〈奥山佳恵さんの子育て日記〉9・ダウン症の孫を受け入れられなかった義父と、お別れの前に
「学力がすべて」の家庭環境で育ち…
義理のお父さんが先日、天国へと旅立ちました。元気に復活したと思っていた直後で、ある程度覚悟はできていたとはいえ、突然の訃報です。
〈前回はこちら〉8・できないことはあっても、「ダメなところ」なんてひとつもない
お義父(とう)さんは選ぶ服も言葉もいつもオシャレ。若々しく面白く、ダンディーという呼び名がぴったりでした。初めてお会いした時から品のあるジョークに笑わされっぱなし。私は、お義父さんが大好きなんです。
ですが、ダウン症のある次男のことは受け入れてもらえませんでした。お義父さんが生まれ育った家庭環境は「学力の高さがすべて」。そうではない人の必然性を理解することが難しかったようです。
「なぜ生まれる前に調べなかったの?」
次男が誕生し、何度か会う機会があっても、次男とお義父さんの間になんとなく距離があるな、とは感じていました。でも去年、ついにお義父さんからハッキリと言われたんです。「どうしておなかの中にいる時に次男のことを調べなかったの?」って。
親切心で言ってくれた言葉だろうけど、大切に思っているわが子を全否定された。でも、お義父さんがそう思うのも無理はない。だって、次男といっしょにいる時間が少なすぎますもんね。住んでいる場所が遠すぎて会える頻度も少ないから、良さも悪さも含めて次男を丸ごと知る機会がない。そう書いた手紙を送ることにしました。ちょうど、お義父さんのお誕生日だったので、プレゼントに添えて。
私たちの思い、手紙に込めて伝えたら
「お義父さんは、私たち夫婦のことを『明るくて良かった』と言ってくれるけど、明るく笑っているのは楽しいからだよ。不幸でも苦労をしているわけでも、頑張っているわけでもないので心配しないでね。お義父さんも私たちも子どもたちもみんな、生まれてきて本当によかった、おめでとう!」
「次男に会うことができたから、出生前診断をしなくてラッキーだったよ」とも明記しました。
手紙の効果は絶大だった。お義父さんの次男への対応はそれまでと一変し、優しさに満ちた。うちの子、できないことだらけでも、私たち夫婦にとっての宝物なの。別れ際、お義父さんは初めて自分から次男に握手をしてくれました。天国に旅立つギリギリで、間に合ったと思った。
次男のことをわかってくれてありがとう。やっとちゃんと、次男を見てくれてありがとう!
冷たくなったお義父さんの頬をなでながら、最後に告げたあいさつは「楽しかったよ、またね」。また次に会えた時に、笑わせてよね! (女優・タレント)
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい
佳恵さんと同じ歳のワーキングマザーです。義理の弟夫妻の第二子に生まれた男の子がダウン症でした。
先週久しぶりに会いました。2歳になり可愛い笑顔をたくさん振りまいて家族を明るくしてくれるお子さんです。
たくさんの孫の中で最年長である我が家の中学生の長女もダウン症の従兄弟を可愛がってくれます。
ふとダウン症のことを検索すると、佳恵さんの子育て日記に目がとまり拝見いたしました。佳恵さんの明るくて素敵な人柄に惹かれました。
ダウン症のお子さんがいる家族の一員であるわたしは、義弟夫妻、義両親、実兄である夫の心配や心のうちを察しつつ、それぞれに葛藤を抱えながらも家族が笑って集合するごく普通の日常の一場面。
子どもたちの成長と幸せを願う気持ちも同じ。…見守っていく…
なんとも言えない様々な思いでぶわぁーっと涙が溢れまして、メッセージ書きました。人間は経験しないと学べないものだと私自身もよく判っています。しかし、自分が家族を子供を理解してほしいと願っても、言葉で伝えなければいけない時もある。静かなアピールという手段の手紙でお義父様にも、伝わったんでしょうね。、また、その側面で我が息子夫婦は苦労をしているのではないか?といつも心配していた遠方の老いた親心がもたらしてしまった失言。悲しいやら悔しいやら、、、双方の気持ちが判るので、ぐっときました。ただ、ここは佳恵さんの家庭の問題ですもんね。
人間はみな不器用だから、特に身内は要らぬ事を言っては衝突したり、和解したり、、、我々も色んな経験しましたから、佳恵さんの気持ちにぐっとくる。
