日本は後進国です… 広げよう「体罰によらない育児」 “たたく、怒鳴る”の悪影響とは?

 日本では子どもへの体罰や暴言を「しつけの一環」として容認する風潮があります。でも、体罰がエスカレートして日常的な虐待につながることも。たたいたり怒鳴ったりすることの悪影響は近年、科学的にも明らかになっていて、国も「体罰によらない子育て」の普及に乗り出しています。

6割が体罰容認、7割が「たたいたことある」

 「もう、ダメって言っているでしょ!」。東京都大田区で2児を育てる主婦(37)は昨年、なかなか寝付いてくれない1歳半の長男へのイライラから、怒鳴り、思わず背中をたたいてしまいました。泣いた長男を見て、すぐに「ごめんね、ごめんね」と声をかけました。「たたくことが自分の感情のはけ口になっている」と自己嫌悪に陥った一方、「強く言わないと子どもは分からないと思った」と振り返ります。

子どものたたく親のイメージ写真

 日本では「しつけのためにたたくのは仕方ない」「体罰は必要悪だ」との考えが根強くあります。公益社団法人「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が昨年実施したインターネット調査では、成人2万人の約6割が子どものしつけとして体罰を容認。子育て中の親1030人の約7割は、実際に子どもをたたいた経験がありました。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの体罰に関する調査のグラフ

脳を傷つける恐れ…世界では54カ国が「体罰禁止」 

 しかし、福井大の友田明美教授が2009年に発表した研究結果によると、厳しい体罰は子どもの脳の一部を傷つけて、学習への意欲を低下させたり、大人になってから精神疾患を引き起こしたりする恐れがあることが分かっています。脅したり、暴言をあびせたりする心理的な虐待であっても脳が変形するのは同じだといいます。

 世界的には、子どもへの体罰を禁じる法律が整備されつつあり、現在こうした法律がある国は54に上ります。今年9月にはネパールで施行されたばかりです。また、国際組織「子どもに対するあらゆる体罰を終わらせるグローバル・イニシアティブ」によると、少なくとも56カ国が法改正に取り組むことを表明しています。

体罰の法的全面禁止を達成した国の数
 法律ができることで、何が変わるのでしょうか。世界で初めて、子どもへの体罰禁止を法制化したスウェーデン政府の調査では、法施行前の1960年代は体罰を用いる人が9割以上いましたが、2011年には1割以下に減りました。親の虐待で亡くなった0~17歳の子どもも、年15人(1970年)から4人(2010年)に減り、国民の意識に変化が出ていることがうかがえます。

日本でもようやく「愛の鞭ゼロ作戦」 

 日本でも厚生労働省がようやく体罰によらない子育ての普及に力を入れ始めています。2016年に児童福祉法が改正された際に、虐待防止に取り組む市民団体などが働き掛けたことなどで、付帯決議に「体罰によらない子育てを啓発すること」と記され、これをふまえ、リーフレットができました。

写真 厚生労働省研究班が作った「愛の鞭ゼロ作戦」リーフレット

厚生労働省研究班が作った「愛の鞭ゼロ作戦」リーフレット

 厚労省研究班が作ったリーフレット「愛の鞭(ムチ)ゼロ作戦」には、子どもに向き合う際のポイントなどが書かれています。厚労省ホームページから印刷できます。また、厚労省の母子保健情報サイト「健やか親子21」内にも、特設ページがあります。

 「愛の鞭ゼロ作戦」のリーフレット作成に携わった認定NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク理事の高祖常子(こうそ・ときこ)さんは「年配の人には自分もたたかれて育ったと言う人が多いが、体罰では子どもは怖いから行動をやめるだけで、根本的な解決にならない」と指摘します。突発的な体罰が、日常的な虐待へエスカレートする恐れもあるといいます。高祖さんは「日本でも体罰禁止を法律に明記し、啓発と親への支援を充実させるべきだ」と話しています。

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  • 匿名 says:

    不要か必要か以前に当たり前のように殴られて育ったため「殴らない教育」というものが想像つきません。上下関係や命令への服従をどうやって殴らずに教えるのか、教えてもらいたいものです

     男性 40代
  • 匿名 says:

