中学受験で「毒親」にならないために 小説「翼の翼」著者の朝比奈あすかさんに聞く
「本番まで半年」冷静でいられない親
―作品では、夏休みの間、小学6年の息子に対する親の言動が「教育虐待」といえるほどエスカレートする様子が描かれています。
「本番まで半年切った」「苦手科目を克服しなければ」と、夏以降の親の不安や焦りは大きなものです。子どもの中学受験を経験した私も精神的に参りましたし、児童心理学を学んだお母さんでも、動揺し冷静でいられなかったそうです。
「子どもを導きたい」という愛情と使命感ゆえとは思いますが、いくら懸命になっても「馬を水辺に連れて行けても、水を飲ませることはできない」ということわざの通り、子どもがやる気にならなければ始まりません。この時期、子どもにも漠然とした不安や焦りがあるものです。「ネットにこれやった方がいいと書いてあったよ」などと口出ししても混乱させるだけ。親は余計なことをせず、趣味や仕事で自分の心をなるべく子どもからそらした方がいいかもしれません。
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「脅し」を言われた子はずっと忘れない
―親も試されています。
強い言葉で脅して勉強を強制し、成績が一時的に上がったとしても、親の言動によっては、子どもが劣等感を一生背負ったり、他人との比較でしか自分の価値を確認できなくなったりします。親は「そんなこと言ったかな」と忘れがちですが、言われた側は大人になっても忘れないもの。SNSや書籍などでも「自分が今もつらい思いをしているのは、ひどい言動をした『毒親』のせいだ」と糾弾する声も見かけます。
「翼の翼」の読者からは「こんな親になってはいけないと思った」「子どもを責めたくなる時の歯止めになった」といった感想が多く寄せられました。少しでも子どもを守れたのなら良かったです。ぜひ模試の結果が出る前などに、主人公の振る舞いを反面教師として読んでみてほしいです。
―受験後も親子の関係は続きます。
目の前の小学生のわが子もいずれ大人になり、世界を広げます。親を一人の人として評価する時、「あの時、親にこんなことを言われた」などと軽蔑されるか。それとも「あの時、自分に任せてくれた」と感謝されるか。半年後の合格という短期利益にこだわるより、子どもに対し恥ずかしくない言動をしておいた方がいいのではないでしょうか。
現時点の子どもの成績や態度からは、信頼するのは簡単ではないかもしれません。でも、先の先まで見据え、子どもが成長するのを待つのが、人を育てるということなのだと思います。
朝比奈(あさひな)あすか
1976年、東京都生まれ。2006年、「憂鬱なハスビーン」で第49回群像新人文学賞を受賞し小説家デビュー。代表作に「不自由な絆」「人間タワー」「君たちは今が世界(すべて)」など。最新作は、児童養護施設に暮らす高校生を主人公とした青春小説「ななみの海」。
少子化の一方で首都圏の受験率は過去最高に
首都圏模試センターによると、首都圏の中学受験生は8年連続で増加。昨年度の私立・国立中学入試の受験者総数は推定で5万1100人と過去最多、受験率(小学校卒業予定者数に対する受験者数の割合)も17.3%で過去最高だった。
公立中高一貫校のみの受験者を合わせると、6万2100人となり、首都圏の小学生の4.7人に1人が受験した計算になる。背景には、変化する大学入試への不安や高校入試を回避したい思いなどがあるとみられる。公立中高一貫校は、愛知県で2025年度から一部県立高校での導入が検討されるなど全国的に増えている。
中学受験の悩みと朝比奈さんへの質問を募集
東京すくすくはこの夏、朝比奈あすかさんを招き「オンライン講座」を開きます。読者のみなさんからの質問を募り、朝比奈さんに答えていただく予定です。①中学受験に関して悩んでいること ②中学受験をテーマにした「翼の翼」の作者であり、子どもの中学受験の経験者でもある朝比奈あすかさんに聞いてみたいこと、を記事末のコメント欄からぜひお寄せください。
朝比奈さんがみなさんの質問に答えました
【1】志望校はどう選ぶ? 伸び悩んだ時の声かけは?(動画あり)
質問0:小説「翼の翼」の執筆背景と伝えたかったこと
質問1:志望校の選択 気を付ける点は?