こういう明るくて強いお母さんのもとに生まれたお子さんがたの見る世界は無限に明るいだろうなと思います。ご長男の進路を決めたのはお母さんの明るさも由来しているんだろうなあと思いました。
短い間だけでもわかりあえて良かったですね、心が通じて良かったですね、次男坊君もきっとわかってますよ
高齢出産をしました。どんな子が産まれても私達の子供だと、命は選ぶものではないと。投稿拝見して心に染みます。
とても感動しました。言われたことに腹を立てているだけじゃ何も進まないと私自身が言われたような気がしてはっとしました。
私も、義母に身内の事を否定するような言葉を言われ、それから腹が立ち会うのも嫌になってしまいました。でもこのままではいけないと思いながらも前へ進めませんでした。
奥山さんの記事を読み、「私も手紙で思いを伝えてみよう、私の思いをわかってもらえるかもしれない。」
と思えました。本当にありがとうございました。
佳恵さん素敵✨きっと手紙💌だから心に響いて、親の気持ちがお父様へ届いたのではないでしょうか?みらいくんの気持ちにも良かったですね💮
今の時代はやはり楽チンスマホもよいけど、気持ちが文字や便箋にあらわれ又その時の空気までも届きそうな手紙はもっと素敵✨だと思います。コロナになって生活を見直す中で、一文字一文字を気持ちを込めて丁寧に文字にして便箋で伝えるようにしてみると、何時もと違う気持ちも、感謝も恥ずかしがらず伝えられる。【今だから出きること】として、なかなか会えない親や先生、友達にスマホではなく手紙で近況報告しています💕オススメです。佳江さんみたいに絵がうまいともっと気持ちが伝わるのですが難しい😅出きることにchallenge🙋
公務員になるだけが人生というわけではないが、ダウン症で産まれて公務員になった人もいます。どのように成長するかは産まれて見なければわかりません。もちろん苦労はあるはずですが、人それぞれ一度しかない人生を精一杯生きるしかないんで。
ダウン症のお子さんを持った親御さんは覚悟を持って子育てしていらっしゃるんですね。
五体満足に生まれてきた我が息子は今、精神疾患鬱病になっています。
30過ぎた息子ですが、親の責任持って覚悟を決めて向き合って行こうと思います。
私も出生前診断をしていません。
今、子どものおかげで私が生きる大きな意味を感じています。
他人がとやかく言えるものでは無いけれど、ある一定の割合で起こること。
選ばれた子と選んだ親御さんにとって、幸せな日々が過ごせる事が何より大切な事だと思います。
私が妊娠した時、私の信頼する産婦人科医がいいました。「あなたはどんな子供が生まれても、育てるでしょ?」それで、調べるのを辞めました。奥山さんも同じではないでしょうか。そこに覚悟がある。
親の愛は偉大です。
私もそういう親であったろうかと考える日々です
私もダウンの息子がいます。良かった。
自分であれば、怒りに身を任せて義父の事を罵り、その死後も義父を思い出すたびに怒りを覚えていたかもしれない。
奥山さんは自分の心を怒りに明け渡さず、義父の凝り固まった世界観も広げられた。
尊敬する。
反省もするが、奥山さんのように生きられる自信はない。
産まれて来ることには必ず意味があるんですね。
奥山佳恵さんが優しい方でお義父さんは救われたでしょうね。
障害があろうがなかろうが、我が子が1番可愛い。
お義父様もきっと孫が可愛かった。
だけどどうやって接していいかわからなかっただけですよ。
健全に生まれ、育っても非行に走ったり、平気で人を傷つける人もいます。
皆んな同じ人間ではない。
皆んな違って皆んないい。
私は娘にそう教え育ててきました。
とても心温まるお手紙ですね、おじいちゃんの気持ちも、否定せずステキなお嫁さん。生まれてくる前に調べなくて良かった。あなたに会えたんだもの。優しさに感動させていただきました、
ダウン症の子供はとても優しいと正村公宏先生の書かれた「ダウン症の子を持って」にもあります。大変でしょうけれど頑張ってください。体が頑健ではないので気をつけてあげてください。
読んで泣くのはあまりない事だけど、泣いてます。子供の事、全否定されたと感じた時に私なら縁を切ってしまうと思います。しかし、そうはせず、向き合ってわかってもらおうと書いた手紙。すごく勇気のいる事だと私は思います。良かった、笑顔で受け入れてもらえて。優しい気持ちになれました。ありがとうございました😊