    必要に応じて使うべき、と1割以上の人が思っている割に、日常的に用いるという人は2%にも満たないのか。

    いざ手をあげてしまったら罪悪感が押し寄せるのがマトモな大人。

    平気でぶっ叩ける、胸がスッとするという虐待気質の大人は、れっきとした犯罪者、人としてぶっこわれてると思うね。

    日常的にぶっ叩けてしまうのって、しつけの様式の問題じゃなくて、それができちゃう人格とか人間性のヤバさであり、子どもを一人格として見てない事の現れだと思うな。我が子の泣き叫びがノーマターなんでしょ。ヤバいでしょそれは。

     女性 30代
  • 匿名 says:

    必要ないです。言っても聞かないし学校でもトラブルを起こしうちだけ毎週授業参観状態だしお友達大人なら犯罪として逮捕されるようなこともしますが
    体罰はダメらしいので叩くのはダメです。それでいいらしいです。

      
  • 匿名 says:

    体罰を受けた当事者です。30年前。私は手が不器用でジュースをこぼしただけで殴られ、少し発達気味だったから理解力がなくて殴られ。怖いから余計に理解が追い付かず、人とも上手く関われず。いつしか私は飼い主の顔色ばかりみて指示待ちする犬のような存在なり、不快なら暴力に出る子供になりました。警戒心の塊になり獣のような大人になった私に安心して暮らせる環境を10年与えられ、やっと人の心と脳にかかった恐怖や、思考を遅くする霧のようなものが晴れました。思いやりや共感性も止まっていた心の成長がおいついてやっと人と仲良くできるようになれました。安心したことで脳機能が追い付き、軽めの発達障害も限りなくなくなりました。
    犬の躾に近い積極的な体罰は人を馴らした獣にしますが、体罰による躾では子供が人にはなりません。人を育てる育児でしか人は育たない。私は間違いなく成人付近まで人のふりをした獣でした。
    体罰は人を警戒心剥き出しの家畜にするだけです。私は人にいま近くなって失ったものが多すぎて悲しくなりました。獣のような生きるため、安寧のためなら手段を問わない人格をした私を救ってくれた夫には感謝しかない。が、このような幸福な事例は少ないと思う。まさかですが昨今指示待ちがふえたのも、犬の躾のような育児が原因ではないでしょうか。
    人はお互い理解しあい、話し合い、察し、子供なりに意見をかわし妥協や協調を理解しなければ考える人にはならない。恐怖をつかい親の思考をコピーあんどペーストなんてしたらそりゃ指示待ちロボットになるでしょうな。

      
  • 匿名 says:

    必要ありません。躾という名の体罰はあってはなりません。私は躾は体罰で教育であるという親の元で育てられました。三つ子の魂百までと言いますがそのとおりです。私はこの世を去るまで、体罰(暴力)の数々、言葉の暴力は忘れないでしょう。そして、それらの記憶が残り少ない人生を迎えた今も、自分を脅かし突然悲しくなり、大泣きし嗚咽が止まらなくなることがあります。我が子といえど1人の人間として尊重し見守るのが親の在り方と思います。子は親の所有物ではありません。子にも親と同じ意志があるのです。生きていくには、どんな教育をされても子は親から逃げることはできません。そんな子へ日常的な親の暴力や言葉での罵倒も含め、子の将来に精神的苦痛を残すことはしてはならないのです。私は我が子への愛し方がわかりませんでした。よく「親の背中をみて学ぶ」と例えがありますが「愛情」がどういうものであるかを背中を見て学ぶことなく、ただ親への「恐怖心」しかありませんでした。そして私は子の愛し方がわからなかった親でした。幼い我が子には私という親は「氷のように冷たく鬼のよう」だったのではと思います。けれどその幼い我が子が、小さな手で私の手をいっぱい、にぎりしめ「お母さんの手きれいだね」と何度も何度も撫でてくれました。こんなに小さな幼子から愛情一杯こめた手のぬくもり、号泣しました。子の愛し方がわからず、我が子に手を上げようとしたこと、私は鬼親以外の何者でもありませんでした。私は幼い我が子に救われました。この子が私を親にしてくれました。何よりもかけがえのない尊い子供です。体罰は時に「自分は生きていても仕方ない人間、価値のない人間」と、自己肯定ができない要因を子供の精神に与える原因になります。体罰(暴力)で得るものは何もありません。子供を愛しているなら安易な体罰はしてはいけません。取り返しのつかないことになります。ここまで読んでくださりありがとうございました。

      

しつけに体罰は必要だと思いますか?

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