【最終回】〈奥山佳恵さんの子育て日記〉50・悩んだダウン症の次男の進学先は…

(2024年4月17日付 東京新聞朝刊)
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満開の桜と満開の笑顔の、わが家の新中学生

奥山佳恵さんの子育て日記

人材はあるのにお金は出ない 

 ダウン症のある次男がこの春、中学校へ進学しました。障がいのある子はほとんどが「支援級」や「支援学校」を選択します。その子の特性に合わせて学ぶ場所は用意してもらっている。にもかかわらず次男は小学校の6年間を「地域の子どもたちと共に学ぶ」通常級を選択しました。中学進学を前に再び立ちはだかった「進学先はどこへ」問題。見学した教室はそれぞれが素晴らしく、迷いは深まるばかり。

 しかし、その選択が決定に至った出来事がありました。中学校の校長先生から「通常級の場合、フォローしてくれる人材を見つけてもらえたら安心」とご提案くださったのでピッタリの方をご紹介したのです。が、そのお仕事は「有償ボランティア」という扱いで謝礼は1時間500円。この条件では難しいと辞退されてしまいました。人材はあるけれどお金は出ない。この出来事に「いやいやお金は支援級という障がいのある子の居場所のために使っているでしょう?」と言われたような気がしたのは考えすぎでしょうか。インクルーシブ教育を進めていこうという声とは裏腹に。

 同じ場所でいっしょにいたから、お互いに学び合えたたくさんのこと。その機会が少なくなってしまうことは残念ですが、大切な次男を3年間、不安定な状況にさせることは避けたいと思い中学校は支援級を選択しました。

「共に生きる」を模索したい 

 入学式では、たくさんのお友達と声をかけあっていた次男。これまでの時間があったからこその場面です。おそらく、みんなといられる最後の3年間。いっしょにいたかったからこそ思うのです。障がいのあるなしで子どもの居場所を分けないで、ひとつの場所でいっしょにいられる工夫を本気で考えていきませんか。大人になってから「共に生きる」と言われても、障がいのある人のことを知らなかったら、とても共になんて生きていかれないのですから。

 近隣の横浜市では、今春から有償ボランティアの謝礼が1000円に上がったそうです。それでも市の最低賃金に届いていません。そもそも、このお仕事そのものが「有償ボランティア」ではなく一般的な職業として確立されることを模索していきたい。次男が地域の子どもたちと「共に生きる」光景の続きが見たい。これからは私が今まで発信してきたものとはきっと異なるものとなります。咀嚼(そしゃく)するには時間を要するため、今後のお仕事をしばらくお休みします。

  次男のいる場所が次男の居場所。そこで咲く笑顔はいつも満開でありますように!

奥山佳恵(おくやま・よしえ)

 俳優・タレント。2011年に生まれたダウン症の次男を育てる。長男はすでに成人。

◇奥山佳恵さんの子育て日記は今回で終了します。来週から、女子サッカー元日本代表の大滝麻未さんが筆者に加わります。

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  • 匿名 says:

    東京新聞は差別的なコメントを掲載すべきではないのでは。心配になりました。

    人間社会から恣意的な基準で切り出した「健常者」のみを集め、それに特化した学級運営を行うことが「優遇」です。私も含め健常者とされる人々は、社会が既に障害者とされる人々を排除することで自分が優遇されていることにもう少し敏感であるべきと思います。

    そして「このまま障害者を排除することで健常者が優遇されていたい」という願いは多様性ではありません。こうした前提を見誤った視座に疑問を持てなくなるので分離教育は問題が指摘されています。

  • たんぽぽ says:

    学校って何?学校教育って?教師の心って?勉強だけ教えれば良い?集団生活の意味は?と。障害児教育にも関わってきた教諭として、母として振り返り思うのは…

    【学校への疑問】差別はいけないといいながら普通級・支援級に分ける?普通級在籍していても担任が指導しにくいと子供を潰し支援級を提示にも疑問。
    先生が差別?視界から排除すれば良い?と悶々とします。伸びしろ潰すって何?と。

    ひとりでも多くの〝その子らしさ〟個性を大切に。尊重し合える人間に育って欲しいな🙂笑顔を護り共存出来るミライ

    たんぽぽ 女性 50代
  • MKH says:

    先天性疾患がある患者様を日々担当いたしております小児科です。

    障がいがあるなし関係なく、全ての子供達は当人の将来のために通学しています。

    障がいがある子供がクラスにいるのは迷惑だけれど、でもこんなメリットもあるから、みたいな発言が多くみられますが、その発想自体道徳心があったら公の場で発言していい内容では無いはずです。

    全ての人の存在はかけがえのないものであり、当人にとって価値があります。周りへの貢献度云々は周りがその人に対してする評価であり、そんな概念を育児、教育の場にまで持ち込む社会は未熟に思います。

    健常者だって程度は違えど誰かの世話になって生きています。そこを迷惑だ負担だと感じるのは残念です。立場が逆だったら嬉しいでしょうか?支援を受けられて得ですか?

    しかし現状学校の現場では、通常学級の担任の先生が1人のクラスに特別学級生が参加した場合、その先生やお世話係の生徒さんに負担が大きいのもまた事実。そこに対しての不満の矛先は、行政であるべきではないかなと思います。

    MKH 女性 30代
  • ミスター says:

    高校生の次男が知的グレーゾーンです。

    息子の16年を振り返ると、健常児でも障害児でも、その子に適した教育や支援を受けられる場所に安心して通える事が大切だと感じています。 

    親無き後も我が子が社会の中で孤立せず、生きて行く力を身につけるために必要な環境は一人一人違うはず。

    インクルーシブな環境は目指す社会の姿ですが、実際には普通学級に通うことで、自己否定が強くなる事もあります。

    特にグレーゾーンは外見では障害がわからないので、周囲からはできない子扱いされてしまいます。

    その子らしさを失わず、この世にたった1人のオリジナルでユニーク&スペシャルな人間を育てるために、借りられる力は何でも借りたいというのが親の本音だと思います。

    ミスター 女性 50代
  • may says:

    健常児を基準にした公立校自体が差別です。ありえないと思います。同じように健常であるという事自体に問いをもち考えることが必要なのではないでしょうか?

    子どもたちは幼いうちから共に過ごすことで、お互いを受け入れ、自分の役目や立ち位置を知るからこそ生きる意味を見出すと考えます。

    ちょっとそこまで買い物に行くというだけで、自分に障害があったらどうだろう?と考えると、社会は優しくないです。この社会を作ったのはなぜでしょうか?見えてないことに配慮は出来ないからだと思います。分離教育の結果です。

    今後、我が子を含むすべての子どもたちが未来を生きるためのサポートをしたいですね。

    may 女性 40代

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