泣いています・・悲しいのでもなく感動いっぱいでもなく。。なんでしょ(*^-^*)。。ご家族みなさまの優しさを感じて流す涙かな。。素敵なエピソードをありがとうございます
同情より本音 ぶつかってラッキー これからも笑顔で 人生を乗りきりましょう
お義父さん素敵な方です(*^^*)
うちは義母が……
建前だけで産まれてすぐにNICUへ来ましたが、それっきり。
可哀想の言葉だけ聞きました。
違う。頑張ってる。
そう思っていましたが言うの止めました。
うちは18トリソミーで産まれて2ヶ月でお空に帰ってしまいました。
おっぱいを飲む事もなく、泣き声を一度も聞く事もなく離れてしまい、まだまだ現実を受け入れる事は出来ていませんが、娘が産まれてきてくれた意味、こんな私をお母さんに選んでくれた意味が何かあるんじゃないかなと思っています。
答えは分かりませんが、その答えを探しながら生きて行こうと思っています。
我が家も産まれてから18トリソミーだと知らされました。
私は出生前診断をしなくて良かったと思いました。
もし分かっていたら、私はどうしていたんだろ……。
と考えましたが、やっぱり答えは分かりません。
一緒に居られる時間は少なすぎたし、痛い思いも淋しい思いもさせてしまった。
娘は幸せだったのかなって事ばかり考えてしまいます。
私は幸せです。
娘と出会えた事。
世の中色んな人がいて、色んな考え方があると娘に教えてもらいました。
次男君が生まれ来た意味は、必ずあるとおもいます。私も仕事柄、たくさん、障害を抱えたお子さんのご家族と会ってきましたが、幸せに笑顔の絶えない家族のほうが多いように思います。たくさん学ばされることもありました。苦労もある分、幸せの重さも大きいように感じました。
偉いないい👪家族だなー
お子さんの出産時に先生から告げられた時のお気持ちは計り知れないと思います。でも我が子には変わりないんですよね。血の分けた分身です。この先何があろうが守ってゆく決意が出来ます。この覚悟は素晴らしいです。他の子と違うのは単なる個性が違うだけ。同じ子供に変わりはない。
率直にお父さんのダウン症のある子供さんへの先入観と自分の孫として受け入れ難いという問題がお父さん自身で解決できなくて、手紙によりお孫さんを受け入れることができるようになる。というような話しの流れだと思いました。本音を伝えやすい手紙の力は素晴らしい思いました。楽しんでください!
記事を読みましてなんて心の広い方、奥山さん私は娘を身ごもった時熱が38度が4日続いて障がいが有る子供になるかもと先生に言われました。その時のショックは計り切れない物でした…でもやっと授かった赤ちゃん、どんな子でもいい生みますーその子が今45歳元気にいます。でも内心良かったと心から思いました、なんて心が狭い私!奥山さん頑張れ👍応援しています
追伸
講演会など何処でやっていらっしやいますか?聞きに行きたいです。
前向きに生きている姿が素晴らしいです。
自分の子どもは、誰が何と言おうと一番可愛いのです。奥山佳恵さんは、日本のママとして立派な女性ですね。頼もしく思います。貴女を応援しております。お元気でね
私にも障害が有る姪が居ます。
遠距離で中々会えませんが、会うと、いつもその天使の様な笑顔に心が洗われます。
存在を無視する事なんて出来ません!
人いろいろの考えが有るのね、
新聞で拝見し心に残っている記事でしたが、また偶然こちらのサイトにて再読しています。
奥山さんが素晴らしいのは勿論、奥山さんからの手紙を受け取った後、お孫さんとの接し方が変わった義父様の理解力の深さにも感動しました。気持ちが伝わるって難しいことですが尊い事ですよね。
初めまして。
私には自閉スペクトラム症の3歳の男の子がいます。
知的障がいがあるので、将来を悲観してしまったり、精神的に落ち込んだりしてしまうのですが、奥山さんの明るく愛情たっぷりな子育てを拝見させてもらうたびに元気をもらい、また前を向く事が出来ます。
本当にありがとうございます。
障がい者への理解がもっと広がり繋がれる社会になりますように。
はじめまして。私には10歳になる息子と2歳になる娘がいます。
娘が二分脊椎で生まれました。妊娠7ヶ月の時、水頭症で分かりました。40歳の時の出産で高齢のため、義理の両親からは不安の声、出生前検査を進められました。
私は主人と相談しましたが検査は受けませんでした。やっと授かった命、生む覚悟でいたからです。