質問2:伸び悩んでいる時やダメだった模試後の声かけは?
質問3:「これが出たら危ない」親の言動の目安は?
質問4:お金のかかる中学受験。「元を取りたい」と思ってしまう
質問5:偏差値や順位で他の子とわが子を比較してしまいます
質問6:勉強しない子に怒ってしまう。子どものやる気を出すには?
質問7:共働きでも子どもをサポートできるのか不安です
質問8:合格しても入学後のミスマッチが心配です
質問9:中学受験から「降りた」エピソードを教えてください
質問10:中学受験で夫婦仲が悪化しないためには?
難関校に目標を定めた父が、滑り止めで合格した中学に進んだ私に求めたことは…
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい
中学受験を経験した者です。
私は正直勉強が好きではありませんでした。しかし親は、私が保育園の頃から勉強ドリルをやらせていました。小学校の低学年から塾に通い、夏休みなどは課題に追われていました。塾だけでなく、野球や音楽、水泳などの習い事も課されました。勉強や習い事をするのは私の意志ではありませんでしたが、なんとか進学校に受かることができました。受験が終わって親が一言、「これからはクラスで3位以内(の成績)に入りなさい」。
この時、私は親を嫌いになったのだと思います。あるいは前から嫌いだったのかもしれませんが、心を誤魔化せなくなったのだと思います。それでも相手は親であるという恐怖からしばらくは頑張っていましたが、やがて面倒になり成績は下がっていきました。
成績が落ちるにつれて、親の叱責が増えましたが、私のやる気が戻ることはありませんでした。そもそも初めからやる気なんか無くて、義務感でやっていただけなのかもしれません。親に「お前のために言ってるんだ」「お前は視野が狭い」「親心がわからない」と責められるたび、どうしようもない疲れと罪悪感のようなものを覚えました。
大学はそこそこの所に入りました。小学生の頃、夏休みにのびのびと遊んでいて羨ましかった同級生達が希望の大学に進学している姿を見ると、自分の努力不足と弱さが嫌になり、ついどうしてこうなったのかと考えてしまいます。正直やりたいことも、夢もありません。
親とはもう何年も会っていません。
私にとって親の教育は、不安を煽られ、罪悪感を抱かせられ、人間味に欠けるものでした。しかし、私ではない別の子どもだったら、問題無く成長して親に感謝したのかもしれない、と考えて割りきれない気持ちになることがあります。おそらく親を信頼して適度に自己主張できる子どもなら、私のようにはならないのかもしれません(一方で私は、親を信頼してなくて聞き分けのいいふりをしていたように思います)
進学校には受かりましたが、長い目で見て私の中学受験は失敗でした。自分の中にやりたいことが無く、いつも余裕が無く、親のように批判されるのが嫌で相談できる誰かも作れませんでした。私が弱かっただけかもしれません。ただ、今の親御さん方には、子どもの将来ばかりに焦点を当てるのではなく、目の前の子どもを見てコミュニケーションをとってあげて欲しいと思います。
中学二年生の息子がいます。離婚など大人の事情で小学校を二回転校、学校へ行き渋っていたため学習塾に入れたところ県立の中高一貫校受験を勧められ、そのまま受験、滑り止めの私立も含め合格しました。
中学入学直前に最愛の祖母を亡くし、その後からゲームにのめりこみまったく学習せず、進学校につき学校での居場所がなくなり中学一年の三学期から学校へ行かない状態が続いています。中学入試では合格を勝ち取ったものの、息切れしてしまう、それまでの育ちの中で満たされなかった部分が思春期で体と心のバランスがとりにくい中でどう対応していいかわからなくなり行動を起こせなくなってしまっている、そんな状態です。
