言からやめてもらえましょう。子供らはテレビの真似をして言葉やチカラの暴力を覚えますよ。
    兄弟姉妹間や他の子供どうしの怪我に発展しかねない状況を阻止する場合、賛成または反対どちらかそれぞれの皆様はどうします・どうしていますか?ちなみに、各議会のヤジ暴言も法令で禁止しませんか?

      
  • 匿名 says:

    尻を叩く。「コラっ!」と叱る。これらをも禁止しようというのでしょうか? おとなしく親の言うことを聞き入れる子供ばかりでは有りませんよ? 他人事だと思って何でもかんでも禁止だ厳罰化だと主張するのは簡単ですが、それによって苦しむのはいつも疲弊した現場の人間です。ましてや自身のトラウマ話を持ち出して、反論されない鉄壁の守りを敷いた上で無理難題を吹っ掛ける論法には嫌気がさしています。

      
  • 匿名 says:

    必要ではありません。ただしその前提として、子育てを一人で抱え込まないサポート体制と、親自身が正しいトレーニングを受けることが必要不可欠だと思います。それらのきっかけとして、諸外国のように法の整備をすすめていくべきです。
    それがなければ、親は自分がかつてされたように、子どもを折檻してしまうと思います。愛のムチといえば聞こえはいいですが、虐待です。虐待は世代を超えて連鎖していきます。虐待を親のせいだけにしていては何も変わらないと思います。

      
  • 匿名 says:

    基本は要らない。体罰によるメリットがないため。しかし、過度に他人に対して迷惑をかけ、何回も注意したのにも関わらず、それでも改善が見込めなかった場合の体罰は容認でいいと思う。

      
  • 匿名 says:

    絶対にいらない

      
  • 匿名 says:

    いや、、、必要だと思いません。ただ、私も幼い頃、言うことを聞かないと、親から叩かれていました。口答えしても叩かれていました。なんなんだ!!と。今、私は子供を二人持つ母親になりました。核家族で、過ごしていますが、唯一の夫の帰りが遅いとなおさら、私も捌け口がなくて、上の子が小さい頃、叩いたり突き飛ばしたりしました。もちろん大泣きして自己嫌悪、でもその繰り返し。回りにはいい顔して、家では鬼のようになる。どうしたらよかったのか、今もわからないし、今のこの日本の状況、少子化なのに多いですよね。体罰じゃないです、もはや虐待であり、捌け口にして、最低な人間です。もっと夫に家にいてほしいとすら思います。寂しいですから、私も。。日本のこの労働すら憎みそうです。

      
  • 匿名 says:

    体罰は必要ではありません。障害がある私にとって、体罰は恐怖でしかありません。

      
  • 匿名 says:

    反抗期の子供を持つ母です。体罰は良くないと理解する一方で、あまりにもそこを強調すると、ネグレクトに繋がりかねないと危惧しています。反抗が激しく、何を言っても受け入れず攻撃をする子に、いつまでも冷静に話し合うなんて、親だって人間で、仏じゃないんだからできないと思う。だったらもう無視するしか方法ない。
    怒るのも叱るのも向き合ってるから。人間同士だから。愛してるから。向き合わなくなったらそれこそ終わりだと私は思います。
    愛情のない体罰なら論外。愛情のある体罰なら必要とは言いたくないけど、ある程度は仕方ないと思える部分もある。モラルの問題をこんなに一括りにされたら、ますます子育てしにくくなるし、育児ノイローゼになってしまいます。

      
  • 匿名 says:

    発達障害に加えて軽度の知的障害がある自分は、中1の時に、理解がなかった根性論タイプの学校の教師から何度も体罰や暴言など言われ、精神的苦痛から不登校の引きこもりになってしまった。

      
  • 匿名 says:

    いらないと思います。自分は今親に虐待を受けて後遺症が残っています。そのような子を増やさないためにこのようなサイトが増えて欲しいです。
    正直虐待を受けて素直に従いたいとか思いませんし、むしろ普通に言われた方が言うこと聞いてた気がします。

      
  • 匿名 says:

    年齢によりけり。思春期の頃人様に迷惑をかけてへらへらしてるだとか、反省の色が見えない時に一発ぶん殴るのも薬にはなりそうだけど、それより前の段階、つまり乳児から小学生の時期。危険な事をした時にお尻を叩くレベルならまぁ、まだわかります。頭ごなしに怒る、事情も聞かないでいきなりビンタされてきました。
    問題は兄弟の見てる目の前で怒ったり叩く事。自分は怒られないし殴られなかった=暴力を振るわれた兄弟を自分も殴っても良いとおかしな優越感をもってしまい、私は兄弟の「奴隷」になりました。こう言う兄弟間での連鎖もあります。親が兄弟の方を溺愛していた為私の居場所は全くありませんでした。
    後進国って言葉久しぶりに聞きました。発展途上国の事ですよね?