さすがに異常があると聞いたときは不安でいっぱいでした。
生まれてくるまでわからない。寝たきりかもしれない。車椅子かもしれない。装具を着けて歩けるレベルかもしれない。と言われました。
無事に計画的帝王切開にて生まれ、生きていく為の手術を何度も行いました。現在も沢山の医療関係者の方にサポートしていただいています。装具を着けて立つ練習をしています。
可愛い女の子でよく笑うおしゃべりさんになりました。生んで良かった。この子に会うことができたと心からおもいます。
そして私が凄いなと思ったのは、ハッキリと義父にあのような言葉を言われても、優しいお手紙を添える事ができるって素晴らしいとおもいました。
感動しました。ありがとうございました。
お義父さんに心を閉じず、ステキなお手紙を送った奥山さんが素晴らしいです。
幸せに生きるという目的を忘れ、学力の高さや出来ることの多さという手段が目的になってしまうことなく、人生を楽しみたいものです。
どの様にうまれても、悩みはあるし、時間は平等に与えられている
私は障がい施設で仕事をしています。
障がい者の方のテレビでを観ている時、障害の文字を見て息子が、「この字は間違えてる、がいは平仮名じゃなくてはいけない。だって害がある訳じゃないから」と、話し始めました。
その通りと思い、それからは障害ではなく障がいの文字に直しました。
子供に聞くと、学校で習ったよとのこと。優しい教育に心がほっこりしました。
障害への理解は難しい。仕事として関わる自分も、正直、差別はしていないが、無意識に区別していることは否定できない。母として、家族として、真正面から愛を持って関わる奥山さんに、大事な気付きを頂いた。感謝。
障害……言葉自体が嫌
本当に、良かったですね❗️
産まれて来るまで、分からないことは、沢山あります。産まれる前に知ったら、不安になり幸せな気持ちになれなかったかも知れません。でも、自分の子はたとえ障害があったとしても、愛せますよね。
何もかわらない、皆んなおんなじ可愛い子供です。たくさん愛してあげてください。だって貴方を選んで産まれてきてくれたんですから。
今、虐待など、色々な子供の事件が増えている中、本当に良い話です。涙が出てしまいました。ありがとうございました。
障害を持つ子供の親です。不器用で、決して社交的じゃない私!だけど、きっと、私を選んで産まれてきてくれたと、私は確信しています。何故なら、我が子のために、我が子が喜ぶなら必死でシングルマザーとして生きてきて、人と関わりを持つことで社交的になり、不器用ながらも色々事をこなすことができ、いまではこの子のお陰でたくさんの宝物が増えました。心の財産です。
蔵の財より身の財。身の財より心の財第一なり。これからも、この子の才能を見つけ、伸ばし、この子が自立出来るよう手助けしていきたいと想います。
障害を持つ子は、宝石の原石だと思ってます。親の愛情でどの様にも成長するし、親も又、子と共に成長できるのだと。身をもって体験、経験し、私を選んで産まれてきてくれた事に感謝の日々です。ありがとう有希。
心が温かくなりました。
そしてあの時の気持ちを思い出しました。
私は初めての妊娠の時に、出生前診断って誰でもするのかな、くらいに思っていました。病院の先生から「わかったらどうするんですか」と聞かれて、検査のリスクも聞いて、主人と決めたのは「どんな子が生まれて来ても、私達を選んで来てくれるんだから検査なんていらない、喜んで待とう」でした。あの時のベビちゃんは今奥山さんちのお子さんと同い年です。
ありがとうございました。
亡くなる前に佳恵さん家族の気持ちを義理のお父さんに理解してもらえて、そして理解してもらえたと佳恵さんが感じられたこと。本当に良かったな~と感じました。
気持ちを伝えることを諦めない素晴らしさを感じました。佳恵さんの考え方大好きす。
涙出た
心がギュ~ってなりました。
義父さんにむけての手紙。私ならどうして?なんでそういうことを言うの?って責めたかもしれない。それでもラッキーだったよ。って生まれてきてくれて本当に良かったって義父さんのことまでも否定せずに包み込む言葉が義父さんの気持ちを動かしたんだな。と感じました。でも本当に間に合って良かったですね。
れいわ新撰組の木村英子さんが「障害のある子が生まれても、おめでとうと言える社会にしたい」とおっしゃっていました。
大体、『障害』って何なんでしょうか?