中学受験を楽しむ余裕があればチャレンジしたらいい、違う世界が見えるかもしれない。けれど受験に失敗したり、合格した学校があわなかったりしたら、傷つくだろうし未練もあるだろうが、経験値があがったなとサンクコストと割り切って前に進めたら。。。自戒の念を込めて記入しました。書籍、さっそく読んでみたいと思います。
3人の子ども全員が中学受験をしました。長男・次男は二人とも地元の公立中学は嫌だ、と塾に行っていなかったけど受験しました。夫婦とも驚きましたが、本人たちが希望しているなら、と受験させました。私立の受験は想像以上に難しかったようで、二人とも撃沈しています。
長男は初の都立中高一貫校も受検しており、幸運にも合格しました。優秀な同級生たちは多くが、謂わゆるお受験の塾には通っていなかったのが印象的でした。次男は、自分で隣学区の中学を選択し、自分で決めた都立高校に合格し、最終的には日本トップの大学院修士で終えています。長女も地元中学は嫌だからと塾に通うことにし、都立は不合格でしたが希望の私立女子校に入学しています。
親として何をしてあげたのかと言われると、共働きだったこともあり特段何もしていなかったと思います。そもそも3人とも小学校時代に自分の人生に向きわなければならないようなことがあり、子どもも別の人生を生きているわけで、親としてはバックアップをすることに注力してきたことが、今の3人の生き方につながったのかな、と考えています。
子供が自分からやりたいと言いだしたので、四年生から中学受験を目指すことととなりました。
塾通いや、区立小学校の担任教師からの受験批判、周囲のなりふり構わない保護者からの揶揄、コロナ禍の体調管理、時代に翻弄されながら沢山大変なことがたくさんあった気もしますが、本人は華麗に乗り越えていました。
4月から楽しく自分の選んだ学校に通っています。四年生の時から現在までの本人の感想としては、一貫して、中学受験をして本当に良かったとの事です。その学校が本人にとって最適だったかはわかりませんが、合格するという縁といまが充実しているという事で十分に感じます。通っている周りのお子様も保護者の皆様もそのように考えている方がほとんどです。
理想論のように思われるかもしれませんが、親が押し付けたりせず、子供のやりたい事を尊重し、必要なら選択肢を示し親子で話し合う時間を持つことが大切だと思っています。我が家は、家族としての意見を伝えながら、本人の自立を手伝うというスタンスでやってきました。
正解は一つじゃないので、各家庭それぞれの形があると思うので、試行錯誤しながら、自分や子供に合ったやり方を探す事が1番の近道ですよね。
最終的に中学受験はしませんでしたが、当時日本進学教室に通っていました。大正年間生まれで国立中に行った伯母は、あら、私と一緒ねと喜んでいました。中学受験の喧騒は、実は戦前からあったのです。
我が子が本人の希望で中学受験をすることになり、進学塾との付き合いから知ったことは、受験の内容は私が小学生だった頃と全く変わっていなかったこと。我が子たちの世代はゆとり世代。進学塾と私立中学の闇のつながりを知りました。
幸い、私が自分の経験を思い出し、塾との付き合いは模試を受ける、6年次の季節講習に通わせる、四谷大塚のテキストを使う、と、最低限の費用ですみ、本人の頑張りもあり希望校とそこ以上の偏差値の中学も受かりましたが、あれから20年も経って、今も目的感の定まらない親御さんたちを振り回している受験業界には腹が立ちます。また、我が子のためと思いながら親の見栄を張る、金にあかす親たちにも何のための中学受験か、頭を冷やしてほしいものです。
都内公立中学校退職教員です。
中学受験をさせようと考えたきっかけは何なのでしょう。子どもの経験値や学力向上を公立中学校に期待できないから?今は公立中学校も学区に縛られず選択できることが多いです。その際も地元を離れると決めた理由は何でしょう?なんとなく?地域や保護者間の噂?噂の真偽は確かめましたか。