      
  • 匿名 says:

    しつけに体罰は絶対に必要ありません! 体罰は単に精神的・肉体的な暴力だけでなく、暴力によって従わせようとする人権侵害です。子どもも一人の人間です。
    子どもがなかなか言うことをきいてくれないとイライラしますよね。その“きく”には2つの意味があると思います。①“話をきく”と②“言うことをきく”。①には信頼関係が必要です。人は、傾聴し共感してくれた人に信頼をよせます。まずは、その子の言い分を聞いてあげましょう。②は無理です。だって子どもも人間だから。一人一人考えがあります。無理な事をなんとかしようとするから暴力に頼ってしまうのでしょう。でも、①が出来ていれば、こちらの言葉も聞こうとしてくれると思います。そこでこちらの考えも伝えてはいかがでしょうか。子どもが納得すれば、こちらの望む行動をしてくれるかもしれないし、会話によってお互いが納得できる別の行動が見つかるかもしれません。
    体罰を禁止する法律が保護者や保育者を見張る息苦しいだけのものにならないかが心配です。体罰をしない関わりをするためには、どうしていけばよいか社会全体で考えていくきっかけになりますように。特に①には時間と手間がかかります。その為には心と時間の余裕が必要です。子どもたちと関わる多くの保護者と保育者は追い詰められています。心と時間の余裕が持てるような雰囲気と仕組みをみんなで実現していかなくては!

      
  • 匿名 says:

    私も反抗期の頃に親からビンタされた記憶があります。が、不思議なことに怖かったという思いはありません。むしろ自分が悪いことをしたのだという自覚がもてました。
    多少は痛いことをさせないと理解してくれないだろうという思いから、エスカレートしていくのが問題になっているのでしょう。
    結果的に体罰は必要なときには有効だと思いますが、間違った使い方をすると子供には悪影響しか残らず大人になっても一生記憶に残ってしまいます。

      
  • 匿名 says:

    必要ではない

      
  • 匿名 says:

    今ZEROを見て感じた事は、体罰と一般的に言って居るのは虐待の言い訳のような響きをいつも感じてます。
    親が冷静であれば、子供と向き合って子供の目を見て言い聞かせる事が出来る。
    例えば今共働き社会やバツイチ女性が他の男性と再婚をし子供が邪魔!とか仕事の疲れによる子供へ当たる!
    何か子供の人格を無視した所で行われてる気がする。
    いつも子供の虐待のニュースを見てじゃあ逆に親に同じ事やってみたらどうだろう!って思いたくなる程痛々し内容が多い!
    子供も目も耳も口も考える脳もあります。もっと感情的にならず冷静に繰り返し繰り返し気長く子育てに向かって欲しい!子供の心の叫びをキャッチして欲しい!毎日しっかり子供と向き合っていれば子供のちょっとした仕草で今どんな状況であるのか気づく筈!
    子供も虐待される為に生まれて来たのではないですョ!二人の愛の証しでこの世に生を受けて生まれて来たのですから幸せになる権利があると思います。
    どうか一人でも多くの子供達が幸せになれるように大人である私達で育てましょうョ♪
    そしてあんな残酷なニュースが減り心温まるニュースが増える事を祈ります。

    三人の娘を育てた母親より〜

      
  • 匿名 says:

    絶対に必要!口で分からなければ叱るための痛みは必要だ。体罰という言葉で言い現すのもどうかと思う。躾には痛みは必要でありその痛みを覚えているゆえに人に対する痛みもわかり成長する。但し、叱る方も叱り方をよくわかっていない大人が多いのも事実である。人に対する痛みを知らない大人が叱るから体罰として問題になってるのではないか。
    またそれを安易に法制化するのもどうかと思う。

      
  • 匿名 says:

    ある程度の体罰は絶対に必要で、重要なのは程度の問題です。全面禁止などすれば必ず悪意ある子供の虚偽の訴えによって冤罪が発生します。子供が悪意だなんてと思われるかもしれませんが、悪意とはそうと知りつつ行うことですので、ちょっとしたイタズラや冗談のつもりでも同じことです。中には道徳上の善悪の意味での完全な悪意を持つ子供もいるでしょう。

      
  • 匿名 says:

    最低限は必要でしょう。子供の頃は大人に小突かれて反省をしたものです。日本は後進個と言いますが、あなたのいう先進国とはどこのことでしょうか? 欧米各国で体罰を禁止としている国でも「手のひらで顔以外の箇所を叩く」などは認められている国もあり、体罰禁止と言っても程度があるのです。罰として立たせるとか正座をさせるのも体罰なんですよ?座禅はおろか警策などもってのほかになります。その程度も許容されない完全禁止など悪法以外のなにものでもありません。

      
  • 匿名 says:

    不要だと思います。体罰を与えないことが甘やかされて育てられるのと同義のような意見も見ますが、体罰なしイコール叱らないではないと思います。大人に対してすべきでないことは、子供に対してもするべきではないと考えています。相手が思った通りに動かないからと暴力を振るうのは犯罪です。子供に対しても、それは同様ではないでしょうか。

      
  • 匿名 says:

    体罰を受けて育ってきた僕はダメな人間なんですか?
    最近の教師は生徒になめられ、逆にびくびくしながら注意もしづらいんじゃないかな。これからスマホの持ち込みOKになれば面白半分に大人達をはめていく子供が量産されるでしょうね。なぜか?罰がないから。怒られても体罰だと叫べばその大人は社会的に殺される。僕達は無敵だ!と思うよね。
    「そんなに子どもは馬鹿じゃない」と思ってるあなたの学生時代はどうでした?大人は敵じゃなかったですか?大人に食ってかかる先輩などに「すげー」とか思ってませんでした?
    子どもってそんな感じですよ?それが怒られないし自分たちの方が強いと思いだしたら手がつけられなくなるのは想像できると思うんだけどなぁ。自分の息子が女の子に乱暴した時に、「ダメじゃない、相手の気持ちを考えなきゃ。次からは気を付けるんだぞ」ですますの?娘親の気持ち考えたらとんでもないね。
    体罰禁止するなら少年法の罰則を厳しくしなきゃいけない。小学生からでも刑罰を与えなきゃいけない。どこかに怖い存在がいないとダメなのは人間も動物も一緒。自重ができないのが子供なんだから。

      
  • 匿名 says:

    体罰出来るのは尊敬されお互い信頼できる良い関係だからこそできるもの
    信頼関係も何も無しに、言う事聞かないから殴ったれ、叩いたれとか逆効果だろ
    大人に対する不信感からさらに反抗的になって非行に走るだろうな

      
  • 匿名 says:

    絶対必要です。子供が悪い事をしたら体罰無くしてどうペナルティを与えたら良いのでしょうか?
    子供が道を踏み外そうどしたら殴ってでも良い方に導くのが大人﹙親﹚の務めではないのではないですか?
    それ前にしつけと虐待の線引きの定義を考えるのもあなた方の仕事だと思うのですが。子供に対してのペナルティが無いような昨今、自分は何をしても許されると思ってる若者が増えているのも考えて下さい。

      
  • 匿名 says:

    体罰がエスカレートしたものが虐待。体罰容認は子供に言い聞かせて育てられない人の言い訳。体罰は怒りの感情が伴い、歯止めが効かなく、連鎖の危険があります。親の接し方ひとつで、子供は同じ子供かと思われるくらい、聞き分けが良くも悪くもなります。体罰が無く、言い聞かせてた育ててた戦前の日本の教育に戻るべき。戦後の教育から体罰、親子間の殺人が出てきた。現在では、欧米社会の方が体罰の危険を認識しているので、戦前の日本と逆転するのではと危惧してます。
    日本は昔から厳しい教育できたと勘違いしてる人が多いので、体罰容認から抜け出せないのだと思います。日本が評価されてる素晴らしい部分は、戦前の教育によるもの。

      
  • 匿名 says:

    不要です。
    私は4人子どもがいます。小学生だった落とし物や失くしものが多い上の子には「なんでなくしてしまうのか」ときつく叱って、叩いてしまうことがありました。叱ったり、叩いたりしたのはしつけではなく、ただの私のイライラでした。子どもたちも大きくなり、振り返るとそう思います。恐怖を与えるだけで、何の意味もありませんでした。
     高校、大学では子どもが起こす問題に周りの先生方、友人が対応してくれ、自分がどう行動すればいいのか、学んでいったようです。
     小さい頃の関りは親が中心です。本人が分かるように説明し、解決策を考えていくプロセスを踏まないと、子どもが生きていく上での学びにならないと感じています。
     しつけについて。
     私自身、子どもの行動に不慣れで、どうしたらいいのかわからず、育児本に頼りきりでした。親は当てにしていませんでした。なぜなら、私自身が劣等感のかたまりだったので、私のような子どもにはならないでほしいと願っていたからです。
     子どもだったころ、私の親は私の前で、子ども(私)の至らなさを話して「もう困ってしまう」とこぼしていて。それは一種の謙遜のかたちと今ならわかるのですが、当時は私は「だめな子どもなんだ、頭の悪いから勉強ができないんだ」と劣等感の塊になっていました。
     体罰は論外ですが、「しつけ」という考え方も問題があると思います。子どもは成長過程にある一人の人間として尊重しすべきです。親は公衆のルールや道徳、倫理を話し、一緒に考える姿勢で臨むべきだと思います。また親だけに育児をさせるのではなく、保健師やソーシャルワーカーにもっと関わっていただいて、体罰の怖さや自己肯定感を伸ばす関わり方を親や祖父母など子どもに直接かかわる保護者達に伝えてほしいです。その積み重ねが社会全体で子どもの福祉を考える土台になっていくのではないかと思います。

      
  • 匿名 says:

    しつけに暴力は全く必要ない。少なくとも自分はしつけのために暴力は絶対に使いたくない。普段はそう思う自分ですら、イライラして2歳の子供に暴言、暴力(近くの壁やテーブルを叩くなど)をしてしまった事があり、思い出すと自分が怖くなる。子供は暴力によって、いけない事と理解するのではなく、親の前では痛い、怖い思いをするからやらないというふうになるのでは。自分も小学生の頃に算数が解けなくて、父親に定規で叩かれたが、頭が萎縮して間違う事が怖くなってしまった記憶がある。

      
  • 匿名 says:

    体罰の程度による気がします。殴る蹴るは暴力です。閉め出しも駄目です。なぜ怒るのか、なぜ駄目なのか、ちゃんと子供と向き合って、理解させる努力をする。キチンと教育しないのは体罰より悪いと思う。褒める育児、怒らない育児も勘違いしてる人が多過ぎです。キチンとルールを守った上でなら良いと思いますが、公共のルールも守れない大人がその育児をするのは迷惑です。自分の子供の行動に責任を持たない親が多くて迷惑です。大人は子供の鑑です。自分が出来ていない事を、教育出来る訳ないと思います。子供は純粋な一個人であって、親の所有物ではありません。何故言う事を聞いて貰えないか、親が自分の中の原因を探るべきです。その上で痛みで抑える事は必要だと思います。

      
  • 匿名 says:

    自分が叱られ叩かれたことがなぜなのかわからないという人は叱られてすぐに自分で考えなかったからだと思います。なぜ叩かれるまで叱られたのか、自分なりの反芻がなかったから覚えていないだけでしょう。私の経験では叩かれた理由は鮮明とまではいかなくとも、覚えています。だから私はしっかり考えることを子供に伝え、忘れさせないために痛みとともに刻むつもりで叱ります。
    これは毎度叩くわけではなく、同じことを繰り返す度合いで、罰の程度を決めます。どんなに綺麗事を並べようとも、叱った時のその子に対する対処は[罰]です。私も自覚していますし、本人にも納得させます。初めは恐怖でも仕方ないと思います。あとは本人が後になって、[なぜ]ということをしっかりと考えるきっかけにして欲しいと願うばかりです。ちなみに私と子供達の関係は今のところ良好に見えます。私が子供達に考えることを意識させているせいか、世の中の不思議をよく尋ねられます。そういった時は答えを教えることもあれば、ともに考えることもしていますし、ともに想像の世界に耽ったりもします。これが根拠です。体罰も刑罰も制約も私にはあまり差がありません。程度の違いしかないと思います。体罰を否定するなら刑罰も制約も私にとっては否定することになります。そんな世界でどうして節度や倫理観が生まれるのでしょうか。