人は多かれ少なかれ、得手不得手はありますし、私は海外の難関大学を卒業していますが、うつ病と不安障害があるので、『障害者』でもあるのでしょう。
高学歴の障害者も沢山いますし、障害がないとされている人にも、義理のお父さんの様な、心の障壁というか、歪みのようなものもある人もいるでしょうね…。
毎日を楽しく、元気一杯に生きている奥山さんが好きで、よくブログを拝見していました。その中にも登場されていた義父様と次男さんの間にそんな事があったとは・・・・
奥山さんと次男さんの日常を知る前は、私も義父様と同じような考えが少なからずあったと思いますが、今はダウン症も1つの個性だと思うようになりました。次男さん(らいちゃん)の笑顔、皆さんも一度確認してみてください。
ありがとう。
極論かもしれないという前提で。やまゆり園の植松被告の事件と根っこが同じかなと思いました。学力至上主義,エリート意識,選ばれし者観が差別意識を助長していくのだと思います。その感覚は普通に生活している多くの国民の中にある。植松被告のような事件は決して特別特殊なものではないんだという見方でみんなで考えていくべきだなと奥山さんの手記を読んで思いました。
みんな自分の足りないところを補い合いながら生きて、みんな死んでいくのにどうしてわかりあえないのだろう。だからわかりあえると幸せになるって❗➰ね✨
天国へ旅立つ前に、お義父さんに気持ちを伝えられ、次男さんと心から握手ができて本当に良かったですね。奥山さんの大きな愛を感じ涙が出ました。
障害を持っている子供のほとんどは自分が障害を持っているという事がわからないまま素のままで生活してると思います。優しく笑顔で本当にほっこりさせてくれる。でも学校で訳もわからず先生がつねったりしたら本人もどうして?なぜ?と反抗する事も出来ず、親共々切なくごめんねと涙する事しか出来ません。先生は毎日の事でイライラする事もあるかと思いますが、決して親の見ていない所で何の罪もない子供たちを傷つけないでください。
私の息子も養護学校の高等部に通ってました。ある日喉の下辺りに傷が…。本人はなにも言わなかったので、学校に抗議したら、え、話したんですかって。本人が言わなくて、親が分からなければ、学校側からは報告しないのだと、その時知りました。
その後友達と喧嘩になり相手にされたのだと知りました。謝罪されても、うちの子は重度だからと言って、本気で謝罪しませんでした。
本人が何かすればすぐに連絡は来ますが、されたときには、連絡すら来ない。あまりにひどい。普通学校で生活できるなら、養護学校などに入れない方が本人や親のためかと。入れてしまってごめんねと。
いいこともあったけど、嫌な思いでの方が多いような気がします。
初めまして、私は長女が脳性麻痺アテトーゼ型、自分の意思とは関係なく、緊張が出る。
長女が生まれた朝、私はお腹の痛みがあり、食事もしないで、診察していた、赤十字病院へ。エコー検査で、陽水が減ってる赤ちゃんが苦しくなってる、早急に出さないと…と医師から。自然分娩から急遽帝王切開で出産しましたが、長女は仮死状態に。5分頭に酸素が行かず脳性麻痺に。私は上位胎盤早期剥離に、大出血し母親を先に助けようと、大人5人の輸血で助かりました。
長女は、ボバース法で、訓練しましたが、良くはならず。脳波検査でスパイクが沢山出てました。
薬の投与も始まり。1ヶ月実家に居ましたが、嫁ぎ先へ汽車を使い10時間かけて、長女と共に帰りました。
月日も経ち、小鹿園と言う障害者訓練センターへ通い、母子入園などもしました。長女が2歳になり、実家に帰省した時、わたしの父は、門を閉めてました。後で解りましたが、近所の者に見られたくないからだった。1年おきに帰省していましたが、私たち夫婦が来たら、必ず母に門を締めろと。
そう、父は長女を受け入れなかった。最後まで、父は。
長女の笑顔はとても愛くるしい。そんな長女も、30歳に。どんな体に生まれても、我が子は可愛いと私は思うのですが…
お父様に理解して頂き、天国へ旅立った、良かったですね。
毎年桜のさく頃になると先に逝ってしまった子供の事を思い出します。満開の桜を何年もの間見る事が出来ず涙涙の日々でした。養護学校から帰った7才の息子はあざが沢山あり先生に抗議する事も出来ないまま学校を休ませました。何も悪い事をしてないのに親に言わないだろうとつねったり。でも息子の目は言ってました、学校行きたくないと❗
明るくて心の広い優しいお母さんと.神様の様に一生純粋の心の次男さんー お義父さんも安心して旅立っていきましたねっ!とても微笑ましい心温まる日記でした。
学力の高さが全て、私の実家がそうです。
旦那の実家はもっと顕著かな。良い学校出て良い会社に入るか、医者になるか。
ですが、うちの子、もしかしたら発達障害があるかも知れなくて、もう学力が全てっていう価値観が邪魔になりつつあります。
旦那も私も子供のおかげで視野が広がりました。ありがとう、生まれてきてくれて。
ただ、ただ、涙。受け止め方で人生が決まる!笑顔に幸あれ!