生徒は3年で卒業していきますし、教員には異動もあります。公立中学校の評価はコロコロ変わります。私立の場合は校風や通学者の階層(?)は比較的安定していますが、合わなかった場合の苦痛は如何ばかりでしょう…と、これは私の疑問。実は私、50年余り前の”お受験”経験者です。学習塾に通ったこともない小6が、突然地域の中学校に進学したくないと言い出し、親はとても驚いていました。同級生に比べ大人びていたせいか、担任からは重宝に扱われ、級友からはイジメとはいかないまでもシカトに近い状況にあった私は、その環境から抜けたかったのです。
父の立場上(同じ地域の公立中教員)、他の公立中への越境入学はダメ、高校受験を控えた姉がおり金のかかる私立も無理ということで国立大の附属中を受けることになりました。とはいえ、徒手空拳で立ち向かうわけにもいかず、2大進学教室の一つ四谷大塚の門をたたき、一般向けに開かれる日曜テストを受け、結果も出ないうちに来週は会員選抜テストですと言われ申込み、合格すると翌週はクラス分けテスト、そして教室とクラスが決まる。通い始めてすぐ夏期講習が始まり教材等の出費が続き、申し訳なく思ったものです。
自分から言い出した受験ですし、進学教室での勉強はとても楽しかった。親は協力こそしてくれ成績や勉強時間の短さを叱責することもなかったので感謝しかありません。約半年あまりの”お受験”生活でしたが、1校しか出願しなかった附属中に幸い合格することができ、期待に胸を膨らませました。しかし、学校生活は良いことばかりではなく、仲間はずれや意地悪、悪口などもあり、正直やめたいと思ったこともあります。が、誰に言われたのでもない、自分で決めたことだから頑張ることができたのだと思います。
級友の中にはイジメに耐えられず不登校となり、進学先やその後も杳として知れない者もいます。中学受験もやはり、受験者本人の意思が主体であるべきかと思います。親からの不確かな情報に左右され、言われるままに流された子どもがかわいそうです。
子どもは私立の付属小学校でしたが、そのままの中学に進学すると勉強についていくのが大変だと考えて別の私立中高に進学しました。塾にも行かず、特に受験勉強もしませんでしたが、小学校の授業がしっかりしてくれていたので、中学受験も楽でした。進学先の中高でもほとんど塾にもいかず、推薦でまあまあの大学に進学しました。あの時、エスカレーターで進学校に行かなくてよかったなと子どもと話しています。エスカレーターで進学校に行ったお友達から大変だったよと聞いたそうです。彼女が行った中高は、のんびりした学校だったので得意な科目をさらに伸ばし、推薦先の大学でもとても楽しく過ごせたようです。中学受験で無理をするなら、小学校から私立のほうがいいのでは?塾に毎日夜遅くまで、夏も毎日、個別と集団のダブルで塾に通わせるなんてことするくらいなら、絶対に私立の小学校のほうが費用がかからないと思います。授業もレベルが高いので、塾と同じ授業が受けられますよ。
十数年前に子どもに中学受験させました。思えば当時は塾に言われるがまま難関校を目指して、金銭感覚が麻痺した状態で全ての講座を受けさせました。模試の結果に親子で一喜一憂し、ストレスをぶつけ合い酷い言葉を浴びせたこともありました。それでも、子どもの為にと必死で駆け抜けました。結果第一志望は不合格、滑り止めに進学することに。ですがあの狂気じみた経験をし、結果がうまく行かなかったことによって私の目がすっかり覚めたのです。第一志望校は私が行きたい学校で、私が叶えたかった夢でしかなかったと。子どもと自分は別人格、違う人間なのだと。あたりまえのことが、なんだか急に腑に落ちました。
中学入学以降は努めて子離れし、勉強や成績には一切口出しせず大学受験も本人に全て任せましたが、結果、最難関に現役で進学することが出来ました。
子どもは未だに「中学受験がこれまでの人生で一番の黒歴史だ」と言います。私立の中高一貫校が嫌だった訳ではなく、「中学受験」がそれほど嫌だったのでしょう。