      
  • 匿名 says:

    私は34歳で二児の母です。体罰を受け育ちました。
    私は体罰反対です。
    体罰が体罰を生む…??人それぞれです。
    上の子には絶対手をあげないと誓い、10才まで自分がされていたことはしませんでした。今では冗談半分におしりをペンっとして早くやりなさいよ程度です。

    当時体罰を受け思っていたこと。それは、小さいうちは痛い恐いです。それが思春期の頃にはいってぇな!!くそっ!!と怒りでいっぱいでした。
    なので、小さいうちは体罰でどうにかできても、大きくなるにつれ体罰では対処できなくなります。

    体罰でしつけるのは一時しのぎです。

      
  • 匿名 says:

    必要だとは思いません。
    私は今21歳ですが小学生の頃から高校生まで親から成績のことや日々の態度でビンタをされたり頭を叩かれたり蹴られたりしていました。
    弟は父親に叩かれることが怖くて小学生の頃、父親が帰宅した音が聞こえると吐くようになりました。
    父親は普段は優しいけど、不機嫌になることも多かったです。でも、暴力のほとんどは躾のためと思っていたでしょう。うちの家庭では、暴力大丈夫です、と学校にも伝えていました。
    そんな両親が嫌いでした。弟は男の子だったから特に辛く当たられていたと思います。思い出すだけで泣くほど、今でも辛いです。
    親の口癖は「言葉でわからないなら動物と同じだから」でした。今でも許せません。でも辛かった思いを伝えることも出来ず表面上は仲良くしていて辛いです。言葉で伝えることを諦めないで欲しかったと思います。

      
  • 匿名 says:

    場合により必要悪ではないでしょうか。
    現在三十代後半の私が子供だった頃、周りには叱らない育児、褒めて伸ばす育児で育てられている子供がいましたが彼女たちがどういう大人になったかと云えばパラサイトシングルがその大多数です。義務教育の間、大半の子供たちは微温湯の中にいるように親から社会からの庇護下にありますが、それは人生のほんの束の間のことです。言い訳をして入れてくれる学校も会社も中産階級には普通ありません。大半の人間は元来楽な方に流れる生き物です。幼少の頃に良い生活習慣を身につけるためには私は言っても改善されない場合や嘘、言い訳をした際には手をあげることもあります。今この世の中で親が叱らなくて誰が叱るのか、子供に対する責任は誰にあるのかを考えたら無責任な他人の綺麗事には私は迎合できません。

      
  • 匿名 says:

    体罰を受けて育った子供は大人になった時、3つのタイプの大人になるね
    体罰しても良いんだ・正しいんだと思いこみ体罰を正当化して、子供の頃から体罰されて育ったんだと子供に体罰をするようになる
    2つ目は大人になっても子供の頃に体罰されたトラウマを引きずり精神疾患を持っているか
    3つ目は攻撃的な性格の人間になるか
    20世紀最大の独裁者のヒトラーやスターリンは幼少期に親から体罰と言う名の虐待をされて育っていった為、心が歪んで、人々を弾圧・殺害するような冷酷で残忍な性格の人間となったとされる
    刑務所に服役してる受刑者にも幼少期に体罰(虐待)されて育った人も多いから有り得る

      
  • 匿名 says:

    日本人は、表向き暴力を否定しつつも、過去に受けた体罰を美化し、「体罰は必要悪」だと思い込んでいる人が非常に多いです。
    結果、体罰(暴力)というものに反発心も、嫌悪感も、強く感じる事なく、寛容になり、しつけだ、教育的指導だ、等と正当性を今も主張し続けるばかりで、体罰をせずに教育をする方法を、教育者以外の大人達は考える事を避けているように感じます。
    また体罰を受けてきた世代による体罰容認論は、過去の暴力に今も尚、支配されている証拠と言えると思います。
    これでは「体罰は必要悪」とする大人が多くを占める今の日本では、学校でも家庭でもスポーツでも体罰をなくす事は至難の業です。

      
  • 匿名 says:

    私だって体罰などしたいわけではありません。
    我が家の5歳児、なぜいけないのかきちんと何度も説明するも、そんな事情はお構い無し(本人の為なのに、です)、ただ、今やりたいから!と聞く耳は持たず、何度も同じことを繰り返しやるような時、最終的には私の余裕もなくなる所為もあるとは思いますが、体罰をして止める方法をとることがあります。この他にダメと思い知らせ、やめさせる方法がわかりません。 子供になぜダメなのか、話すときも親として上から目線などではなく、できるだけ子供の気持ちに寄り添って話をしているのですが。。。
    悪影響と知っても、他にどうしたらいいのでしょうか。。今後どうして対応したらいいかとても悩みます、

      
  • 匿名 says:

    子供に体罰する親は基本的に指導力の低い毒親が多い。子供の気持ちとか考えていない。子供が親や大人の言う事聞かないのも子供ならではの理由があるはず。それに気づいて、なぜ言う事を聞かないのか?というのを大人目線の上から目線の命令口調で叱るのではなく、子供と同じ目線でちゃんと子供の言いたい事をちゃんと聞いて、子供に合わせた対応をするのが良いかと。

      
  • 匿名 says:

    子育てをしていく上で、子供がいうことを聞かないなどの事態になってくると解決策がなく、体罰をしてしまう人がいると考えるとなかなか難しいですね。しかし、子供にとってはたたかれても痛い、傷つくだけなので本当に子供をしつけたいのなら、ほかの方法を考える必要性があるように感じます。

      
  • 匿名 says:

    日本の体罰文化は戦時中の軍隊訓練が起源 。戦時中の日本は軍国主義だったが、当時の旧日本軍の兵士の訓練では精神論によるビンタされるなどの体罰が当たり前の様に行われていた。学校現場での「教育的体罰」も軍国主義の時代に根付いた。戦後、軍隊を経験した元軍人の方が学窓に復学し、教育現場での指導の際、軍隊時代の鉄拳制裁による体罰を持ち込み、以降、体罰は一定の教育効果があると支持されるようになり、今日まで続いている。

      
  • 匿名 says:

    9.9割は必要ない。残り0.1には体罰も必要。本気で悪さしたとき、相手の命を脅かす怪我をさせるなど、反省もなく理解した上で遊びの延長とふざけている子に言葉が届くとは思っていない。
    小学校四年、五年くらいが1番難しいのではないかと。言い訳することも、話しを理解した上で聞かないということにもできるような能力も、知恵の一つとして育ちますので。

      
  • 匿名 says:

    発達障害などの障害がある子供もいるから、そういう障害がある子供に体罰やっても無駄で、2次障害となって、精神的な障害を引き起こし、深刻な不登校や引きこもりになってしまう。
    無知と無理解で力支配による根性論と精神主義による間違った教育指導で子供に接するのは良くない。
    戸塚ヨットスクールの行き過ぎた暴力による体罰行為見てるとそう思う。

      
  • 匿名 says:

    ただ、はたくだけではダメでしょ
    叩いた後、子供が落ち着いてからどうしてあんなに怒ったか等を伝えなければ
    子供が命に関わる危険を起こした時は
    時には必要だと思います
    体罰といっても、手をはたくだとかで、大人の力で殴る蹴るは体罰ではなく暴力でしょう

      
  • 匿名 says:

    必要だと考えてる人は絶対体罰を受けたことがないか、軽く済んだだけ。
    体罰を受けると怖いという記憶しか残らず、早く過ぎて欲しいとひたすらわからないのにわかった振りをしてやり過ごし、結局何で怒られたのか頭に入っていないということがよくあります。自分がそうです。もちろんこれは虐待の経験ではなく、体罰の経験です。賢い親は何故怒っているのか詳しく説明しますし絶対に体罰なんてしません。

      
  • 匿名 says:

    必要。ただし、最終手段。「本当に怒らせると怖い」と認識させるのに必要。

    日常は言って聞かせるべき。これは、それが出来ない未熟な親の為のフールプルーフ。

      
  • 匿名 says:

    子供の頃よく親に叩かれたが、何で怒られたのか覚えてない。ただ叩かれた、辛かった、怖かったという記憶しかなく、暴力では根本的に何も伝わらないし教育に必要ないと思う。

      

しつけに体罰は必要だと思いますか?

/1000文字まで

編集チームがチェックの上で公開します。内容によっては非公開としたり、一部を削除したり、明らかな誤字等を修正させていただくことがあります。
投稿内容は、東京すくすくや東京新聞など、中日新聞社の運営・発行する媒体で掲載させていただく場合があります。

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