どんな人でも受け入れてもらえる世の中で有ることを願っています。
人間はみんな死ぬまで成長するのだとおもいます。みんなちがってみんないい☺️
最後はわかってもらえて良かったですね。
産まれた後に言われる言葉は、その子を全否定しているのと同じでとても辛いです。私もダウン症をもつ親として、前の主人に調べたら良かったね❗️と出産当日夜に言われ今でも許せません。私を慰めようとしたと思うのですが。うちの場合は、受け入れてもらえず離婚となりました。
お母様の対応(手紙)、素晴らしいです。
よしえさん、私だったらと考えたら、
自分の息子を否定するような親なんて…と悲しみ、きっとお義父さんと距離を取っていたと思います。お義父さんの気持ちも理解しつつ、このような形で気持ちを伝えられるご家族素敵です。
すごく感動しました、お母さんは、強い、奥山さんを、見る目が変わりました、頑張って下さい、70歳のばあちゃんより
私の孫はこの4月から小学生になります。地元の学校の支援級です。知的障がいで療育手帳A2(重度)2才児の知能だと言われています。パパである私の息子がB2(軽度)養護学校の高等部で知り合ったママはA2です。妊娠が分かった時には悩みましたが、彼女には既に両親がいなくて養護施設で育った事を知り、2人には人並みに幸せになって欲しい、その為には全力でサポートする覚悟でやってきました。孫娘が生まれた時は可愛くて天使が我が家に来てくれたと涙し、私の残りの人生かけてこの家族を守って行こうと気持ち新たにしました。笑顔がとっても可愛くて元気一杯な孫娘には本当に手をやく毎日だし精神的にも体力的にも大変だけど、真面目に仕事して働いて頑張っているパパとママに代わり主人と二人三脚で第2の子育て奮闘中です😊
お義父さん、最後に分かってくださって本当に良かった。お義父さんがいらっしゃらなければ次男さんもいないのですものね。奥山さんご夫妻の、優しくも凛とした姿勢が届いたのだと思います。私も見習って行きたいです。
奥山さんの、素直さに感激しました。歩いていく道すがら、出くわす出来事に素直な気持ちで対応できる心は何処から?素敵な親御さんに育てていただいたのでしょうね。
次男君の幸せが、義父さんのこの日のまなざしに約束されてましたね。
佳恵さん。時々テレビで拝見していますが貴女の笑顔、ステキです。ご主人様と一緒に子育てをされていて、義理のお父様から受け入れてもらえなかった等々。個性だと感じれば良かったですが、なかなか難しかったかも。
きっと愛情深く育てられている事でしょ!世間は好きな事言うけれど、佳恵さんらしく、お子さんを守ってあげて下さいね。世の中に大切な子を殺めてしまう今の時代。命の尊さ、見つめる時期です。
私も、一緒で障害持ってます。皆さん、障害持っている人は、一生懸命生きてます。なので暖かい目で、見てあげて下さい。
感動しました…
義理の親であるのに、孫を受け入れて貰えないと感じたとき、私なら奥山さんの様に義理のお父さんに対して「お父さんにも、この子にも会えて良かった」と言えるだろうかと…考えさせられました…。奥山さんの透き通る様な綺麗な心がお父さんにも伝わったのだと思いました…。お父さん、あちらの世界へ旅立つ前に、ご自身の心に向き合う事が出来て、次男君に心からごめんね‥と、奥山さんには、気付かせてくれてありがとう、そして傷つく事を言ってしまった自分に深く反省して、旅立たれたと思います。
奥山さん‥素敵ですね!!子育て沢山楽しんで下さい!!応援しています👍👍👍
どんな障害があってもわが子は一番大切な子供です。受け入れてくれる人は少ないかも知れません。けれども一生懸命生きています。
私の、息子も、障害があります。30才です。義父は、冷たい言葉を、投げ掛けました。亡くなっても、涙も、出ませんでした。お墓参りも、行きません。
奥山さんは、スゴいと、思います。義父も、改める力のあるかたで、スゴいとおもいます。切れば赤い血が流れています。皆、おんなじなのになあー。
生まれてきてくれたからこそ出会えて、感謝です。
素晴らしかった!命の選別はいけない!
いろいろな事を教えてくれるのです!自分の我儘や未熟さや未知のちからとか、本当に大切な事とか、愛とか教えてもらえるのは私達の方なのです!