今になって分かることは、子どもの成長はまちまちで、中学受験で成功するのは精神年齢が高く自分の意思で勉強出来る子どもだけ。精神的に幼い子どもに無理をさせて難関校を目指す必要などなかったと言うことです。それよりも、実力相応の場所で自信に溢れた学校生活を送る事が、自己肯定感に繋がりその後の長い人生には明らかにプラスになるのだと思います。親は子どもの将来にばかり目を向けがちですが、今現在の目の前の我が子をしっかりと見つめ見極めることが大事だと、現役保護者の方には自戒を込めてお伝えしたいです。
子ども相談の相談員をしています。
受験で親子関係が崩れたり、子どものトラウマとなるケースがあります。合格後トー横キッズとなり援助交際をする子、合格はしたものの人間関係ができず10年以上のひきこもり、不合格で非行に走る、など受験にまつわる影の大きさに愕然としています。
子どものために、が子どもにとっては被害者となってとても気の毒と思います。光が強ければ影も強くなる、そう思います。
38年前、中学受験しました!地元の小規模な塾に通っていましたが友達が出来て(みんな小学校が違い、新鮮で塾の雰囲気も合ってました)毎週楽しくて成績も上がって自分の希望で女子校を幾つか受けましたが不合格に。
ガッカリしましたが勉強に関しては一切干渉せずエレクトーンも辞めずに習わせてくれた母親には今でも感謝しています!
受験勉強で鍛えられたせいで中学校では部活やりながらも成績はいつもクラスで上位にいられ、高校は私立へ推薦で進学。
今は音楽教室で講師をしています。今の子供さん達は色々と恵まれていて貪欲さが無いようにも感じますがその時代、時代で頑張る事を学校や習い事で学んで行って欲しいですね。
私は未婚で子供は居ませんが子供と触れ合うのが好きでこの仕事をしています。
勉強や友達、習い事を頑張る力を塾や受験で学んだと思ってます!
ただ受験には向いていない子も正直居ると思いますし、親が追い詰める事件もあったりしますよね。
我が子をしっかり見つめて、子供の気持ちも尊重してあげて欲しいです
大学受験で高校1年から本当に頑張れば大概どこでも受かるでしょう。履歴書では最終学歴しか関係ないし。中学受験は落ちてもOKのノリで本人希望重視でやればいいのでは?方程式を使わない算数はある意味馬鹿げているが、でも頭の体操として、勉強自体は無駄にはならないでしょう。ただ、行って意味のある中高一貫校は一握りで、あとは公立上位とどっこいかそれ以下が殆どの集金マシン集団。間違っても塾の「全員合格」にのせられて、変な私学にはめ込まれないように。中学受験は一種の宗教なので、一人でも多くの人が呪縛から放たれますように。
30年前、中学受験をした者です。
”本人が望んで始めた「受験勉強」ではない”と他のかたも仰せでしたが、私の場合もまさにそうでした。行きたくもない塾に3年生からずっと通っていて、本当は地元の近所の中学に行きたかったのに、友達と遊ぶなどと約束しようものなら、母親が怒り狂っていたのを覚えています。また父母から塾の勉強を教わるのですが、特に父は国内でトップの大学院出身なので、できない私に毎回イライラし、怒られてばかりで教わるのが本当に本当に苦痛でした。
受験後、父母の呪縛から逃れられ、進学校と呼ばれる第二志望の学校に入学したにもかかわらず、校風が全く合わず、中学時代は毎日地獄で、私も何度も鉄道での自殺を考えました。
以上のことから、中学受験は私にとってかなりのトラウマになっております。もし万が一、私の子供たちが中学受験を希望したらどうしようか・・と考えてしまいます。ですので、ぜひ「翼の翼」を読んでみたいと思いました。
現在62歳の女性。ちょうど50年前、自分から言い出して中学受験を申し出ました。理由はその1年前に東京から埼玉に引っ越し、友達の考え方の違いになじめなかったからです。東京の学校に戻りたいというだけで、具体的な目標校はありませんでした。
