金子道仁参院議員 フリースクールを運営、わが子8人もそこで育った 学びの機会をすべての子に〈ママパパ議連 本音で話しちゃう!〉

写真 子育てを振り返る参院議員の金子道仁さん

子育てを振り返る参院議員の金子道仁さん=東京・永田町の参院議員会館で、七森祐也撮影

本音で話しちゃう!のタイトルカット

子ども8人を、大人7人で育ててきた

 今回のコラムを担当する参院議員の金子道仁です。前回のコラムを担当された芳賀道也参院議員から、このような質問をいただきました。

 「お子さんが8人いらっしゃると伺いました。大変なご苦労もあったかと思いますが、どのようにそれぞれのお子さんに向き合っていらっしゃったのでしょうか」

 おっしゃるとおり、子どもが8人います。上から、女、男、女、男、男、女、男、女。男女4人ずつです。一番上の子は28歳、一番下の子は10歳になりました。仕事や大学でそのうち2人は家を出ているので、今、兵庫の自宅にいる子どもは6人です。

写真 8人の子どもたち

8人の子どもたち(2016年撮影、本人提供)

 大家族なので、1週間でお米が10キロなくなるような生活です。妻は8人分のお弁当を作っていた時期もありました。今も毎朝2升炊いていますが1日持たないくらいです。へたすると1食で食べきってしまいますね。ただ、息子たちが成長期を過ぎつつあるので、だいぶ食欲が落ち着いてきて、食べる量もピーク時よりは減りました。

 8人それぞれ性格が全く違います。もちろん大変だったこともありますけれど、楽しかったことの方が多いです。私たち夫婦2人だけで8人を育てるのは不可能だったと思いますが、妻の両親が一緒に住み、私がキリスト教会の牧師をしている関係で、宣教師1人も一緒に暮らしていました。大人が5人いる13人暮らしだったんです。1番下の子が生まれた10年前には私の両親も横浜から兵庫に引っ越してきてくれて、近所に住んでいました。末っ子が生まれて以降は、子ども8人を大人7人のチームで育てていたようなものです。

写真 息子たち

息子たち(本人提供)

 ワンオペだったり、相談する人もいなかったりで、ほっと休むことができない子育ては非常にしんどいと思います。私たちはそうした点では恵まれていましたし、田舎なので伸び伸びと育ちやすい環境でもありました。

フリースクールで出会った子どもたち

 私は元々、大学卒業後は外交官をしていたのですが、1998年に退官して兵庫に移り、教会の牧師をしながら、2000年に教会付属のフリースクールを始めました。わが家の子どもたちも基本的にはそこで育っています。子どもがフリースクールに来る事情はいろいろありますが、学校に行けない子どもを抱えた親御さんに教員として入っていただきながら、一緒に子どもたちを見ています。うちの子も他の人が見てくれるし、私も他の子を見る。みんなが助け合う家族のような環境で20年以上やってきました。

 フリースクールの規模は、小中高生がそれぞれ20人ずつで、全部で60人くらいでした。私自身は法学部卒で教員免許は持っていなかったので、30歳を過ぎて通信教育を受け、教員免許を取りました。元々教員ではない人も、子どもたちにしっかり教えられるように準備し、みんなで手分けして主要教科の教員免許を取って教えていました。

 家庭での子育ても学校での教育もそうですが、子どもたちと向き合う中で、予想外の成長をする場に立ち会えることが大きな楽しみでした。

写真 2011年、家族と

2011年、家族と(本人提供)

 フリースクールでもスポーツを子どもたちにさせてあげたくて、私はバスケ部をずっと担当していたのですが、その中で忘れられない出来事があります。

 中学1年生から加わった、とても感情が豊かな女の子がいたのですが、時々感情が爆発してしまうこともありました。バスケットの試合では1人のプレーヤーが5個ファウルをしてしまうと退場なのですが、その子がある試合で4つ目のファウルをしたんです。それに対して審判に腹を立てて、さらにテクニカルファウルを取られてしまいました。競った試合で相手にフリースロー2本に加えてボーナススローが与えられ、さらに相手ボールから始まるという、チームからするとものすごく失敗した場面でした。

