「結愛ちゃん事件」に学ぶこととは 虐待された子を診察する専門家に聞く
子どもの代弁者「アドボケート」日本も導入を
―この事件が特に人々に響いたのはなぜでしょう。
反省文が残っていたからでしょうね。なければ、結愛ちゃんがどれほどつらい思いをしていたか、大人は想像できなかったのでは。同じように子どもが苦しんだ事件でも、それほど騒がれていません。
―子どものつらさへの感度が鈍いのでしょうか。
それもあります。結愛ちゃんは香川県児相に一時保護された時「おうちに帰りたくない」と言った。4、5歳児が帰りたくないなんてよっぽどなのに、重大だととらえてもらえなかった。
米国や英国の福祉では、子どもの言いたいことを代わって伝える役目の大人(アドボケート)がいます。子どもは立場が低く本当の気持ちを主張しにくい。結愛ちゃんの声も、アドボケートが子どもの意見表明だとして伝えれば聞き流されなかったかもしれない。日本でも導入するべきです。
―事件をきっかけに、虐待防止へ社会が進んだ感触はありますか。
なんとかしたい意識が生まれ、虐待に敏感になったのはよかった。ただ、国の対策で気になる動きも。
その1つが、警察と児相の情報共有を進め、警察の関与を大きくしようとしていること。例えば近所で泣き声が聞こえた時、気兼ねなく児相などへ通告できるのは、困っている親子の支援になると思うから。警察が捜査に来るとなれば、ためらうかも。また、全児童の安全確認が求められているので、健診のない2歳未就園児は全て家庭訪問などで確認することになります。これでは監視社会です。
必要なのは「虐待の原因を取り除く」支援
いずれも結愛ちゃんのケースに学んだ対策ではありません。足りなかったのは、なぜ虐待が起きているのか家族の問題を見極め、原因を取り除く支援でした。虐待者は父親だと明らかなのに、児相の指導は母子関係が中心でした。
虐待を防ぐスタートは、取り締まりではなく、困っている家族への支援です。その感覚を誤らないでほしい。
児相が子どもを一時保護するのも、親に対する罰ではなく、「このままいくとこの子を殺すか精神障害にしてしまう危険があるから、一時、社会が預かります。再び一緒に暮らせるように支援しますよ」ということなんです。出来るだけの支援をして、それでも難しい場合にのみ、子どもの最善の利益を考え、特別養子縁組や里親にゆだねることが必要になります。
ー子どもの最善の利益を最優先することは、2016年の児童福祉法改正で子ども福祉の原理として盛り込まれました。
基本は、日本も24年前に批准した「子どもの権利条約」(外務省訳は「児童の権利に関する条約」)です。すべての人間が幸福に生きる権利を持っているように、子どもも大切に育てられ、幸せに生きる権利を自ら持っているんです。だから、福祉は大人が付加的に「してあげる」ものではないし、大人の都合で子どもの処遇を決めたりしてはいけない。その精神も、その時の法改正で明確になりました。
児相を専門機関に 社会的な地位向上を
-児相は子どもの権利を守る最前線としてあるはずですが、結愛ちゃんのケースのようにたびたび対応が問題になります。
今、児相では悪循環が起きています。人手不足がいわれるので、厚生労働省は、まずは児童福祉司の人数を増やそうと量の確保に少し力を入れましたが、一人ひとりの力量を高めることは後回しにしてきました。
その結果、現場では虐待の早い段階で適切な支援をするということがなかなかできず、手の施しようのない状態になって後追いすることになっている。しかも扱うケース数はどんどん増える。仕事の醍醐味を感じられないまま負け戦が続き、嫌になって辞めていく。なかなかプロが育たない。
悪循環を断ちきるには、児相を虐待対応の専門機関に変えること。児童福祉司も、国家資格をつくって勉強した人だけが名乗れる専門職にするべきです。今は福祉分野で働いた経験などでなれてしまう。
保育や老人福祉の分野でもそうですが、人間の命を扱うという大事な仕事に、もっと行政はお金を入れ、社会的な地位を上げていってほしい。それこそが持続可能な社会づくりです。
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