ところが父が女子の最高峰「桜蔭」に目標を定めて、私は何も考えずにがんばりましたが、結果は失敗。父はいい顔しませんでしたが、滑り止めに受けた自由な校風のミッション系に入学しました。
ところが父は、成績は中位だけど、その学校で楽しそうにしている私が気に入らないのか、1年生の最後の学期で成績が上がらなかったら、中一で中退させて、中二で地元の公立中学に編入させて「浦和一女」を目指せといいました。自分は努力したのですが、上がりませんでした。
中一の終業式の時、成績表を持って担当の先生に泣きながら「成績表を書き換えてください」と土下座したくらいです。そのころ漠然と鉄道自殺を考えました。
小学校の卒業式の時、みんなとは違うセーラー服の制服を着て、羨ましがられた1年後、地元の中学に戻るなんて恥ずかしいこと、そもそも母が阻止するに決まってました。今思うと本気ではなく脅し(いじめ、と今ではとらえています)だったと思うのですが、「私の力が足りなくて桜蔭に入れなかったからこんなことになったのだ」と、それから50年、60過ぎた年齢になっても中学受験に失敗したことにこだわっています。
ちなみのこのころから「私は結婚しない、子供もつくらない」と決めて、現在その希望通り生きています。
生活圏に桜蔭がありまして、学生の制服姿を見ると、両親に対して死ぬ前に「なんであそこまで自分を否定したのだ」と直接聞かなかったことを後悔しています。ただ、滑り止めで入ったミッション系の中高一貫校は、成績的には二流校ですが、先生にも友達にも恵まれて、過ごした楽しい6年間は宝物です。
「翼の翼」読みました。自分は30年以上前に中学受験を経験してますが、あのころより全然大変というか、子どもへのプレッシャーが強烈な気がしました。今の子は大変ですね…。
さて物語の後半の、中学受験をやめた親子のエピソードが印象的でした。そうか追い詰められたら抜ければいいのか、と。でもそれはそれですごい決意ですよね。あのエピソードの基になったような話が、実際にあったりするんでしょうか?
うちの子も中学受験をするのかも…とぼんやり考えている都内の小学校低学年の父親です。
「翼の翼」では受験に向かう中で主人公の夫婦仲が悪化し、危機を迎えますよね。実際にそれが原因で離婚する家庭も多いと聞きました。離婚したら子どもは「自分のせいだ…」と心に傷を負ってしまうのでは、と怖くなります。
夫婦がすれ違いがちなポイントはどこか。そうならないために大事なことは何か。朝比奈さんのお話を伺いたいです。
子どもの可能性を信じたい、将来何の職業にむいているのか?
実はこれ矛盾する自問自答になるのです。
子どもの可能性は無限大であるはずなのに、親がもっている職業意識、知識の狭さの型に、子どもの可能性までも押し込めてしまうことになりかねない。
きっと、宇宙飛行士になるための学校があれば楽なように。その学校に入っても宇宙飛行士になれるのは極少数。その学校の最難関の受験のために、小学二年生あるいは、幼稚園からという時間とお金を賭けます。
さあ、入学、卒業、でも宇宙飛行士にはなれない。お母さん僕は将来何になればいいの?
ごめんね、翼。NASAに入るのは嫌?
など、常に子どもの将来性に責任を持ち続けられるのか?
親が考える人生の最終章と子どもの自我の芽生えから生まれる人生選択が乖離しだしても、母として割り切れるのか、、、
中学受験は親次第は否定しません。でも、子どもの人生は親が決めて良いものとなったときは、いわゆる教育虐待に陥りやすいのではないでしょうか?
脳科学研究者の中野先生は、母の経験値、社会経験が子どもに影響する例が多いと、、
子どもが社会参加する舞台は、変化しつづけています。そうすると、中学受験の目的は、変化し続ける社会への柔軟な対応能力、レジリエンス、困難を乗り越える力、我慢、粘り、苦手に挑戦し続ける根気などではないでしょうか?