 退場してベンチに帰ってきたその子はタオルをかぶっていました。私はどう声をかけようかと思いながらしばらくそのままにしていました。幸い、試合には勝てたのですが、終わった後もずっと同じ格好で座っているその子に「みんなに迷惑をかけたし、審判にまず謝ってきた方がいいんじゃないか」と言ったら、立ち上がって謝りに行ったんです。チームメートのみんなにも謝って。

 そこからなんですよね、その子が変わったのは。感情をコントロールすることができるようになりました。いや、びっくりしました。今はもうお母さんになって、その子どもが今、うちの幼稚園に来ています。

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 ほかにもいろいろな子がいます。小学1年生で発達障害だと診断され、うちのフリースクールに来た男の子が、2年生になった時に突然「僕って普通なんだ!」と大きな声で叫んだんです。それを聞いて「こんな小さい子が『自分は普通じゃないんだ』と植え付けられているなんて」と非常に驚きました。でもその時から態度がガラッと変わって安定し始めた。苦労が多くても教育をやっていて良かったと思うのはこういう時ですね。

 子どもの行いについて指摘しても、時間がかかるし失敗もある。でも根気をもってコツコツやっていくと、子どもはどこかで変わる。そのタイミングは私たちにはコントロールできないので、変わると信じるしかない。そういうスタンスで接し続けていると、こちらが気付かないところで変わっていることがあります。

娘が発信してくれた「信頼できる人間」

 自分の子育ても同じです。娘が高校生の時、教室の中で仲間と花火をして、そのうちの一人がその花火の燃えがらを外に捨てたんです。外は森で、山火事になったら大ごとでした。捨てたのは娘ではなかったのですが、「一緒にいてなぜ止めなかったんだ」と、私は娘をものすごく叱りました。激しく対立して、そこから2年ほど口をききませんでした。高校卒業の手前で和解はできたのですが、その後、思いも寄らないことがありました。

写真  2015年撮影

2015年撮影(本人提供)

 娘が大学に進学後の2022年に私が参院選に出馬することになりました。キリスト教会の牧師が選挙に、しかも日本維新の会から出るということで、中には「なぜ社民党や立憲民主党からじゃないんだ」という批判やSNS上でのバッシングもありました。

 そんな中、娘が私の知らないところで、「父の足りないところは私が一番知っている。だけど、この人は信頼できる人間なんだ。足りないところはいっぱいあるけれど、この人はちゃんとやるので大丈夫」とツイッター(現X)で発信してくれていました。私は知り合いから聞いて知ったのですが、すごくうれしかったです。

 不登校を乗り越えたフリースクールの子どもたちも、そうした批判が出る中で、私のことを「そういう人間じゃない」とかばい、あちこちで発信してくれた。娘や関わった子どもたちがそういうメッセージを出してくれたことは、それが選挙にどう影響したかは分からないですけれど、本当にうれしかったです。子どもたちがそういう目で見てくれていることがうれしかった。

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 「議員活動をしていなければ、養子を取りたかったね」と妻とはよく話をしています。子どもたちが成長して小さい子がいなくなってしまったので、寂しいね、と。子どもたちも、小さい弟妹がいるのが当たり前だったので、寂しい気持ちは一緒のようです。「養子を」と話していたタイミングで選挙に出ることになったので、残念ながらその話は先に延びています。

子育てが「ギフト」だと思える社会に

 私たちは子育ての恵みをたくさん受けました。日本の社会は「子育てはコストだ」と考えるところがありますし、「1人育てるのに2000万円かかる」とも言われますね。でも、うちは2000万円×8人ですが、1億6000万円どころか、160万円だって出せるかどうかあやしいような家庭です。ただ、田舎でのびのびと育てたり、「(進学先は)近隣の公立に」という教育方針を取ったりと、教育のやり方はいろいろありますので、子育てを「コスト」ではなく「ギフト」として受け取っていただけたらいいな、と思います。大変なことは当然ありますが、トータルで見たら楽しみが多く、私はギフトをたくさん受け取ったなと思います。

写真 2020年の年賀状

2020年の年賀状(本人提供、一部画像処理しています)