妹の子供も障害をもっていて…話せません。だけど自分なりのリズムをとり踊る姿を見るたび可愛いくて可愛いくていとおしいです。
1歳なる頃障害がわかり…下を向きっぱなしで笑う事も話す事もできませんでした。妹がこの子と一緒に自殺をしようと思った…ってきいた時は目の前まっしろに…。
親が早くに離ればなれで母親は男の人といなくなり父親はアルコール依存症で時間関係なく奇声をだし暴れる…そんな父親でした。妹の面倒を見ながら働く毎日でした。妹が結婚した時は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。子供達が産まれるたび嬉しくて嬉しくて毎日面倒を見に行きました。
二番目にできた子が様子が変なの…と言われ検査をした結果わかったそうです。それからと言うもの…言葉が話せなかったから泣くだけで何を話したいのかつたえたいのかわからず妹も苦労してきたけど…いつも話してた言葉が…話ができるようになったらママって呼んでほしいって言っていました。聞くたび…涙が止まらなく胸が苦しかった。
養護学園、幼稚園行くときお義母さんからの、みっともない、の言葉にどれだけ傷付いたか…。お義父さんは亡くなるまで…二番目の子を心配し、ボケてしまった時も二番目の子の名前はよく口にだしていたそうです。
幼稚園で学び学校に入学をし…今は四年生になりますがかたことな言葉ですがお話もでき、お歌もきかせてくれるし躍りも見せてくれるし目があうと凄く良い笑顔で微笑んでくれます。何よりも嬉しかったのが…妹をママ!といい妹と手を繋いで歩く姿に涙しました。妹があの時…自殺しないで良かった。と…。大号泣しました。
養護学校だから…と恥ずかしい事なんか一切ありません。声を大にして伝えてたいです。とても良い幼稚園、学校です。ちゃんと普通の子と変わらず先生は面倒をみてくれています。色んな言葉を学び覚えどんどん知恵がつきます。先生方には本当に感謝してるの、と妹が毎日のように話しています。妹からいつもありがとう、あの時、死にたいなんて言ってしまいごめんなさい。苦労よりも何事も勉強、勉強してきたんだなって思ってるの。と笑顔で話してくれた妹に涙しました。
最初は心配したけれど笑顔で子供達に接してる妹をみて安心しました。ずいぶん前に奥山さんの本かな?週刊誌だったかな?見たことがありますがいつも笑顔で前向きで元気もらえます。素敵なお母さんだなって。この記事早速妹に送信しました。長くなりすみません。
私たちの孫もダウン症です。現在2才9ヶ月の男の子です。これ迄に何度も入院、手術を乗り越えて来ました。他の子達よりも少し成長はスローですが、孫のペースでこれからも元気に育って欲しいと願っております。
今の時代ダウン症をはじめ障害者を知る機会が少ない、と言うより殆ど無いと思います。健常者が知る努力、障害者は
知ってもらう努力をもっとするべきと個人的には感じております。
きっと優しい世の中になれる筈です。おじいちゃんに受け入れてもらえて良かったですね。
えちゃん、私の孫です。500gと小さい小さい女の子。慌てて出てきたのでままのお腹の中に沢山の忘れ物してきましたが、えちゃんわ天使の子。皆を笑顔にし、生きる事を教えてくれます
すっごいポジティブ前向き。芯がある。こうなれないけど見習いたいな。
長男を唇咢裂で産みました!でも、家族皆で頑張りました。手術4回、歯科矯正の27年間でした。最後8時間の手術の後、息子から(産んでくれてありがとう)と言われ号泣しました。家族が受け入れて協力してくれ、今は立派な社会人です。反抗期もなく仲良しでした。家族の愛に感謝です。色んな家族の形がありますね。
僕は、昔VHSのビデオで観た奥山佳恵さん、裏表が無さそうな雰囲気、大ファンです。大変ですが、負けないで下さい。せっかく授かった命を丁寧に守ってやって下さい。世の中全て思い通りになるとは限りません。悔しい事、嫌な事も沢山あります。メンタルわがおかしくなれば、休息をとり、また、頑張りましょう。
生きる力のすべてを授かったことへの感謝の気持ちを忘れずに生活されている様子が目に浮かびます。反面、理解を得ることの難しさを感じました。家族が寄り添って生きられることが世の中が一番の幸せです。お義父様が心配されていたことへの配慮を手紙に託されたことできっと安心して旅立たれたことと思います。奥山様の生き方そのものが前向きで心から感動させていただきました。どうぞこれからもお幸せな家庭を築かれてください。心から応援しております。