母が常に側にいてくれて、、、、
ありがたかった。なのか、
怖かった。になるのか。
ともあれ、子どもの夢実現の一番の理解者、応援サポーターでありたいたものですね。
中受の結果が振るわなかった経験を持つ母の著作の読後の戯言でした。
子どもの中学受験を経験した先輩から、中学受験を考えているなら絶対読んだほうがいいよと薦められて、翼の翼を読みました。
まだ私は自分事化できていないのですが、今後に備えて、親自身にどういう心情や行動が出てきたら気をつけたほうがいいなど目安になる段階があったら教えていただきたいです。
特に夫は受験に対する情報が少ないのであらかじめ共有しておきたいです。
小5の娘が中学受験を目指して通塾しています。中堅の塾の一つではありますが、校舎自体はこじんまりとしていて競争する環境というわけではなく、娘も新しい友だちとの出会いや塾の先生の教え方が面白いようで今の所は喜んで通っています。
通塾し始めたころは、全然内容に追いつけずに泣いていることもよくありました。その度に親が教えるのですが泣いている状態では素直にそのアドバイスも聞き入れられません。塾の先生にも相談し、「ご両親は教えなくていいです。見守っていてください。お家では温かいごはんが食べられるよう、リラックスできるようにしていただければ大丈夫です。勉強の指導は塾でやりますから、わからないところは持ってくるようにしてください」と言われ、親が教えることはやめました。
娘もそのアドバイスに従い、わからないことは先生に聞くようになり、私は宿題の丸付け係に徹するようにしています。そのため、あまり受験に対して思い悩んでいるということはいまのところありません。
ひとつ気にかかるのは、志望校をどう決めるかです。
学校で開催される説明会には本人も一緒に何度か足を運んでいますが、説明会の日は日常の学校生活と異なる状態であると思っています。
本当に「この子に向いている、最適な学校」が説明会や学園祭に参加したくらいでピンとくるものなのでしょうか。
「翼の翼」で、主人公の翼は偏差値では低くなるけれど自分の行きたい学校を目指すことになりましたが、実際にいくつか学校をめぐってみたり話を聞いているとそういう感覚が芽生えるものなのか気になります。
もちろん本人がそこでピンと来てくれれば、モチベーションも上がり試験に向けてギアを入れられると思うのですが、そうでない場合は誰が志望校を最終的に決めるのか?結局は親が決めて、うまくいかない場合は親のせいとなり得る気がしています。
自分が試験を受けるときは、学校でも入社試験でも、なるようにしかならないと割り切っていましたしどこに入ったとしてもミスマッチはあると思っています。ただこどものこと、しかもまだ中学生となると、できるだけそのミスマッチを事前に回避しておきたいと親としては思ってしまいます。
朝比奈さんにアドバイスをいただけると嬉しいです。
本人が将来のつきたい職業が明確にあるため、受験をと思いました。が、なんともしかしたら計算障害?と思うような傾向があることが判明。もしそうであればつきたい職業には残念ながら無理です。しかし今からそんな宣告はやる気がある子だけに出来ません。
人生百年時代、わたしでさえ毎日勉強を怠りません。まずは「学ぶことの楽しさ」を体で理解してほしい、一生勉強することだらけだから、と私の考えが変わりました。でも本人の一生懸命な姿をみると複雑な気持ちになります。
本人が望んで始めた「受験勉強」ではないので、がんばらせているからには何とか合格させてやりたいという思いが拭い去れず、ついつい過干渉になってしまいます。また模試の結果にも本人以上に一喜一憂してしまいます。子どもとの適切な距離の保ち方、伸び悩んでいる時期や振るわなかった模試後の声掛け、親としての心がまえ…、分かった要るけれど保てない自制心への対処法などへのヒントを頂ければと思います。
「馬を水辺に連れて行けても、水を飲ませることはできない」とはまさにその通り!首ねっこつかんで机に向かわせても全然勉強しません。怒ってしまい逆キレされ親子関係が悪くなる一方。こっちだって怒りたくないのに…。どうしたらお互い穏やかに、子どもは自分からやる気を出してくれるのでしょうか?