 私が国政にチャレンジした一つの大きな理由は、学びへのアクセスからこぼれ落ちている子どもたち、不登校といわれる子どもたちの学びの機会を確保していきたいと考えたからなんです。2023年度の不登校の小中学生は過去最多の34万6000人でした。不登校の子どもたちも学びの機会を持つことができ、「学校に行けなくても人生は終わりではないんだ」「そこから社会に貢献できる人材になっていけるんだ」と思えるルートを社会が持たないと非常に大きな損失です。

 私たちのフリースクールに来る子どもたちは特性が強い子も多いですが、特性が強いというのは決して能力が足りないということではなく、多様な力があって、個性的だということ。そういう子どもたちが教育機会を確保できるような社会にするのが、私が一番やりたいことです。

 以前は、子どもたちが学校に行けないと親は必死になって学校に連れて行こうとしていました。そうすると、子どもは傷つき、親は疲弊してボロボロの状態になってから、うちのようなフリースクールに来る。小児科や精神科の医師から勧められて来る子もいます。教室まで来るにも、子どもによってはものすごく時間がかかります。車から出ることができない子と2~3時間、車のところでずっとおしゃべりしていたこともあるし、うちは教会なので礼拝堂に来てずっと泣いていて教室に行くまで時間がかかることもある。子どもが無理をしないでも、選択肢は多様にあって、どこを通ってでも社会にはちゃんと出られるし貢献できる道が開かれているんだよ、夢や希望があるんだよ、と伝えたいと思います。

写真 金子道仁さん

 今は高校が大学受験の予備校になってしまっています。入学後は受験勉強ばかりして、受け身で高校の3年間を過ごしてしまう子も多い。でもそれはもったいない。高校は学びの選択肢をできるだけたくさん用意して、子どもたちがいろいろな興味に手を伸ばすだけのゆとりや選択肢があることが一番大事だと考えています。私たちが進めている高校無償化や大学無償化は、こうした教育改革とセットで行う必要があります。

 最後に次のコラムを担当される衆院議員の勝目康さんにご質問です。日々大変お忙しいことと思いますが、お子さんとのお時間はどのように確保されてますか。永田町で仕事するパパ仲間としてお聞きしたいです。

※過去の連載はこちらから読めます〈ママパパ議連 本音で話しちゃう!〉記事一覧

金子道仁(かねこ・みちひと)

 参院比例区、当選1回、日本維新の会。1970年2月20日、横浜市磯子区生まれ。92年に東大法学部を卒業後、外務省に入省し、主に条約局法規課や在スペイン大使館で勤務。98年に同省を退官し、宗教法人グッド・サマリタン・チャーチ勤務(2003年に牧師就任)。2000年からフリースクール「光の子どもクリスチャンスクール」副校長、11年から社会福祉法人グッド・サマリタン理事長、13年から単位通信制高等学校の相生学院高等学校猪名川校校長を務める。22年7月の参院選に日本維新の会比例区で初当選。

写真 金子道仁さん

(構成:東京すくすく部・今川綾音)

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  • 匿名 says:

    コストよりギフトに共感します。子育ては社会貢献でもあるけど、誰よりも幸せをもらっているのは家族だと思うから。

    公教育にはできないこともあるので、どの子にも教育機会や就労が与えられますように。

  • 教師のバント says:

    良いじゃないか。文科省は踏み込んでこのような形態の学校(?)にも卒業証書を出せるようにして欲しい。みんながみんな同じような経験をするのはつまらないし、様々な個性が集まることで新しい発想が生まれるんだよ。

    記事にあるように殆どの高校は学習塾に成り下がっているよ。だから学校で居眠りして予備校で勉強するような生徒を大量に生産しているんだ。そんなのおかしいだろ?これは文科省の「学校縛り」のためだ。

    例えば、私自身は理科教員だったが、理科を全く勉強しない生徒が居ても良いと思っている。日本は人口減が当分続くのだから、国家戦略としてはジェネラリストを育てるよりも、特定の分野で力を発揮するスペシャリストの育成に力を注ぐべきだ。つまり学校(高校)の多様化が急務であると考えるが、どうだろうか?

    教師のバント

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