33歳になるダウン症の娘がいます。上に兄2人そして嫁達も可愛がってくれますので安心です。私たちも娘が生まれたときに、妻は義理の両親にダウン症の娘を生んで申し訳ありませんと涙を流しながら報告しましたら、両親とも可愛いと言ってくれたのが、今でも忘れないといいます。もちろん両親とも今は亡くなっておりませんが、私ら夫婦も高齢者で、娘の事を考えると心配ですけど、息子夫婦が面倒は見るので心配しないでいいと言ってくれますので安心してます。ダウン症の人間は優しくて素直ですよ。奥山さんも同感だと思います。どうかお幸せに
自分だったらどうだろう?初孫が生まれた時、普通に生まれことを喜んだ私。恥ずかしいけど私も奥山さんの義父と同じように思うのではないだろうか。
障害で産まれた子を受け入れるのはそう簡単なことではないだろうけど、個性として受けいられる人間でありたいと思う。分かったくれた義父さん、奥山さん本当に良かったですね。
読んでうれしかった。また頑張ろうとおもった。ーダウン症の子の里親
素晴らしいお話をありがとうございました。お義父様の無理解にも怒らず、冷静に、愛を持って対応なさったこと、敬服いたします。
母体の安全以外の理由での堕胎が当然のようになってしまった社会は、いずれ障碍者にも、高齢者にも、難病患者にも冷酷な社会になるでしょう。恐ろしい風潮です。
命の大切さを伝えて下さってありがとうございました。どうぞこれからもご家族皆様お幸せに。
常人にとって実に得難い貴重な体験談を有難うございました。義父様もこの世の最後にご自分の価値判断の基準の脆さに気付かれ最高の旅立ちが出来たことでしょう。過去現在未来に渡り人類が平和に楽しく暮らして行くべき価値基準の置き方を見直すことの大切さを教えていただきました。ありがとうございました。
素敵なお話です。ダウン症などの障害を個性と捉えきれない人もまだ多くいますし、そういう方も身近で接していたら考えや気持ちも変わるんですね。伝え方がとても上手だと思います。誰のことも否定せず、自分たちの気持ちを伝えることが大事なんですね。
涙が出ました。
奥山さんのブログやインスタ拝読していますが、奥山さんの書く文章、選ぶ言葉おもしろくて読み入ってしまいます。そして愛に溢れています。
おもしろくて笑える時もあれば、ハッと大切なことに気付かされる時もあります。そしていつも元気をもらっています。ありがとう!!
私は自分の子供と土日過ごすのが重荷に感じる事があります。生まれてきてよかった。と思わせてあげたいけれど、家事や持ち帰った仕事などやる事がたくさん。子供はいつもテレビとゲームが遊び相手。奥山さんと義父様とのやりとり、子供への想い〜あたたかく感じるその反面、私のちっぽけな考えや態度に愕然としました。生まれてきてありがとう、生まれてきてよかったよ。とお互いが思えるには、経済的なゆとりと夫婦間、子供間、相互の信頼関係が必要ではないかと感じます。奥山さんにはあって、私には何が足りていないのかと不安にもなりました。まずは、私の不安をみつめまた次の土日に向かいます。
じぃ〜んときました…(>_<)
我が子は三回目の妊娠で出逢う事が出来たました♫私の義理の祖母が、ダウン症である事を、受け入れてくれませんでした。周りに隠せ、とか等々さみしくなる事ばかり言われました。まさに、亡くなられる少し前に、祖母の家族の不幸があり、その後本人も亡くなられる少し前に、我が子の優しさを感じてくれてからか、全く変わった事を思い出しました。
近所にも、こういう子だから等、さみしくなる事を言われます。逆に、こういう子かもしれないけど、皆へ優しさという気持ちを芽生えさせる事を気付かせてくれるのに…と思って、我が子へ感謝ばかりです。
読んでいて自然に涙が出て来ました。奥山さんのこと、お父様の対応に。
私は障がいのある人と関わって30年近くなります。ダウン症の方との触れ合いから元気をもらって来ました。
寿命が短いと言われていた当時から考えると随分変わりました。これからも支援を頑張りたいと思います。
人の価値観を変えるのは特に歳を取った男性の方は難しいように感じられます。
お義父様、本当に素晴らしい方なんだと思います。
お手紙、書いて、分かってもらえて、本当によかったですね。
意味のない命なんてないってことですね。
そのお手紙はきっと、お父様を救ったのだと思います。
間に合って良かったです。涙が止まりません。
ありがとうございます。
すごく、涙が出ました。
ありがとう