運動会で「親」をやるのが苦手だった〈瀧波ユカリ しあわせ最前線〉3

(2024年6月19日付 東京新聞朝刊)

瀧波ユカリ しあわせ最前線

がんばったら「自衛隊」と呼ばれて

 そうか、運動会のシーズンだったな。グラウンドを走る子どもたちやお弁当の写真が週末ごとにSNSを流れていき、気がついた。最近では5月・6月と、9月・10月の開催が半々らしい。小学校までは一大イベントの運動会だったが、娘が中学生になるとその存在感は小さくなった。今あるのは少しのさみしさと、それを大幅に上回る安堵(あんど)感。実をいうと私は運動会で「親」をやるのがだいぶ苦手だったのだ。

 苦手な理由のひとつは、他の保護者とのギャップ。娘の通った幼稚園では保護者の熱量が高く、わが子を見ようと運動会のリハーサルに大勢がかけつけてしまうほどだった。リハーサルの存在すら忘れていた私も当日はがんばろうと、迷彩柄のオーバーオールを着て保護者参加型の障害物競走に出場。全力で網くぐりをした。しかし違ったのだ。「親」ががんばるべきは応援のほうで、競技への情熱は求められていなかったのだ。迷彩服で軽やかに網をくぐる私は一部で「自衛隊」と呼ばれていたと後に伝え聞いた。絶妙なネーミングセンスに爆笑しつつ、自分の空気の読めなさに苦笑した。

イラスト

イラスト・瀧波ユカリ

手作りでないお弁当に後ろめたさ

 小学校の運動会でも、引き続き大多数の親たちの熱量は高かった。6学年あるので自分の子どもが出るまでの待ち時間が長い。でもみんなちゃんと全員にエールを送り、子どもたちの健闘と成長に涙していた。私はというと、できるだけ見ていようと心がけつつも「近所の◯◯くんが走るよ」など見どころを教えてくれる夫に甘えながら、つい仕事のメールの返信などをしてしまう。わが子が走ったり踊ったりする姿を見るのは楽しいが、涙するところまではいかない。お昼は手作りではなく、子どもの好きなチェーン店のお弁当だ。ドライな性分なのだが、なんだかそれが悪いことのような気がしたものだ。

 あまり周りを気にせず、マイペースに楽しめばいいかと思えた頃にコロナ禍。小4の運動会は中止、その後も縮小した形での開催が2年続き、わが家における運動会は終わった。

 過ぎてしまえば思い出は甘やかで、まぶたに浮かぶのは真剣な面持ちで走ったり、私と夫を見つけてこっそり手を振る今より小さな娘の姿。この愛おしい気持ちは本物だ。だから、私のように子どもの運動会がちょっと苦手という人がいたら伝えたい。みんなと同じように振る舞ったり感じたりできなくても、大丈夫。そして先生方と、応援上手な大多数の人たちにも伝えたい。子どもたちの運動会を盛り上げてくれて、ありがとう。

【前回はこちら】私の幸せを「女の幸せ」「母の幸せ」に塗り替えないで

写真

瀧波ユカリさん(木口慎子撮影)

瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)

 漫画家、エッセイスト。1980年、北海道生まれ。漫画の代表作に「私たちは無痛恋愛がしたい~鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん~」「モトカレマニア」「臨死!! 江古田ちゃん」など。母親の余命宣告からみとりまでを描いた「ありがとうって言えたなら」も話題に。本連載「しあわせ最前線」では、自身の子育て体験や家事分担など家族との日々で感じたことをイラストとエッセーでつづります。夫と中学生の娘と3人暮らし。

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